怪事捜話
第七談・百鬼夜行スクランブル②

 その日の放課後は平和そのものだった。
 相談箱の「美術部宛て」には古井戸の件を心配するような手紙がいくつか入っていたが、それは数日前に解決済み。他は他愛もない相談やお門違いの恋愛成就や成功祈願のお祈りみたいな内容であり、急を要するようなものは皆無。
 キナ臭い噂も無く、北中・古霊町周辺の怪事事情に異常なし。
 故に美術部二年は、軽く校内の見回りをした以外は殆ど普通の・・・美術部活動に勤しんだのだった。
 鉛筆がスケッチブックの上でさらさらと踊る。
 そんな普通に当たり前の美術部的光景を前にして、歩深世は感動のあまり涙を流した。
「これだよ……! これが本来あるべき美術部の姿なんだよ……!」と。
 そんな深世の感動を他所に、遊嬉はスケッチブックに向けて一心不乱に動かしていた手を止めた。
「よし完璧」
 満足げに呟いて顔を上げた遊嬉の掲げるスケッチブック上には、簡略化された北中の見取図のようなものが描かれていた。
 見取図、といったものの、縮尺なんて合わせる気のない、どこがどこであるかが分かりさえすればいいと言わんばかりの雑な図である。
 そんな図の中にはところどころ丸印がつけられており、それと共にいくつかのメモ書きが記されている。
 そんな遊嬉の力作を覗き込み、乙瓜は尋ねた。
「何作ったんだ、これ?」
 如何にも不思議そうな表情を浮かべる乙瓜を見て、遊嬉は得意げにこう言った。
「今までに遭遇した怪事のまとめ」
「まとめぇ?」
 乙瓜は訝しげな様子でしげしげと図を見つめ、数秒の後に納得したように頭を振った。
 確かに、その図の中には「二階西女子トイレ、○…花子さん」「音楽室、○…ピアノ幽霊(解決済み)」のように、これまで校内であった怪事についてまとめられているようだった。
 校庭の「足幽霊」や校外で起こった「ひきこさん」の事については空白に「(校外)」として記されている。
「っていうか、わざわざこんなもの作ってたのか……」
「こんなものとか言うなよー。折角作ったのにさー」
 遊嬉は不貞腐れる様に口を尖らせた。対し乙瓜は「暇人だなあ」と溜息を吐いた。
 かく言う乙瓜もまた謎のゆるキャラがえげつない戦いを繰り広げる図をスケッチブック上に展開しており、決して偉そうに言えた立場ではないのだが。
 ちなみにこの時魔鬼は魔鬼で新しい必殺技(魔法)のネーミングを考えており、杏虎は杏虎でかっこいい武器の形態について考えていた。
 流石は不良美術部の名をほしいままにしてきただけの事はあるということか。深世が知ったら血の涙を流すだろうが、本人はその事に全く気付いていない。
 唯一眞虚だけが秋口の芸術祭用の絵の構図を練っているのは不幸中の幸いだろうか。

 そんな大半が不真面目な先輩どもを他所に、一年部員たちは芸術祭に出展する合作パネル画について話し合っていた。
「それじゃあ、テーマはこの二つに決まりでいいかな?」
 そう言ったのは鬼無里きなさ結美むすびだ。
 寅譜とらつぐ結美ゆえみ異音同字・・・・の名を持つ彼女は、物静かな寅譜とは対照的に活発で人見知りしない性格であり、美術部一年の間では中心的な存在である。
 今日も今日とて彼女が皆の議長的な役割をこなし、前もって考え出された複数のテーマ・構図案の中からどれを採用するかを話し合っていたところだ。
 そして丁度今、その話し合いが終わったところなのだ。
 一年生の合作テーマは『七夕・天の川』、『実りの秋』。六人の部員が三人ずつふた班に分かれて製作に取り組む。
 前者は秋口に発表する作品としては少々時期外れな気もするが、去年某先輩どもが怪事を解決しながらしれっと製作した『三途の川』に比べたらかなりまともで素晴らしいテーマであることは言うまでもないだろう。
 ちなみに『七夕・天の川』に取り組むのは古虎渓明菜とその友人岩塚柚葉、そして寅譜の三人だ。
「こういう大きな作品作るのって初めてだけど、えっと、その、がんばろうね!」
「当たり前じゃん、いい絵描こうぞ」
 いかにも青春な言葉を交わす明菜と柚葉の手によって、おどろおどろしい『三途の川』が白ペンキの下に消えてゆく。
 予算もスペースも限られている為、特に賞にも入らなかった過去の作品から塗りつぶして使いまわすのが通例なのだ。諸行無常である。さらば儚き中二病遺産。
 ちなみに皆が三途の川と呼んで恐れるその作品の正体がとある生徒の目から見た北中裏手の精霊しょうりょう川の景色であったことは、ついぞ誰にも知られぬままであった。
「後はペンキが乾けばいつでも下絵描き始められるね」
 真っ白に染まったキャンバスを見て、寅譜がふぅと息を吐いた。三途の川は浄化されたのである。
「そうだね乾けば……つっても、今日もう時間なさそうだからここまでかねー」
 柚葉は言ってチラリと時計を見た。夏季で一番部活時間が伸びているとはいえ、時計の針はとっくに6時を過ぎていた。
 もう片方の班もまたキャンバスを塗りつぶしただけで、あとは片付けの時間で終わりそうな様子だ。
 ずっと自分の絵のテーマについて考えていた深世もその時になってようやく顔を上げ、時間を見て「一年そろそろ」と指示を出す。
「ここまでで終わりだねぇ」
 柚葉はやれやれと頭を振ると、ペンキのついた絵筆を持って流し場へと向かった。
 寅譜は寅譜で使いかけのペンキの残るトレーにラップをかけている。
 明菜は各々置きっぱなしのスケッチブックや画板を回収しながら、ふと先輩たちのたむろする席を見た。
 入部してから殆ど普通の美術部らしい活動をしている所を見たことのない困った二年生たち(一部の、である。あくまで)は、各々欠伸あくびをしたりのびをしたりしながら帰り支度を始めている。
 ちなみに三年の先輩はきたる受験に備える為に去る六月をもって引退となった為、今この美術室内ではこの残念な先輩たちがヒエラルキーの頂点なのである。
 そんな二年生を見て、全体的にいい人たち過ぎた三年生に思いを馳せた後、明菜はふと思った。
(そういえば、この頃あの妖怪の人たち来てないなあ……)
 彼女の思う妖怪の人たちとは、言うまでも無く草萼火遠とその愉快な姉弟たちのことである。
 他の妖怪は遊嬉や眞虚などと共にいる所をちょくちょく見かけたが、火遠などは先月の『おフダの家』の件で酷い目・・・にあわされて以来一度も姿を見かけていない。
 次に見かけたら文句の一つでも言ってやろうと思って居た明菜だったが、ここまで見かけないと苛立ちを通り越して逆に心配に思えてくるのだった。
(烏貝先輩は何か知ってるのかな?)
 スケッチブックを棚に戻しながら見た先で、乙瓜は普段通りの様子で魔鬼や遊嬉とじゃれあっている。
 そんな彼女らの様子を見て、明菜は安堵の溜息を吐いた。「多分、きっと。私の考えすぎだよね」と。
 本当の所、乙瓜はここ数日火遠の事で思い悩みまくりなのだが、事情に明るくない明菜にそれを推し量れと言うのは無茶な話だろう。
 抱えていたすべてのスケッチブック・画板を所定位置に片付け終えた彼女は、小走りで仲間の所へと戻っていった。
「これどうしようか。明日来て立てとく?」
 以前として乾き切らないキャンバスを指して寅譜が言った。ちなみに翌日土曜日には美術部の活動予定は入っていない。
 ただ学校に来てキャンバスをどかして帰る、たったそれだけの用事だが、案の定嫌な顔をする者がいた。柚葉である。
「えー、月曜日の朝でもいーんじゃないかなぁー?」
 あからさまに嫌そうに口を尖らせる柚葉を見て、寅譜は顔色一つ変えずに彼女の意見を了承した。
「わかった。じゃあ月曜の朝にしよう。多分一時間目あたまから三年の先輩の授業入ってるから、絶対遅刻しないで来てね?」
 絶対にだよ。念を押すようにそう言って、寅譜は置きっぱなしの筆記用具を片付け始めた。

 そんな様子をはたで見ながら遊嬉は言った。
「いやぁ、一年は真面目だねぇー」
 感心したように言ってのける彼女にキツイ視線を送り、深世は叫んだ。
「どっから目線で言ってるんだお前は!」
 どうやらこちらはこちらで化けの皮が剥がされた後のようだった。。


「そういえば、こっちゃんとはどうだった?」
 部活終了後の駐輪場にて、遊嬉は思い出したように乙瓜に聞いた。
 自分から二人を引き合わせたいと画策して置きながら、今の今まですっかり忘れていたようである。
 乙瓜はそんな遊嬉を見て呆れたように息を吐き、次いでことが遊嬉からどういう風に頼まれていたかを思い出し、眉間に思い切り皺を寄せた。
 その形相は般若のようであった。
「ゆ~~き~~~~! おまえなぁぁぁ! 八尾に俺が『大事な人の事で悩んでるから話聞いてやってほしい』とかなんとか、そんな風に言ったらしいじゃねえか!!」
「えっえっえっ!? ……いやいやいや、……ん~。知らないなー、あたしそんな事いったかなー?」
「しらばっくれんな! ネタはとっくに割れてるんだよ! よくもある事無い事……!」
 憤怒の形相で手をわきわきと動かす乙瓜に対し、遊嬉は一頻ひとしきり目を逸らし続けた後、観念したように両手を上げた。
「はいはいわかったわかりました。あたしが悪うございました乙瓜さま。……別にいいじゃんさー、乙瓜ちゃんこの頃火遠の事で色々悩んでんじゃんよー。あの子相談乗るの上手いから、それで良かれと思ったのにぃ」
「良くねえよ! 彼氏かと疑われてびっくりして心臓止まるかと思ったわ!」
「……マジ? あっはっは、よりにもよってせんせーが彼氏とかおもしろすぎんでしょー」
 彼氏の下りが余程ツボに入ったのか、遊嬉はその場で腹を抱えて笑い出した。
 その人目も憚らぬ大笑いを受けて、黙々と荷物を積み込んでいた周囲の生徒の視線が一斉に遊嬉と、そして乙瓜に向けて降り注ぐ。
 一斉に向けられた視線を受けて、乙瓜の表情は般若の形相から次第に羞恥のそれに代わり、色づき始めたカラスウリのようにじわじわと朱色に染まっていった。
「お、おっ、お先にッッ!」
 何も自分の事だけで見られているわけではないのだが、動転した乙瓜は慌てて自転車にまたがると、脱兎の如くその場から逃げ去った。
 猛スピードで走り去る自転車を見て、魔鬼は不思議そうに首を傾げた。
「え、何。乙瓜もう帰っちゃったん? なんで?」
 そう問いかける魔鬼に、深世は「知らんよ」と返した。
 杏虎はやれやれと頭を振っている。眞虚は徒歩通学なのでこの場にはいない。
 一方、乙瓜が逃走した瞬間に笑い地獄から抜けた遊嬉は、困ったように頬を掻いた。
「いや、まあね。悪かったって、今言っても遅いんだけどさ……」
 対象を失った謝罪の言葉を述べながら、遊嬉は大きな溜息を付いた。

「でもさ、先生にはもう……さ」
 その言葉は誰にも届く事無く、影を落とし始めた夕闇の中へと沈んだ。

 一方弾丸のように学校を飛び出した乙瓜は、車一台やっと通れるかといった田舎道を疾走していた。
(ないないない彼氏とか絶対ないないないから!!!)
 一度キッパリと否定した事を脳内で何度も何度も否定直しながら、一心不乱に自転車のペダルを踏み込んでいく。
 踏み込むペダルには既に重みが無く、殆ど空回転・スピードは常時全開だった。
 そんな、つむじ風のように畑と田んぼだらけの風景を駆け抜けていく乙瓜は、二車線の道に出てからは珍しく何台もの車とすれ違った。
 何が面白いのか、何でもない風景に向かってカメラを構える見慣れぬ人物も何度も見かけた。
 普段通りの乙瓜なら或いはその光景に違和感を覚えたかも知れない。
 だが絶賛テンパり疾走中の彼女には余裕など無かった為、大して気に留めることなどなく一直線に自宅まで駆け抜けた。
 精々、後からふと思い出して「いつもと少し違うけど測量の人かな?」と思った程度である。

 彼らが実際何者であるのか。
 乙瓜が、そして美術部の皆がその正体を知るのは、翌日以降の事となる。

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