怪事捜話
第十四談・メリー・メリー・コールミー①

 からんと鉄の、渇いた鈴の音。
 渡り廊下の屋根から並び吊るされたそれらを鳴らしに鳴らし、巫女装束の少女は行く。
 彼女の向かう先は深夜の夜都尾やつお稲荷本殿。大神社とはいえとうに明かりも落とされ施錠された筈のその場所からは、暖かな光が微かに漏出していた。
 只でさえ人の出入りの少ない場所である。宮司が既に戸締りしたとなれば、泥棒か、近隣の不良の悪戯を疑うところであるが、巫女は特に警戒する事もなくその扉に手を掛けた。施錠されていたはずの扉は僅かに軋み、そこから先は特に抵抗もなくするすると開いていった。
 しかし、巫女に戸惑いはない。さもそれが当然であるが如く涼しい顔で扉を開放し、それから本殿の明かりの中を見遣ってフッとほほ笑んだ。
「これはこれは、皆様お集まりのようで」
 慇懃いんぎんにそう言い放ち、頭を下げた彼女の正面。光源もないのに眩い光に包まれたその場所には、巫女である彼女にとって仕えるべき者たちが。人のナリをして人で無く、しかし妖怪アヤカシ化生けしょうの類とするにはいささとうとい気配を持つ者たちが集っていた。

 古霊町北面・神逆かむさか神社祭神・薄雪媛神うすゆきひめのかみ
 古霊町東面・童淵わらべぶち神社祭神・弥都波能売神みずはのめのかみつかい・人に秘薬を伝え疫病より助けた事から祀り上げられた河童・伯瑪ハクメ
 そして古霊町南面・夜都尾稲荷神社祭神・宇迦之御魂神うかのみたまのかみ代理・妖狐文徳みのりと、神社付近の野池の神・龍神輝水キスイ
 大凡おおよそ古霊町を代表する神々と神々の遣いに属するモノを前に、巫女の少女は――八尾異は。臆する事も動ずることもなく、静かに緩やかに口角を上げた。
 そんな彼女の到着を見て、先ず薄雪が口を開いた。
「来る頃だと思っておったよ八尾巫女。わしらがこうして出向いてきた理由は言わずもがなわかっておろう? まあ座れ」
 山を司る白い女神はそう言って、いつの頃からかその場にあった白い団子をひょいとつまみ、ひづめの手で木張りの床をトントンと叩いた。
 異がそれに従い入り口付近に腰を下ろすと、小ぶりな口いっぱいに団子を頬張る薄雪に代わり、今度は河童の伯瑪が口を開いた。
「……っかしおさんよ、こん頃は裏であれこれ動き回ってるみてだが、あれだけあんたけ人の事さ関わりたぐ無えっつったくせして、何をたくらんでんだ?」
 訛りの強い河童は、どうやら異が学校で王宮や天神坂・幸福ヶ森らに怪事事情について明かした先日の件はどういうつもりなのかと問い質しているようだった。
 八尾異。夜都尾神社の当代宮司の娘にして、現代の古霊町で最も心霊適正・・・・を持つ巫女。多くの人間が霊や妖怪・神の類を信じなくなり、それらを視る能力ちからを失ってしまった現代において、八尾異は神霊人外を視るのみならず、神の類と心を通わせ人の心の裏や少し先の出来事を予見する、たぐまれな才能を持って生まれて来た。
 それは正しく、人間ヒトが太古の昔に失ってしまったかんなぎの力。しかし現代ではあまり重宝されないその力のせいで大なり小なり不愉快な思いをしてきた彼女は、いつの頃からか己にその力があることをはぐらかすようになっていった。学校にも気の向いたときしか行かなくなり、しかし彼女が休んだ時に限ってあまりよくない事が起こったりする事から何かしらの噂は立つも、彼女自身はその因果関係をずっと否定してきた。あくまで偶然だと。特に見えているものの全てに関しては、彼女自身が友人と呼びはじめた烏貝乙瓜にすらしらを切った程だ。
 そんな彼女が、今更になって怪事と殆ど関わりのない者たちに事情を打ち明け、己が正体を明かすような真似をしたのは何故なのか。その真意を問うべくして、今日この場に神々は集まったのであった。
 山神と水神の遣いの射抜くような視線を受け、夜都尾の巫女は困ったように眉尻を下げた。
「企んでるだなんてとんでもない、ぼくはぼくなりにあなた方神属の為になればと思って動いているだけですよ」
 河童の問いにそう答え、異は場の中央に座する己の神社の狐・文徳を見た。
「貴方からも何か言ってやってください、文徳みのりぎつね
 そう異の呼びかけた狐、長髪の男の姿を取るこの狐は、嘗てこの地の人々に乞われつつも大霊道関係までなかなか手の回らなかった稲荷神が、己の代わりにとスカウトしてきた暇そうな妖狐だった。
 単なる代理である分、ともすれば河童よりも神性の低い可能性もある彼は、巫女の視線を受けてニコリと胡散臭く笑った。
「まあまあ皆さん、うちの巫女にも何やら考えがあるようですし、ね。ここは一つ彼女の判断に任せてみたらいいじゃあないですか」
「そうは言っても文徳狐、この娘子むすめごの独断は吉凶どう出るか、神の儂にも分からんのじゃぞ」
「んだ。好き放題ほうでいやらしてまた首の家・・・みでぇな事さなっだらどうすんでぇ」
 なあなあとする狐の言葉に薄雪と伯瑪は口々に抗議して、それから未だ沈黙を守っている野池の神へと視線を向けた。
「のう、お主はどう考える。輝水よ」
 薄雪が問う先で輝水は手にしたお猪口ちょこを置き、ほろ酔いの赤ら顔を上げて一言。
わらわはどうでもよい」
「……なんじゃと?」
 思わず顔を顰める山の神に向けて、野池の神は「どうでもいいと言ったのじゃ」と繰り返した。
「二度も言わせるでない、妾は妾の池と池の鯉妾の子らが損害を被る事さえ無ければ、八尾巫女が何をしようが一向に構わんと申したのじゃ、媛神」
 欠伸交じりにそう言って、輝水は再びお猪口を手にした。
仕方しゃあねえもんちゃな」
 その様を見ていた伯瑪は呆れ顔で酒瓶を手に取った。薄雪も薄雪で少しムッとした表情でまた団子に手を付け、それを口に放り込む前に文徳を睨みつけて言った。「それで、何かあった時は当然お主が責を負うのじゃろうな?」と。
 文徳はこれまた胡散臭く笑い、「当然じゃあないですか」と、ヒラヒラと手を振った。
「こちらの巫女ものの不始末の責はこちらで取りますよぅ。尤も、不始末があればの話ですけども」
 化け狐らしくケケケと笑い、文徳狐は再び異に目を向けた。
「とまあそう言うことで。できるだけ私が頭を下げなくていいような範囲でお願いしますよ、正巫女殿・・・・
 光源とは関係なしにギラリと輝く黄金の視線を直に受けて、同じく黄金の瞳を持つ人間は「勿論ですとも」と頭を下げた。


 神のたむろする本殿を後にし、拝殿の賽銭箱の前に腰かけながら異は考える。
 古霊町の神たちは皆【灯火】の草萼火遠と面識を持ちつつも、【灯火】に完全に与する事なく、神や神の遣いとしての独自のスタンスを保っている。現時点で比較的【灯火】に協力的なのは、それぞれの神社の成立過程や歴史の中で大霊道の封印に関与してきたからという部分が大きいだろうが、霊道が関与しない時は殆ど傍観に徹していると言っても過言ではない。
 唯一、太古の昔にこの地に蔓延はびこった悪鬼悪霊と戦い封じた薄雪だけは、神域に保管されていた退魔宝具を持ち出して、【灯火】と【月】の戦いにほんの少しだけ介入している様子があるのだが――。
(けれど薄雪神自体には往年の力はもう無い。となればやっぱり、頼みの綱は美術部の彼女たちなんだろうなあ)
 体育祭の時の美術部の面々を思い浮かべながら、異は月のない夜空を見上げた。日付が変わって九月二十九日、新月だった。明け方には輝かない月が人知れず上り始めるだろう。陽光を夜に反射する巨大な鏡を失った空には、秋はじめの星々が賑やかに輝いていた。
 そんな空を見上げながら、異は数週間前に見た夢を思い出す。丁度あの体育祭の直後、校内での事件の前に見た夢を。
 それは、得体の知れない巨大な怪物が、北中校庭に現れる夢。見覚えのある美術部の面々がそれと対峙し、しかし何故か戦うことが出来ずに立ち尽くす夢。
 単なる夢にしては妙に具体的なそれを、異は直感的に正夢であると感じた。それは何も突飛な発想ではなく、巫女として強い能力を持った彼女の経験がそう思わせたのだった。
(遠からぬ未来、北中に、そして美術部に危機的な状況が訪れる。だけどそれは大霊道絡みの事ではなくて、もっと別の……【月】と【火】と、そして【薔薇】の争いと思惑の入り混じる中で起こる何か・・。だからぼくはぼくでそれらと全く関わりのない第三者に保険・・を掛ける事にした……)
 ふぅと息を吐き、異は地上に視線を戻した。その視線の先に、先程までは無かった人影を認め、異は僅かに目を見開いた。
 そこに居たのは、異と似たような紅白の装束を纏った女性だった。しかしその頭長には三角の獣耳が生え、その耳から地続きの頭髪までが輝くような金色だった。
 ともすれば何かのコスプレのような風貌ふうぼうだが、夜風にさらりとなびくその髪の質感は安いウィッグなどではなく、ぴょこりと動く獣耳も本物のようだった。そして何より、そんな姿でいながらわざとらしさのない雰囲気が、彼女が元々そういうものなのだ・・・・・・・・・と主張していた。
 そんな、明らかに人間とは違う存在を前に、しかし異はニッと笑いかけた。「ふさ」と。
 そう呼びかけられた獣耳の女は、やれやれと言わんばかりに腰に手を当てるのだった。
 彼女――房は文徳の妻であり、そして当然彼女も狐であった。その昔は古霊町から遠からず近からずの山神の下で竹林の姫・・・・たちの世話をしていた彼女は、元がそこらの妖狐故に神代理の仕事が疎かになりがちな文徳の監督者として嫁入りして来たのだった。
 そんな彼女は賽銭箱の異の隣へ腰を下ろすと、どこかわざとらしく己の肩を交互に揉んでいた。
「そっちもお疲れだったみたいだね」
「お疲れどころじゃあ無いですよ。ったく本当にあの方は、久々に会えたと思ったらとんでもない無茶苦茶を頼んでくるんですからもうっ」
「あははは、それは災難だ」
 いじけたように言う房に異は苦笑いを浮かべ、それから静かにその肩を揉み始めた。
「それで、そちらの方はなんとか収拾付いたのかい?」
「……まあ、これでも一応神の属に近い狐の私が手を貸しましたからねぇ。これにて一応一段落、暫くは何ともないでしょうよ。あの娘さんは・・・・・・
 言って、房はふっと目を細めた。

 彼女の肩凝りの原因は、二週間前に彼女の元を訪ねて来た旧知からの頼み事であった。

 ――草萼水祢。嘗て彼女がかの地の山神の眷属であった頃、そのめいに従って仕えていたのが彼だった。
 この地に嫁ぐ際に置いてきてしまった彼と再会したのが、ついこの間の夏祭りの事。存外近くに居た事を知った彼女たちは、以降用はなくともちょくちょく会う間柄になっていたのだが、その日に訪ねて来た水祢は、少し様子が違っていた。
 ――どうか力を貸してほしい。それが二週間前に水祢が房に言った言葉だった。
 そう言って頭を下げた水祢を見て、房は酷く困惑した。何故も何も、過去に主従であった頃、水祢がこんな風に頭を下げて他者に何かを請う姿を、房は一度も見たことが無かったからだ。しかも彼は己の為でなく、とある人間の為に力を貸してほしいと言うのだ。
 故に房は困惑し、……しかしそんな嘗ての主の姿に心動かされてか、己が力を貸すこととしたのだった。

「あの水祢様がご自分と火遠様の事以外で頭を下げるなんて、よっぽどの事態ですよ。そりゃあ驚いた気持ちもありますけれど、まあ、育ての親のようなものとしては嬉しくもありますからねぇ……」
 房は独り言のように呟いて目をつむった。
 まぶたの裏に浮かぶのは、あの病室で見た少女の姿。

 水祢の結界で現世と隔絶された病室のベッドの上には、肉体の殆どを浸食されて苦しむ少女――小鳥眞虚の姿があった。

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