怪事戯話
第五怪・最後の奏楽、楽器の歌声③

 黒に白に、派手な柄ものに飾りつきのもの。机上に置かれたキャラクターものの菓子箱の中には、無造作に集められたヘアピン、クリップ、髪留めの数々。
 その内琥珀こはく色のクリップを取り出して前髪を留めながら彼女は思った。

 ――まだ、持ってるかな?


 美術部が合唱で音楽室の怪事に立ち向かうことになってしまった翌日、土曜朝の学校にて。
 校庭や武道館からは熱心な運動部の声が、校舎の三階からは夏発表を控えた吹奏楽部の練習の音が聞こえてくる中。普段は休日の活動なんてないはずの美術部の拠点・美術室の扉の鍵は開いていた。
 開かれた窓からは、じわりとうだる夏の空気を吹き払うかの如く爽やかな風が舞い込み、留められた白いカーテンをゆらゆらと揺らしている。

 そんな美術室の中には、一年生六人だけが全員集合。二年三年の先輩は一人もいない。
 それもその筈、なにせ今日は「美術部」の活動はないのだから。顧問からも何のお達しも出てないし、今日は完全な休日。学校に来ないところで誰もとがめやしないし、家で惰眠をむさぼろうが、めかし込んで遠出しようが構わない筈だ。
 なら、彼女らは。
 集まった六人の一年生は、一体何をしに来たというのか。
 学校指定のジャージ姿、いつもよりへこんだスポーツバッグ。広い教室の中ほどに集まった彼女らの手には楽譜のファイル。
 そう。彼女たちは昨日の今日で早速一週間後に向けた練習をするべく、休日返上でわざわざ学校に集まっているのだ。……否。
 ……集めさせられた、というべきだろうか。

 一人として逃亡することなく全員集合、そして全員が鞄から楽譜を出したあたりで教室の引き戸がギギギと開き、草萼火遠が姿を現した。
「やあやあおはようお嬢様方。きちんと全員集まるとは殊勝しゅしょうなことだね。素晴らしいじゃないか」
 ぱち、ぱちと軽く手を叩いて称賛する火遠は、そのままてくてくと教壇の前へ移動した。
 一方、今まで当たり前のように妙なところに現れたり瞬間移動したり、宙を泳いだりしていた彼を見ていた美術部員たちは、彼が普通に登場したことに逆に驚き、感心していた。
「さぁてどこから始めようかね?」
 火遠はよっと教壇に腰かけると足組して言った。なんと行儀の悪い事か。乙瓜は飽きれ溜息を漏らす。
「ノープランかよ」
「何を、プランならあるさ? ただ君のその残念な発声をどうにかするにはどこから始めたものかと思っただけだよ」
「……おい火遠てめぇ」
「そう怒るなよ君も認めてる事だろ。それに今は火遠じゃなくて先生だからそこんとこよろしく」
 火遠はニタリとして人差し指を振った。乙瓜は最初から不機嫌になった。
 ともすれば最悪になりそうな雰囲気だったが、それを打ち破る第三者が居た。
「はいはいはーい! 先生質問、質問でーす!」
 遊嬉だった。授業中は自分から積極的に挙手なんかしないくせに、入学したばかりの小学生よろしく大きく手を上げて、なおかつその存在を強調するようにぶんぶんと振っている。
「何だい遊嬉。言ってごらん」
「相手のレベルってどのくらいなんですかっ! どれくらいやれば勝てそうだと思いますかっ!?」
 指名された遊嬉はどうやらやる気満々な様子で問う。その問いに、火遠の目がぱっちりと開く。どうやらそれはとてもいい・・・・・質問であったようだ。
「レベルか。……レベルね。そうだな、姉さんの歌はね」
 火遠は顎に手を当てながら語った。
「身内が言うのも何だが、姉さんの歌声はとても美しいと思う。もしもあのレベルがクラスに十人居たのなら、校内のコンクールは勿論地区大会から県大会、果ては全国大会まで総ナメにできるだろうね」
「……本当かよ? あのカタコトちゃんが? 過剰評価だろ……」
 乙瓜他数名は疑うような視線を向けるが、遊嬉は納得したような顔で手をポンとたたいた。
「はーん、やっぱり・・・・すごいなあ」
「やっぱり?」
 魔鬼が不思議そうな顔を向ける。
「――ん、ああ。噂じゃあすごい下手くそなんて一言も聞かなかったから、きっとそうなんだろうなって思ってただけ。はーあ、そっかー。強いなあ、相手」
 遊嬉はにへらーっと笑うと頭の後ろで手を組んだ。
「おーいもしもし。戮飢さーん? 笑ってますけどー。大丈夫なんですかー?」
 口をとがらせた深世に小突かれながらもしかし、彼女はこう言った。

「倒し甲斐あんじゃん」

 大胆不敵な宣言。
(なんでこの人美術部入っちゃったんだろ。それもこれもこの学校ガッコに陸上部がないのがいけないんだ……。こやつのせいで美術部も半ばオカルト部になっちゃうし)
 深世と遊嬉は小学時代からの旧知の中だが、同じ集団に所属していることをこれほどまでに呪ったことは未だかつてなかった。
(だけど歌で負けを認めさせればこの学校からオカルティックなことが一つなくなる……。平穏を、平穏を取り戻すんだ……! 大丈夫、歌だから。取って食われるとかないから。……たぶん)
 美術部唯一の非オカルト系女子にして最後の砦たる彼女は、腹をくくった。そしていきなり叫んだ。

「美術部ファイッ!」

 他の部員たちは深世の突然のシャウトに驚きつつも、なんだかそれっぽい雰囲気だったので後に続いた。

『オーーーーッ!』
「相手は一人、こっちは六人! やったるぞ!」
『うおおおおおおおおおっ!』
 文化部だというのに体育会系のノリで気合いを入れる彼女達は、はた目から見ても奇妙に見えたに違いない。



 そんな彼女らの空気に水を差したのは、その名に火の字を持つ人外だった。
「なーんか盛り上がってるところ悪いけどさ」
 彼は名前とは裏腹に至って平静且ついつも通りな調子で割って入り、ヒートアップする人間たちの勢いを確実にいだ。
「乙瓜借りてくんで君たちは俺が戻ってくるまでに適当に練習続けといてよ」
 言って、子猫でも掴むかのように乙瓜の首根っこに手をかける。むぎゅっと。
「ちょ、おい! 何すんだよ離せ!」
 一体その細身のどこにそんな力があるというのだろう。抵抗する乙瓜をものともせず引きずって、火遠は出入り口の扉へと歩いて行く。
「あ、そうだ熱中症になったりしないようにこまめに水分補給するように」
 彼は最後に振り返り、思い出したようにそう言い残すと扉の向こうへと消えた。乙瓜とともに。

 あんまりにもあっさりしすぎていて、ポカンとする残りの美術部員たちは五人。
「……あ、えっと、あの……練習しよっか?」
 言い出す眞虚の言葉に、「う……うん?」と曖昧な返事をし、彼女らはいつも通りの練習を開始する。
 杏虎が持ってきたポータブルプレイヤーから、「怪獣のバラード」の伴奏音源が流れ始めた。


 一方、連れて行かれた乙瓜は。
「おい! おい、火遠ッ! もういいだろ、逃げねえから離せ、離せって! ……ンのっ!」
 やっとのことで掴む手を引き離したのは先日異怨に襲われた昇降口前。一方的に乙瓜を引っ張って行った火遠は「なんだ、今離そうとしたところなのに」などと、なんともまあふてぶてしくと言ってのけた。
「移動の手間を省いただけじゃあないか。そうカッカすんなよ」
「お前のは任意同行じゃなくて連行っていうんだよ! 大体合唱の練習すんのに一人だけ引き離してどうすんだ!」
「ばーか。馬鹿、莫迦だねえ君は。ここ数日ずぅっと君たちの練習を聞いてたけど、いつだっていの一番に息切れ起こして足を引っ張ってたのはどこのどちらさまだかわかってるのかい?」
 うっ、と言葉に詰まる乙瓜。火遠はきっぱりと言ってのけた。

「一番の問題は烏貝乙瓜、君じゃあないか」

「……しょうがないだろ、声出ないんだから」
 悔しさ半分恥ずかしさ半分にそっぽを向く乙瓜を見て、火遠はやれやれと頭を振ると、空気中を滑るようにするりと乙瓜の背後に回り込む。そして獲物を捕らえるようにしっかりと両肩を掴み、いつもより低い声音で耳元に囁きかけた。

「その思い込み幻想だよ、可能性を殺すのは」

 ハッとして振り向く乙瓜の視線の先には火遠はいない。
「そう、突き詰めてしまえば君さえよくなればいいんだ。そうすれば後は全体のバランスを整えるだけでいい」
 もとの前方から聞こえてきた声に姿勢を戻すと、火遠は数十秒前と変わらぬ位置・寸分の狂いもないその場所に立っていた。
「かといって今更真面目にボイトレしたところで一週間でどうこうなるならだァれも苦労しないわけで。ということでだね」

 乙瓜は戦慄した。
 何故だかはわからない。理由なんて知らない。ただ、理屈抜きでとてつもなく嫌な予感がして全身に鳥肌が立ったのだ。
「待て、待て……。お前一体何するつもりだ」
 乙瓜の背筋を冷や汗が伝い、不快感を増大させる。一方の火遠は何でもない風に言葉を紡ぐ。
「乙瓜、はじめに言ったこと覚えてるかい?」
「はじめに……言ったこと?」
「そう、最初」
 火遠はにっこりと笑う。
(――ああ、これすごい悪巧みしてる時の顔だ)
 いい加減こなれてきた乙瓜は理解した。そして何かを悟り、諦めの念とともに次の言葉を待った。

「『地獄の・・・』一週間コースへようこそ! いってらっしゃい!」

次の瞬間、乙瓜の意識はブラックアウトした。

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