怪事戯話
第六怪・一夜怪談④

 ――フルーツ牛乳飲みたいな。
 風呂上り、各々寝間着の体操着に着替えて自室に戻った女子たちが、班の担当員の持ってきたドライヤーで濡れ髪を代わる代わる乾かす中。烏貝乙瓜はそんなことを考えていた。残念ながらここは銭湯ではないのでそんな気の効いたサービスはない。宿泊施設はイコール温泉旅館ではないのだ。
 ちなみに乙瓜はドライヤーの順番待ち中。タオルで念入りに水気を取ったのとすこし時間が経っているからか半乾きくらいの頭だが、やはりドライヤーできっちりやっておかないと寝癖がこわいので、部屋の壁にぺったりと背中を付けて待機中。室内の他の順番待ちの娘やすでに乾かした娘は、適当にゴロゴロしたり、布団を敷いたり、すっかり日も落ちて暗い屋外を見たりしていた。

「……一つ告白していいでしょうか? 私は見てはいけないものを見てしまったんです……」
 そんな中、乙瓜のすぐ隣で仰々しく喋り出す者がいた。眞虚だった。風呂上りのため普段結っている髪を下している姿は中々新鮮だった。
「何を見たというの」
 乙瓜が促す。眞虚は続ける。
「私気付いてしまったんです。深世さんの」
「深世さんの?」
「深世さんのその……胸の大きさが入浴中と服を着てる時とで大きく違う事に……!」
 眞虚は教会で懺悔するように、あるいは芝居っぽく、そのようなことを大げさに告白した。
 しかし乙瓜は「ああ」と、さして驚きもしない様子で言った。

「あの人な、詰めてるから……」

「やっぱり……!」と、本人がそこに居たら酷く失礼な台詞せりふを吐いて、眞虚は顔を手で覆う。
「そこまで思い詰めてるなら相談してくれてもよかったのに……!」
「ちゃうよ……そこまで思い詰めてるから相談できなかったんだ」
 乙瓜は嘆く眞虚の肩にポンと手を置いた。眞虚はがっくりとうなだれる。
「私は悲しい」
「俺も悲しい」
 乙瓜も同意した。
 どこか遠くの部屋で「くォらァ! 戮飢えエェ!」という教師の怒号が聞こえる。数人の野次馬根性たくましい娘たちが、そっと扉を開けて様子をうかがいはじめる。
 見るまでも何が起こったか容易に想像がついた乙瓜や、今朝のアレを見ていた数名が溜息を吐く。
 ――ああ、ばれたのね。と。
「枕くれェであんなに怒ることもねェのにナ」
 ただ一人、山根地禍だけがすっとぼけた様子で首を傾けていた。


 さて、ほとんど全員が髪の毛を乾かし終え(中には自然乾燥で乗り切る猛者もさもいたが)、各員ゴロゴロと過ごしていると、誰か一人がこんなことを呟いた。
「……暑いですなあ」
 ――確かに。誰かの発言に、皆同意した。
 数十年前からあるこの青年館は、管理する市町村に予算がないのか何なのか知らないが、ろくな空調設備がない。
 季節は夏の盛り、襲いくる熱帯夜。部屋の中はじめじめムシムシと不快な気に包まれ、折角風呂に入ったというのに汗をにじませる者もちらほら。
 それでも少し前までは窓が開いていて、少しはマシな感じだったのだが、今やピタリと閉じられた窓にはしっかりと鍵がかけられ、カーテンも閉ざされている。

「つうか誰ー? 窓閉めたのは……」
 部屋の真ん中付近に陣取る、鵺鳴峠ぬえなきとうげというボス猫みたいな女子が忌々いまいましげに全員をぐるりと見る。
「……っ、ごめん、それ私」
 鵺鳴峠の眼光に、一人がおずおずと手を上げる。夕方のゲームで終ぞ勝てなかった斉藤だった。
「なんで閉めちゃうのさ」
 学年でも一番ちゃらちゃらしたグループに所属し、ほんのりギャルが入っている鵺鳴峠の如何にも不機嫌そうな呟きに、大人しそうな斉藤は畏縮いしゅくしながらも答える。
「……だって、この館、お化け出るってうわさがあるンだもん……」
「はァ? お化けぇ?」
 鵺鳴峠は心底呆れたように言った後、小さな声で一言。
「何でもっと早く言わないのさ……怖いじゃん」
 どうやらこの娘も怖がりであるようだ。

「ていうかていうか、お化け出るって噂って何々? めっちゃ気になるじゃん」
 斉藤の出した「お化け」の単語に、思いがけず食いついてくる者がいた。二組の四十雀しじゅうからという娘だった。
 他にも数名からの「詳しく」という要望が寄せられ、「やめなよ」と過剰に引き止める鵺鳴峠を振り切り、斉藤は話しはじめた。
「えっとね、まずはどこから話したらいいのかわかんないけど――」

 斉藤が語った内容は以下のようなものだった。
 曰く、人里からやや離れた森の中にあるこの青年館の場所には、その昔伝染病患者の隔離かくり施設があったという。
 まだ日本の衛生状態が悪く、原因や治療方法もよくわかっていなかった時代。一度命に関わる病が流行る患者は、死ぬまで施設に収容された。
 段々と医療技術が進み、用済みとなった施設は廃墟になったのち取り壊され、青年館が建てられたが、今でも苦しみながら死んでいった患者の幽霊が夜な夜な施設の敷地を徘徊はいかいする。……といった噂があるようだ。

「やだぁ……ちょっとメイ、それ本当マジなの?」
「せ、先輩から聞いたからたぶん本当だよぉ……」
 しこたま肝を冷やしたのかやや震える声で確認する鵺鳴峠に、斉藤メイはこくこくと頷いた。
(――火遠の野郎が言ってた曰くってこのことだったのか)
 窓側から二つ目くらいのところに布団を構える乙瓜は、黙って話を聞きつつ一人納得していた。
 しかし、妖怪との契約によってその辺にたむろしている霊の類を視ることのできる乙瓜は、話を聞くまでヤバイと思わない程度には何も見ていない。
 昼のオリエンテーリング出発前に敷地をぐるりと回らされたが、北中で一番無害レベルの形すら曖昧あいまい雑霊ぞうれいが二、三居た程度。割とどこへ行っても見かけるレベルなので、この青年館はシロだ。至ってクリーン、全然心霊スポットなんかじゃない。
 だが、視えない・・・・ルームメイトたち、特に窓やドア付近に布団を構える娘たちは怯えきった様子。乙瓜は窓側から二番目に布団を置いているので、最窓際の隣人(地禍)に先程からぎゅっと腕を掴まれている。
(幽霊が丁寧に窓や扉から入ってくるとは限らないんだけどなぁ)
 何もない空間にポンと出てくる愉快な学校霊や妖怪たちを知っている乙瓜は心の中で苦笑いした。

「そっかー。曰く付きかー。曰くねー……」
 一方、最初に斉藤の話に食いついた四十雀は、どこか嬉々とした様子で一人呟くと、パンっと手を叩いて部屋中の注目を集めて言った。

「いーこと思いついた、みんな怪談しよっ!」

「いーこと、って……マジで?」
 ドン引きな様子の鵺鳴峠に、四十雀は笑顔で頷く。
「マジだよー。てか、宿泊っていったらひそひそ話の恋話コイバナか怪談っしょ? もうちょっとで消灯時間だけどみんな元気そうだし、いいじゃんいいじゃん。あ、寝たい子は寝ちゃってもいいよー」
「うげえ……」
 四十雀の提案に、鵺鳴峠と同じようにげんなりする者もいたが、乗ってくる者もちらほら。

「怪談だってよ」
 何だかんだで近場に布団を構えていた美術部四人。ヤドカリみたいに潜っていた布団から半身だけにゅにゅっと伸ばし、杏虎は他三人に囁いた。
「誰かやるんじゃないかと思ってた」
「しかし曰く付きってわかった瞬間にようやるなぁ」
 ひそひそ、ひそひそ。全員で顔を近づけあって話す内容は、すっかりオカルト部と化している彼女らにしては珍しく、えらくどうでもよさそうだった。
「なんかもうオカルトはお腹いっぱいって感じだしなぁ」
 杏虎がポロリとこぼす。そう、あんまりにも遊嬉が語るのに加え、この頃は黙ってても怪談の方からやってくるので、正直美術部は、学外活動の時くらいは普通に過ごしたいなあと思っていた。
「ていうかここ幽霊あんまりいないぜ」
 乙瓜が言う。即座に杏虎がうんうんと頷く。
「それあたしも思ったー」
「アレ? 杏虎ちゃんお化けとか視える人?」
「え、いや、全然」
 眞虚の疑問を杏虎は手をひらひら振って否定する。
「年に何回か変なもん見たりするけど基本は見えないし。でも変なもんとか危ないもんがいるところじゃすごい耳鳴りするからわかるよ」
 まあ、この頃は霊感とかお構いなしに見っぱなしだけどねぇ、と杏虎は付け加える。また、耳鳴りが多くて嫌になる、とも。
「へーぇ……じゃあ、ここの噂は嘘なのかな?」
「知らない。遊嬉あたりはリサーチ済みかもしれないけど、同じ部屋じゃないし、多分今それどころじゃないだろうからねー」
 四人はおそらく教師に大目玉をくらったろう、かのホラーテラーに思いを馳せた。
「……で、どうするよ」
 魔鬼が言う。
「あっちはあっちで置いておくとして、こっちはもう寝る? なんかうちの班みんな寝に入ってるし、私もう寝たいんだけど」
 そういう魔鬼の班メンバー(班ごとに布団の位置が固まってる)は、本気なのか狸なのか知らないが、すやすやと寝息を立てている。
「そだねー、あたし沢山動いた日にゃ早めに寝たいし。他は?」
「私寝るー」
「俺も俺も」
 杏虎の振りに乙瓜も眞虚も同意。
「混ぜられない内に寝ちゃいましょ」
 眞虚は枕の位置を直し、ぽんと頭を乗せ直した。
「おやすみぃ」
「はーいおやす――……ていうか私窓開けていい? このままじゃ寝るに寝らんないと思うんだよね」
 寝に入ろうとしたところで忘れかけていた暑さを思い出したのか、魔鬼は厚手のカーテンに閉ざされた窓を憎々しげに睨む。
「いいんじゃない?」
「いいとおもうよ」
「わかった。開ける」
 身内からの了承を得て、魔鬼はおもむろに立ち上がった。

「何してんの?」
 部屋のドア寄りの真ん中で車座になる怪談組が振り返る。
「暑いから窓開ける」
「え、ちょっとまっ――」
 静止の声はするものの誰一人として物理的に止めに来ない為、魔鬼はシャァッとカーテンを開け放ち、鍵を開けて窓ガラスをスライドさせる。
 トンッと網戸のズレを調整し終わるまでわずか数十秒足らず。爽やかな風はないが、外界の空気が流れ込んで暑さが幾許いくばくか緩和される。

「ちょっ、何か出たらどうすん――」
「何も出ないし何か出たら私がなんとかしたる。じゃあおやすみ」

 魔鬼はきゃあきゃあ騒ぎたてるグループを無視して自分の布団に戻り、掛け布団に潜り込んで彼女らに背を向けた。


「なにあれー……感じ悪ーい」
「でも涼しくなったよ」
「美術部ってヘンな子多いよね……」
「悪口やめなよ、まだ起きてるって……」

 ひそひそと話す声を聞きながら、魔鬼は知ったことかと目を固くつむった。
(元よりそんな親しいグループじゃないし知るか。寝よ寝よ)
 しかしそう思う時ほどかえってなかなか寝付けないもので、そこから眠りに落ちるまでの十数分の経過を、魔鬼は記憶している。

 まず、窓を開けてから数分して部屋の照明が落ちた。
「そろそろ先生が部屋確認に来るから、やり過ごしたらちゃんと初めよ」っと、怪談グループがごそごそと布団に潜り込んでいく。
 やがて引率の教師が消灯を確認して去ったのち、暗い室内に再びひそひそと喋り声が生じる。

「こっちのほう集まれー」
 四十雀が小型ライトをつけ、うっすらとした明かりが生じる。狸寝入りしていたメンバーは、のそりと立ち上がると極力物音を立てないようにそっと部屋の中央付近に集結した。
「キルちゃんもおいでよ、なんか面白い話あるでしょ?」
 おいでおいでと誘うコールに、地禍の向かい側、もう一つの窓際の布団から一人起き上がる。彼女は薄明かりの中あちこちの布団につまづきそうになっていて、その度「ごめんね」と謝っていた。
 そして魔鬼の布団の近くまで来たとき、彼女はすごく小さな声で囁いた。

「きにしないで」

 すごく小さな声だったが、魔鬼の聞き間違いでなければ確かに彼女はそう言った。
 自分に宛てたのかわからないが、怪談組の暴言に対するフォローならありがたい。これで安心して寝られる、と魔鬼の意識はそこで眠りの底に落ちて行った。


 ……のだが。


 魔鬼も、杏虎も、乙瓜も、眞虚も、まだ知らない。
 怪談組の誰かが思い出したかのように呟いた一言によって、穏やかな眠りが妨害されてしまうだなんて。

 それは、本当に無慈悲な一言。
「――そういえば、美術部がいっつも怪談やってるって、誰か言ってた」

 そんな一言の為に、美術部員は叩き起こされる羽目になる。

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