怪事戯話
第五怪・最期の奏楽、楽器の歌声⑥

 一週間とはさほど長くも無いもので、休日と曜日ごとのいつもの授業を消化していくうちにあっという間に約束の日は来た。
 その日は普段より一層と暑い陽気。冷暖房完備でない北中にとっては悪夢のような暑さだった。将来的に設置する予定であるというが、果たして今の一年が在学中に叶うかどうか。
 そんなわけで、校舎の窓はこれでもかとばかりに大解放。砂埃が舞ったり虫が飛び込んで来たりで一時でも窓が閉まろうものなら、どこへぶつけたらいいのかわからない怒りの声が、教師生徒双方から飛んできた。

 ――そして放課後、音楽室手前の生徒会室。
 普段あまり使われることのないそこに招集をかけられた美術部一年達は、各々部屋の真ん中にでんと置かれた長テーブルに肘を付いたり椅子に腰かけたりしながら、火遠が来るのを待っていた。
「生徒会室って案外普通なんだねぇ。もっとふかふかのソファーとかあるもんだと思ってたよ」
 大して数があるわけでもない備品の数々を見回しながら、眞虚はぽんやりと言った。
「創作の世界じゃないんだから生徒会室が妙に豪華だったりとかあるわけないでしょ」ツッコんだのは深世だ。
「ふーん。じゃあ私は生徒会が覇権を握れるように頑張ればいいんだね」
 さりげなくすごいことを言ってのける眞虚に、深世は一瞬ギョッとした顔で振り返る。しかし眞虚は何事も無かったかのように平然としているし、周りも全くの無反応。遊嬉などは相変わらず「あっつー……」と、はしたなくブラウスのボタンを開け下敷きで扇いでいる。
(私にしか聞こえていないのか? ……も、もしかして聞き間違い……?)
 深世は春先の聴力検査で確かにAだった己の聴力が、果たして今もそうなのか心配になってきた。

「あっつーーい。この部屋暑いよー。扇風機か冷房ないのぉーー?」
 一方、おおよそ上品とは言えない格好でおおっぴらに体を扇ぐ遊嬉はパイプ椅子にふんぞりかえり、いよいよ我慢の限界といった様相だ。
「扇風機も冷房もこの学校にゃないし窓全開でがまんしろしー」
 机にぺったりと顔を付けたまま起き上がろうともしない杏虎が言う。
「窓全開っていうけどーー。全然風入ってこないんですけどぉ」
「そいつぁ自然に聞いとくれよ」
「はー。ふざけろし」
 遊嬉はついに扇ぐ手を止め、杏虎と同じように机に顔を密着させた。
「……ちょっとつめたいかもしんない」
「初めのうちはね。その内生暖かくなってくる」
「アイス食いてえ」
「アイス食べたいねー」
 一言二言会話を交わし、その内二人は動かなくなってしまった。動かない方が体力を消耗しないと悟ったのかもしれないし、単にエネルギーが切れただけなのかもしれない。

 さて、乙瓜と魔鬼は。

「みーんみんみんみんみんみーん」
「うるさいだまれ」
 完全な無表情でセミの鳴き真似をする乙瓜と、同じく無表情で止める魔鬼。しかし乙瓜は鳴き真似を止めない。暑さで頭が残念なことになっているようだ。
 魔鬼は三回くらいやめろと言っていたが、その内面倒臭めんどくさくなったのか何も言わなくなってしまった。
 勿論、遊嬉と杏虎も何も言わない。眞虚は眞虚で数分に一回「風こないねー」というのみ。
 深世は泣きそうだった。というかもう泣いていた。
(もうだやこの暗黒空間……帰りたい……)
 脳裏に浮かぶのは窓が多くて風通しのいい愛しの美術室。今日は風事態がそんなに吹き込まないので実際のところ生徒会室とそう変わらないのかもしれないが、現状あまりにも最悪すぎて美術室あちらが相当神聖な空間に思えてくる。
(かえりたい。私はあの素敵空間に帰りたい――)
 文字通り美化されている。美術室だけに。

 などとしていると、生徒会室の引き戸が開く。
「やぁ、おまたせ」
 呑気のんきに顔を出すのはそもそもここに呼び出した元凶・火遠。
「うわああああぁ!!! おのれぇ! あんたのせいでみんながなぁあああ!」
 その姿を確認するなり、涙目かつ半狂乱で掴みかかる深世。しかし火遠は彼女など全く眼中にないといった様子で、言った。

「アイス買ってきたけど食べるかい?」

 そこからはもう、飛鳥の如く。
「アイス!?」
 ガバッと一斉に顔を上げるもう駄目組の四人。彼女らは生贄を前にした悪魔のようにぎらぎらと目を輝かせ、火遠を見る。
「ああ。溶ける前に食べなよ」
 そういって持ち上げられる手には白いレジ袋。――と、透けて見える青い包装紙。
 貴族に恵みを請う群衆のように群がる彼女らにほいほいとアイスを渡す火遠が珍しくただのいい人に見える。やや反応の遅れた眞虚に「ありがとー」と言われて愛想よく微笑み返す様には邪悪さが一欠片も感じられない。
 しかし唯一歩深世だけは、疑いの目を解かないでいた。
「ん? どうしたいホ・シンセイ」
「『あゆみみよ』だし……ってそうじゃないっ! あんた一体どこからアイスなんて盗んできたの」
「嫌だなあ、盗んだだなんて人聞きの悪いこと言うなよ。これはちゃんと清い銭で買ってきたもんだぜ。君たち人間のルールに則って、ね」
「馬鹿いわないで、妖怪がお金なんて持ってるわけないでしょ」
「それはとんだ決めつけだ」
 火遠は残念そうな顔をする。その表情はいたくわざとらしかったが。
「いいことを教えてあげよう歩深世。未開の野山が、完全なる暗闇が。人間たちの侵食でほとんどなくなっちまった今現在、妖怪俺たちはどこで暮らしていると思う?」
「……なにさ、それじゃ質問じゃんか」
 言い返しながらも、深世は火遠の言わんとしていることになんとなく気付いてしまった。
 ――まさか。暑さからくるのとは違う汗が頬を伝う。
「妖怪は、今だってここに居るよ。君たちのすぐ近くに、人間の振りをしながら。居るよ・・・
 現に君だって見てるじゃないか。目の前の妖怪がほくそ笑むのを見て、深世はくらりとした。
「まあ、努々ゆめゆめ気を付けなよ。人間のように暮らしていた彼らは、大霊道の影響で少しずつ本来の姿と力を取り戻しつつある。そこにかしこに怪あれば、――気付いたときにゃ囲まれてるかもしれないよ?」
 唐突にひやり、と。深世の頬に冷たいものが押し付けられる。それは青いアイスの包装紙だった。
「君も食べなよ。溶けちゃうぜ」
 差し出す人外ヒトデナシは言う。
 深世はぎこちない動きでそれを受け取りながら、しかし最後にこれだけはと聞いた。

「……結局、お金どうしたのさ」

「なァに、昔姉さんと地道に働いて溜めた金さ。まだ旧札が使えてよかったよ」
 彼はあっけらかんとした様子で微笑むのだった。



「さて、体力も回復したところでよろしいかな、美術部のお嬢さん方」
 空になった包装紙を回収して謎空間へ投げ捨てた後、火遠は扉脇の壁に寄りかかりながら言った。
「今日は遂に嶽木姉さんとの対決なわけだけど、よもや過度な自主練で咽を痛めているような馬鹿はいないだろうね?」
「はいはいーい、あたし含めみんな大丈夫でーすせんせー」
 ねー、と部員達一人ひとりを見る遊嬉に、それぞれが頷く。
「成程よろしい。それじゃあ会場に移動しようか」
「会場……?」

 首をかしげる美術部員の前で、火遠はパチンと指を鳴らす。途端、彼女たちを取り巻く景色は瞬く間に違う場所に変化する。
 しかしそれは乙瓜が火遠と遭遇した時のような、あるいは水祢と戦った時のような不気味で異様な空間ではない。寧ろ知っている場所に瞬間移動した。

「ここは……体育館のエントランス?」
 誰からともなく呟く。そう、ここ北中体育館の玄関口。十数年前に新造されたので、いかにも歴史の古い校舎に比べるといささか新しく小奇麗な場所である。
 普段なら、室内運動部が忙しなく活動している時間である筈なのだが、体育館の中は驚くほど静まり返っている。人っ子一人の気配も感じられない。

 ――なんとも異様な。

 誰もがそう思うさなか、説明するかのように口を開いたのは火遠。
「少しだけ術をかけて、早めに切り上げてもらったのさ。君たちに待機してもらったのは完全撤収までの時間稼ぎだね」
「そんだけの理由であんなクッソ暑い場所に押し込められたのか……。だったら美術室でいいじゃないかよ」
「だって美術室に居たら体育館の撤収組がこぞって帰って行くのが丸見えじゃないか。音楽室でやると思わせておいて体育館ってのがいいんだろ」
 乙瓜の抗議は愉快そうな笑みで返されてしまった。
 苛立つ乙瓜がふと体育館のホールの入り口を見遣ると、入り口左右の壁に模様の描かれたヒトガタが貼ってあるのに気付く。
「水祢か……」
「そうさ。頼みごとするのに毎回頭撫でなきゃならないから面倒だけど」
「犬かよ」
 一周まわって可哀想になってきた。乙瓜は一度は命を狙ってきた相手を哀れに思った。あいつはそれでいいんだろうか、と。


「さて、ぼうっとしている間も惜しい。さっさとホールに入りなよ。彼女たちが待ちくたびれてしまうぜ」

 急かされるままに体育館ホールに入って行く部員たち。照明は落とされ、遮光カーテンも閉まっているが、太陽が沈んでいないせいか仄かに明るい。
 輪郭がぼんやりと浮かび上がる広い空間を進んでいくと、ステージの前ほど、全校集会で生徒が整列される場所に青白いものがたくさん集まっている。
 目を凝らしてよく見てみると、それが人の形を取っていることに気付く。
 青白く、半透明でなそれらは皆、生徒の姿をしていた。えらく古めかしい制服を着ている者から、比較的最近と変わらない制服の者まで入り混じった彼らは綺麗に整列し、床に体育座りしているようだ。

「ひぃっ……幽霊!」
 深世が小さく悲鳴を漏らす。確かに彼らは、誰がどう見ても幽霊であった。
 するとやってきた美術部側に気付いたのか、幽霊たち中から手を振るものが一人いた。
 その手もまた白かったが半透明ではなく。比較的まだただの色白の部類に見えた。

「乙瓜、魔鬼。おーいってば!」

 呼びかける声に、乙瓜と魔鬼はハッとして立ち止まる。
 幽霊たちの中から手を振る彼女・・は、トイレの花子さんだった。
「花子さん!?」
 どちらともなく言った声に、美術部のその他の面々も立ち止まる。
「へーーーっ、あれが北中ウチ花子さんなのか。えらい美人だなあ」
「聞いたほど怖くはないねぇ。見た感じは」
 感心する遊嬉と杏虎にも、花子さんは微笑んで手を振った。

「怖がらないであげてね。みんなただ見に来ただけなの。この学校随一歌姫と現役の学生の歌勝負って聞いたら来ないわけにはいかないでしょ。それに伴奏は学校一のピアニスト。うふふ、期待してるわね。かなり・・・
 花子さんはにこやかにプレッシャーをかけると、眞虚の方をちらと見て一言。
「私好みの可愛いリボンしてるのね」
 眞虚は、何故かボンッと音が立ちそうな勢いで赤面すると、噛み噛みながらも「ありがとう」と言い、照れ隠しするようにそっぽを向いてしまった。
 その一連の流れの意味は殆どの美術部の面々には意味不明だったが、乙瓜にはわかった。
(あの瞳にまっすぐに見つめられつとドキッとするんだよな……)
 いつだったかのトイレでの出来事を思い出し、彼女は苦笑いした。


 部員たちがステージ下に辿りつくと、ステージの照明が点けられ、視界がぱっと明るくなる。

 白い灯りの下、ステージ端上には嶽木とピアニストの少女。幽霊少女がぺこりと一礼し、嶽木は口を開く。
「おう、よく、きた、な」
 舌足らずながら確固とした言葉に、美術部はいい意味での緊張感を取り戻す。
 彼女らを見おろしながら、嶽木は続けた。
「順番は、おれから、だ。初めに、みせつけ、て、やるから、負けないように、ついて、こい」
 言って踵を返し、ステージの真ん中に立とうとする嶽木。

「待て!」
 そんな彼女に、言葉をぶつける者がいた。

 乙瓜だった。

「この曲は合唱曲だ。いくらお前一人が上手くたって、最低でも二人以上のパート分けしないとキマらねえぞ」
「……情け、か?」
 嶽木は振り返らないで言う。
「ちげえよ。俺たちは必至で練習したんだ。なのに舐めプでかかってこられちゃ、勝ったとしても恥ずかしいじゃねえか」

 開始間際になっての乙瓜の言葉に、魔鬼はえらく感心した。
(この人真っ当なこと言えるんだな……)
 その他部員はそれぞれ、そういえばそうだなと、今更になって気付いていた。

 そんな乙瓜の正論を受けて、嶽木は顔だけ振り返り。
「なんだ、そんなことか」

 舌足らずでなく、はっきりとした滑舌でそう言った。その声の調子は平時の火遠にとてもよく似ていた。
「ご心配ありがとう少女たち。でもそんな心配は始めから必要ないよ。おれはね、おれ一人で相手するなんて、一言もいっていないのだから。この意味がわかるかい? わかるよねえ、乙瓜ちゃん」
 豹変。態度が一転して転がすようにつらつらと言葉を紡ぐ嶽木に圧倒されて何も言えない美術部。嶽木はその様を楽しむように見ると、続けた。

「それじゃあ、お見せしようか。来たれ我が半身、我が相棒パートナー!」

 言うと同時、舞台袖から躍り出る影があった。
 その姿がステージライトに照らしだされるやいなや、美術部の動揺はピークに達する。

「ちょっとまて、ちょっとまて……。なんでお前がそっち側に立つんだよッ!!」

 声を震わし叫ぶ乙瓜に、彼は振り返る。

「いやぁ、悪いね。美術部諸君」

 いつから姿を消していたのだろうか、今檀上で意地悪く舌を出して笑う草萼火遠は、嶽木の隣に立つとべーっと舌を出した。

「お待たせ嶽木姉さん
「君の講師っぷりはなかなか面白かったよ、火遠

『さあ始めようか、今日の出し物を』
 ふたつの声はぴたりと重なった。

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