怪事捜話
第十四談・メリー・メリー・コールミー④

「ふうん、小鳥ちゃんは盲腸の手術したんだ? お鍋とか食べて大丈夫なの?」
「大丈夫。手術自体はもう一月くらい前だし、もう色々食べられるよ」
 メリーさんの疑問に笑顔で答え、眞虚はすっかり味の染み込んだ大根を一口噛んだ。
 鍋パーティはほぼ初対面の眞虚とメリーさんが打ち解けるほどに進み、大分具の消えた鍋を見て、狩口はそろそろご飯が必要かと思い始める。
 燈見子はすっかり中身の尽きかけた2リットルペットボトルから烏龍茶の最後の一口をコップに零すと、既に用意してある新しいボトルを開けていいかと狩口に訊ね、了承の言葉が出ると同時に「私のにも注いで」とメリーさんが挙手をする。
 参加者の半分以上が只の人間ではないというのに。呆れるくらい平和で、普通すぎる程に普通な鍋パーティの光景が、そこにはあった。
 そんな非日常的なモノたちの繰り広げる日常的過ぎる遣り取りを見て、眞虚はクスリと笑みを零した。
 彼女の周りには怪談として語り草となった『耳元まで裂けた口が』少なくとも二つばかり広がっているというのに、眞虚はちっとも怖くは無かった。むしろ、過去に大勢の子供たちを怖がらせてきたその口におでんの具材がひょいひょいと放り込まれていくその光景が、あまりにシュールで。そう言った意味でつい吹き出しそうになるのと同時に、狩口と燈見子の背景・・を知る眞虚は、自然とほっこりとした気分になってしまうのだった。
 よかった。本当によかった、と。
 そんな風に眞虚が思ったほんの数十秒後に、狩口と燈見子の間で最後の肉を賭けた非常に大人げない小競り合いが始まってしまうのだが、それもまた日常を逸しない範囲内のたわむれで、パーティそのものは和やかな雰囲気のままに終了した。
 楽しい時間ときというものはいつだってあっという間の事であり、眞虚が名残を惜しみながら開けた狩口家の玄関の外には、既に哀愁誘う暮れの気配が漂っていた。
「ごちそうさまでした狩口さん。楽しかったです」
 くるりと振り返って礼を述べる眞虚に、すっかりいつものマスク顔に戻った狩口は、目だけでニコリと微笑んだ。
「またいつでも来てね。今度は美術部の他のみんなも一緒に鍋パしましょ」と、次回に乗り気な狩口に「是非」と笑顔を返す眞虚。うやうやしく頭を下げ、手を振る狩口と燈見子(彼女はもう少し遅くまで滞在するらしい)に手を振り返し、彼女は橙の光差す帰路を歩き出すのだった。
 住宅街のやや狭い路地を抜け、商店街の通りへ。商店街そのものは寂しくシャッターで閉ざされている店舗が半数近くを占めるものの、ほぼ町境であり、住宅街や国道も近いこの道そのものの交通量は決して少なくはなく。休日というのも相俟あいまって、眞虚の行く歩道の傍らには先刻から何台もの車が行き交っているし、歩道の人通りもそこそこある。
 そんな、決して人目がないわけではない――寧ろ古霊町のような田舎の平均からすれば多すぎる程の人目の行き交う道で。眞虚の行く歩道と車道とを隔てる縁石の上に立ち、眞虚に並び歩く影が一つ。――メリーさんである。
 ロココ調のドレスよろしく横に大きく膨らんだシルエットの衣装を纏いながら縁石の上を行く危なっかしい少女を、「危ない」と叱る者もなければ、クラクションを鳴らして注意を促す車もまた、今の所は存在しない。ただでさえ目立つ風貌の上に、陽気に鼻歌まで歌っているのにも関わらず、だ。
 だがそれもやむなし。現在のメリーさんの姿は、ごく一部しか存在しない視える・・・人間や、彼女自身が姿を晒す事を選んだ相手以外には視えていないのだから。
 それは、先刻まで無邪気に鍋をつついていた彼女が人知を超えた存在であることの、何よりの証明であった。とはいえそのような存在にはすっかり出会い慣れてしまった眞虚は、チラリとメリーさんに視線を送ると、他者に怪しまれない程度の小声で彼女に話しかけた。
「どこまでついてくるつもり?」と。
 雑踏に掻き消えそうなその声に、けれどもメリーさんはしっかりと反応し、鼻歌と共にピタリと足を止めると、ふっと眞虚の方を見遣った。
「そんな『お邪魔虫』みたいに言わなくてもいいじゃんさ、一緒にお鍋つついた仲じゃん?」
 メリーさんは事も無げにそう返し、眞虚に視線を遣ったまま再び歩き出した。よそ見をしていても流石は人外とでも言うべきか、まるで足元にも目がついているかの如く、その足取りは安定していた。
 眞虚は「そうだけども……」と溜息交じりに呟くと、目の前で赤に変わった信号に足を止めその横で縁石から降り立ったメリーさんを改めて見遣った。
「確かに全く知らない相手ヒトってわけじゃなくなったけれど、でもだからって、私の帰り道にずっとついてくるのはおかしくない?」
「あ、やっぱそう思う系?」
「やっぱって……」
 わかっていながらやっていたのかと呆れながら、眞虚は「それで」と言葉を続けた。
「ついてくるってことは、私に何か用があるってことだよね?」
 眞虚がちょっぴりいじけた表情になりながらそう言うと、メリーさんはご明察とばかりに口角を上げた。
「そゆことそゆこと。話が早くて助かるねぇ」
「……なら、なんで狩口さんの家で言ってくれなかったの?」
「んー……だあってぇ……」
 メリーさんが勿体ぶるようにそう言ったところで、歩道の信号が青へと変わる。眞虚はそれを確認してから、更にはメリーさんが既に歩き始めたのを確認し、彼女と数人の歩行者にやや遅れて歩き出した。
 ――と、ほんの数メートルの距離を歩く中、眞虚はふと気づく。趣味なのか、それとも何かジンクスでもあるのか、メリーさんは横断歩道の白いラインだけを踏んで歩いている事に。
 本来の歩幅を無視して、何が何でも白いラインだけを踏もうと足を動かす彼女は、随分と不格好な歩き姿であった。

 短い歩道を妙な大股で歩くロリータ少女。シュールである。

 ともすれば笑ってしまいそうになるその姿を極力視界に収めないようにして、眞虚は何とか無事に横断歩道を渡り切る。
 ふと横に目を移せば、何事も無かったかのような顔で新たな縁石の上に立つメリーさんの姿。
(縁石に立つのもなにか意味があるのかな……? 高おに・色おに的な……)
 内心首を傾げる眞虚の気持ちを知ってか知らずか、ほんのちょっぴりだけ高所に立つメリーさんはというと、えらくマイペースな様子で先程勿体ぶった言葉の続きを喋り出すのだった。
「だあってさぁ、ぐっちゃんたちは小鳥ちゃんの快気祝いって事でやってたのに、ぽっと出のわたしが横からなんやら頼んだりしたら超絶KYケーワイじゃん? 空気読めって感じじゃん?」
 などとイマイチ何が言いたいのか分からない主張をしながら再び横にピタリとついて歩く彼女を見上げ、痺れ切らしたように眞虚は言う。
「……要するに私に何かしら用があるって事だよね?」
「うん、そうそうそう。そういうことですハイ」
 若干イラッと来ている眞虚とは対照的に、メリーさんは明るくそう言い切って手を叩いた。そして「そう言う事なら早く言ってよ……」と眞虚が思う中、メリーさんは漸く己の腹の内を語り出した。
「小鳥ちゃん、キタチューのビジュツブなんでしょ? ぐっちゃんがそう言ってたもん。……実はさ、それを見込んで一つお願い? というか、そんな感じのがあるのさね」
「私が美術部であることを見込んで……? どういうこと?」
「え、いやホラ、知らない? 今ね、古霊町近辺のわたしたちみたいなやつらの間で有名なんだよ? キタチュービジュツブ」
 疑問符を浮かべる眞虚に答え、メリーさんは言った。
 どうやら、今や眞虚たち北中美術部の活躍・・は、この近辺に棲む都市伝説的存在の間でも有名であるらしい。
 曰く、『暴走常態の"ひきこさん"と戦える程の強さと呪術の類に屈しない謎のタフネス、それでいて"口裂け女"の悩み事を解決する懐の広さを持った、なんかとりあえずヤバい集団』として伝わっている――と。
 眞虚はもはや人で無きモノの間にも美術部の事が伝わっている事に驚き呆れつつ、けれど一つほぼ間違いなく言える事を確かにするために口を開いた。
「……それ広めてるの狩口さんでしょ?」
 ジトリと。この場に居ない人物への呆れを代わりにぶつけるように彼女が見上げた視線の先で、メリーは能天気にコクリと頷くのだった。
「うん。別にいいっでしょ、ぐっちゃんも嘘は吐いてないんだしさ~」
「確かに嘘は吐いてないけど……」
「よかった。それじゃまあ、そんなわけでそんな感じにお願いなんだけどさ――」
 なんか簡略化されすぎて極端な伝わり方してる気がする。……と眞虚が思う中、メリーさんはようやく「お願い」についての本題に入ろうとした。……のだが。

「あ、眞虚ちゃんじゃん。そういえば鍋パどうだった?」

 突如背後から投げかけられた第三者の声によって、それは遮られてしまったのだった。
 その声はメリーさんにとっては知らない誰かの声であったが、眞虚にとっては知っている、そして非常に聞きなれた人物の声だった。
 何せ彼女・・と眞虚とは学校では同じクラスであり、放課後の部活の時間・・・・・まで共に過ごす友人だ。聞き間違う筈もない。
 知らない誰かの声に怪訝な表情を見せるメリーさんと、馴染み深い第三者の声に安堵する眞虚。それぞれ異なる感情を胸に抱きながらも同時に振り向いたその場所には、案の定、眞虚にとっては見知った少女の姿。
 噂をすればなんとやら、ということか。すっかり秋本番といった感じの私服に身を包んだ、北中美術部・・・・・・白薙杏虎の姿があったのだった。
 一人で買い物か、或いはどこかからの遊びの帰りか。載っていた自転車からスッと降りると、杏虎は不思議そうに首を傾げた。
「……っていうかそっち誰?」と。言った彼女の視線が完全にメリーさんを捉えている辺り、流石は強力な霊視眼・虎の眼の持ち主といったところだろうか。
 しかしそんな事など知りもしないメリーさんは、ハトが豆鉄砲を食ったような顔で固まっている。
「えっ、えっ……?」
 たっぷり数秒硬直した後、やっと絞り出すように意味のない言葉を繰り返すメリーさんに眞虚は言う。
「友達。杏虎ちゃんっていうの」
「………………視えるひと?」
「うん、まあ……」
 眞虚が曖昧な返事をして自転車を押してくる杏虎に向き直った辺りで、メリーさんは漸くピンと来たのか、パンと両のてのひらを合わせた。
「ああ、ビジュツブ!」
 独り言にしては大きすぎるその言葉を耳に、眞虚も、そして杏虎もまたメリーさんに向き直る。
 特大のクエスチョンマークを内包した二対四つの瞳の向かう先でメリーさんは、さも嬉しそうに両手を上げて、「やったー!」と飛び跳ねる。
「やったやった! まさか噂のビジュツブに更に出会えるなんて幸運だわラッキーだわ、素敵にプレシャスで最高にハッピーって感じっ、って、……ふうぁえっ!?」
 杏虎という二人目の美術部メンバーに遭遇し、有頂天とでも言わんばかりのメリーさんが奇声を上げたのには、それなりの……という程でもないにしろ、れっきとした理由がある。
 何て事はない。着地ざまにヒールを縁石に引っ掛けてバランスを崩したのである。そして彼女は転倒。それも顔面から歩道側のコンクリートへと、思いっきり。びたーんと。まるでコントか漫画のように。
 そのあまりにもあんまりな光景を目の当たりにした杏虎は、結果として存在する惨めな姿の少女を指して言う。
「なにこれ?」と。明らかに憐れみを含んだ声で。
 それに答えるのは、咄嗟に斜めに飛び避けた眞虚の声。
「メリーさんだよ……」

 二人分の冷めた反応を浴びながら、しかしなかなか起き上がらないメリーさんは右の親指を力強く天へと向けた。

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