怪事捜話
第十五談・新解心海リメンバー④

「久しぶり。一月ひとつきくらいぶりね美術部たち。ちゃんと元気にしてた? まあ、初めて会う子もいるワケだけれど」

 悪魔は驚く美術部にご機嫌な挨拶をすると、無邪気な瞳をぱっちりと開き、初顔合わせとなる眞虚へと視線を向けた。
 それから何やらおかしそうに「ワオ」と呟くと、嬉しそうに口角を上げ、それからコクリと頭を下げた。
 何やら意味深なその様子に眞虚は僅かに表情を歪めた。
 ……恐らく、目の前の悪魔は自分の抱く秘密を一目で見破っている。
 直感的にそう感じた眞虚は、見てくればかりは御伽噺の住人のようなその悪魔を油断ならない存在と認識し、畏れと警戒を抱きながらペコリと答礼した。
 エーンリッヒはそんな眞虚を見て微かに目を細めると、同じく初対面である深世や花子さんにも小さなお辞儀をし、それから改めて美術部全員に向き直った。

「さぁて、挨拶よりも私がどうして出向いてきたのか知りたそうな顔ね。……まあ、別に隠す理由もないから教えてあげる。主命が下ったのよ」
「主命だと?」

 怪訝に問い返す乙瓜に「うん」と答え、エーンリッヒは言葉を続けた。

「私こと夢想の悪魔エーンリッヒは、青薔薇を統べる大魔女・ヘンゼリーゼと主従の契約を交わしている。君には、ナノカの預かり主って言った方が通じやすいかしら?」
「七瓜の…………、七瓜に俺を殺すように仕向けた奴か……!」
「……乙瓜ちゃん?」

 夏祭での七瓜の話を思い出し、忽ち険悪な気配を漂わせ始めた乙瓜を見て、遊嬉はピクリと眉を動かした。
 胸にあるのは不安と疑念。それは何も遊嬉ばかりがそうなのでなく、美術部の他の三人の胸中もまた同じであった。
 そもそも彼女たちは、烏貝七瓜と云う存在の事を良く知らない。
 一年前の襲撃には居合わせていたものの、ほぼ初手から七瓜の傀儡かいらいとなっていた彼女らにはその間の記憶が無く、大まかに何が起こったのかを後付けの知識として知るのみである。
 更に夏祭での一件を知らない彼女たちには、まさか乙瓜と七瓜が和解しつつあるだなんて、思った事すら無かったのだ。
 仲間たちからの怪訝な思いを一身に浴びながら、しかし乙瓜は敵意の瞳を夢想の悪魔に向け続ける。
 エーンリッヒは「ふう」と小さく息を吐くと、少々面倒そうに腰に手を当てた。

「うーん、まあ、ヘンゼ・・・は別に善人ってワケでもないから弁解する気もないけどさ。……だけど一つ言い訳させて。確かに私はヘンゼリーゼを主と認めた悪魔の一柱だけれども、だからってその意向の全てに賛同する者じゃないし、どうかと思う事には駄目出ししてるのよ? ちゃあんと。あっちが聞き入れてくれるかどうかは別として。まあ、その、だから? 私とヘンゼの関係は、厳格な主従ってよりは悪い友達みたいなものね。今日はそんな私の意向とヘンゼの意向がぴったり合致したってワケで、……うーんと、なんて言ったらいいのかな。ま、ヘンゼの事が気にくわないかどうかは別として、受けられる恩恵は受けておいた方がいいって、私は思うワケなのさ。君だって仲間を助けたいでしょ?」

 違う? と、わざとらしく首を傾げて問う悪魔を暫し睨み付けた後、乙瓜は大きく溜息を吐いた。
 それを丁度の機会と見たか、遊嬉がすかさず「どうするのさ?」と問う。

「折角あちらさんから出向いて来てくれたんだから、あたしはこの話に乗るよ? ナントカ云う魔女との間に何があったかは知らないけど、現状それしか魔鬼の奴を助ける方法がないわけだからね。……で、どうすんのさ?」
「そ、そうだぞお前! なんか私的にはよくわからんけど大変な事になったくらいの事しか分かんないけど、そこのツノの人の提案が嫌なら嫌って言うし、いいならいいってはっきり言っとかないと駄目だかんね!?」

 挑発するように言った遊嬉に続き、深世までがそんな風に言うものだから、溜息の時点でとっくに返答の決まっていた乙瓜はポカンとした。
 けれどもそれも二人なりの思いやりかと苦笑いすると、悪魔の問いに答える為に口を開き、スウと息を吸った。

「……わかったよ。確かにあんたの言う通り、俺だって魔鬼を助けたいし、皆も同じ気持ちだ。だから、お願いだ。夢想の扉を開いてくれ」

 言って乙瓜が頭を下げると、不安げに見守っていた四人は静かに微笑んだ。
 夢想の悪魔は満足気に頬を上げると、無言のまま伸ばした左手の中に緑色の輝きを生み出し、それを杖へと形成した。
 夢想の杖。巨大なフォークの形をした、夢想の世界への扉を開く鍵。
 己の力を体現するそれを手に取り、エーンリッヒは美術部たちに向けて言った。

「そう。皆心の準備は万端ってところね。それじゃあ早速……ってところだけど、ごめんなさいね。今回夢想の世界に連れて行けるのは二人だけなの」
「二人? たったの?」

 驚いたように言う杏虎に「そう」と返し、エーンリッヒは手にした長物を危なっかしくクルクルと回し始めた。

前回まえの時は妖怪だったけれど、今回は人間。だから幾つか条件が変わってくるのよ。ただまあ、現状幽霊に類するものが行けない事には変わりはないから、責任を感じていそうなそこの貴女はちょっと無理ね」

 と、エーンリッヒは夢想の杖の先を花子さんへと向けた。
 美術部メンバーの一歩後ろで話を聞いていた彼女は、ハッとしたように目を見開いた後、残念そうに目を伏せた。

「また……何も出来ないのね」
「何もできないだなんて。貴女はもう貴女にしか出来ない事をしたじゃない。今回も前回も、【月】のウジ虫女を追い払ったのは貴女の功績なんだから。もっと誇ってもいいんじゃない?」

 悪魔にしては妙に優しく……というか、寧ろ悪魔だからこそか。
 花子さんを元気づけるようにそう言うと、エーンリッヒは改めて美術部に向き直り、話を続けた。

「そんなわけで、クロウメマキの心の中に行くのは君たち五人の中から二人。そしてその二人は、私の方から選出させてもらう。まずは君。カラスガイイツカ。そしてもう一人は、リクノウエユキ。以上よ」

 そうしてエーンリッヒは、先程花子さんにそうしたように乙瓜と遊嬉をそれぞれ杖で指示した。
 乙瓜は覚悟したように唇をキュッと噛みしめ、遊嬉は「よし」と小声で言いながら両の手をパンと叩き合わせた。

 一方で選ばれなかった三人――まず深世は、魔鬼の事が心配でないわけではないものの、よくわからない場所に飛ばされることに選ばれなくて良かったとホッとしていた。
 杏虎は何故自分ではないのかとちょっぴり不満げに唇を尖らせ、眞虚は何か思うところあり気に黙り込んでいた。

 一連の流れを美術室の隅から見守っていた闇子さんは、「それじゃあ、あたしは行くからな」と、寄りかかっていた壁から背を放した。
 そんな彼女に、花子さんは心細そうな声で「行くの?」と言う。
 闇子さんはキョトンとした様子で花子さんを見つめ返してわざとらしく肩を竦め、「だってあたしらが居たってしょうがねえだろ」と、花子さんに向かって手を伸ばした。

「ほら、行くよイコ・・。こっから先はあいつらの仕事だ。あたしらの出る幕じゃねえ。それにあのクソ人形女がいつまた戻ってくるとも知れないんだ、いつまでもブス顔キメてんじゃねーぞ」
「……っ。それも……そうね。行きましょう、ヤミちゃん」

 幽かに微笑み、花子さんは闇子さんの手を取り、そして二人ともその場から姿を消した。
 時同じくしてエーンリッヒは夢想の先端を天に掲げ、いつしかアルミレーナがそうしたように円を描き、真っ黒な穴を生じさせた。
 そしてその穴を美術部員の手の届く高さまで水平に下すと、悪魔は手招きで乙瓜と遊嬉に穴の前へ立つよう促した。

「さて。それじゃあイツカちゃんとユキちゃん、旅立ちの前によーく聞いてね。今回は君たち二人しか行けないというハンデがあるけれど、相手が人間・且つ子供である分年月を経た妖怪よりも記憶の総量が少ないから、その分決定的な欠片が見つけ易いというメリットがあります。これは感覚的にわかるよね? オーケー?」
「それは、なんとなく……まあ」
「うんうん」

 二人が頷きながら顔を見合わせると、エーンリッヒは心底嬉しそうにニコリと笑った。

「よし。それじゃあここから先はやり方わかるね? 数少ない分ノーヒントだけど前と大体同じ感じだから、そんな感じでッ!」

 と、明るい調子で言い放ち、悪魔は手にしたままの杖をラケットのように振りかぶり、笑顔のままでスイングすると、何の遠慮も無く乙瓜と遊嬉の尻へと叩きつけた。

「んにゃ!?」
「はいっ!?」

 衝撃と驚きに思い思いの間抜けな声を上げた二人は押された勢いのままに黒穴を潜り、これから友人を助けに行くという覚悟も余韻も何も無いままに美術室から姿を消した。

「ちょ、まって、今の、えっ!!?」
「大丈夫大丈夫、どの道穴に入る事には違いないから。全然そんな危険とかないから。問題ない問題ない」
 あまりに唐突な事にまとまりのない驚きの言葉を口にしながら黒穴を指さす深世にそう答え、悪魔は「辛気臭いの私きらーい」と欠伸あくびをしてみせた。
 そんな適当な悪魔の態度と、先程叩き飛ばされて行った友人の姿を交互に思い浮かべ、杏虎は却って選ばれなくて良かったと胸を撫で下ろす。
 だが安堵と同時に生まれたのは、どういう基準であの二人が選ばれたんだ? という純粋な疑問だった。

(気まぐれと言われちゃそこまでだけれど、どの二人でも良かったはずなのにどうしてあの二人を選んだんだ? ……まあ、深世さんは初めから選外としても)

 未だ文章にならない言葉を叫びながら穴を指さし続ける深世にチラリと見た後、杏虎は机に腰かけて暇そうに足を揺らし始めた悪魔に目を向けた・・・・・
 虎の目。霊的気配の精密な追跡をはじめ、僅かに先の未来を覗くことすら可能にする最高級の霊視眼。
 その視線を向けられた瞬間、すっかり気を抜ききった様子のエーンリッヒはスッと顔を上げたかと思うと、可愛らしく閉じていた口に禍々しい弧を描き、悪魔と称される通り不吉な光をその目に宿して杏虎を見つめ返した。

「私の魂胆を見透かそう・・・・・だなんていい度胸してるわね」
「流石に悪魔には通用しないか……」

 想定内の反応に舌打ちし、杏虎はフッと目を閉じた・・・・・
 瞳の中で歪に輝いていた青と金は大人しく引き下がり、それを認めた悪魔の瞳にも再び平穏の光が宿る。
 何が何だかわからない深世が挙動不審気味に首を傾げる中、夢想の悪魔は呆れたように息を吐き、姿勢をただした。

「キョウコちゃん……でいいんだっけ? 折角お口があるんだからまずは言葉にしなさいな。『どうして自分が選外だったのか』、それを知りたいんでしょ?」

 杏虎がむすっとしたままに頷くと、エーンリッヒは左の人差し指をピンと立て、に向けた。

「君の理由はその力・・・。君の瞳は意図的にしろ無意識にしろ、他人をそうやって見透かそうとする。だから私の判断で選外とした。まあ、こっちの主的にもね……ゴニョゴニョ」
「? なにそれどういう?」
「ま、まあいいじゃない! 次よ次。えーっとそこの、イマイチピンと来ない子」
「ピンと来ない!? 私!?」

 杏虎の疑問をはぐらかし、エーンリッヒが次に指したのは深世だった。
 酷く失礼な言い方に「どういうことなの!」と叫ぶ彼女に「そう。君」と返し、エーンリッヒは言う。

「君は特にピンとこなかったから選外。別段力も感じないし。おわり」
「そんだけ!!? いや別に選ばれなかったことに不満はないけど何その言い方喧嘩売ってんの!? ねえ!!?」

 深世は更に喚きだすが、エーンリッヒはそんな彼女からも早々に目を逸らし、残る眞虚へと指を向けた。

「君は――まあ自分で心当たりあるよね。選ばれなかった理由」
「…………!」

 やはり気づかれていた。ハッと息を飲んだ眞虚に向けて、エーンリッヒはこう続けた。

「その力を逆に利用してやろうって胆力は認めるよ。だけどね……所詮それは呪われし力。そして夢想を司る私がどうして誰も彼もを助けるような事をしないのか……。それに気づく事が出来ないのなら、これから先何があっても知らないわよ。私は」
 
 警告する悪魔の瞳は笑ってはいなかった。
 眞虚は背筋に冷たいものを感じながら目を背け、ふと杏虎を見た。
 先日の件を目撃した友人は、あの日と変わらず困惑と疑念の籠った瞳で眞虚を見つめている。
 そんな二人の不穏な気配を感じ取り、深世もすっかり口を閉ざしてしまった。

 美術室に満ち始めたどんよりと重々しい空気を逃れ、乙瓜と遊嬉は魔鬼の夢想の底へ――。

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