怪事捜話
第七談・百鬼夜行スクランブル③

「変なオッサンに会ったァ?」
 その日の9時過ぎ。風呂も上がってすっかり寝間着に身を包んだ乙瓜は、ベッドに横になりながらそう言った。
 耳にはケータイ。通話の相手は戮飢遊嬉。
 電波の向こう側に居る遊嬉は、うんざりした口調で「そーなんよー」と返した。

 彼女たちの会話の内容――すなわち遊嬉が"変なオッサン"に会った云うのは、今日の帰路での事。
 弾丸のように駐輪場を飛び出していった乙瓜に遅れる事数分、遊嬉もまた己の自転車に跨り自宅への道を走り出した。
 ふんふんと鼻歌混じりに自転車を漕ぐ遊嬉の後方・荷台には、いつの間にか嶽木が座っている。
 それは彼女たちの間では珍しい事ではない。嶽木は遊嬉の契約妖怪として、こうして時々帰路の安全を見守っているのだ。……どこかの妖怪とはえらい違いである。
 ちなみにその時は姿を常人には見えないようにしている為、帰宅見回りの教師や警察に二人乗りを咎められる心配はない。何とも都合のいい話だ。
 そんな帰路の最中さなか、遊嬉は所々で変な・・人々とすれ違う。
 カメラを構えたその人々は、皆一様にさして景色も良くない上に何の名所というわけでもない場所を一心不乱に撮っていた。
「あれ何の集い? 野鳥の会?」
 幾度となく似たり寄ったりの姿を見た遊嬉は、不思議そうに首を傾げた。
「この頃時々見かけるね。撮ってるのは鳥ではないみたいだけど」
 背後の嶽木の言葉を受け、遊嬉は興味なさげに「ふぅん」と漏らした。
 車線のない細い道を曲がり、左右を杉木立に囲まれた坂を下る。
 下り坂な上に見透しが悪く恐ろしい道だが、遊嬉にとっては通いなれた通学路だ。
 重力任せにタイヤを回し、何の躊躇ためらいも無くスピードを上げていく。
 そんな道の途中、遊嬉は前方に普段は存在しない異物を発見する。
 その異物とは、ただでさえ狭い道を塞ぐように停めてあるバン車の後ろ姿であった。
 一応、バンの横にはほんの気持ち程度のスペースがある。
 だが、このスピードの自転車で切り抜けるとなると、それにはかなりの勇気が要る。
「チッ」
 遊嬉は舌打ちすると、ブレーキに回した指にゆっくりと力をかけはじめた。
 この坂の勾配でいきなりブレーキを締めたら、バランスを崩して飛ぶ・・ことになる。
 とはいえ、実際にここで飛んだ・・・こともなければ飛んだ人を見たわけでもないのだが、他者の前で恥を晒すような可能性を遊嬉のプライドが許さなかった。
 静かな杉木立の中にブレーキの甲高い悲鳴が鳴り響く。
 自転車は徐々にその推力を落とし、バンのギリギリ直前で進行を止めた。
「っぶねえ……ッ。……くそ! こんなところにでけえ車停めてんじゃねーよ!」
 どこにいるとも知れぬ車の主に対して悪態ついて怒鳴り付けながら、遊嬉は眼前のナンバープレートを睨み付けた。
 そこにはこの近辺の道路上では滅多にお目にかかれない、他県の地名が刻まれていた。
 ほどなくして林の奥から車の持ち主と思しき男が姿を現した。
 ブレーキ音と遊嬉の声を耳にして、慌てて走って来たのだろう。随分と息を切らした様子だった。
「ああ、ごめんねえ。大丈夫かい?」
 場を見て状況を察したのか、男は遊嬉に頭を下げた。
 そんな男に怒りの視線を向け、遊嬉は自転車のスタンドを立てた。
「……大丈夫だけど大丈夫じゃないですよ。ここ通学路なんですよ? ちょっとこういうのは停めないでもらえますかね?」
 あからさまに不機嫌な遊嬉を見て、男は更にペコペコと頭を下げた。
 しかし子供相手だからなのか、そのどこかヘラヘラした様子からは到底路駐を反省する様子は見えないし、当分ここから立ち去る気もなさそうだ。
 遊嬉はフンと鼻を鳴らし、改めて眼前の不審な男を見た。
 そしてその時初めて、彼がカメラを持っている事に気付いたのだ。――そう、それまで何度もすれ違った人々と同じように。
「……つか、おじさん・・・・何撮ってるんですか? 最近同じような人たちよく見ますけど」
「ああ、これかい? これはね……いや、なんでもないんだよ」
 遊嬉の問いに答えをぼかしつつ、男は何故かニンマリと表情を綻ばせた。
 その様子に遊嬉は表情を強張らせ、その足は自ずと一歩後方へと下がった。
 一方、彼女と共に在る嶽木は表情を険しくし、射殺すような鋭い視線を男へと向けている。万一遊嬉に危害が及べば、彼女は秒と躊躇ためらわず非情になれるだろう。
 だが嶽木の姿が見えない男はそんなことなど露知らず、何食わぬ様子で「ところでね」と言葉を続けた。
「君、その制服は古霊北中学校の生徒だろう? 美術部の子と知り合いじゃあないかなあ?」と。

「……うっわあなにそいつ。気っ持ちわりいなー」
 遊嬉の話を聞き、乙瓜は思い切り表情を歪めた。
 人気ひとけのない道に大きな車、カメラを持った男、女子中学生に馴れ馴れしい男……怪しい、怪しすぎる。
「それで、お前その後大丈夫だったのかよ? ……いや、今こうして電話してんだから大丈夫なんだろうけどさ」
「あったりまえよー。美術部云々は知りませんっつって全力逃走かましてやったわ」
 言ってあははと豪快に笑う彼女につられ、乙瓜もクスリと笑みを零す。
 恐ろしい事にその時の彼女たちは、大人に言えばまず間違いなく大騒ぎになるであろうこの話を、どちらもあまり大事であると感じていなかった。
 滅多にない事に加え、結果的に何事もなかったから故に、この話は"変なオッサン"に会っただけの笑い話となってしまった。
 ……或いは、遊嬉の話し相手が眞虚だったのなら、顔面蒼白どころの騒ぎではなかっただろうが――。
 乙瓜のケータイの向こう側――ケータイ片手に大笑いする遊嬉を見て、嶽木は深く深く溜息を吐いた。
「そんな笑い事じゃあ無いと思うんだけどなあ……」とぼやきながら、彼女はこれ以上遊嬉達におかしな事が起こらない事を祈った。

 だがその願いもむなしく……もしくは、予想通りというべきか。町に現れたカメラの集団は、それから各所で問題を起こし始めるのだった――。



 週末日曜日・深夜11時過ぎ。
 休日部活の時間などとっくに終わり、居残る教師も居ない北中校内は、すっかり黒々とした夜闇の中へと沈んでいた。
 森閑しんかんとした屋内を囲う窓の外からは、ひっそりと鳴く虫の音や、寂しく鳴くフクロウの声が幽かに染み込んでいる。
 そんな物寂しくも不気味な校舎の中、生徒会室にて。開け放たれたカーテンから煌々と輝く月を望み、裏生徒たちの集会がはじまるのだった。
「みんなもう分かっているとは思うけれど……」
 部屋の中心を囲うように並べられた長机の会議席、その最奥に座する花子さんは、神妙な面持ちでこう切り出した。

「今日の議題は――ここ数日で町のあちこちに出没している厄介な客人まれびとについてよ」と。

 ――厄介な客人。
 それはここ一週間以内の間に古霊町各所に出没するようになった、明らかに他所の市町村から――もしくは他県からも――訪れたとおぼしき例のカメラの連中の事である。
 狭い道や一見空き地のような私有地に駐停車したりと、地元の人間なら絶対にしないであろう所業を平然とやってのける彼らは、地元人の間では厄介な観光客として認識されつつあった。
 古霊町に観光客が訪れる、それそのものは別段珍しい事でもない。
 特に七月ともなれば古霊三大神社の一つである夜都尾稲荷の夏祭がある。
 これは毎年大賑わいを見せており、町の内外、ひいては県外からも多くの観光客が訪れる、町の一大イベントとなっているのだ。
 だが、件の祭はまだ一週間近くも先の事。
 普段の静かな神社の姿を見ておきたい神社仏閣マニアであるというのなら話は分かるが、件の観光客がカメラを構える姿が目撃されるのは、大抵なんでもない農道や墓地、そして一部曰くつきのスポットの近くなのだ。
 その曰くつきスポットの中には、当然の如く古霊北中学校も含まれていた。
 この休日中には何を血迷ったか敷地内に侵入する者まで現れ、ちょっとした警察沙汰にまでなったのである。

「――そこでその不審者が言った侵入理由が、これ・・なのよ」
 溜息交じりに言うと、花子さんはスカートのポケットの中から携帯電話ケータイを取り出した。
 怪談オバケの類の癖に最先端科学の結晶を当たり前のように所持しているというのが些かシュールではあったが、誰一人としてツッコミを入れない辺り、学校妖怪にとってケータイ所持くらいはもはや当たり前の事なのであろう。
 だがしかし、花子さんが見せたい"理由"とは何もケータイの事ではない。
 花子さんは慣れた手つきでケータイのボタンを操ると、ディスプレイに映し出されたものを皆へと向けた。
 皆の注目が一斉に集まったそこには、いかにも・・・・な黒背景といかにも・・・・な赤文字でこう記されていた。

『心霊・オカルト交流掲示板』

 そう、それは心霊・オカルト愛好家マニアの集う、インターネット上の掲示板だったのだ。
 画面をスクロールさせた先には様々無数の記事名スレッド・タイトルが並んでいる。
 書き込みが盛んなスレッドほど上部に表示される仕組みであるらしく、皆がどんな話題で盛り上がっているのが一目で把握できるようだ。
 どうやら今一番活気づいているスレッドは『最強のオカルトスポットを見つけてしまったかもしれない。』というものであり、括弧書きで添えてある書き込み数は七百を軽く回ろうとしている。
「この掲示板、普段は所謂『過疎』の状態だそうなのよ。数あるこの手・・・のコミュニティでもマイナーで、一スレッドあたり三十もいけば大人気ってところみたい。そんな最底辺でここまで伸びたの理由はね……」
 気怠そうにボタンを押し、花子さんは件のスレッドを開いた。
 表示された最初の書き込みには、スレ主のちょっとした恐怖体験エピソードと、その時撮影したという写真が貼りつけられていた。
 ……ご丁寧に、撮影場所まで添えて。

『身の毛もよだつ恐怖体験をしたい
 あるいは気軽に心霊写真を撮りたいってのなら、古霊町に行ってみろ
 あそこはヤバいぞ』

 最初の書き込みはそんな文章で締め括られていた。
 どうやらこの最初の書き込みと写真が他所の掲示板やコミュニティに転載されたらしく、あの迷惑な客人はそこから召喚されてきたようなのだ。
「なーんだそりゃ……」
 おおまかな経緯を知り、闇子さんはうんざりしたように呟いた。
「まーいど毎度、人間どもってのは馬鹿なのか? ネットに上がってる写真だの体験談だの、本物かどうかなんて知りようがねえじゃねーか。そんなのを真に受けて態々足を運んでくるたぁ……よっぽどの馬鹿で暇人だな」
「ヤミちゃん言い過ぎよ。……否定はしないけれどね」
「ったりめーだろ、あたしの言う事すなわち正論よ」
 闇子さんはさも当然と言わんばかりにそう言うと、腰掛けるパイプ椅子の背もたれいっぱいに寄り掛かった。
 不良学生のような姿勢で天井を見上げほんの数秒押し黙った後、彼女は上半身を再び机に預け、花子さんを見た。
「――で。だからどうしたってんだよ? 町に馬鹿迷惑なバカが大量に出没するようになったってだけで、あたしらに何の不都合が? いーじゃねえか、わざわざおっかねえ目に遭いに来てる物好きどもだ、放っておけばよ。学校の敷地に入って来ただの、人様の土地に勝手に車停めただのって話なら、そりゃあ既にあたしらの仕事じゃねえ、おまわりの仕事だろ? 関係ねえンだよ、あたしらには」
 知った事じゃ無い。彼女がそう吐き捨てるのも当然だった。
 彼女たちは妖怪。学校の怪談として存在する人でなきもの。
 その本分は本来人間を驚かせ怖がらせる事にあり、町に馬鹿がいくら押し寄せてきたところでなんの害も被らない。
 人間社会の地域トラブルなんて無縁の事、せいぜい怖がらせる標的が増えた程度だ。そんな事くらいは花子さんも重々承知の筈である。
 しかし花子さんは「それはそうなんだけどねえ」と肯定した後、たっぷりと溜息を吐いてから闇子さんの対面に座るに目を遣った。
 彼――たろさんは小さく頷き、口を開いた。
「実は……先日の古井戸への肝試しの件も、どうやらその書き込みに触発されての事らしいのでござる」
「あん?」
 闇子さんは眉を顰め、いぶかし気な視線をたろさんに向けた。「マジで言ってんのか?」と。
 たろさんは顔色一つ変えず再び頷くと、花子さんのケータイを借りて少しだけ操作をし、闇子さんに示した。
「ここに件の井戸の肝試し写真が上がっているのでござる。写っている人物、投稿の日付からして恐らく間違いないかと」
 ケータイのディスプレイの中には、五・六人の少年少女がいかにもそれらしい井戸の前で笑顔を浮かべ、ピースサインしている写真が表示されている。
 そのどこかで見たような顔からして、先の『古井戸の夢事件』の関係者で間違いないようだ。
「マジなのかよ。……つうか、こいつらこんな身バレしそうな画像上げてよく平気で居られるなァ? 肝試しっても一歩間違ったら不法侵入だぜ? 犯罪だぞ? うわぁ……」
「……そのドン引きはよくわかるでござる。しかし今重要なのはそこではないのでござるよ」
 たろさんは花子さんへ視線を送り、まるでバトンタッチと言わんばかりにケータイを彼女へと返した。
 受け取ったケータイをポケットへとしまった花子さんは、顔の手前で手を組みこう続けた。
「重要なのは馬鹿どもがいたずらに町内の心霊スポットを荒して、余計な怪事を起こす可能性を孕んでいるって事なのよ。というか、もう幾つかの史跡や塚に被害が出てるみたいね。……幸いオカルト的にはハズレ・・・みたいだけれど。でも、私が今一番危惧しているのはそんな事じゃないわ。――北中うちの美術部の事よ」
 美術部の事。花子さんはその場に集まるすべての人外たち一人一人に目を向け、しっかりと言い聞かせるように話し始めた。
「北中に関係する誰かが書き込んだのか、あのスレッドに美術部の噂が載ってしまっているの。どうやらわざと怖い目に遭って美術部の噂の真偽を確かめ素性を暴くのも、あそこの目的の一つになってるみたいだわ。……これはとても良くないわ。ねえ、皆?」
 その問いかけに、生徒会室中の人影が賛同するように頷いた。
 首のないモノもまた、同調するようにゆらゆらと体を揺らしている。反応の示し方は十人十色だが、皆花子さんと同じ気持らしい。
 それを確認すると、花子さんは言葉を続けた。
「……只でさえ面白半分で怪事を起こされるとあの子たちが困るのに、それに飽き足らずあの子たちの素性を暴こうだなんて。街の子供たちの噂止まりならまだしも……あまり許される事じゃないわ。既に現世の存在でない私たちがいくら撮られようがかまわないけれど、あの子たちは幽霊妖怪と戦う力がある以外は普通の女の子なのよ。妖怪わたしたちと関わりを持ったことであの子たちの日常が侵されるなんて、そんなことが許されて良いわけがないのよ。だから――」
 彼女はそこで一旦言葉を区切り、大きく息を吸い込んでからこう宣言した。

「そうね。明日夜7時から。ゴミ掃除を決行したいと思います」

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