怪事戯話
第八怪・花の玉座①

『トイレの花子さんにはライバルがいる』

 そんな話を聞いたことはないだろうか。
 学校の怪談としてあまりにも有名故に、あちこちで亜種を作り続けてきた"花子さん"。
 そんな彼女のライバルは、きっと多分、この学校にもいるのだ。

 ――十月初旬。
 烏貝七瓜と名乗る妖怪と魔女三咲の来訪から、早くも二週間が経過した。世間では九月まで続いた猛暑がやっと落ち着いてきたところで、北中の生徒たちもやっと上着を着用するようになってきた。
 いよいよ文化祭合唱コンクール本番を目前に控え、各学年各クラスはそれぞれ追い込みモード。学校に居て歌声の聞こえない日はもはや皆無と言ってもいい。
 校内にはきわめて平和的且つ健全な闘争ムードが復活し、生徒たちの心は燃えに燃えていた。

 とまあ、そんな盛り上がりを余所に、今日も今日とて理の調停者代理である烏貝乙瓜と黒梅魔鬼の二人は、この学校の裏の支配者である花子さんに呼び出されていた。
 放課後、いつもの部活前。花子さんの持ち場たる二階西女子トイレに――。

「で。話ってなんだよ」
 乙瓜が言葉を投げる先、トイレに一つしかない窓の枠に軽く腰かけ、花子さんは長い長い髪を櫛で梳いていた。いつもつけている赤いリボンは一旦解かれ、軽く秋風が吹くたびにふわりと揺れる黒髪は相変わらず艶やかで綺麗だった。とても生きている人間ではないとは思えないくらいに。
「ちょっと面倒なことになったのよ」
 花子さんは髪を梳く手を止めて、スカートのポケットから何かを取り出した。
 それはごく一般的な茶封筒で、丁寧にこの学校の住所と、宛名には直球に「花子へ」と書かれていた。
「何それ……悪戯? そんなん郵便局で取り扱ってくれるの?」
 魔鬼が訝しむ様な目で封筒を凝視する。
「あら、どんな物でも住所と切手がちゃんとしてれば届くのよ。でもこれには切手がないし、普通の郵便屋さんが届けてくれたんじゃないわ。あの世郵便局の配達員が届けてくれたものだから」
「あ……あの世郵便局……?」
「なんだそれ」
 突飛な単語に顔をしかめる二人を見て、花子さんはクスリと笑う。
「ビデオやメールやインターネットを媒介にする幽霊だっているのよ、手紙を取り扱う幽霊と部署があったとしてもおかしくないでしょ。まあそれについては追々教えたげるわ。今はそんなことより手紙の内容よ内容」
 言いながら、花子さんは封筒の中身をすっと取り出した。
 何の変哲もない封筒の中身は、やはり何の変哲もない普通の便箋が入っていた。三つ折りにされたそれを開くと、花子さんは大きな声でそれを読み上げた。
「『はたし状。もう一度トイレの花子さんの座をかけてわたしとたたかえ。にげるのはゆるさん。――ヤミ子より』……以上。どう思う?」
「どう思うって言われても……」
 魔鬼は思った。どう思うも何も、ただの果し状じゃないか、と。
 一方、傍らの乙瓜は首を傾げながら言った。

「……ていうか"ヤミコ"って誰」

 その言葉に、花子さんは一瞬ぽかんとしたような顔をして、次の瞬間腹を抱えてケラケラと笑いだした。
 魔鬼は「知らんの!?」と心底意外そうな表情を浮かべている。
「いや、知らんもんは知らんし。……名前的になんとなく花子さんの亜種っぽいような気はするけど、――ていうか、魔鬼は知ってんのかよ」
「知ってるもなんも――」

「――私のライバルよ」
 魔鬼の言葉を遮って、花子さんが先に答えた。
「トイレの闇子さん。私とおんなじトイレの妖怪。アニメだか何かの影響で広く私たち"花子さん"のライバルって認識されてるみたいね。そしてこの学校の"花子さんわたし"と"闇子さんあのこ"の関係も、そうね。言ってしまえばライバルで間違いないわね。あの子とはよくケンカしたわ」
「で、でもっ、そんな奴入学してから一度も会ってないぞ!」
「でしょうね。あの子私と"花子さん"の座を巡って争って負けてから修行の旅に出るとか言ってどっか行っちゃったもの」
 乙瓜にそう答えて、花子さんは窓の外に目を向けた。
「――帰ってくるんでしょうね。こんな手紙を寄越したという事は」
 呟く花子さんの目はここではないどこか遠くを見つめている様だった。
 乙瓜と魔鬼の二人には、そんな花子さんを暫く黙って見ていることしかできなかった。

 ややあって、乙瓜が口を開く。
「……で、花子さんは俺たちに何を期待してるんだ?」
 花子さんが二人に振り向く。口角を緩く吊り上げて、彼女は言った。

「あなたたち、今より強くなりたいと思わない?」



 校庭の小砂利がジャリジャリと擦れる音がする。
 堅いブーツの底に潰されて、柔らかい石がはじけ飛ぶ。

 ――彼女は。

「やっと戻ってきた、あたしの学校、あたしの縄張り……! そこで待ってな、あんたをそこから引きずりおろしてやる!」
 指さす校舎。校則違反なくらい伸びた爪。ジャラリと鳴る鎖とシルバーアクセ。

「首洗って待ってな、"花子"!」

 制服の胸に黒いリボンを掲げ、トイレの闇子さんはそこにいた。

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