怪事戯話
第十怪・無双崩魔と覚醒の刀①

 刃は切り捨てる。
 その白い刀身を光らせて闇を舞い、闇を裂く。
 刃は切り捨てる。
 触れた所からすっぱりと両断し、一であった塊を二へと分割する。

 その刀、その名を無双崩魔と呼ばれた緋尾の剣。魔性に類するモノを裁断し、崩壊させる力を持った神憑りの刃。
 定まった形も持たず、真に在るのかも知れず。今も現世を彷徨っていると、実しやかに囁かれる剣。

「そんなものが実在していて、果たして許されるモンなんかね」

 呟いて、彼女は剣を振り下ろした。



 十一月。校庭の木々も色づき、時折吹く木枯らしに揺られて赤や黄色の葉が落ちる頃。
 昼の頃にはいくらか暖かいが、早朝は布団から出るのがはばかられるような寒気が満ちていて、セーターやマフラーを着用している生徒は日々増えてきている。
 そんな中、烏貝乙瓜は。
 春の頃と同じように、ブラウスの上に制服の上着を羽織っただけの軽装備で。じわじわ来る寒気に耐えるように上着の袖に手を隠し、外気と触れる面積を少しでも減らすかのように縮こまりながら授業を受ける生活を続けていた。
「そろそろ上着の下にセーター着たら?」と、美術部同僚にして同じクラスの戮飢遊嬉は言う。
 毛皮をはぎ取られた羊の如く哀れに震える乙瓜を見かねてのアドバイスだった。
「ていうかさー、セーターもそうだけど、靴下も長いのにしたらいいんじゃね? ずっとハイソも寒いっしょー」
 そう言う遊嬉も下半身は相変らずミニ丈スカートに膝下までの黒ソックスで、生脚の露出面積だったら乙瓜より上だ。上は特に集会の無い限り夏でも長袖ジャージなので一応安心するのだが、脚は寒くないのだろうか。
 だが、乙瓜がこの手の疑問をぶつける度、遊嬉は「短パン穿いてるから大丈夫ー」と良くわからない理屈を返すのだった。
「……だったら俺もまだこのままで平気だし」
「いや、どう見ても平気じゃないし。今の乙瓜ちゃん寒空の下に置き去りにされた母親を失った子猫みたいになってるし」
「どんな例えだそれ」
「見ていて寒そうってこと」
「あー……そっかぁ」
 すまんかった、と謝りつつ、乙瓜は手を擦り合わせた。
 一応、昔ながらの石油ストーブが教室に配置されてから数日経つ。しかしクラスの生活委員が給油を忘れた為、その偉大なる文明の利器が力を発揮することは残念ながら次の給油日までない。いつでも給油すればいいじゃないかと言う意見もあるが、今年の原油高等の理由で給油日以外にみだりに給油することを制限されてしまったのだから仕方ない。そんな理由で今はただの邪魔なオブジェと化している動かないストーブを睨みながら、乙瓜は誰だか知らない生活委員を恨んだ。
 尤も、週間あたりの使用が制限されているのだから、給油があっても極寒の日以外はなかなか稼働させられないという現実もあるのだが。故に学校は生徒の健康維持の為に冬季の厚着を推奨している。どのみち着なくては寒い。
「しゃあない……、今度の休みにカワハギに買いに行くか」
「そーしなって。なーんかインフルエンザも流行りだしてるみたいだしさ、気を付けた方がいーよーん」
 遊嬉はそう言って自分の席へと戻って行く。

 授業合間の十分休みは終わり。次からは三時間目の数学。
 四時間目も特に教室移動も無く、加え五時間目は屋外で体育だ。
(なんでこんな日に限って風が強いんだよ……)
 乙瓜は机の上に数学の教科書ノートを並べながら、恨めしそうに窓の外を見た。
 隙間風一つ入らないようしっかり閉ざされた窓の外、空は雲一つない快晴だが時折強い風が吹いているのか、前庭の木々がざわざわと揺れ、窓がガタガタと音を立てる。
 ……ふと、窓から見える一本の木の上に、何かが乗っているのが見えたような気がした。
 けれど、鳴り始めたチャイムと入ってきた教師の声、日直の号令に立ち上がり、礼・着席を済ませて再びちらりと見た外には何も見つけることは出来ず、乙瓜は自分の気のせいだと思うことにした。



 ほぼ同じ頃。
 二階理科室の窓から見えるグラウンドでは、二年生か三年生の上級生たちが、寒さを知らないかのように半袖半パンでトラックを数周している。来月開かれる町のマラソン大会に去年から学校として参加することになったためか、今月に入ってからどの学年の体育も長距離走の練習だ。
 別にそんなん参加しなくてもいいのに、と思いながら、黒梅魔鬼は溜息を吐いた。
 魔鬼達一年二組の三時間目は理科。植物の茎に染色液を吸わせて単子葉類と双子葉類の違いを観察するとか、そういった手合いの実験をしている最中だった。
 同じグループのメンバーが代わる代わる監察している間、魔鬼は使い終わった実験器具を洗いながら、外の様子をぼんやりと見続ける。
 たった今何周目かを走り終えて息を切らした様子でいるのは、美術部二年の仮名垣まほろだ。ああ、二年生の何組かの授業なんだなと、そこでようやく魔鬼は気付く。まだ元気有り余る様子でグラウンドを走っているのは同じく美術部の鳩貝秋刳あくるだった。
(どうやったらあんな体力付いちゃうんかなぁ……)
 秋刳に感心の眼差しを向けながら、しかし魔鬼は憂鬱になった。
 魔鬼は元々運動が得意な訳ではない。走らせればいつも人に置いて行かれるし、長距離なんてとてもじゃないが疲れて走っていられない。
『いつもの』、怪事を解決するときは別だ。あれは魔法の力を借りている。大元のステータス以上に速く走れるし、人の背丈ほどのハードルだって猫のように身軽に飛び越えることができる。だがそれはあくまで魔法使いとして活動するとき限定であり、平時の生活では使わないように心掛けている。
 それを使ってしまう事は、同じように運動が苦手でもズルせず休まず頑張っている誰かに対して失礼だし、何より魔鬼は、別にそこまでして運動得意な連中の水準に行く必要も感じていなかった。
 全く底上げをしない素の体力と運動神経で望むことを前提にしているからこそ、魔鬼は憂鬱なのだ。

 ――それに、と魔鬼は思う。
 そんな力を使ったって、明らかに次元が違うというか、届かないような領域の奴はいる。

 戮飢遊嬉。魔鬼が小学校……いいや、保育園から同じの体力馬鹿。キツい登山の後も元気が有り余り、小学校年間は殆ど皆勤賞という、まさにお墨付きの健康体。唯一、学校で熱を出して保健室に運ばれたときでさえ、翌日にはケロッとした様子で登校してきたという逸話持ち。
 そんな遊嬉が何より凄いところは、どのスポーツをやらせても並以上の成績を出せる、ということだ。
 遊嬉は美術部に正式入部する前に沢山の運動部に体験入部しているが、バスケでも、バレーでも、テニスでも、卓球でも、ソフトボールでも、剣道でも。北中に存在する女子運動部、男女隔てなく入れる運動部おいて目覚ましい才能を発揮させた。本人いわく殆どやったことのない競技においてもだ。当然と言えば当然のことであるが、四月の間は各部から競うように勧誘を受けたという。
 だが、そんな勧誘競争を潜り抜けて遊嬉が選んだのは、運動部とは全く方向性の違う美術部だった。
「どれもピンとこなかったんだよねー」彼女は後にそう零していたが、今でも公式戦の助っ人などには嬉々として参加しているのだからよくわからない。
 国社数理英など基礎的科目の成績はイマイチぱっとしない彼女ではあるが、こと運動に関してはオールマイティな才能を発揮するのだ。

(いくら魔法で強化しても、遊嬉みたいにはなれるような気がしないよなぁ…)
 思って魔鬼は蛇口を捻り、洗い終わったビーカーの水を切った。
 と、その時。
 視界の隅にあった窓の外、前庭にある木の上に何か在り得ないモノを見たような気がして、魔鬼はばっと顔を挙げる。
 そして、強めの風に吹かれてゆらゆらと揺れる銀杏の木の上にそれを見た。

「……えっ?」

 それが何なのか、魔鬼にはわかってた。しかし、そこにそんなものがあることがにわかに信じられず、幻でない事を確認するかのように目を擦る。だが、何度瞬きしてもそれは依然そこに在る。魔鬼は認めざるを得なかった。


 人間がいる。否、少なくとも人の形をした何かが。
 銀杏の木の、細い枝葉の上に直立している。

「有り得ない……」
 魔鬼は思わず呟くが、一瞬の後に思い直す。
(いや、在る・・以上は有る・・のか)
 目を細め、樹上のそれを睨む。
 幻でもなく、しかしそこに在るならば、それは明らかに人ではない。

 何かが来たのだ。今、この北中に。

 木の上の人影は枝の揺れに合わせてしばらくその体を上下させた後、風に溶けるように消えて行った。
 その瞬間、窓は閉め切っている筈なのに、どこからともなく冷たい風が入り込んだ。実験に集中していた生徒たちは驚き、それぞれがきょろきょろとあたりを見回している。
 切ったばかりの髪を少しだけ揺らしながら、魔鬼は静かに言った。

「怪事……来たれり」

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