怪事捜話
第十六談・双月のメッセンジャー⑦

 話は眞虚の結界壁が構築された直後へと遡る。
「あと五歩は下がって。壁の間近は既に攻撃目標にされてるだろうから」
 有無を言わさぬ勢いの水祢に促され、眞虚らは結界壁より更に後退する。一先ずの安全ラインまで下がった所で「どうすんだよ」と乙瓜は叫ぶ。
「壁作って下がっただけじゃ永遠に攻撃なんて出来ねえじゃねえか! それに遊嬉たちとも分断されちまったしどうすんだよ!」
わめかないでから馬鹿女。俺はこの場は身を護るのが最適と判断したからそうさせただけ。……それに遊嬉と馬鹿姉は大丈夫」
 水祢はジトリと乙瓜を睨み付けると、続けて眞虚と火遠を見遣り、それからちょこんと立つ背の低い人物――薄雪神へと目を向けた。
「……なんだ。あんたも来てたの」
「来てたのとはなんじゃい。そこは来ていただきありがとうございましたくらいは言うべきところじゃろうが? 全くもうっ」
 薄雪はぷりぷりと怒り、けれど「仕方ないのう」と息を吐くと、抱えた葛篭を掲げた。
「約束の品じゃ。ちゃんと礼が言えたら使わせてやろう」
 彼女が得意げに言うのを見て、水祢は再び不機嫌を顔に浮かべつつ、仕方なさそうに、そして心底嫌そうに「ありがとうございます」と呟いた。それから唐突に結界壁の方向を睨むと、ポケットから黒い護符数枚を素早く取り出し、宙に放つ。
「列。対爆結界」
 短く告げると同時、眞虚の結界壁が爆音と共に崩れ落ちる。
「嘘、本当に一撃で……!?」
 驚きに目を見開く眞虚の目の前では水祢の黒い護符の簡易結界が破壊の衝撃を緩和するが、それでも防ぎきれなかった爆発音が鼓膜を襲い、死に損ないの衝撃波が温い風となって通り抜けた。
 安全ライン――否、嘗て安全ラインだった場所の最前線を守るように立つ水祢は、破壊されつくした結界壁と、名残を囲うように皹の入った廊下を睨み、チッと大きく舌打ちした。
「あいつらはやると決めたら加減ってものを知らない。……腹立つ」
 露わになった先の廊下に立つ二人を見て呟くと、「火遠は無事?」と振り返った。
 そのあまりのぶれなさに呆然とする乙瓜の背後で、火遠は平然としながら「無事だよ」と答え、目だけで眞虚と乙瓜の無事を確認してから薄雪に目を遣った。
禍津破まがつやぶりむつ勾玉。魔に類するモノを囲い、その力を封じ込める退魔宝具。武具の退魔宝具と違って使い手を選ばない代わり、どの程度のものをどれだけ封じていられるかは使い手の力次第。で、合ってたかな? 薄雪神」
「ん。まあおおむねそんなもんじゃの。下手すると悪戯感覚で無害な妖怪まで殲滅できかねんから、長らく使用を禁じられていたのじゃが……【月】の連中の企てと奴らが作り出しただあつ・・・のヤバさを全力でぷれぜんてーしょんして、漸く許可が下りよったわい」
 結界壁の崩壊を目の当たりにしながらまるで何事も無かったように話す二人。そんな二人を見ながら、乙瓜は只々気が気でなかった。何を呑気にしているのかと、壁が壊れたのだから次はこちらが直に狙われるのではないかと。そんな不安と焦りでいっぱいだった。それは多分、傍らの眞虚も同じであろう。
「いやあの、火遠!」
 耐え切れずに乙瓜が叫ぶと、火遠はやはり何とも無い様子で「なんだい」と答える。
「なんだい、じゃねえよ! もう壁ないんだぞ! 狙い放題じゃないか!」
 半ばパニックを起こしたような乙瓜の訴えを聞いて火遠は一瞬キョトンとし、それから得心行ったようにポンと手を叩く。
「ああ、壁ね。さっき怒ってるからいらないのかと思ったよ」
 彼はあっけらかんと言い放ち、それから不敵にニヤリと笑う。
「何も恐れる事はないさ。今度はこちらからやり返してやる番だよ、乙瓜」
 不敵に、且つ新しい悪戯を思いついた子供のような笑みを貼り付けたまま、火遠はそう言い放ち、そして小さくこう続ける。「悔しいって言ったのはそっちだろう?」と。
 乙瓜はハッとして小さく口を開き、それから少しだけ俯いて、ついさっきまでの自分の言動を笑うように息を吐いた。
(そうだよ。俺はあの敗北のリベンジをするために戻って来たんだ。ビビッていつまでも逃げ隠れしてるわけにはいかねえんだよな)
 振り切ったように口角を上げ、乙瓜は改めて火遠を見た。見上げた彼の表情は、心なしか先程より優しくなっているように見えた。
「あたりまえじゃねえか」
 傍から見るとやや不思議な遣り取りを交わし、彼らは当たり前のようにハイタッチした。パンと乾いた音が響くのを、眞虚はきょとんと、水祢は忌々し気に、そして二者の心を知る薄雪は「ほほう」とどこか愉快気に見つめている。
「気は晴れたかの? 覚悟は決まったかの?」
 うきうきとした調子のままに口を開いた薄雪に、乙瓜と火遠は同時に「ああ」と頷く。眞虚は妙に息の合った彼らの様子を見て、戸惑い気味ながらも「乙瓜ちゃんたちが大丈夫なら!」と頷く。水祢は乙瓜に冷たい視線を向けたまま、「好きに始めれば」とそっぽを向いた。
 薄雪はそんな彼らの反応に満足気に頷き返し、改めて葛篭を開き、勾玉を外気に曝した。
「さあ、往きよれ」
 神がそう宣言すると同時、深い夜の色をした勾玉は朝日の如く眩く輝く。そのあまりに鮮烈な光を前に、乙瓜と眞虚は一瞬目を瞑る。
 そして彼女たちが再び目を開いた先にあった勾玉は、先程までの黒一色ではなく。神聖を思わせる七色の輝きを纏った色鮮やかな宝玉となって、葛篭の上にふわりと浮かんでいた。
「綺麗……」
 眞虚が呟くと同時、六つの勾玉の内三つが葛篭の上を離れ、破壊された結界壁の向こう側――遊嬉たちが十五夜兄弟と戦うその場所へと勢いよく飛び立って行った。
 その動きにつられるように乙瓜が視線を向けた向こう側・・・・には、遊嬉と嶽木がそれぞれ音月・杳月を相手に剣を振るう姿がある。
「遊嬉!」
 乙瓜が叫ぶと同時、遊嬉は己の方向へ飛来する何かに気付き、まず驚きに目を丸くする。だが直後に続いた薄雪の「掴み取れ!」の言葉に力強く頷く。
 そんな彼女の表情を見て何かを感じ取った音月は、三つの光の進行方向と遊嬉の間に立ちふさがる。同じく杳月も己の横を通り抜けて言った、三つの光を追う。
「させない」
「危険分子は排除する」
 交互に言って妨害に向かう彼らの間に割り塞ぐように嶽木が二枚の護符を投げる。
「ここ一番を邪魔すんな!」
 渾身の本音と共に投げ放たれたたった二枚の護符は杳月の進行を僅かに阻害し、勾玉を遊嬉へと行かせまいと立ち止まった音月の足元を掬った。
「「何」」
 間抜けに重なった二つの言葉の果てる先で、遊嬉は無事己の下へ辿り着いた三つの光を掴みとる。
「取ったァ!」
彼方かなた三つ此方こなた三つ! 囲ったぞ・・・・!」
 遊嬉と薄雪が歓声を上げる。その一方で火遠だけは「姉さん!」と叫ぶ。
 六勾玉の力はその六つで囲った・・・・魔に類するモノの力を封ずる力。それは現在の北中にとって脅威である杳月・音月のみならず、彼らを逃がさない為に立ち振る舞う嶽木とて例外ではない。しかし嶽木は自身を心配する弟の言葉にこう返す。
「気にせずやれ! 好機を逃すな!」
 その言葉に火遠は表情を歪ませ、しかしこの場を切り抜けるために叫ぶ。「薄雪神!」と。
 白い神は彼の心を測ってコクリと頷き、遂に退魔宝具の力を発動させた。

「禍津破の六勾玉よ、陣で囲いし魔なるモノの力を封じ込めよ!」

 宣言と同時、薄雪の葛篭の上の三つの勾玉、そして遊嬉が手にした三つの勾玉が再び閃光を放つ。勾玉のある二点間の廊下を走り抜け、その直撃を受けた杳月・音月、そして嶽木はガクリと床に膝を付く。
 彼らの姿はまるで重石でも付けられたかのようで、つい先ほどまで機敏に動き回っていたとは到底思えない。
「隠し玉の退魔宝具……」
「我らの力が」
 こんな時すら感情無く、けれどもどこか呆然としたように呟く杳月と音月。そんな彼らを見て、同じく膝を付く嶽木はしかし、どこか得意げにフフンと笑った。
「だから言ったじゃないか。君たちの敵はおれと遊嬉ちゃんだけじゃないって。そして……俺もまた力を失ったけれど、彼女たちはまだ余力を残している」
 得意さの中に力を失った気怠さを込めて。それでも嶽木は言った。「おれたちの勝ちだよ」と。そう言って、ゆっくりと指し示した・・・・・・
 何かを。否、何かなんて決まっている。十五夜兄弟はそれを見て、悟って、二人揃って「ああ」と口にした。恐らくは落胆を。
 彼らの視線の先には、未だ健在の様子で立つ乙瓜と眞虚が居る。背後には火遠と水祢も控えている。彼らと相対するように立つ遊嬉もまた大した外傷も無く健在だ。
 対する自分たちは先程の閃光の力か指一本動かすのも気怠く、ましてや空間破壊の能力などとても使えそうにない。そして彼らは悟ったのだ。――自分たちの敗北を。

「……お前ら、よくも俺の護符が旧式だとかなんとかかんとか抜かしてくれやがったな」
 二人を見下すように怒りの視線を向け、乙瓜は袖口から護符を取り出す。取り出した護符は銀の鱗を零すようにひとりでに増殖し、乙瓜の周囲に五芒星の形をした陣を描く。
「私からは特にないんだけど、学校をいっぱい壊してくれたよね。あんまり許されることじゃないよね。……援護するよ、乙瓜ちゃん」
 傍らの眞虚も静かにそう言って、その背後に何十枚かの護符を召喚した。
 廊下の反対側では、遊嬉が静かに剣を構えている。もう十五夜兄弟に逃げ場はない。

「草萼退魔結界陣・銀星ぎんぼし!」
「草萼封縛結界・山吹やまぶき!」

 乙瓜と眞虚が声を揃えて宣言すると同時、大量の護符が吹雪のように放たれる。銀に輝く乙瓜の護符と金色に輝く眞虚の護符が入り乱れ、周囲は再び光に包まれる。
 乙瓜の銀星は魔を退ける力。纏わり囲う星の結界陣。これは発動させた乙瓜自信気づいていないことではあるが、火遠による降神アップデート前に比べて展開速度が倍以上に上がり、投射が自動化されたので目視で護符を投げていた今までに比べて命中性が格段に向上している。眞虚の放った山吹の封縛の力も合わさる事によって、弱体化した十五夜兄弟にはその直撃を避ける術はない。――かに見えた。
「まさか我らがこれ・・に頼る時が来ようとはな」
「屈辱だ。だが完全なる敗北よりは幾らもマシだ」
「やむなし、か」
 兄弟はぽつぽつと言葉を交わし、杳月はその袖口から一枚の術符を取り出す。そして迫りくる光の護符を睨んで己の術符を掲げ、弟の手を取った。
「今日の所は勝ちを誇るがいい」
「だが、次は――」
 次は。その言葉の続きは誰の耳にも届かなかった。兄弟の姿は、彼らの術符の輝きと共にその場から消え失せていた。
 攻撃目標を失った光の護符は、彼らの消えた廊下を虚しく散らばって行った――。



 ――それから。
 憤慨する乙瓜を眞虚がなんとかなだめ、火遠と遊嬉とで六勾玉の力の直撃を受けた嶽木を支え、大分破壊された校舎の二階見ながらさてどうしようかと考え始めた頃。
 未だ帰らずに立つ薄雪は、むすっと口を結んだまま暮れ行く屋外を眺める水祢を見上げた。
「旧友だったらしいな」
 ぽそりと言う神を振り返る事もせず、水祢は素っ気なく「別に」と返した。
「……かなり昔一瞬だけ気が合っただけ。兄さんの願いを邪魔するなら誰だろうが潰す」
「素直じゃないのう」
 言って、薄雪は小さく息を吐いた。他者の心がわかる彼女には、水祢の心の中にある僅かな寂しさと悲しみがはっきりと感じ取れていた。
(まあ、例え本心では何を感じていようとも、こやつは言葉の通りに動くじゃろうな。……だがなぁ)
 薄雪は一旦目を瞑り、数秒の闇を見つめてから再び目を開いた。
「水祢。勾玉の力であの娘を救うつもりならやめておけ。魂が半端に癒着してしまっている。恐らくは――」
「――黙って」
 白い神の言葉を遮り、水祢は静かに振り返った。蒼い怒りに燃える彼の眼光を前に薄雪は眉を顰め、遮られた言葉の先をゆっくりと、言い聞かせるように紡いだ。

「死ぬぞ。悪魔の力を消滅させ得るほどの力を込めようものなら。あの娘は死ぬ」

 水祢の表情は険しくなり、二者の間に沈黙が流れる。近くて遠い場所では火遠とミ子が今夜中に学校をどうにか修繕する方策について話し合っているが、水祢と薄雪の耳には、そんな会話がまるで異世界の音のように聞こえていた。
「わかってるし。…………わかってる」
 呟くように、独り言のように。水祢がそう答えると同時。どこかからか漏れ入った冬の風が、ヒュウと冷たく廊下を流れた――。



(第十六談・双月のメッセンジャー・完)

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