怪事捜話
第十六談・双月のメッセンジャー⑥

 階段を超え、初手の攻撃で破壊し尽くされた廊下に散らばる残骸を超え。乙瓜たちが辿り着いた場所に、彼らは居た。
 水祢と嶽木のきょうだい、そしてその二人に挟まれる形で立つ鬼の兄弟。二対二、そこに乙瓜らが五人到着したので七対二。多勢に無勢、追い込まれた筈の鬼たちはしかし、動揺した様子の欠片も見せる事はない。
「随分と沢山集まられたものだな」
 相変わらず虚ろな瞳で周囲を見、杳月は静かにそう言った。
「祭りでも始めるつもりか。まあ一向に構わぬが」
 感情の乗らない言葉で音月が続ける。それと同時に彼らに相対していた水祢が振り向き、乙瓜の姿を認めて舌打ちした。
「……忠告したことが分からなかったの馬鹿女。お前が今更戻ってきてもどうにかなる相手じゃないの。兄さんに力を使わせる前に帰って」
 彼は忌々し気な視線を乙瓜に送り、その傍らに火遠の姿を見て、呆れ苛立つように「兄さんも兄さんだ」と呟いた。
「連れてくるのは眞虚と遊嬉だけで良かった筈でしょ? どうして乙瓜そいつも連れて来たの」
「どうしてもこうしても。傷心のお嬢さんを一人だけ置いて来るわけにも行かないだろう? 水祢」
 敢えてか茶化すようにそう言って、火遠は水祢を見てニヤリと笑い、次いで乙瓜に視線を向けた。
「それにどうにかできるかどうかなんて、やってみなくちゃわからないぜ? そうだろ乙瓜?」
 励ますように、あるいは挑発するようにフフンと笑って見せた火遠に、乙瓜は静かに頷いた。そして徐に袖口から取り出した護符を、突きつけるように鬼の兄弟へと向けた。
 彼らはその姿を自信と受け取ったのだろう。二人揃って「ほう」と呟き、杳月の方だけが口角をニッと上げた。
 初めて表情を変えた立角の鬼は、乙瓜と、その脇を固めるように立つ遊嬉と眞虚、そして火遠に目を向けて。彼を指すようにスッと右腕を上げた。
「成程、貴殿が【灯火】の。お初にお目にかかる。既知の事と存じ上げるが改めて名乗らせてもらおう。我らは【月喰の影】関西地区総括部隊長、十五夜杳月。そして弟の音月。我らが総裁・曲月嘉乃様より、貴殿への言葉メッセージを預かって来た」
「……言葉メッセージだと? お前たちの目的は花子さんじゃないのか?」
 火遠が怪訝に眉を顰めると、一人饒舌に語りだした杳月は、小馬鹿にするように「まさか」と吐いた。
「此度の主目的は貴殿にこの言葉を伝える事のみ・・に在り。前任者が失敗した事案などもののついで・・・・・・に過ぎぬ事」
「そのもののついで・・・・・・の為に、わざわざ校舎を削り取るように進んで来たのか……!」
 鬼の退路を塞ぐように立つ嶽木が叫ぶ。沈黙していた音月の方がくるりと振り向き、「そうだとも」と頷いた。
「ここ・古霊北中学校の裏生徒会は我々への協力を選ばず、【灯火】どもの味方に着いた。故に大霊道封印の拠点でもあり彼らにとって大切な『場』でもあるここを削り取る。破壊し尽くさない程度に削り取る。何度だって削り取る。裏生徒会かれらと違ってこの場から動けない地縛霊と共に。これは見せしめなのだ」
 事も無げにそう語り、音月は杳月の左手を握った。そして彼らは声を重ね、前後に向けて宣言する。曲月嘉乃の言葉を宣言する!

「『草萼火遠と【灯火】に与するすべての者に宣告する。【月喰の影】はお前たちを許しはしない。必ず然るべき報いを与える。今更こちら側へ着く事は許さない。抵抗して滅びるか、降参して滅びるか。好きに選び、好きに滅びよ。我々はお前たちを救わない』」

 それは最早もはや最後通告などと呼べるものではなく、事実上の宣戦布告であった。二人は火遠たちの方向へ向き直り、それからふと水祢に目を遣った。
「残念だったな水月の・・・。今更お前の席はない」
「……はっ。だからなに」
 無感情に言う杳月にそう返し、水祢はズボンのポケットから黒い護符を三枚取り出した。
「要するにあんたらに敵対する奴らはこれから全員必ず倒してくって事を再確認させたワケでしょ? ……今更残念もクソも無いだろ。馬鹿か」
 吐き捨てながら身を護るように三枚の護符を展開した水祢を見て、杳月はカクリと首を傾げ、それから音月を見てふうと息を吐き、「飲み込みが早いな」と零した。
「流石は我が旧友とも、そして琴月様に目を付けられていただけの事はある」
「ああ音月。だが惜しむらくは『灯火』の弟であったと云う事か」
「惜しい者を亡くすな。残念だ。まこと残念だ」
 まるで惜しがる様子も無くそう言うと、音月は己の側頭部を守るよう生える曲がりつのに手を当てた。

「目標、音月より右一歩から前十五歩。修正上方10度。折り返して20度」
「杳月展開。範囲27CBM。葬撃発射。着弾カウント開始、30」

 彼らが淡々と攻撃宣言を終える中、水祢たちは動き出していた。
「眞虚! 結界壁!」
「水祢くん……!」
 水祢が叫び、眞虚がやや遅れて護符の結界壁を展開する。壁が床から天井に到達するまでの僅かな時間を縫って遊嬉が飛び出し、攻撃宣言を終えたばかりの鬼に斬りかかる。
「好き勝手ペラペラペラペラ喋りやがって――既に勝った気でいるんじゃねえっつのッ!」
 苛立ち混じりに振り下ろした刃はしかし空を切る。遊嬉がハッと目を遣った先には、天井まで飛び退いて攻撃を避ける二人の姿があった。
「崩魔刀か。退魔宝具の大業物だな。厄介だ。非常に厄介だ」
 変わらず危機感のない口調で呟く曲がりつのを見て、遊嬉はギリと奥歯を噛む。嶽木の飛ばした念であらかじめ知ってはいたが、この鬼どもは恐ろしく素早い。
(どうにかして動きを封じるか、それとも足を仕留めるかしない限りは決定打は与えられないか。こりゃ確かにあの人形師より強敵だぁね)
 判断し、遊嬉もまた気が付いたように飛び退く。その直後に爆音が鳴り響き、つい一瞬前まで己が居た場所の床に亀裂が入り、同時に眞虚の張った結界壁が崩れる。彼らは直接自分たちを叩きに来る者が飛び出してくる事を見越し、自分たちの立っていた場所にも攻撃をしかけていたのだ。
「学校が、結界壁かべが……! くっ……」
 飛び散る破片から顔を守るように腕をかざした遊嬉の横を、何かが勢いよく通り抜ける。一陣の風を起こすように走り抜けたそれは、どこから出したか抜身の日本刀を手にした嶽木だった。
 契約者たる遊嬉を攻撃されたからか、それとも再び学校を傷つけられたからか。鬼気迫る表情で鬼の兄弟に斬りかかる。二人は案の定涼しい顔で回避するが、嶽木は構わず兄弟の間を分断するように白刃を下ろす。
 遊嬉ははじめそれを闇雲かと思っていたが、見るうちにどうやらそれは違うという事に気付く。嶽木は怒りや自棄やけから当たらない攻撃を続けているのではない。彼女の目的は――。
(あの二人を分断しようとしている?)
 ハッとし、遊嬉は立ち上がる。そして剣を握り直し、その瞬間に嶽木の刃の狙いから外れた音月目がけて走り出す。
 彼女が十五夜兄弟の攻撃を受けるのはあの瞬間が初めてだったが、念話の事前情報で彼らの攻撃の特性は把握していた。
 三十秒後に狙いを定めた特定の狭範囲空間を破壊する能力。葬撃。どんな防壁でも防げない、どんな防壁をも破壊する圧倒的な攻撃。……弱点があるとすれば、その攻撃は必ず三十秒の時間を置いて行われるという事。そして――不確定な座標には攻撃を仕掛けられないという事だ。
 嶽木が面展開結界バリケードを隔壁状に展開した事で再確認・・・できた事実だが、十五夜兄弟の葬撃は攻撃開始時点で存在している隔壁を超えては攻撃を仕掛けられない。隔壁自体を破壊する事は出来ても、そこより先の空間を攻撃目標として設定できないのだ。
 ――故に、如何にしてその弱点を突いて彼ら自身を叩き、更なる攻撃を行えないようにするか課題であると遊嬉は思っていたし、実際その考えの元に突撃を仕掛けた。……だが。

 だが、もし。もっと根本的で致命的な弱点があるとしたら?
 それは存外誰でも思い至るような事で、それを悟られないように、敢えて無感情無表情に徹していたとしたら?

 そう、遊嬉は思い至ったのだ。粗は多くとも一度放たれれば防ぎようのない無敵の攻撃、それが無敵である条件に。
(いつから――)
 遊嬉は念じ、杳月に休ませる間を与えぬよう攻撃を続ける嶽木に視線を向けた。
 嶽木は遊嬉をチラリと見ると、心の声でこう答えた。「改めてこの目で見た時に」と。
 彼女が予め十五夜兄弟に関して持っていた情報は三つ。兄の杳月は三十秒の間を挟んで狭範囲を破壊する能力を持つ事。弟の音月は盲目の代わりのあらゆる物体の精密な位置情報を感じる事が出来るという事。彼らの攻撃は攻撃開始時点で存在する隔壁を超える事は出来ないという事――その三つだ。
 それらは乙瓜の敗北から交代する形で被服室前に向かう際、弟の水祢からもたらされた情報だ。
 嘗て【月】に与していた、不仲の弟からの情報。けれど嶽木はその情報を信じ、彼らの生徒会室への進行を足止めする為に利用した。事実期待する通りの足止めの成果も上げた。
 しかし初めて彼らと直接対峙したときの嶽木は、足止めをするという主目的に集中した為に気づいていなかった。だが一度退却して考える時間を得た事、そして再び直接彼らの能力を目の当たりにした事によって、ある一つの事実に到達したのだ。

 ――『十五夜兄弟は二人一組でないとその能力を充分に発揮する事が出来ないのではないか?』

 恐らくは彼らは、個人個人ではそれぞれの能力を活かせないのだ。破壊する力、探知する力、そして同一人物を思わせる程の精神的同調シンクロ。それが一つになって初めて、あの攻撃は可能になるのではないか、と。
 そんな仮説を立て、敢えて二者を分断するように攻撃を仕掛けた。牽制するように刃を振るい、彼らの同調を掻き乱せば或いは、と。
「――女」と杳月が呟く。無感情の声で、しかし僅かに目を見開いた表情を見て嶽木は己の仮説を確信へと変えた。
「狙撃手と観測手が一人ずつだったのが失敗したね」
 ニッと笑う嶽木の攻撃を避けながら、しかし杳月は「しかし」と言う。
「しかし我らを分断したところで攻撃が当たらぬのでは意味がない。我らをここから退却させることすら出来ぬぞ」
 あくまで強気に告げる彼に、けれども嶽木は「そうかい」と小首を傾げ、余裕の笑みでこう返した。
「君たちの方こそ大事な事を忘れてるんじゃないのかい? 君たちの相手はおれと遊嬉ちゃんだけじゃないんだよ?」
「何――」
 その瞬間、杳月は気づいた。
 ニコリと笑う嶽木の向こう側で、破壊したきり忘れていた結界壁の向こう側から。なにか、キラリと輝きを放つ何かが放たれた事に――。

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