怪事戯話
第七怪・影の来訪者⑤

 乙瓜が薄雪に連れてこられた妖界神域の神社境内。そこには半紙で顔を隠した袴姿の男女が十数人いて、各々別々な仕事に取り組んでいた。
 ある者は竹箒を持ち、一片の塵埃も残さないように石段石畳を掃除している。またある者は、社の中で幾つもの巻物を広げ、算盤そろばん片手に何やら勘定している。沢山の見た事も無いような果実を抱えて、拝殿の裏手に運んでいる。
「あいつらは……」
「うちの一族の者じゃ。ごく一部じゃがの。信仰深く死してなお儂に仕えたいと志願したやつらじゃ。いつも黙々とこうしておる。彼奴あやつらの仕事の邪魔だけはしてくれるなよ。おっかないぞ」
 飄々ひょうひょうと答え、薄雪は社前の木段にちょこんと腰かけた。

「主も座りよれ」
 小柄な土地神は促すように自らの隣の空間を叩いた。堅い蹄が当たる音がコンコンと鳴り響く。特に抗う理由も無いので、乙瓜は素直に従った。
 乙瓜が腰かけると、薄雪神は獣の足をぶらぶらさせながら語りかける。
「真昼間からこんな辺鄙へんぴな場所に落とされるとはとんだ災難だったのう人間。時に知っておるぞ、お主は寺の一族の者じゃな」
「……そう、だけど。また見通したのか?」
「カッカッカッ、何を。見通すまでもない、この町の人間の事で儂が知らんことはあまりないぞ」
 角の神様は老人のようにカラカラ笑った。
「町村合併で『古霊町』などと呼ばれるようになる前から、儂はこの地の者たちをずっと見守っておったのじゃぞ。お主があの天狗寺の縁者で、如月は末の晴れた日に生まれ、随分な着物を着て寺と儂の神社に七五三参りに来たことも知っておるぞ。いかくなったのう」
 薄雪がつらつらと話すことに、乙瓜は全て覚えがあった。
 烏貝乙瓜の家は、古霊町の前身・黄泉先よみさき村西端だった場所に位置する居鴉いがらす寺の住職、その縁者に当たる。時折寺の方角から激しいつむじ風が吹くことから、寺には天狗が住んでいると言われており、老人たちの中には居鴉寺を天狗寺と呼ぶ者もいる。
 また、彼女の母の記憶が違っていない限り、乙瓜の生まれた十二年前の二月二十二日は一日中晴れ渡った好天で間違いない。「お前が生まれた日はとてもいい天気だったよ」と、幼いころから何度も聞いていたからだ。
 七五三の件は彼女自身に記憶がある。確かに、町の七五三式典に出た後神社に行った。母の行きつけの美容室で髪の毛を弄られて、それがなんとなく嫌だった気持ちは今でもありありと思い出せる。
 でまかせの嘘ではない、神が言ったことは全て事実だった。

(本当に全てお見通しってわけか……。――まてよ)
 納得と同時に、乙瓜は気付いた。

「なあ神様、あんたは何でも見通せて、頭の中も覗けるみたいだから、俺がここに落っこちてた理由はわかってるんだろ?」
「勿論知っとるとも、解るとも。……七瓜の不意打ちじゃの。びっくりしたろ?」
「なら教えてくれないか。俺と七瓜あいつ、俺は全然覚えてねえけど、どっかで会ったことあるみてぇなんだ。あいつ何者なんだ。本当に俺の姉なのか? それとも全く関係ない別の何かなのか――」
 必死な様子で教えてくれ、と頼み込む乙瓜の瞳を、薄雪はじっとみつめ返した。丸く大きな金の瞳の真ん中に黒く居座る山羊の瞳孔が、ぐにゃりと細まった。

「――姉じゃよ」
「えっ……?」
 乙瓜は耳を疑うと同時に、薄雪神の鋭い眼光に射竦いすくめられて動けなくなった。
 神は静かな声で言う。
「あれは、姉じゃよ。間違いなく生き別れの、お主の姉じゃ。例えお主の記憶になくとも、あの娘の言葉に嘘はない。すべて真実じゃよ」
 神は金色の瞳をぎらりと輝かせてそう告げた。乙瓜の首筋に汗が伝う。
「じゃあ、あの自称姉は本当に、俺の、」
くどい。何度も言わせるでないぞ。有ると思わなくても在るものはあるんじゃから仕方ないじゃろ。……だが儂から言えることはここまでじゃ。後は自分で思い出すことじゃな。そう、例えば踊り場で告げられた事、感じた疑問。真実はおそらくその延長線にあるものじゃ。自分で探す事じゃな。あるいは――彼奴あやつに問うたらどうかの?」
 薄雪はすっと上空を指し示す。導かれるように乙瓜が顔を上げると、真っ白な空の一部が歪み、赤い光が一直線に落ちてくる所だった。
「あれは……火遠?」
 こちらを目指して向かってくる光を見て、乙瓜が呟く。薄雪はカッカと笑った。
「存外早かったの、寂しがり屋の小童め」
 薄雪がそう言い終わるより少し早いか、物凄い速さでやってきた光がパッと弾け、草萼火遠の形になる。

「何をあることないこと吹き込んでるんだ、このなまけ神め」
 火遠は開口一番にそう言うと、薄雪の角を指で軽く小突いた。
「なまけ神ではないぞ、寧ろ儂が暇を持て余しているという事は俗世が平和じゃということじゃ」
「何を寝ぼけたこと言ってるんだ全然平和じゃないぞ。大霊道は開きかけだしこっちはてんてこ舞いさ」
「それはそちらで何とかせい若造。儂にどうにかして欲しかったら全国規模の信仰心を集めてくるんじゃな!」
「つまり……今の山神じゃ力不足で何もできないってことじゃァないか」
「うむ! そういうことになるのう!」
 何やらやたら楽しそうな薄雪はともかく、珍しく子供の様に腹を立てている火遠に乙瓜は驚いた。
(――火遠が押されている……!)

 旧友にばったり遭遇してしまった時のようなテンションで繰り広げられる応報に、全く口出しできないでいる乙瓜。唐突にその腕がぐいと掴まれる。火遠だった。

「……ったく。何にせよ帰るよ乙瓜。怪事だ。解決しなくてはならない」
「おう……うぇぉわっ!?」
 火遠の引っ張る力は思いのほか強く、乙瓜はそのまま引っ張られるままに宙に浮く。
(びっくりして変な声出た。最悪だ……)
 乙瓜は顔を赤らめた。
「何じゃ、もう行ってしまうのかえ。もう少し居てもよかろう」
 茶もあるぞ、菓子もあるぞ、と薄雪は今しばらくの滞在を進める。
 しかし火遠は首を横に振り、呆れたように言い返した。
「ナチュラルに黄泉戸喫よもつへぐい勧めないで欲しいんだけれど、薄雪媛様」
「失礼じゃの、どれも現世からの貢物じゃから黄泉戸喫にはならんぞ」
 童姿の神はその丸い頬を更に丸く膨らませていじけていた。
 ちなみに黄泉戸喫とはあの世で煮炊きしたものを食べるという事で、食べてしまうと二度とこの世には戻ってこれないとされるアレだ。多分日本神話でそれを知る人が多いだろう。ギリシャ神話にも類話がある。
「そうであろうとなかろうと、うちの下僕の今後に関わることなんで、出来れば引き止めないで頂きたいのだけれど」
「下僕であるか。そうかそうか、そうじゃったか。これはこれは」
 火遠が唇を尖らせるのと対照的に、薄雪は口元を緩ませてニヤニヤしている。そして乙瓜の方を見て一言。

「儂としたことがついてっきり、火遠の新しい彼女かと思ったぞい」

「はぁ!!?」

 爆弾発言に素っ頓狂な声を上げる乙瓜。
(いや、有りえねえって!)と心の中でツッコむのと同時に、掴まれている腕に一瞬火であぶられたかのような熱を感じて顔を上げる。
 乙瓜が見上げた先の火遠は、何故かいつも以上に髪の毛をぼうぼうと燃やし、口を真一文字に結んで渋い顔をしている。そして何も言い返す事ないまま無言で乙瓜の手を強く引っ張ると、薄雪神の白い領域の空へ向かってすっと飛び立った。
「またのー」と呑気に手を振る薄雪神が次第に小さくなっていく。
 やがて分厚い雲の中に入ったのか、視界は輪郭を失くし本当の意味で白一色に変わる。明瞭はっきりと輪郭を持って見えているのは火遠と乙瓜、互いに互いの姿だけである。

 軽い頭痛を覚え、乙瓜は掴まれていない方の手を額につけた。
「何なんだあの神様は……」
「わからなくていい寧ろ理解するな」
 間髪入れずに火遠が言う。
「これだから心の読める相手は、……苦手だ嫌いだ大嫌いだ」と、イジケた子供のようにぶつくさ言う火遠を珍しく思いながら、しかし乙瓜は薄雪の台詞を思い出していた。

『彼女かと思ったぞい』

(――え、じゃああれって……)
 乙瓜はぞわりとした。しかし同時に、少し前の火遠と薄雪の応報の中に引っかかる言葉があったことに気付いた。
「火遠、お前『俺の今後に関わること』とか言ってたよな……? 何があった、何が起こった……!?」
 やっと重大な問題に思い至ったような乙瓜の声音に、火遠は呟きを止め、だが振り返らないで言った。

「影が来た。乙瓜、お前の影が」
「……影? それは――」
 ――それは七瓜の事か? と乙瓜が続けるより早く、火遠の次の言葉が遮った。
「ここに至る少し前に、水祢が落ちてきて伝えた。影が暴れて美術室を制圧したってね。ただの部員も黒梅魔鬼も全員やられた、全員だッ!!」
「全員――ッ!? 先輩も、杏虎も遊嬉も眞虚ちゃんも深世さんも、魔鬼も……? 嘘だろ……ッ!?」
「嘘じゃあない。だから聞け! 水祢の見立てじゃ相手の術は『魔法使い』のそれだ、しかもかなり強力な。そんな物騒なもので好き放題されちゃァ、ちみちみ進めてきた調伏による封印がパーになっちまう。今からそいつがいるところに乙瓜、君を飛ばすから、やることはわかってるな?」

 切羽詰まった様子で畳みかける火遠に、しかし乙瓜は、いや、乙瓜はわかっていた。けれどわからない、知りたくないという風にこう答えた。

「やることって何をッ!!」

「決まってるだろう! 影を除かなくてはならない! 戦え乙瓜、それを倒せッ!」
「出来る訳ないだろ!!? 神様言ってたぞ、あいつは俺の――」
「影だ! 姉じゃない! 侵食し合うことでしか存在できない! 存在・・を奪われるぞ!!」
 今まで聞いたことのないような火遠の叫びに、乙瓜はビクリと身を震わす。
 思えば、いつも小馬鹿にしたような態度の火遠が、かつてここまで露骨な焦りを見せたことがあったろうか。少なくとも乙瓜の知る限り、乙瓜が火遠と出会って以来、こんな状態は初めてだ。

 乙瓜はそのことに不吉なものを感じつつ、腕を引かれるままに現世を目指す。

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