怪事戯話
第三怪・怪談の女王様⑥

 乙瓜が花子さんに会った、その翌日。
 昨日の走り込みで筋肉痛になった乙瓜は、疲れでパンパンの足を気力で動かしながら自転車のペダルをこぎ、やっとの思いで学校に辿りついた。
 まさしく身も心もヘロヘロになった彼女を待ち構えていたのは、ほとんど毎日誰よりも先に登校して来てブービートラップを仕掛けていく男子生徒・王宮おうみやによる、黒板消し落としの洗礼だった。
「おはよう! この程度の罠に引っかかっているようじゃあ戦場では生き残れないぞ! お疲れかいベイビー!」
 うざったらしく絡んでくる王宮(こんな奴だが学級委員長である。世も末だ。)の事を完全に無視し、頭上にクリーンヒットした黒板消しを元の黒板に戻し、チョークの粉を払いのけて自分の席に着席した乙瓜は一言。
「うるせえころすぞ」
 王宮はしょんぼりして黙った。

 動きたくない体を机と椅子に預けて突っ伏しながら、乙瓜は花子さんがどのタイミングで仕掛けてくるかを考えていた。
 じわじわと生徒が増えていく教室で、足音・時計の音・話し声に耳を傾けながら、ただただその時を待った。
 だが、始まりは乙瓜が予想していたよりずっと静かなものだった。

「あれぃ? なんだろこれ?」
 自分の僅か後方の席から、やや間抜けな声がする。振り返ると、同じ清掃班の山根という女子が、何かを持って怪訝な顔をしていた。
 それは、その物体は……。
「山根さんッ!」
 瞬間、バッと身を起こして立ち上がる乙瓜に、山根はびくりとする。
「え、え、何……!?」
「ちょっとそれ見せて!」
 同意を得る間も与えず、乙瓜は山根の手からさっと鏡を奪い取った。突然呼ばれて持っていたものを奪われた山根は、まるで訳が分からないといった顔で当惑している。
 山根から奪ったもの。それは、淵が赤く、小さな取っ手があり、中央には反射する硝子のついた――鏡。玩具の手鏡だった。そう。それは、花子さんが提示したのとほとんど同じ鏡……!
 だがそれには一点だけ足りないものがあった。
「……花の飾りがない……!」
 提示されていたものには確かについていた、白い花の飾りが、山根の鏡にはなかった。
「し、しらないよぉ、なんか今机の中に入ってたんだよぅ……!」
 乙瓜のものを盗んだと誤解されていると勘違いしたのか、たどたどしく弁明をはじめる山根の言葉は全く耳に入ってこなかった。そんなことより、乙瓜の脳裏にはある仮説が浮かびつつあった。
(まさか、そんな……!? 花子さんは……っ!)

 頼む、思い違いであってくれ。そんな願いもむなしく、ほどなくしてあちこちの席で声が上がり始める。
「なにこれ?」「……ん?」「え、なんだろこれ……?」
 乙瓜が山根の席にあった鏡から顔を上げて見たものは、怪訝な顔をしたクラスメイト達の姿。そしてそれぞれが手に持つ鏡。鏡、鏡、鏡、鏡……鏡!
 赤いプラスチックの縁の、玩具の鏡たち……!
 十、二十、三十……クラス全員分、否、それ以上だろうか。机の中、ロッカーの中、本棚の隙間、教卓の引き出しの中、あちらから、こちらから出てくる鏡の群れ。
 唖然とする乙瓜のもとに、隣のクラスの魔鬼が駆け込んできた。
「大変だよ乙瓜、うちのクラスから大量の鏡が……ってこっちのクラスにもっ!?」
 盛大に驚いて見せる魔鬼と、もはや呆然としてものも言えない乙瓜をあざ笑うかのように、鏡はキラキラと光って見せる。ざっと見る限り、それら全てに花の飾りがついていない。
贋物フェイクだ……! ここにある鏡は全部、偽物……!!」
 もう隠しようがない。学校のあちこちから疑問と驚きの声が沸き立つのが聞こえてくる。
「……何十? 何百? もしかしたら何千? あはは……花子さんの奴、一体いくつの贋物を仕込んだっていうんだよ……!」
「こんなの一つ一つ漁ってたら日が暮れちまう……。無理ゲーじゃあねえか……!」
 声を震わす二人の前で、ぶわりと炎が踊った。
「やあ、どうやら花子さんはとんでもない仕掛けをしてきたみたいだねぇ?」
「かっ――」
「シーーッ。静かに」
 叫びそうになる乙瓜の言葉を遮り火遠は人差し指を立てるジェスチャーをして見せた。
「大丈夫なのか、教室の中で出てきて」
 察して、魔鬼が小声で問う。
「大丈夫さ、姿は君たちにしか見えていない」
 火遠の言葉に二人があたりを見渡すと、なるほど、教室中のだれもが突如出現したこの妖怪について何の反応リアクションも示していない。……もっとも、鏡の件に気を取られている部分も大きいのかもしれないが。
「……なるほど。っていうか、どうするんだよ火遠。この中から見つけるなんて至難の業だぞ!?」
 囁き声で、しかし詰め寄るように乙瓜が問う。すると火遠は飽きれ笑いのような顔をしていった。
「まっさか乙瓜、君はこれが正攻法の物さがしだとでも?」
「違うってのかよ」
 小馬鹿にされたようで少しむっとする乙瓜を見て、火遠はため息を一つ吐くと続けた。
「物理的に考えてこんなに大量の鏡を用意できるわけないだろ? これらの大半は妖怪変化の力でできたものに決まってるだろ」
 言われて、魔鬼は納得したようにポンと手を叩く。
「そうか、つまり鏡を作り出してる妖怪がいるのか!」
「ご明察。流石は魔法使いサマだ。いーかい乙瓜、君はいまいちピンとこなかったみたいだから敢えて言うけど、これは君が俺の代理に足るかどうかを測る試練なんだぜ。つまり花子さんはブツを探せるかどうかよりも、そこまでの過程プロセスを重視している筈さ。だったら、学校妖怪の手を使わない筈がないだろ? 違うかい?」
「過程……つまり、それは……妖怪退治!」
「そういうこと」
 やれやれといった様子で苦笑した火遠は、廊下側の窓を指さして言った。
「ところで君たち、ぼさっとしてていいのかい? たとえばあんなのとかが、鏡を増やしてるのかもしれないぜ?」

 はっとして廊下を見た二人の視線の先には、柱の陰から控えめにこちらを覗く少女の姿があった。
 背格好は乙瓜たちと同じくらい。しかし、身の丈にそぐわない大きな赤マントと、透けるような銀髪という目立つ格好でありながら、誰もその存在を気にも留めないという事実が、少なくとも生きた学生でないことを物語っていた。
 彼女は乙瓜と魔鬼、両名の視線に気づくと、ハッとしたように廊下を駆けて行った。
 それを見て、真っ先に魔鬼が動き出す。
「――! 追うよ乙瓜ッ! ……乙瓜?」
 しかし、乙瓜が動く気配がないことを怪訝に思い、ドアに手をかけ止まる魔鬼の後ろからは、情けない声が。

「……ま、待ってくれ魔鬼。筋肉痛なんだ……」

 魔鬼は、まさに昨日危惧していた事態になってしまったことを嘆き、不安になった。
(大丈夫なのだろうか……)

 校内のスピーカーがジーーーっとノイズを立て、朝会予鈴のチャイムを鳴らす。
 おそらく朝会も授業もバックレるだろう二人の不良学生を、もはや誰にも見えていない妖怪の笑い声が見送った。

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