なかなか起き上がらないメリーさんを無理矢理引っ張り起こし(オバケの類だから恐らく大丈夫だろうとは思うが、気になるので)、杏虎と眞虚は近くのスーパーの敷地内にあるベンチへと移動していた。
「そんでさ、メリーさんがあたしらにお願いしたい事っていうのはつまり何?」
自販機から落としたばかりのお茶のボトルを開けながら杏虎が問うと、メリーさんは待ってましたとばかりに顔を上げ、電池を入れ直したお喋り人形の如く喋り出した。
「えっとね、あのねっ、大事な事。よーく聞いてね!」
――曰く。数ある"メリーさん"たちの中でも古霊町近辺を中心として活動している彼女は、つい何週間か前にも古霊町在住の人間をターゲットに定め、この商店街付近にやって来たという。
その仕事自体はいつも通り恙なく完了したわけなのだが、引き揚げ際になってふと気づいてみると、とある持ち物が無くなっているのに気付いた。それを一緒に捜してほしいのだ、と。
「それが『くまのぬいぐるみ』ってわけ」
メリーさんはあくまで強調するように、大真面目な顔で何度もそう言った。
続けて彼女が伝えるに、色はミルキーブラウン。大きさは少女の両手で全体をすっぽり包めるほどで、それほど大きくはないらしい。後は首のところにピンクのリボンがついている、とも。
「そのぬいぐるみって、まさか妖怪的なものだったりとか……?」
「ううん、全然。普通のぬいるぐみ」
恐る恐るの問いにあっけらかんとそう返され、眞虚は杏虎と互いに顔を見合わせた。目と目を交わし合う互いの頭の中には、恐らく同じような考えが浮かんでいるに違いない。
――じゃあ、それって美術部に頼むほどの事? と。
「町の交番には行ったの?」
メリーさんに顔を戻し、眞虚は尤もすぎてぐうの音もでない程の言葉を投げかける。あまりに模範解答的な反応だった。落とし物をしたらまずは交番へ。幼稚園児だって知っている常識である。
そんな優等生すぎる対応にメリーさんはムッと眉根を寄せ、口をへの字に曲げながら「行ったわよ」と言う。
「行った上で見つからなかったのっ! もうっ。……流石にオバケだからってケーサツを知らないなんて事は無いけれど、オバケの癖にケーサツに頼ったなんて仲間に知られたら一生モノの恥だわ……ったく」
あからさまに不機嫌になったメリーさんを見て、眞虚はほんのり困ったように息を吐いた。杏虎はというと、なんでもないような顔をしつつ「オバケも交番行くんだなあ」と感心していた。
ほんの数秒間を置いて、眞虚は思いついたようにこう切り出した。
「それじゃあ、何かこう、気配みたいなもので捜したりとかは?」
「……気配? それは一応感じては……とにかくこの商店街の近くにあるってことだけは分かるんだけど、それ以上がさっぱり。普段はそんな事ないんだけどなァ……まるで何かに守られてるみたいに、詳細な場所は全ッ然よ、ぜんッぜんッ」
「そっか……」
それは捜し物の難易度が高いと額を抑えた眞虚に、しかしメリーさんは言った。
「でもこの町にあることは確かなんだよう。それでいてわたしみたいなのに感知できないって事はさー、神社とかお寺とか祠とか、……わたしたちがあんまり寄りつけないような場所にある可能性が高いんだよね。……だからさ~~、お願い~。たすけてよ~~!」
メリーさんは駄々っ子めいた調子でそう言うと、神頼みするように「お願いお願い!」と両の手を擦り合わせた。……なるほど中々にしょうもない頼みではあるが、こんなことをメリーさんが頼れそうな人間なんて、確かに北中美術部を除いて他に居そうにはない。彼女も彼女なりに必死なのだ。
眞虚はそんな彼女を面倒だなと思いつつ、けれども狩口という共通の知り合いで繋がっている手前、メリーさんの頼み事を聞くことを承諾した。わかったよ、と。
一方、それまで話に耳を傾けつつもたまに相槌を打つだけだった杏虎はというと。丁度ペットボトルを空にし終えたらしく、一抹の未練も感じさせない動きでボトルから唇を放し、何食わぬ顔で喋り出した。
「話はまあ分かった。……ところで敢えて聞くけど、そのぬいぐるみってあたしらに頼って捜すほどに大事なもんなん? モノだけならどこにでも売ってそうな普通のぬいぐるみなのに? どうしても無くしたものじゃないと駄目なわけ?」
問いながら空のボトルをゴミ箱に投げ入れる杏虎の態度に、メリーさんは再びムッとした様子で顔を顰めた。
「んもう……。確かに、どこにでも売ってそうで普通なぬいぐるみなのは否定しないわ、否定しないけど……! ……でもそれじゃないと駄目なの。……一応は思い出の品だし」
「思い出?」
「そう! わかるでしょ? プライスレスなんだからっ」
強調するようにそう言ったメリーさんの様子を見ながら、杏虎は考える。
巷でささやかれる"メリーさんの都市伝説"。居場所を追ってくる不可解な電話の主。それを基本形とした派生形の中に、『くまのぬいぐるみ』が絡む話なんて、果たしてあっただろうか?
(そもそも『メリーさんの電話』はメリーさんに自分の居場所に辿りつかれる事がお話のゴールなわけで、姿その他正体については語られないに等しいから……くまのぬいぐるみ持ったメリーさんが存在してもおかしくはないっちゃおかしくないんだけど)
機械的に電話を掛け続けるだけの恐怖の存在として語られる彼女が、その恐怖を与えるべき人間に頭を下げてまで捜したいぬいぐるみとは、一体どんないわく付きなのか……。
オカルト絡みは好きな杏虎ではあるが、それらに少なからず絡んでいる「人情話」の方にはというと、他の部員たちほど興味を持っていなかった。だがこの時この瞬間の彼女は、メリーさんの思わせぶりな反応に少なからず興味を持ち始めていた。
――メリーさんが単なるくまのぬいぐるみを求める理由を知りたい。
(どうせ今から帰るところで暇なんだし、ちょっとくらいは付き合ってやってもいいかな。寄り道してく口実にもなるし)
好奇心とちょっぴりの邪念。中学生らしいと言えば中学生らしいそんな思いを一瞬で巡らせ、杏虎は首を縦に振ることにした。
「まあいいや。とりあえず思い当たる節捜すの手伝うよ?」
「本当に? ありがとう!!」
勿論、当の邪念そのものは隠したままで。
それから彼女らは一度来た道行ったり来たり。人気の多い本道付近の地蔵・道祖神の類を確認する事からはじまり、探索場所はやがて横道・裏道・細道と、次第次第に通る人しか通らない類いの道へと移る。
地味で地道な作業だったが、眞虚も杏虎もちょっと変わった散歩かオリエンテーリング気分で、寧ろ今まで素通りして気付いていなかった場所に地蔵を見つけた等と言い合っては楽しんでいた。とはいえ目当てのくまのぬいぐるみは中々見つからず、夏の盛りから比べるとぐっと短くなった陽も容赦なく沈み。三十分も捜した頃になると、辺りはすっかり宵の気配に包まれてしまっていた。
「なんか、本当にこの辺りにあるのかなって気がしてきちゃった……」
一旦休憩と立ち寄ったコンビニの軒下で、眞虚はがくりと肩を落とした。メリーさんもすっかり意気消沈と言った様子で、あからさまにしょんぼりしながら硝子の壁に寄りかかっている。杏虎はというと、相変わらず何食わぬ顔のまま入店したと思うと、一分もしない内にグミなんぞを買って帰って来た。ちゃっかりしている。
「あと行って無い場所どこよ?」
いかにもグレープ味のそれを口に放り込みながら言う杏虎に、眞虚は何か物言いたそうな顔をした後、しかし何も言わずに少しの間考えてから、「神池に祠とかなかったっけ?」と口にした。
「ちょっと商店街とは離れちゃうけど、あそこに弁天様だか龍神様だかの祠があったような気がする。そこじゃなかったらもう夜都尾か童淵の方まで行くしかないかなぁ……」
「そっか……ふむ」
杏虎は素っ気なく返事をすると、口中の甘味を咀嚼しながら空を見た。日没直後の空は未だ夜空と言うには遠いものの、東の果てから追いかけて来る闇の気配をたっぷりと含んでおり、間もなく黒へと染まっていくだろう。
乗り掛かった舟とは言え、明日へ持ち越すのは些か億劫。うかうかしている時間はない。そう判断し、杏虎は上下の歯で虐め尽くした柔らかいものをごくりと飲み込んだ。
「――急ぐとしますか。神池行くよ神池ー」
一人納得したように言って歩き出す杏虎。くたびれた様子はおろか面倒がる様子すら見せずパッと行動する彼女に、眞虚もメリーさんも一瞬キョトンとして、それから慌てて後を追った。
「……小鳥ちゃん小鳥ちゃん! あの、白薙ちゃん? だっけ? ……あの子って変わってるってよく言われてない?」
メリーさんは困惑気味に眞虚に囁きかけるが、返ってくるのは曖昧な微笑み。
「うーん、まあ、ちょっとはね?」
「ちょっとって何? ちょっと??」
誰か言ってたけど、最近の中学生はよくわかんないわ。メリーさんはそんな思いを抱きつつ、けれどもあまりに唐突な自分の頼みを聞いて動いてくれた彼女を信じ、スタスタと迷いなく進む杏虎に追い付こうと歩調を速めた。
――その時だった。
「うしろの正面だーあれー」
メリーさんの耳は声を捉えた。聞き覚えのあるわらべ歌。子供の遊び。かごめかごめ。
さも愉快そうに歌い上げられたその一節が終わると同時、メリーさんの背に鋭い感覚が走った。
痛み。刺すような……否、刺されている。背の中心から胸まで貫く激烈な痛み。
あまりの痛さに熱と誤認するようなその感覚を最後に、メリーさんは夜よりも深い闇の中で砕け散った。
消滅する視界と崩落する自我の狭間で彼女が聞いたものは、どこかで泣き続ける誰かの声。
(そうだ、わたし、そレで……だから…………くマのぬいぐルみ……に、)
思い出しかけた昔日の景色。だが忘れてしまえば怖いものなど無い、失うものも無い。後悔も無ければ悲しみも無い。
無こそ真理、在るべき姿。
壊せ、乞わせ、毀せ。
「――全ての過去を破壊せよ」
崩れ落ちたメリーさんの『抜け殻』を抱き留めて、【月】のアンナはニヤリと笑った。