怪事戯話
第九怪・夜鏡写し②

 十月中旬。
 先の週末に行われた合唱コンクールも無事に終わり、九月末まで夏の延長のように続いた暑さがぶりかえることも無く、過ごしやすい日々が続いている中。
 生徒たちの次なる関心事は次週に控える中間テストと、そして少し前から囁かれるようになった一つの怪談にあった。
 それをまだ怪談と言っていいものか、生徒たちの間では怖い話というよりテレビや雑誌の占いと同じくらいポジティブに捉えられている故に定かではないが、大凡おおよそ科学では説明のつかないようなことが流布されているので怪談として紹介しておこう。

『東階段の二階と三階の間にある踊り場の姿見をある時間に覗くと、自分の望むものを見ることが出来る』

 自分の望むもの、とは大分アバウトな言いようではあるが、主に女子生徒が伝えるところの話によれば、次のようなものが見れると云う。

 ――例えばそれは、失くしたものの在り処だったり。
 ――あるいは、近い未来に付き合う異性や、未来の結婚相手だったり。
 ――そしてもしくは、自分の過去や未来の姿だったり。

 他にもいくつか伝聞されるものがあるようだが、すべてに共通していることは、『今ここにはないもの』が映るという事。
 時計の針が『ある時間』を指した一瞬だけ。鏡は時空を超えて見せるのだ――。


「まあ、そういう話。この頃えらく盛り上がってるみたいだから聞き出したんだけど、なんつーか、ありがちな学校の七不思議? みたいな話だよ」
 言いながら、遊嬉は最後の一段ぴょんと飛び降り、後ろに続く乙瓜を振り返った。
 真昼の校舎。ほんの少し早く給食が終わって、昼休み入り前の1時手前。
 戮飢遊嬉と烏貝乙瓜は、三階西の一年一組の教室を出て東階段に居た。そう、件の踊場。噂の姿見を検証するためにだ。
「よくある話……よくある話だけども。噂って言ったって今のところ全くの無害じゃないか。鏡の件に関して今のところ特に花子さんから言われてないし、放置したって問題ないんじゃないのかー?」
 ぶつくさ言いながら、乙瓜も踊り場に降り立った。
「問題ない、とは言うけどねえ。例え何が起ころうと起こるまいと、気になるのがジャーナリスト精神ってもんんじゃん?」
「あん? 誰がいつジャーナリストになったって?」
「やーだなー乙瓜ちゃんはもぉー。これは言葉のあやであって。あたしが。個人的興味の上で。鏡を検証してみたいのさね」
 そう言って乗り気で鏡の前に立ち鑑定人の如く上から下まで見る遊嬉と対照的に、乙瓜はえらくだるそうだ。
 それもその筈、給食が終わったと思うと同時に「鏡見にいこ!」の一言で無理矢理連行され、短い道中で簡単な説明はあったものの未来が映るとか恋人がどうとか、女子の恋バナ程度に興味の湧かないジャンルを調べるとか言われたのだから。
(遊嬉はそれで楽しいかもしれないけど俺は全然楽しくないぞ……)
 何の変哲もない鏡を舐めるように見ながらも楽しげな遊嬉を一歩後ろで見、乙瓜は只々呆れかえっていた。
「……えっとなになに、昭和53年卒業生寄贈……ふーん。53年ってったらー…………ん? 乙瓜ちゃぁん」
「1978年」
「そーそー、ってことはつまり……えっと、今から大体三十年くらい昔になるのか。なるほどなるほど。じゃあ最大で三十年前まで遡れるってことかー。うんうん」
「…………。何を一人で納得してるんよ」
 鏡の前で一人うんうん唸ったり頷いたりしている遊嬉に乙瓜が問う。遊嬉はくるりと振り返ると、人差し指をぴしっと突き立てて言った。
「考証! 鏡の噂の真偽も気になるけど、鏡の噂がいつ成立したのか調べる! これあたしの仕事ね!」
 さも当たり前のように自信たっぷりに言ってのける彼女に、乙瓜は正直驚いた。
 遊嬉がオカルト好きのホラーテラーなのは、少なくとも美術部の内輪では周知の事実だが、まさかここまでとは。
(――この人本気でオカルト研究家とかになるつもりだ……! テレビでそれっぽいコメントする立場になるつもりだ……!)
 友人のガチ加減に感心と呆れ半々の気持ちを抱きつつ、乙瓜は溜息を吐くが、遊嬉は構わず言葉を続けた。
 
「いーい? どんだけ科学が発展しようと、人間の脳みその仕組みとか幻覚とか錯覚のメカニズムが解明されたって、不思議な話は在る・・んだよ。そして実際に在った・・・んだ。あたしはオカルトを極める者として怪しい事がどうやって生まれるのか、どうやって存在し続けるのかを知らなくちゃならない。これはアレなんだよ。アレの精神、ええと何だっけか……」
「ジャーナリズム?」
「そう、ジャーナリズム。今のうちに集めたネタを将来公表して証明できない事を気のせいや迷信って言葉の向こうにやっちゃった連中をぎゃふんと言わせる! それがあたしの目的って奴よ」
「公表ねぇ……」
 乙瓜は再度溜息を吐いた。
「確かにオカルトは実在して、俺たちなんだか変なことに巻き込まれちゃいるけど、過去に何百何千と怪談奇談が報告されて、今やネットでも怪談が飛び交ってるのに殆ど誰も真面目に信じてくれないじゃんか。変な人扱いされるのがオチだぜ……」
 呆れ声の乙瓜に、遊嬉はそうかもしれないねと答える。しかし、こう続けた。

「人間に忘れ去られることで、彼ら・・が消えてしまうとしたら?」

「……えっ?」
 乙瓜は一瞬自分の目と耳を疑った。
 何故なら、その時の遊嬉の表情は先程までと打って変わって冷静かつ真剣で。更に、おどけた調子を一切除いた声音でそれを語ったからだ。
(――目が……笑っていない)
 遊嬉の、ツリ目気味の目の真ん中に座る赤い実のような瞳が、真っ直ぐに乙瓜を射抜いている。

(赤。そういえば、赤だ。遊嬉は真っ赤な瞳をしているんだ。なんで、今まで気にしていなかったんだろう。彼女の瞳もこんなに赤いのに・・・・・・・・・・・・・!)
 今まで見てきた幾つもの人のような、しかし人でないものの眼にもその赤があった。それと同じものを、戮飢遊嬉は持っている。入学して同じクラスになり、もう半年。乙瓜は漸く気にしたのだ。


 ――ほんの少し、だが確かに。そこには沈黙があった。


「まーまー、という話もそこそこにしてー」
 それを打ち破ったのは、遊嬉の底抜けに明るい声だった。彼女は何事も無かったかのようにもう一度鏡に向き直り、数歩下がって乙瓜の隣に並び立つと、ジャージの袖を僅かに捲った。
「これ電波時計。電波届く限りズレないんだぜー、いいだろいいだろー…………? っておーい、もしもーし乙瓜さーーん?」
 遊嬉がトントンと肩を叩き、乙瓜は漸く沈黙の終わりに気付く。遊嬉は隣で自慢しつつ時計を確認している。間近でよくよく見ても、その目はまだ赤かった。
(戮飢遊嬉……美術部のホラーテラー……。だけどその。その赤い瞳は一体何なんだよ……)
 同じ共同体に属し、怪事に関して同じ秘密を共有する者として無条件に信頼してきた彼女に対して芽生えた若干の疑念。隣に立つ得体のしれない何か・・・・・・・・・に対する疑心。目が逸らせない。

「……どーしたん? 怖い顔して」
 そんな乙瓜を、遊嬉は不思議そうな顔で覗き返した。敵意も裏も感じさせない、全くもっていつも通りの彼女の顔だ。瞳は相変わらず赤いが、余りにもいつも通りの視線に引け目を感じ、乙瓜はやっと、しかし後ろめたい感じで目を背けた。
「いや……、なんでも」
 その場を取り繕う言い訳。嘘だ。何でもないわけがない。何でもなくないから顔を背けたのだ。
(最低だ……『友達』に対して何馬鹿なことを思ってるんだわたしは……!)

 唇を噛みしめる彼女の様子を知ってか知らずか、遊嬉は乙瓜の態度に対し特に追及してこなかった。

「……あ! そーそー。あのさー乙瓜ちゃん、そんでね。鏡の噂の話に戻るけどさ」
 何でもない風に話を戻す遊嬉の声に、乙瓜は背けた顔を戻す。チラリと見た隣の彼女。頭は下を向いている。腕時計を見ているからだ。
 袖をずらした右手の人差し指は秒刻みに動き、まるで時が来るのを待っているみたいだった。
「時間についてはほとんどわかっていないんだけど、一つ情報があってさ。昼の1時11分と夜の1時11分。この二回。昼には過去を、夜には未来を。この鏡は映し出すらしいんだ」
 遊嬉はトントンと時を計りながら言った。乙瓜はハッとする。自分たちが教室を出たのは1時より前だが、もう1時を何分か回っている筈である。
「今、何分なんだ?」
 乙瓜の問いに遊嬉は淡々と答えた。
「10分と35秒。見たい過去の事とか考えておいた方がいいよ。あ、今40秒」
 遊嬉はそう言って顔を上げた。真っ直ぐと鏡を見ている。乙瓜もつられるように鏡を見る。大きな姿見には遊嬉と乙瓜の全身が映りこんでいる。

(かなり疑わしいけど本当に映るのか? 過去が? でも20秒で見たい過去なんて決められる筈……)
「あと10秒」
 遊嬉のカウントダウンに慌てる乙瓜の脳裏に、一つの言葉が過った。

『――覚えてる? あの夜の屋上で、あなたは何から逃げていたの?』

「そうだ、なの――」
「2、1、ゼロ。時間だね」
 乙瓜がその名を口にするのと、遊嬉がカウントダウンを終えるのはほぼ同時。時計の針は1時11分を刻む。

 瞬間。
 乙瓜は鏡の中に今の自分と遊嬉ではない誰かの姿を見た。
 学校の景色ではない真っ暗な背景に映る、今の自分たちより幾らか幼い子どもの姿。パーカー姿でフードを被っている。顔は影になっていてよく見えないが、覗いている髪の毛の長さなどからどうやら女の子の様だった。

『……ん……いを、…………さい』

 鏡の中の子どもが小さな声でぼそりと呟く。しかし乙瓜にはそれが殆ど聞き取れなかった。
 尚も何かを言っているその子に誘われるように、乙瓜はふらふらと鏡に近づく。遊嬉が何か言っている気がするが、彼女の耳にはもう届いていない。
 乙瓜は鏡に手を当てて子どもを覗き込む。フードの子どもが彼女を見上げ、影になっていた顔がはっきりと見えた。
 その顔に、乙瓜は驚愕する。

 鏡の向こうから覗く瞳、左右反転のオッドアイ。にやりと笑う少女の顔は、今より幼いが、紛れもなく――。

わたし・・・……?」

 短く悲鳴のように叫ぶと同時、鏡の中から何本もの腕が伸びて乙瓜を鏡の中へと引きずりこんだ。

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