怪事戯話
第八怪・花の玉座②

 校舎東側、二階廊下奥の理科室前。
 普段部活動等で使用されることのないその一角は使用時以外は鍵が閉ざされていることもあってか、放課後のこの時間帯にはほとんど誰も立ち寄らない。
 併設された準備室の窓には、授業に使われず殆ど置物のようになっているホルマリン漬けの内臓や謎の小動物の骨、昆虫の標本が整然と並べられている。その中の、特に骨やホルマリン漬けなどは模造品レプリカであるのだろうが、そうであったとしても、大部分の生徒にとって気味の悪いものであることには変わりない。液体の中に沈んだヒキガエルなどは、西日に照らされてにやにや笑っているようにすらみえる。
 そのせいもあってか、校舎から人気ひとけの無くなったこの時間帯の理科室前は少し不気味だ。こわいというより、ほんのりと奇妙。

 そんな場所に、魔鬼と乙瓜は立っていた。

「今より強くなりたい? って唐突にいわれてもなー」
 ぼやいて、魔鬼は準備室の扉に寄り掛かった。理科室同様、ここも鍵が閉まっているので開くことはない。
「そりゃあ強くはなりたいし。……先月のあいつ、ああ、まだ思い出してもムカつくなあ。次に会ったらどうしてくれようか」
「……どこ行ったんだろな。七瓜」
「知らんよ、そんなん」
 魔鬼はソッポを向いた。

 先月乙瓜を襲い美術部全員を傀儡の術に嵌めた謎の存在・烏貝七瓜は、再来を予感させておきながら、結局この半月の間姿を現していない。
 操られていた部員たちは自分たちが何をしていたのか、そもそも乙瓜にそっくりな何者かに襲撃されたことすら覚えておらず、今日も平々凡々能天気に生活している。
 肝心の杏虎も「七瓜」の名前に驚いた理由を覚えておらず、結局あの日の事を引き摺っているのは乙瓜と魔鬼と……そしてもう一人。否、もう一匹か。

 草萼火遠はあの日から学校に居ないことが多くなった。

「火遠の奴この頃どこ行ってんだろなぁ」
「それも知らんよ。知らないけど。……はー、なんだかなあ」
 二人は揃って大きな溜息を吐いた。
 あまり遭遇しなくなった火遠はいつもどこで何をしているのか。七瓜を迎えにきた三咲という魔女の言っていた事が何か関係あるらしいということはなんとなく察しがつくのだが。鬱陶しいと思う事も多かったが、いなければいないでそれはなんとなく寂しい。
 美術部の面々もあまり見かけなくなった赤い妖怪の事をほんのりと気にしていた。
 初めて遭遇した五月から、まだ半年も経っていない。数字の上ではそうなのだが、本来いない筈の存在が当たり前のものとして受け入れられるくらいの時間が、彼女たちの間で流れていた。

「……ところで俺たち、なんでこんなところで待ってるんだっけ」
 乙瓜は言いながら伸びてきた前髪を目の横にはらった。そろそろ切ろうと彼女が思ったのは、今月に入ってから何回目のことだろうか。
「はーなこさんにいわれたからでしょー。理科室の前で待ってると闇子さんが来るってー」
 魔鬼は魔鬼で、相変わらず準備室の扉に寄り掛かりながら腕組みしている。彼女の髪も四月より大分伸びてきていて、ボブテールは立派なポニーテールになりつつあった。
 ――週末に美容室行こう。魔鬼もまた髪の毛を切ることを考えていた。
「わかるし、それくらいわかってるし。……でも、じゃあ闇子ってのはいつになったら来るんだ? 一応鳩貝部長やみんなに伺いたててきたけど、このままだと完璧に部活サボりじゃないか。……今何時?」
「――4時43分」
 魔鬼は上着の袖をずらし、買ったばかりの腕時計が指す時刻を淡々と読み上げた。
「あと一時間もないじゃんか……」
 それを聞いて、乙瓜はがっくりと肩を下した。これから冬にかけて日没が早くなるのに連動し、今月から最終下校時刻が五時半に変更されたのである。
「来るなら早く来いっつぅの」
 乙瓜がまた前髪を掃った時、魔鬼の時計は時間を更に一分刻んだ。

「44分か。4揃いだなあ」
「ふと見たときにキリのいい数字でるのって時々あるよな。5時55分とか、12時34分とか」
「あー、あるある。何なんだろうねあの現象、何か名前あんのかな」
「わかんない。何だろね」
 二人が時刻のことで盛り上がっているとき、理科室にごく近い女子トイレのドアが、ぎぃと音を立てた。

 二階東の女子トイレ。花子さんがいる二階西女子トイレの反対側、東階段の横にあるアルミサッシの曇りガラスの扉が。ギギギと軋んだ音を立てて開いていく。
 限界まで開ききったドアクローザーがガタンと音を立て、乙瓜と魔鬼は漸く異変に気付く。二人が注目した先、トイレのドアは全開状態。しかし押さえる者は誰もいない。曇りガラスとは言え向こう側の状態くらいはぼんやりうかがえるので、誰かが見えないように押さえているとは考えにくい。

「もぉーいーかい?」

 トイレの内側から声がする。かくれんぼの鬼の台詞だ。
 たった今起こっている状況と鬼遊びの台詞にピンと来るものがあってか、二人の反応は素早いものだった。
 魔鬼は胸ポケットから素早く十五センチ定規を取り出し、扇子を開くようにすっとずらす。すると定規は二つに分裂し、それらを両手に持って構える。
 乙瓜は上着の袖とブラウスの間に手を突っ込み、そこから大量の護符を引き出してみせた。クリップで何枚も連結させて筒状にして腕に巻いていたのである。ロール―ペーパーを引くようにぐるぐると現れたそれは、ひとりでにクリップの連結を解除して乙瓜の指の間へと収まっていった。

 準備万端、万全状態。二人の臨戦態勢が整ったと同時、トイレの中に居るものが姿を現す。

 ドアの向こうからあふれ出す闇。避難訓練の発煙筒よりも激しく拡がった暗い爆発が一瞬廊下中を覆いつくし、人間の視界を塗りつぶす。
 直後、ジャランと金属音。ゴツンと堅い靴音。パチンと指を鳴らす音、晴れる暗闇。
 何事も無かったかのようにクリアな視界の中に、堂々と立っている人影はさっきまでは存在しなかったものだ。

「……なァんだ、人間じゃん。あいつはどこさ?」

 尖った口調で彼女・・は問う。
 ツンツンと立ったセミショートの髪と、只の生徒ならとっくに指導に会うレベルの装身具の数々。堅そうなブーツなんか明らかに土足だ。花子さんですら校内で現れるときは上履きだというのに。
「お前がトイレの闇子さんか……!?」
 乙瓜が問うと、彼女はにやりと笑った。
「そー。あたしは闇子。トイレの闇子さん。北中ここ"トイレの花子"になるはずだった女。……あの女さえ居なけりゃね」
 あの女のところだけ憎々しげに強調して、闇子さんは身にまとった鎖のアクセサリーをジャラリと鳴らした。
「あたしは答えたからあんたらも答えなよ。今"トイレの花子"を名乗ってる、あのゲロブスビッチはどこにいんのさ?」
 足を踏み鳴らし、堅い音が廊下に響く。闇子さんの目的はあくまで花子さんのようだった。乙瓜と魔鬼は顔を見合わせ、そして魔鬼はが言った。
「悪いけど、私たち花子さんに頼まれて彼女の代理できたんだ」
「ハァ? なにそれ」
 闇子さんの目が不機嫌そうに歪む。
「あのバカあたしからの手紙碌に読んでないワケ? マジ意味わかんねーし。あんたらも人からかうのも大概に――」
「からかってなんていないわ」
「!」

 唐突に降ってきた声に闇子さんだけではなく魔鬼と乙瓜も驚き、声の方向に顔を向ける。
 闇子さんが登場の際に開け放したドアの曇りガラスの向こう側から、赤いゴムの上履きが一歩二歩と歩み出る。

 ――トイレの花子さん。古霊北中に住まう幽霊妖怪の中で最強の称号を手にした彼女の登場はは、ド派手な闇子さんと対照的に、ごく静かなものだった。

「久しぶりねヤミちゃん」
 にこやかな表情の花子さんを見て、闇子さんは眉間に力を込めた。
イコ・・……」
「懐かしいわねその名前。先代花子さんがいなくなって、私たちが戦ってあなたがいなくなって、もうその名前で呼んでくれる人は殆どいなくなったわ」
 花子さんはクスクスと笑った。
「そうやってヘラヘラしてっ……あたしはあんたのそういうところが大ッ嫌いなんだよッ! まあいい、来たってことは受けるんでしょ、決闘。早速始めようじゃねーの」
「そうねヤミちゃん。でもあなたと戦うのは私じゃないわよ?」
 言って、花子さんは乙瓜と魔鬼を指さす。
「あなたと戦うのはあの子たち。あの子たちか倒されたら、私の負け。ヤミちゃんが新しい"花子さん"でいいわよ」
「……っ、バカに――」
「してないわよ? 馬鹿になんかしてないわ。あの子たちはことわり調停者まとめやく代理。大霊道を塞ぎ世界の転覆を防ぐ防波堤。油断してると痛い目みるわよ?」
「調停者……? こんな人間がァ?」
 訝しそうに振り向く闇子さんは、ただの人間くらいにしか思っていなかった魔鬼と乙瓜の姿をはじめてきちんと認識し、そして彼女らの手に構えられた定規と札を見た。
「……少しはりあえそーじゃん」
 呟き、闇子さんはにやりと笑った。


「完全にナメられてるみてーだな魔鬼」
「完全にナメられてるな乙瓜」
 花子さん闇子さんのやり取りから完全にアウェイな二人は、ファイティングポーズを解き一度ぐっと伸びをした。尤も、一度手にした得物は離さないが。
「目標ひとつめ、何だっけ」
 魔鬼が乙瓜にだけ聞こえる程度の声で言う。
「相手のペースに飲まれない事。ふたつめは?」
「冷静さを失わない事。OK?」
「オーケー」
 確認し合って、深呼吸。目の前では、丁度闇子さんがこちらを振り返るところだった。
「あっちがどういう手合いの攻撃を仕掛けてくるかわからないけど」
「けど、この戦いで何かがわかる」
 二人が再び構える。闇子さんがにやりと笑う。

「いいじゃん、すっげーいい目。何度か修羅場をくぐってきた目だ。だけどその程度でこのあたしは倒されない。"花子"の奴はあんたらの事買い被ってるかもしんないけど、あたしにゃ通用しないよ」
 すっと上げる右腕。伸びすぎた鋭い爪が二人の少女を真っ直ぐに指さす。
「改めて、花子代理のあんたらに決闘を申し込む。言っとくけど、あたしは一ミリも手加減しないかんな。そっちも曲がりなりにも奴の代わりなんだったら本気で向かってきな! 手加減したら承知しないよ!」

 宣戦布告、本気宣言。乙瓜と魔鬼はいよいよ全身の神経を尖らせる。
 ピリピリと張りつめる空気の中、闇子さんは次の一言を以て開戦の狼煙を上げた。

「始めようか、花の玉座をかけた戦いを!」

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