怪事捜話
第十四談・メリー・メリー・コールミー⑦

 それは場違いな自己紹介であると同時に宣戦布告でもあった。
 絶妙に聞き漏らせない音量のそれが二人の鼓膜を揺らすと同時、絵画・・の街の黒い地面がざわりと揺れ、そこから幾つもの闇色の柱を生み出した。
 まるで焼いた餅が膨らむように。150センチほどの柱がぷくりと生まれ、眞虚と杏虎を取り囲む。
 二人が身構える中、柱は地面と切り離されたように蠢きだす。それらの姿はもはやなどではなく、……例えるならばそう、人間大の黒いてるてる坊主。
 見渡す限りに発生したてるてる坊主は、ゆらりゆらりと不気味に身をくねらせながらじわじわと美術部二人に迫り――唐突に姿を消した。
「えっ……?」
 唐突に、一斉に。自分たちに迫りつつあった奇怪な軍勢が姿を消すのを目の当たりにして、眞虚は呆気にとられたように声を漏らした。
(今のは? 私たちへの攻撃じゃないの……?)
 僅かな安堵と、想定外・・・への不安。それらを抱きつつ再び周囲を警戒する眞虚と背中を合わせるようにして、杏虎もまた余裕のない表情で軍勢・・の消えた宙を睨み、弓を構える。
「杏虎ちゃん、今のって――」
「わからない。だけど絶対あれだけじゃない事は絶対に確実……!」
 互いの背中を守り合いつつ、互いの動揺を落ち着けるように言葉を交わし合う。そんな二人を嘲笑うかのように、黄色い空の彼方から見えざるメリーさんの声が響く。

『――見つけられない、みつけられない。恐怖のオニ電追撃者コール・コール・コーリング。――今、あなたの後ろにいるの・・・・・・・・・・・・

 虚ろな言葉が空から落ちるのと、眞虚と杏虎が互いの背後に違和感を覚えるのはほぼ同時だった。
 違和感の正体は敵意。それを察知した二人が互いに遠ざかるように動き出す。そのコンマ数秒後、二人の元の立ち位置に立つのは、あの黒いてるてる坊主。
 てるてる坊主・・・・・・はその発生時には確かに持っていなかった筈の大きな腕を振るい、ほんの一瞬前まで眞虚達の首があった場所をぐしゃりと握りつぶす。
 それは一瞬、本当に一瞬の事だった。その一瞬の判断の速さでてるてる坊主の攻撃を逃れた眞虚は、あり得たかもしれない一瞬遅れの自分の姿を想像してギョッとしつつも、すぐさま今己のやるべきことに思い至り、攻撃と防御の護符をぶべく声を張る。
 同じく難を逃れた杏虎もまた素早く姿勢を整えると、てるてる坊主の目がけて、雨月張弓の光の矢を打ち放った。
 しかし眞虚と杏虎が二方向から仕掛けた攻撃はてるてる坊主に命中する事なくくうを切り、互いの真横を通過する。その理由は単純明快。二人が攻撃に転じた瞬間には、てるてる坊主の姿は既に元の場所には存在していなかったのだ。
 黒影のてるてる坊主は再び黒影の中へ。二人がそれぞれ「馬鹿な」と言わんばかりの表情を浮かべる中で、黄色い空が再びわらう。
『当たらないしあたらないのよ。今はあなたの右隣にいるの』
 メリーさんの声が嗤う。「まさか」と眞虚が声を上げたところで既に遅し、右隣に現れていたてるてる坊主の怪腕かいわんが彼女の腹を容赦なく殴り抜ける。
(しまっ……)
 しまった。眞虚がそう思った瞬間には、鈍い衝撃が全身をおぞましく駆け巡り、彼女の身体は吹き飛んでいた。唯一幸いだったのは、数瞬前に展開していた防御の護符が衝撃を幾らか緩和したことか。数秒後に黒い壁に背中から叩きつけられて尚、眞虚がその意識を飛ばすことは無かった。
「……っ、杏虎ちゃんはッ……!」
 ビリビリと痺れるような痛みによろめきながらも立ち上がった眞虚は、己よりも先に杏虎の心配をした。
 したたかぶつけてぐわんと揺らぐ視界の果てに彼女が見たのは、……己と同じように吹き飛ばされたのだろう。黒い壁に押し付けられるように座り込み、口の端から血を流す杏虎の姿だった。
「杏虎ちゃんッ!!」
 その姿を認識した瞬間には、眞虚はもう叫んでいた。
 彼女は知っていたからだ。杏虎が依然として圧倒的な力から己の身を護る手段を持っていない事を。
 魔に類するモノに対しては圧倒的な攻撃力を誇る退魔宝具・雨月張弓。その青い輝きは、所有者に身を護る力までは与えてくれない。それでいて特別な存在と己の身の安全を保障する契約を結ぶ事すらしていない杏虎の防御力は、限りなくゼロに等しい。
 眞虚は思う。今この場で杏虎を守る事が出来た存在が居たとするならば、それは間違いなく己だと。己の持つ護符の力であると。
 そして後悔する。あの咄嗟の一瞬で、杏虎にまで防御の護符を回せなかった事を。
 護符という防壁を有しつつも痺れるような衝撃があったのだ、それこそ丸腰の杏虎にどれほどの衝撃が襲ったのか……考えたくもない。眞虚はサッと青褪あおざめた。
 しかしそんな眞虚の視線の先で、白薙杏虎の身体はよろりと動き出す。
 ゆっくりと。ふらりと震え、壁に手を突きながらも。杏虎は己が両足で立ち上がり、口元を流れる血を拭いながらニヤリと口角を上げた。
「……肉を切らせて骨を断つ……ってね、やってやったぜこんにゃろーが……!」
 荒い呼吸混じりに不敵な言葉を吐き、杏虎はペッとつばを吐く。
 その唾のかかる先にはあのてるてる坊主が、顔の無い頭部を光の矢で貫かれた状態で、け反るように倒れていた。
「杏虎ちゃんッ……、大丈夫なの!?」
 驚き駆け寄る眞虚に対し、杏虎は鳩尾の辺りを押さえながら「ぜんっぜん大丈夫じゃない」と渋い表情を浮かべる。
「……情け容赦なく殴りやがってからに。こっち女子だぞ、ナメてんのかし」
 舌打ち一つ、すっかり活動を停止したてるてる坊主の身体を踏みつける杏虎を見て、眞虚は安堵と共に苦笑いした。「良かった、存外元気そうだ」と。
 ……それにしても杏虎は、あの状況から矢を撃ち返したのだろうか? 一度外したからとはいえ、とんだ執念である。
 などと考えるのもほどほどに、眞虚は表情を引き締めると新たに護符を、以前よりも多量に召喚する。
「我こいねがう、封呪・封滅・封壊の札、そなえ五十八枚、来たれ!」
 光と共に喚び出され、実体化した護符から宙に舞い、眞虚を守るように旋回する。封滅・封壊の護符の半分は杏虎の周囲へ向かい、更に何割かは杏虎の身体に張り付いて虹色の光を放つ。
 回復結界・虹郷こうぎょう。眞虚の護符に与えられた、肉体の損壊を修復し痛みを取り除くいやしの力。
 杏虎はさり気なく発動されたその力に表情を柔らかくすると、「ありがとう」と小さく告げ、それから再び注意深く辺りを見渡した。
 たちまち見計らったように空気がざわりと蠢き、黄色い空から冷たい声が降りてくる。
『だけど逃げられない。逃がさない。今あなたたちの周りにいるの』
 周りにいるとの宣言と同時、黒い地面から姿を現すてるてる坊主の軍勢。眞虚と杏虎を取り囲むように存在している事こそ初めの出現時と変わらないものの、再び現れたそれらには先に攻撃を仕掛けて来たモノらと同じように腕が生えていた。
 二人目がけてゆっくりと伸ばされる腕は、眞虚を守る封呪の護符に遮られては消し飛んで行くものの、てるてる坊主たちはまるでひるむ様子もない。己の身を削りながらも護符の力を削り、二人をこの場から逃すまいと迫っている。
 じわじわとせばめられていく自分たちの領域に焦りを覚えつつも、眞虚は考えを巡らせた。
 このまま結界を補強しつつ杏虎の矢で各個撃破を狙うにしても、見渡す限り黒と黄色の妖界の果てまで存在する軍勢を各個撃破していくのは恐ろしく手間だ。それに結界の力も永遠ではない。いずれ結界が破られる時が確実にやってくる。……その時に残る相手が、精々一体二体であればいいものの……それは希望的観測だろう。
 現実的な打開策としては、メリーさんを何とか正気に戻すことだが――。
 そこまで考え、眞虚は杏虎にチラリと目を遣った。険しい表情で四方を取り囲む軍勢を睨み弓矢を構える彼女を見ながら、眞虚は思い出す。
 己の不在時に起こった、エリーザの事件。後に伝え聞いたその解決法は、――夢想の悪魔なる存在の力を借りて精神世界に干渉し、バラバラに砕かれた心を戻すというものだった、と。
(だけどその時に助力してくれたっていう魔女さんはここには居ない……! 夢想の悪魔に接触する方法が無いなら、どうやって――)
 刻一刻と結界は削られていく。補強して終わりの見えない消耗戦に入るか、それとも何らかのアクションを起こすか。それとも……。
 眞虚が悩む一方で、杏虎もまた考えていた。
 メリーさんを元に戻す方法を。奇しくも眞虚と同じ事を。……だが、杏虎の考えは眞虚とはまた違っていた。
「……眞虚ちゃん、結界あとどのくらい持ちそう?」
「えっ!? っと、まだ全然大丈夫、しばらくはこのまま行けるよ。……杏虎ちゃん?」
 考え込んでいた眞虚は杏虎の唐突な問いに驚きつつも、その声の調子から何かを感じ取ったように顔を上げる。
 その視線の先の杏虎は「そっか」と小さく呟くと、構えっぱなしだった弓を下ろして眞虚に向き直った。
「エリーザの怪事、どう解決したのか話した内容……覚えてる?」
 真剣な顔で問う杏虎に頷きを返し、眞虚は「でも」と表情を曇らせた。
「その時と今は状況が違う、でしょ? 魔女さんも居ない、夢想の悪魔と接触する方法も無い……!」
「確かにね。だけどあの時と違うのはそれだけじゃあない。例えば――」
 スッと人差し指を立て、杏虎は続けた。
「メリーさんの大事そうなものを、あたしたちは一つ知ってるわけじゃん。『くまのぬいぐるみ』とか」
「!」
 自体の急変から半ば忘れかけていたその単語の登場に、眞虚は只でさえぱっちりとした目を目いっぱい見開いた。
 そういえば、そうなのだ。そもそもの発端として、メリーさんは『くまのぬいぐるみ』を捜していたのだ。
 特徴だけ聞くならどこにでも売っていそうなぬいぐるみ。しかし失くしたそれそのものでなければ意味のない思い出の品。
 そこにまつわる思い出こそは知らないものの、成程確かに。メリーさんの壊れた心の中で少なからず重要な部分を担っていたであろうと推測出来ない事も無い。
「あたしたちには心の中に押し入るなんて芸当は出来ないけれど、全く希望がないわけでもない。似たような事なら、前に一回だけやった事があるじゃんさ」
 言って、杏虎は未だ己を守るように飛ぶ封滅と封壊の護符を一枚ずつ捕まえた。それを見て眞虚は気づく。杏虎はあの日の事を――ひきこさん事件を解決した時の事を言っているのだと。
「傷をも癒せる美術部きっての万能パワー、それで壊れたメリーさんの心を直せるか否か。……どうせ助けが呼べないなら、一回くらいはあがいてみましょうぜ?」
 自信半々不安半々といった具合に言う杏虎に、眞虚もまた覚悟を決めたような顔で頷いた。

HOME