怪事戯話
第四怪・放課後の狩猟者①

 ずるりずるりと引きずる音、じゃらりじゃらりと鎖の音。
 夕暮れセピアの廊下にて、薄暗がりの階段にて、誰そ彼たそがれの影をって。じわじわと、じわじわと。
 蛇か蚯蚓みみずか芋虫か。赤茶色の空間をのそのそと這い歩くそれは、確かにそこにいたのだ。


 ――困っているのよ。
 花子さんからそう切り出されたのは、先の試練の日から一月ほど経過した六月の事だった。

 暦の上では夏。衣替えをして、学生たちは随分と涼しげな格好になったものの、梅雨の到来によって続くじめじめと不快な天気と、季節の変わり目特有の不安定な気温変化で、学校全体に鬱々とした雰囲気が漂っていた。
 元よりインドア派な美術部はというと、屋外の風景をスケッチしようにも外は悪天候。ほとんど毎日鉛色の空が大粒の雨を降らせている様を見続けるのも、中々に落ち込む。真面目な先輩部員たちは頭を切り替え、秋のコンクールに出展する為の空想画や静物画の構想に入ったところだ。
 だが一方、不良一年生どもはというと。

「これは、こんな雨の季節に起こったこわーい話……」
 相変わらずというべきか、全く懲りていないというべきか。学年だけで固まって、いつも通り怪談話に花を咲かせていた。
 ただ一つだけ。彼女ら一人一人の前には画板と画材が置かれ、語りながらも一応作品制作を行っているという点においては、一ヶ月前から大いに進歩したと言えるかもしれない。
 そんな日々が数週間続いた頃だった。乙瓜と魔鬼が花子さんに呼び出されたのは。

「困っているのよ」

 北中二階西女子トイレの、入って三番目の個室前。花子さんの領域にて。
 花子さんは憂鬱気な顔で頬に手を当て、何度もため息をついている。
 火遠と並び立っていつも笑顔な学校の女王様がこういった表情を浮かべているのを見た乙瓜・魔鬼両名は、この恐ろしい妖怪を悩ませるのはいったいどんな困りごとなのかと身構えた。
「てけてけ、って妖怪を知っているかしら。両腕で移動する、上半身だけの妖怪」
 花子さんの言うてけてけとは、有名な都市伝説だ。
 真冬に電車にねられ、上半身と下半身に切断された女性がいて、彼女は数分もがき苦しんで死んだという。そしてこの話を聞くと数日後に下半身の無い女性の霊が現れて、追い回されるといった具合の話で……まあよくある怪談だ。
 勿論乙瓜も魔鬼もこの話を知っているが、下半身の無い女の霊に追われたことなんて、当然ない。そもそも「聞いたらやってくる系」の怪談全般に言えることだが、彼らは一体何がしたいというのだろう。足が欲しいなら、最初の数人で終わっている話ではないのか。そんな不特定多数のところに現れて疲れないのか。いったいどこへ向かっているのか。何なのか。小一時間問い詰めたい。
 花子さんの話は続く。
「それでそのてけてけなんだけど、この学校ウチにもいるのよ。ここ十年くらい見かけなかったんだけど、基本大人しくてかわいい子が」
「ウチにも・・いるって……そんなあっちこっちにいるもんなのか?」
「てけてけは学校の怪談にも迎合された都市伝説。居るところにはいるわよ。まあ、うちのてけてけは電車事故で死んだ子じゃないけどね。私と同じ、需要の問題でてけてけに格上げされた幽霊ね」
 訝しげな顔で問う魔鬼に花子さんはさらりと返した。
「ふぅん……。それでだ、花子さん。肝心な困り事は一体なんなんだ」
「ああ、それね。話し戻すけど、うちのてけてけはとてもおとなしい子だったのよ。『居た』んだけどほとんど『出現』ないような、噂を作る生徒たちだっているのかいないのかよく知らないような、そんな子。その子は十年前を最後に姿を消してて、どこを探しても見かけないから、もしかしたらこの学校を出て行っちゃったのかも。私もそう思っていたし、学校の妖怪みんなもそう思ってた」
 ――思ってた。そこまで言って、花子さんはやや声のトーンを落とした。
「だけど、この頃。……出るのよ、てけてけあの子が。放課後の廊下で、階段で、あの子を見たって妖怪なかまがいるの。当たり前だけど、帰ってきてくれたんだったら私は嬉しい。あんなに探したんだもの。けれど、あの子は前のあの子とは違った」
 目を伏せた花子さんの顔には、暗い影が落ちている。無意識なのか指を加えている様は、彼女の心の中にある人間臭い感情の渦巻きを感じさせた。
 間があった。ほんの数秒、十秒に満たない数秒のことだ。短い、しかし深い間を置いて、花子さんは言った。
「あの子、襲うのよ。……襲うようになっちゃってた。――仲間を」

「仲間……? 仲間っていうと、学校の妖怪達を?」
 聞き返す乙瓜の言葉に、花子さんはコクリと頷いた。
「でもね、確証は、ないのよ。私はただの一度も見てないもの。だけど、仲間が言うのよ。てけてけにやられたって。消滅するしぬほどじゃあないの。でもしばらく何もできないくらいには痛めつけられた。ヨジババお婆ちゃんも、赤マント娘エリーザも。あと、あなたたちは知らないでしょうけど、赤紙青紙なんかもやられてる。それは確かなの。私は昔のてけてけを知ってる。てけてけはそんなことするような子じゃなかったから、彼女を信じたい。きっと何か事情があると信じたいの。でも私は学校の妖怪で、トイレの花子さんで、一番強くて、一番みんなを仕切らなくちゃならない。そして学校の妖怪たちの多くは、てけてけの追放を望んでる。だから――」
「……はぁ。成程、それで困ってるんだな」
「――そうなの」
 花子さんは深く深くため息をついた。
 行方知れずとなっていたかつての仲間の一人が、自分の仲間たちを襲っている。しかし真偽は定かではない。花子さんとしては、戻ってきたてけてけを信じたい。だが多くの学校妖怪はてけてけの追放を望んでいる。仲間を信じる気持ちと己の立場との間で板挟みにあい、花子さんは困っているのだ。

「話はわかった。それで、花子さんは私たちに何を望むの? てけてけの追放? それとも和解? 放置しておけばいずれ人間を襲うなんてこともありそうだし、個人的にはたおしてしまったって構わないんだけどね? 私は」
「ちょ、魔鬼! 花子さんかわいそうだろ……!」
「そんなこと言ったって。乙瓜だって妖怪に食い殺される最期ラストなんて望んでないでしょ? 私何か変なこと言ってる?」
「言って……ない、けども」
「だろ。私たちは理の調停者代理。バケモノを調伏し、幽霊沙汰妖怪沙汰、人の物とは思えない奇っ怪な事、怪事を解決するのが役目。てけてけは間違いなく怪事。なら、私たちの管轄。でしょ、花子さん?」
「全くその通りだわ……」
 花子さんはゆっくりと顔を上げた。ただでさえビスク・ドールのように白い顔の中心にある真紅の瞳は潤んでいる。泣いていたのだろうか。
 しかし花子さんはごまかすように顔を振ると、気丈にも声を張り上げる。
「私が望むことはたった一つよ。てけてけを見つけ、噂の真偽を確かめなさい! そしてもし噂が本当なら――」
 本当なら。まだどこか迷いがあるのだろうか、花子さんは一瞬だけ苦渋の表情を浮かべ、言った。

「怪事ここに来たれり! てけてけを斃しなさい!」

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