怪事捜話
第十八談・ラブミー・U→I・ラプソディ①

 彼女は問う。助かりたいかと。
 少女は答える。当たり前だと。

「単刀直入に言おう。お前さんの中の悪魔はあちきの術を以てしても剥がせるかは五分五分だ。なぜなら――」
 お前さん自身が手を伸ばすことをしないから。彼女は少女にそう告げて、更に続けた。
 本当に心の底から助かりたいと願うなら――と。



 深く深く。濃霧のように一面を覆い尽くすの白の中に、それは居た。
 穢れなき白衣しらぎぬと鮮やかな緋袴ひばかま。長い黒髪と纏う千早を風も無いのにゆらゆらとなびかせる巫女の姿をしたモノ――玉織たまおりと呼ばれる存在。
 今でこそ幽世かくりよに在る彼女ではあるが、かつてはれっきとした一人の人間だった。もう何百年も昔の話だ。
 元々巫女であった彼女は各地を渡り歩き様々な託宣や祈祷などを行う中で火遠や丙らと出会い、短い期間だが共に行動していた事があった。まだ大都市としては歴史浅い江戸の地で、火遠らが悪事を働く妖怪を懲らしめたりしていた頃の事だ。
 玉織はその仲間の内の一人として数年江戸に留まり、後に遥か西の地へと旅立った。その地で良人に出会って定住し、巫女を辞した後も神への畏敬を忘れぬまま、人間ひととしてはそれなりに幸福な生涯を終えた。――が。彼女の生前の信仰は地元大社の神に気に入られ、死した玉織は眷属として神域に迎えられる事となった。それが彼女の現在に至るまでの経緯である。
 神の属となった玉織には、神の末端の力として縁を結ぶ力が貸し与えられている。故に火遠はあの日、昔馴染みである彼女を頼ってやってきたのだ。彼女の仕える神に縁ある神社へと。
 ゆっくりとまぶたを開き、玉織は回想する。昔馴染みと交わした約束と彼の望みを。
「……ああは言ったものの、どこまで奴の希望の通りに事が進むかは私にもわからない。相手は我々の信仰の外に居る存在、こちらからの干渉がどこまで通用するものなのかも未知数だ」
 独り言にしては長いそれを口にして、彼女はスッと視線を動かした。もはや人のモノとは異なる炯々と輝く眼球の向かう先には、何もない白の空間に胡坐あぐらをかいて座る小柄な人物――丙の姿があった。
「挨拶も無しとは感心しないな丁丙。いつからそこに居た」
「いつからもなにも、お前さんの領域だからわかってるだろ。今来たところさ。丁度顔が見たくなったからな」
 クツクツと笑い、丙はよっと立ち上がった。その様を冷ややかに見つめ、玉織は言う。
「また会合を抜け出してきたのだろう。上に立つ者のくせに良い身分なものだな」
「良い身分だからいいのさ。それよかどうだい縁結びは。なんやら不穏な事を言ってたみたいだが」
「言った以上の意味はない。最善を尽くしたとて上手く行かないこともある。そしてこちらで幾ら助け船を出そうとも、当人たちが気づけなければ永久とわに救われることは無いだろう」
「……そうだな」
 顔色一つ変えず言い切った玉織に、丙は真剣な面持ちで頷いた。
「手を伸ばす者は沢山いる。坊の奴やあちきたちだけでなく、助けようと動いている奴は内にも外にもちゃあんと居るんだ。……あの娘っ子らも、それに気付けるといいんだけどな」
 胸の前で腕組みし、丙は今は彼方に居る彼女らの姿を思い浮かべるのだった――。



 新年一月最後の日曜日。すっかり夜となった古霊北中に帰り着いた美術部を迎えたのは、不安を破って無事だった北中の裏生徒勢だった。
 迎えラッシュの前庭を避け、人気ひとけのない校舎裏にて無事の再会を喜び合った。
「皆が無事に帰って来られて良かった」
 そう言って一人一人(深世も)を抱きしめた花子さんは、ここ三日ばかりで北中であった出来事を美術部に話した。だがいずれも特に変わりない日常の事で(岩塚柚葉がここぞとばかりに怪しげな交霊術を試していた、等の報告はあったがスルーされた。美術部もいい加減麻痺してきている)、特に【月喰の影】が絡むような事は起こっていなかった。
「危惧していた事が起こらないのは良いことだけれど、この沈黙の裏で今度は何の準備をしているのかと思うと大分不安ではあるわね……」
 眉を寄せて語る花子さんは、再び十二月の襲撃に近い事が起こるのではと不安視しているようだった。それには美術部も概ね同意であったが、だからといって不安にばかり囚われてもしょうがない事ぐらい、彼女らにもよくわかっている。
「大丈夫だよ。……【月喰の影】あいつらはいずれ必ずやってくるだろうし、またろくでもない攻撃を仕掛けてくるかもしれないけど。あたしらだっていつまでも昔のあたしらじゃない。大霊道も北中も、絶対渡さない。……その為に強くなる。うん。きっと!」
 胸を張る遊嬉を見て、花子さんはキョトンとする。確かにこういうポジティブシンキングは元々遊嬉の持ち味ではあるのだが、合宿前に彼女を含む美術部二年全体が抱えていた重々しい雰囲気から比べると劇的な変化にも見えたのだ。その変化に呆然とした後で、花子さんはクスリと笑った。
「皆自分を取り戻して来たようね」
「勿論! ばっちりと!」
 堂々と返す遊嬉の姿に、花子さんと同じく呆然としていた他の学校妖怪たちもじわじわと喜びを露わにし始める。たろさんは「よかったでござるなあ」とむせび泣き、闇子さんは「心配かけやがって」とそっぽを向いた。声も表情も変わらないてけてけも、赤紙青紙と一緒にゆらゆらと手を振って嬉しそうにしている。
 喜ぶ学校妖怪を見て、遊嬉以外の美術部もまた大なり小なり嬉しくなった。幾多の人外に囲まれて深世の表情はいくらか引き攣っていたが、それでも木曜日の叱咤で美術部を元の雰囲気に戻した功績(?)を讃えられるので「私にかかればこんなもんよ」と強がっていた。
 そんな雰囲気の中にあって、乙瓜は未だ釈然としない気持ちを抱えていた。
 憑き物が落ちたように本調子に戻った遊嬉と、同じく清々しい表情の仲間たち。乙瓜はそんな彼女らに合わせるように笑いながら、昨晩の出来事を思い出していた。

 ――私も……不合格だから。

 誰も彼も寝静まった深夜に、己にだけこっそりと囁かれた言葉。
 その言葉を放ったと思しき彼女・小鳥眞虚も、何事も無かったような表情でこの場に立っている。
(眞虚ちゃんはなんのつもりで俺にあんなことを言ったんだろう……? そもそも、どうして俺が不合格だと?)
 やがてその場が解散となり、迎えに来ていた両親の車に無理矢理自転車を積み込んだ後も、乙瓜の心からその疑問が消え去る事は無かった。
(前に杏虎が言ってた事が関係してるんだろうか……)
 ふと頭に浮かぶのは、以前杏虎が打ち明けた眞虚の秘密。あの時は直後の十五夜兄弟の襲撃に対応するのに必死で殆ど考える事もしなかったが、眞虚の妙な行動に気づいてしまった今となっては、己に通告された不合格以上に頭の中に引っかかって仕方ないのだ。
 眞虚の言う不合格はその事に関係しているのか。そして眞虚が己を不合格と知ったのも、杏虎の言うところのよくないもの・・・・・・になりかけているからなのか。
(……どのみち眞虚ちゃん本人と話さなくちゃならない。話して事の真相を知らないといけない気がする――)
 乙瓜がそう考えながら三日ぶりの自室で眠りに就く中、枕元のケータイが微かに震えた。だが、既に眠りの世界に片足を突っ込んでいる彼女がそれに気付く事は無かった。
 明日の朝まで確認されることは無いだろう履歴には、一つの名前が刻まれる。だが、持ち主たる乙瓜はそれを確認したとて折り返すことはないだろう。
 着信履歴一件、『烏山からすやま蜜香みっか』。普段から度々寝前に長電話を掛けて来る相手が、それ程重要な話をするとは思わないのだから――。

 同じ頃、小鳥眞虚は自宅の湯船に浸かりながら考えていた。
 ……あの日丁丙と話した事について。助かりたいかと丙は尋ねた。当たり前だと眞虚は答えた。だがそこから丙が言及した事に対し、眞虚は言葉を詰まらせてしまった。
 ――だがお前は、その力を以て誰かを救う事が出来るのではないかとも思っている。それ以外に方法がない状況でなら己がどうなろうが仕方ないと思っているな? 助かりたいと願うくせに、いざという時に己の事を二の次にしてしまう。……その辺りをどうにかしない限り、お前さんはどうしたって救われない。例えお前さんの中にべったりと貼り付いている悪魔を剥がせてもだ。
 丙ははっきりとそう言った。頭の中にはっきりと思い出せるその言葉を胸に、眞虚は心の中で溜息を吐いた。
(わかってるよ、わかってる。深世さんにも怒られたけれど、私こそもっと他人を頼らないと駄目だって。わかってるんだけどなぁ……)
 体育すわりのように身を縮め、するともなしに天井を見る。もくもくと浮かんでは見えなくなっていく湯気を暫く見つめた後、眞虚は思った。水祢に会いたいと。
 己を人間の形に留めてくれた彼に。決して優しい言葉はくれないだろうし、怒られるかもしれないだろう。――けれども水祢に会いたいと。眞虚はそう思ったのだ。
(ねえ、届いてるかな)
 心の中で呼びかける。契約の念話が通じると信じて呼びかける。
 けれども彼からの返事は無い。……わかっていた。彼とて眞虚の独白に24時間365日いつでも付き合っているほど暇ではない事くらい。そもそも水祢の都合が合わない限り念話が通じない事くらい。眞虚にだって分かっていた。
「……わかってたけどへこむなあ」
 自嘲気味にそう漏らして深く溜息を吐き、眞虚は天井を見上げる頭をゆっくりと下ろした。俯いた先で揺らめく浴槽の水面には、驚くくらい情けない顔の自分自身が映っていた。
 その表情を見ながら、眞虚はポツリと漏らす。――乙瓜ちゃんにも謝らないとな、と。

 憂鬱な夜は這うように進み、彼方の朝はまだ遠い。そんな長い夜の中で、彼女たちはさがしていた――。

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