怪事捜話
第三談・雨月張弓④

 舌に体を絡め取られる刹那、杏虎は斬子の叫び声を聞いた。
 それは壁越しみたいに不鮮明な声だったが、恐らく自分の名前を呼んだのだろうと彼女は感じた。
 だが考える間にも視界は閉ざされ、生暖かくも生臭い闇に包まれる。
 化物の口の中。決して居心地がいいとは言えない空間に飲みこまれながら、しかし噛み砕かれることのなかった杏虎は思考を巡らす。
(捕食されて死ぬとか中々ない事だよなあ……貴重っちゃ貴重か。いや、でもこういう最後はパニックホラーのモブキャラみたいですっごい嫌だなあ、しくったわ)
 もう彼女の中に恐怖は殆どなかった。寧ろどうにもならない状況だからこそ何もかも諦めることができ、却って落ち着いていた。
 けれど冷静になったところで体の自由が戻るわけでもなく。
 抵抗することすら許されず奥へ奥へと飲まれていく杏虎。細い体をぎゅうぎゅうと締め付ける狭苦しい空間は食道だろうか。
 そこだけでも中々に不快ではあるのだが、杏虎はこの先にもっと酷いものが待ち受けている事を知っていた。――すなわち、胃である。
(消化されるときってどんなだろ。痛くないといいなあ……)
 うんざりと考えている内に、杏虎の体は食道から解放される。
 四肢ししを締め付ける肉の圧迫から抜け、いよいよ待ち受けているのは胃袋かと、杏虎は覚悟を決めた。
 だがしかし。彼女を待ち受けていたのは体をドロドロに溶かす酸の海ではなかった。
「……?」
 暗い体内にあるまじき妙な眩しさを感じ、杏虎は目を開く。
 予想外の事に驚きながら辺りを見渡すと、そこには大凡妖怪の内部とは思えない光景が広がっていた。
 辺り一面に立ちこめる白い霧。その中に木々の枝葉が淡く影を浮かばせ、まるで水墨画のような景色がどこまでも続いている。
「なにこれ、どういうこと……?」
 杏虎は狐につままれた気分になりながらも体を起こし、そこで動かした手足に伝うざらりとした感覚に初めて気付く。
 何だと思ってよくよく見ると、それは日本庭園に使われるような白い玉砂利だった。
 何故こんなものが? と思うのと同時、杏虎は気付いた。――足音だ。

 じゃり、じゃり、じゃりと、こちらに近づいてくる何者かの足音。
 杏虎が身構えつつ目を凝らすと、霧の中に一つの影を捉えた。ぼんやりと見えるそれは少なくとも異形の怪物の形ではなく、頭身こそ低いもののきちんと人間の形をしていた。
 小さなシルエットはどんどん杏虎との距離を縮め、次第にその輪郭を鮮明なものに変えて行く。
 肌が、髪が、衣装が、顔が。霧のベールを脱ぎ捨てて、次々とあらわになって行く。
 程なくして、それは完全な姿を杏虎の前にさらけ出した。
 しかしそれを見た瞬間、杏虎ははっ息をのんだ。
 何故なら、その子供の頭には二本の大きなツノがあったからである。
 小さな体に不釣り合いな大きな角。
 どこか山羊や羊のものに似たそれは恐らく後頭部から生え、側頭部を守るように湾曲し、先端だけがツンと上を向いている。
 角を生やした子供の姿は雪のように白く、頭髪は勿論のこと着ているものまで真っ白だった。
 そんな子供が、じっと杏虎を見つめていた。
 そしてやけに大きな目玉で品定めするように杏虎を見た後、ふっと口を開いた。
「愚かじゃのう」
「――は?」
 何の脈絡も無く心底失望したような言葉を浴びせられて杏虎は面食らった。
 一体何が愚かだというのか。だが子供は杏虎に反論する暇すら与えず、矢継ぎ早に次の言葉を紡ぐ。
「よもや自ら食べられに行くとは思わなんだ。抑々そもそも、うちの者の言う事をちったあ信用せんか、馬鹿者が。これでもしもわしが気付かなんだら、お主は本当に危ない所だったのじゃぞ?」
「は、はあ……?」
「何じゃその、はっきりせん態度は! わかっておるのか!」
「そんな事言われても……」
 ――わかるわけがない。そもそもこんな見ず知らずの子どもに説教される謂れが分からないと、杏虎はただただ狼狽ろうばいした。――しかし。
 待てよ、と。杏虎は思う。何かが頭の中で引っかかるのだ。この感じ、どこかで……と。
 そしてやっと思い出す。目の前の子どもの声に聞き覚えがある事に。――そう、それは他でもない、あの場所での事だった、と。
「……もしかして、夢の中の声の人?」
「今更気づきおったか、ねぼすけめが」
 恐る恐る尋ねられ、白い子供は拗ねたように頬を膨らませた。その様がおかしくて、杏虎は思わず吹き出してしまう。
「む? 何故笑うのじゃ!」
「いいや、何でもないない。ないってば」
「……なんとなく腹立つ物言いじゃのう」
 子供は眉をひそめたが、直後はぁっと息を吐きつつ「まぁ良い」と呟き、改めて杏虎を見つめて言った。
「如何にも、昨晩の夢でお主に声をかけたのは儂じゃ。儂は薄雪媛神うすゆきひめのかみ神逆かむさか神社の祭神じゃ、宜しく頼むぞ。白薙杏虎よ」
「神様? すげーじゃん。つか、あたしの事知ってんの?」
「当然じゃ!」
 驚きつつも半信半疑といった眼差しを向ける杏虎に、薄雪は得意気な笑顔で答えた。
「儂は伊勢のアマテラスや鹿島のタケミカヅチのように名のある神ではないがこの地の神じゃ、この地で生まれ育った者、特に参拝や祭事に訪れた人間たちの事は大抵存じておるぞ。勿論名や顔だけではないぞ、少し他人ヒトには言えぬようなアレやコレの恥ずかしい事も知っておる! 例えば――」
「た、例えば……?」
「例えば、じゃな。杏虎よ、お主六つの時に我が神社の石段でスッ転んで泣いたろう。覚えておるぞ」
 あれは帯解きの儀参拝の時じゃったかな、と続ける薄雪に対し、杏虎はすっかり忘れていたことを思い出し、みるみる顔を赤く染めていった。
 そう、それは確かに杏虎の記憶の中にある出来事だった。そして今となっては誰にも知られてはいけない恥ずかしい思い出――黒歴史だった。
 七五三・満七歳女子のお祝い、帯解き。着なれない着物を着て大はしゃぎし、石段でこけて大泣きしたあの日の出来事を知られることは、いくら幼き日の出来事とはいえ彼女のプライドが許さない。特に同級生にだけは絶対に。
 タイミングが良かったのか、幸いにしてあの日あの瞬間を共にしていたのは家族のみ。……しかし、目の前の自称神はそんなことお構いなしと言った様子で、まるで直接見聞きした出来事のように「あの日」の出来事を語りつづけて居る。
 杏虎は「泣き止むまでが大変でのう」だの「膝小僧もすりむいてな」だのと、臨場感たっぷりに話し続ける薄雪に殺意を覚えつつ、一方で安心していた。
 この場に知り合いが一人も居なくてよかった、と。そして認めざるを得ないのだった。目の前の子どもが紛れもない神であるのだと。
「……わかった。わかったから、神様なのわかったから。もうその話止め、止めて」
「なんじゃ、この話まだまだ続きがあるのにつまらんの?」
「つまるつまらないじゃなくて本当にもうやめてくださいたのむから」
 必死な様子の杏虎を見て薄雪は「ぬぅ」と不満げな声を漏らしたが、それ以上杏虎の話を掘り返すことはしなかった。彼女は切り替えるようにこほんと咳払いすると、真剣な眼差しで杏虎を見た。
「本題に入ろうぞ。儂とて神様アピールする為だけに態々現れたのではないからの」
 そう言うと、薄雪は杏虎にくるりと背を向けて霧の中へと歩き出した。
「ちょ、ま、何処へ行くんだよ!?」
 そう慌てて呼び止める杏虎の声に薄雪は立ち止まり、首だけで振り返ると、腕を上げてちょいちょいと動かした。まるでおいでおいでをするように。
「着いて来よれ。お主に見せたいものがあるのじゃ」
 言いながら再び歩き出す彼女。その姿を容赦なく霧が覆い、みるみる見えなくなって行く。
「なんなんだよもう……」
 思えば全く説明されていない現状に杏虎は少々苛立つが、こんなわけのわからない場所に取り残されるのも心許なく、薄雪の姿が完全に見えなくなる前にその後追うことにした。


 やがて杏虎がたどり着いた先には、木造の大きな建物がひっそりと佇んでいた。
 木造、といっても、それは一般の和風住宅のようでもなければ、かといって神社や寺のようでもない。しかし、杏虎はその建物の造りにどこか見覚えがあるような気がしていた。
 地面から大きく離された床とそれを支える掘立柱ほったてばしら、建物の側壁を構成し、四隅で互い違いに交差して張り出る木材。
 大きさは小ぶりであるが、その建物の特徴は歴史の授業で習った校倉造あぜくらづくりの宝物殿にそっくりだった。
「正倉院だ……」
 ぼそりと呟く杏虎に薄雪が振り返った。
「まあ、そうじゃな。奈良の正倉院と同じ高床校倉造じゃ。流石にあの程度の規模はないが、まあうちの蔵じゃよ」
 そう言うと、薄雪は蔵の木段を上っていった。
 彼女はかなり小柄であるにも関わらず、その足元の木段は大きくきしみ、嫌な音を響かせる。どうやら経年でかなり傷んでいるようだった。
 薄雪はそんな木段に視線を落として「そろそろ修繕が必要かの」と呟きはしたものの、殆ど気にしていないような様子でも上りきる。
 そして蔵の扉をぎぃと押し開け、建物の内側へと入って行った。
 遅れ杏虎もその後を追おうとするが、木段に片足を乗せた段階でかなり嫌な音がした為、慌てて足を引っ込めた。
 その音はかなり大きく響いたのだろう、蔵の中からは「お主はそこで待っておれ、無理に上ると怪我するぞ」と、薄雪の声がする。
 その言葉を聞きながら、杏虎は「なら早めに建て直せよ……」とごちた。と、丁度そのタイミングで、開いた扉の向こうから薄雪がひょっこりと顔を覗かせる。
「聞こえとるぞい?」
「うわあ!?」
 不意打ちを食らい、杏虎はびくりと肩を震わせた。心臓がドキリと跳ね上がる。
 あからさまに動揺した様子の杏虎を見て、薄雪は意地悪そうにクスクスと笑った。
「神に隠し事も陰口も無意味なのじゃ。ましてや己の領域の中の事、主ら人間の考える事など全てまるっとお見通しじゃよ。ケケケ」
 白い神は愉快そうに言いながら木段を下る。その両手には大きな風呂敷包み大事そうに抱えており、おそらくそれが杏虎に見せたいものなのだろう。
 かなり重量のあるものなのか、階段の軋みは先程より心なしか大きく鳴っているようだった。
 ――大丈夫なのかなあ。杏虎はそう思いながら薄雪の足元に注目する。その時になって初めて、杏虎は薄雪の足が明らかに人間のそれとは違う、白い毛にびっしりと覆われた中型草食動物のようなひづめの付いたものであることに気付くが、そんな事よりその足で踏みしめる木段が不穏にたわむのに目が行って気が気ではなかった。
 そんな落ち着きない杏虎の心中を察したのか、神は「大丈夫じゃ」と胸を張って言う。
 しかし、まさにその直後。薄雪が足を踏み下した最後の段が、バキリと。とても嫌な音を立てる。

「「あ」」

 杏虎と薄雪は同時に全く同じ一文字を口にする。そこから先は流れるように。

 折れて落ちていく木段に引っ張られるようにして、薄雪の小さな体がバランスを崩し、前のめりの姿勢のまま倒れていく。
 1秒にも満たない一瞬の中で、神は咄嗟に両手を高く、包みを守るように高く上げ、そして――

「へぶッ!」

 ――顔面から地面に突っ伏した。



「全く、無生物ざいもくはこれだからいかん。心が全く読めんからな……全く……」
 数分後、見た目相応の幼子のように拗ねた口調で薄雪は言った。
 その額と鼻の頭は赤くなっており、杏虎は神様も普通に怪我するんだなあと感心していた。勿論そんな考えも薄雪には筒抜けで、即座に鋭い眼光が杏虎を射抜く。
「フン、神だって怪我の一つや二つするわい。……そもそもイザナミとか普通に火傷が原因で死んだんじゃぞ!? 日本の神様そこまで不老不死で全知全能じゃないからのッ!?」
「はいはい、わかってるよぅ」
 杏虎は手をヒラヒラさせながらそう答えた。薄雪はやや不服そうにそれを見ていたが、数秒の後溜息を一つ吐くと、顔面を犠牲にしてまで死守した包みを解きはじめた。
「……まあいいんじゃ、これが無事なら」
 薄雪の膝の上で風呂敷包みが完全に解かれる。
 しかしその中にあったモノは、包まれていた時の大きさからは全く想像できないものだった。
 そして、それを見た杏虎は驚愕する。息を飲み、目を見開く。……その視線の先には。

 青白い光。野球ボール大の青白い光が、そこには在った。
 茫と輝くそれは、まるで墓所に出ると云う人魂のようであり、そして。杏虎の夢に出てきた光、そのものだった。

「これ……は……」
 驚くあまりに声を震わす杏虎に、薄雪は告げる。
「この光は我らが管理してきた退魔宝具じゃ。今は単なる光の玉じゃが、お主はもう知っておろう。……これは元々弓じゃ。千年ほど昔とある妖怪アヤカシを屠った弓の名手の得物ぞ。しかし諸行無常かな、最強の弓も最強の射手を亡くせばただのモノ、そしてモノもいつかは朽ち果てる。今日では魔を滅したという記録と概念しか残っておらぬ。その煮凝りがこの玉じゃ」
 言って、薄雪はいつくしむように光を撫ぜてみせた。その着物の袖から獣の蹄がちらりと覗いた。
 杏虎はそんな薄雪の手元で淡く明滅を繰り返す光を見つめながら、怪訝な顔で呟いた。
「……そんなすごい弓の、概念? だか記録だかよくわからないものが、何であたしなんぞの夢に出てくるのさ」
「さあの。それは儂にも分からぬ」
「はぁ?」
 さらりと言う薄雪に、杏虎は顔をしかめる。共に夢にまで出てきておいて、知らないとはどういう事かと。
 眉を顰める杏虎を見て、薄雪はクスと笑った。
「まあ、難しい顔をしなさんな。儂にも分かる事と分からぬ事がある。言ったろう、そこまで全知全能ではないと。……まあ、しいて言うならアレかの。こやつも形が欲しくなったのかも知れぬ」
「形が欲しい? この光が?」
 ますますわけが分からないと言った顔を浮かべる杏虎に、薄雪はコクリと頷いた。
「退魔宝具はもはや只のモノではない、意志ある武器ぞ。会話して意思疎通を図ることは出来ぬが、きちんと感情があるし所有者も選ぶ。……元々こやつはとある退魔宝具と同じ頃に天津神より賜ったモノなのじゃが、恐らく相方ばかりが形を持って重宝されているのを聞いて羨ましくなったのじゃろうよ。だから夢を介して探していたのじゃ。己の所有者に足る者を」
 それがお主じゃ、と告げ薄雪はニコリと笑った。
「だからあたしの夢に出てきたって、そう言いたいワケ?」
「まあ、そういう事じゃ。故に、こやつはお主に授けたいと思う」
 言って、薄雪は光の玉を差し出した。蹄の手の中のそれは相変わらず実体なさげな光球の姿で、静かに輝くのみ。
「待って待ってってば。……こんなの預けられたところで、あたしにはどうしたらいいかわかんないって……!」
「案ずることは無い、お主は夢の中でこやつの姿を思い描くことが出来た、あとは手にするだけでよい。そして戦わねばならぬ」
「戦うって、何とさ!」
「忘れたのかえ。お前さんは鵺の奴に食われたのじゃ。……儂が助けたがの。とは言えどもあちらでは何も分からぬから、斬子の奴はお主が食われたと思ってたたこうとるぞ。……大した霊力ちからも無い上に丸腰じゃがの」
 無謀じゃの、と薄雪は笑った。そのあまりに呑気な様を見て、杏虎は俄然不愉快になった。
「笑い事じゃないじゃんか、斬子どうなるのさ!」
「勝てぬだろうな。まあ儂の加護があるから死にはせんじゃろ」
 薄雪はあくまで楽観的に答えると、再び退魔宝具の光をちらつかせ、杏虎を挑発するようにこう告げた。

「――白薙杏虎よ、お主も力が欲しかろう?」

 黄金色の瞳を輝かせ、実に狡猾こうかつな笑みを浮かべながら決断を催促する神。
 その有無を言わせぬオーラを前に、杏虎は逃げることも目を逸らす事も出来なかった。
(力が欲しいか、なんて。まるで三文ファンタジーみたいな台詞だけどさ……)
 杏虎はゴクリと唾を飲みこみ、自分自身に問いかける。
 目の前の神のやり口は確かに汚い。……が、力が欲しくないと言ったら嘘になる。
 ――なんで自分じゃなかったんだろう。昨日思った、あの形容しがたい悔しさのような、嫉妬のような、あの感情は間違いなく自分のものだ。
 魔鬼のような魔法の力でも。乙瓜や眞虚のような護符の力でも。遊嬉のような途方もない力でも。……なんでもいいから、自分だって力が欲しい。
 友人たちのように、怪事と対等に渡り合える力が欲しい。

 ――だから、これは。神様に誘導されて仕方なくやったことじゃなくて。あたし自身が望んだ事なんだ。

 杏虎の手が光球に伸びる。指先が実体のない光の中に触れる。
 その瞬間、杏虎を包む世界が崩れはじめた。
 校倉の蔵も霧の世界も何もかも。まるでデタラメにペンキをぶちまけたように、全ての景色が塗り替えられるように黒一色に染め上げられ、視界の中から消えてゆく。薄雪神の姿さえも。
 天も地も崩壊した世界で、杏虎は黒い闇の底に飲まれていく。しかし彼女の中に恐怖や不安は無かった。
 何も見えない真っ暗闇の中、一つの光が浮いている。
 夢で見た時よりも力強く輝くそれは、彼女が手にした退魔宝具の光。それはやがて弦月のように弧を描き、光の中に何かを形作った。
「ああ、そうだね。一緒に行こう」
 彼女は今まさに形を生み出さんとしている光に手を伸ばした。指先に触れたそれは既に実体のない光ではなく、実像の固さを持っていた。
 ――ああ、これは確かに存在している。杏虎はそれを確固たるものにするように強く強く握りしめた。
 光がはじけ飛ぶ。青い光が雨のように降り注ぎ、一張の弓が姿を現す。
 青い成り・・を持つそれは、伝承から想像した和弓ではなく短弓、遊牧民の使う複合弓のような形をしていた。
「……ゲームのやりすぎかな、妙にファンタジーファンタジーした見た目になっちゃったじゃないか。まあ、そんな奴を所有者に選んだのはそっちなんだから、このくらいのモデルチェンジは許してよね?」
 抱きとめるように弓を手にした杏虎の周囲で、再び世界の色が変わる。乾燥したペンキを捲るように、パリパリと闇が砕けていく。
 その先が現実世界に通じている事を、杏虎は直感的に感じ取っていた。この闇が砕けた先に、自分が飲み込まれてから後の世界がある。……あのグロテスクな化け物が待ち構える世界が。
「今度は平気。もう後手には回らない」
 杏虎は先の恐怖を打ち消すように強く弓を握りしめた。弓はそれに答えるように淡く発光した。その時、杏虎は弓が何かを伝えたがっているの気がした。言葉でそう言われたわけでは無いが、頭の中に弓の思いが流れ込んできたような。そんな気がしたのだ。
「そっか、名前だ。生まれ変わったから新しい名前が必要。そう言いたいと」
 その言葉を受けて、物言わぬ武器は茫と輝く。まるで肯定するように、穏やかな輝きを見せる。杏虎はそれを見てにぃと笑った。

「大丈夫、もうちゃんと決めてある。……さあ行くよ、雨月張弓うげつちょうきゅう!」

 その名を呼び、弓手で弓束を握りしめる。

 闇が砕けた。

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