怪事捜話
第十七談・雪山妖霊スノーデイ②

 長かった二学期が終わり、年を超えて三学期が始まる。古霊町界隈では人と人との多少のいさかいはあれど、オカルト的に見れば驚くほどに平穏な時間が流れていた。
 驚くほどに、そして不気味なほどに。十五夜兄弟の襲撃以降、【月】は新たな使者を送り込むことなく沈黙を再開した。……まるで敢えて平穏を与えているかのように。その平穏が遠からず必ず壊されるという不安を、決して世間に知られないこの戦い・・を知る者の心に育てるように。
 その中心的な部分に位置する北中美術部二年もまた例外ではない。当たり前である筈の日常を享受しながらも、いずれ再び現れるであろう【月】の使者の存在を警戒し続けたからだろうか。特に新学期に入ってからは、表向きの様子は変わらないものの、どこかピリピリとした雰囲気を漂わせるようになっていた。
 決して感じが悪くなったというわけではない。しかしふとした瞬間に浮かべる表情や行動の変化は存外露骨で、余程鈍感か、或いは全くの無関心でない限り、日々彼女たちを目にするクラスメートはその微妙な変化に気づいていた。

 例えば、以前より大きな物音に敏感に反応し、時には授業中などでも立ち上がってしまようになった事だったり。
 または、ふと目にした時に神妙な表情で何事かを考えているような時が増えて、話しかけても一瞬気づかれなかったような事が増えた事だったり。

 微細と云えば微細な変化だったが、美術部二年に限って(深世は除く)一様に似たような行動を取り始めるのは、周囲からすればあからさまに妙だった。だがその理由を直接訊ねたとしてもはぐらかされるばかりで、皆首を傾げ、そして口々に言うのだった。

 ――美術部がまた変な事やってる、と。

 三学期開始から二週間ほど経った水曜日の昼休みの教室で、こっそりと持ち込んだカードゲームに勤しむ天神坂と王宮の間でもその認識は同じことだった。
 会話半分にゲームを進める彼らの話のタネは、その日クラスであった他愛もないような話を経て、やがて教室の中にたむろするいずれかの女子グループが話し始めた『最近の美術部について』に変わって行った。
「……ていうか王宮は小鳥と同じ生徒会でもあるじゃん? そっちでもやっぱそんな感じ・・・・・なん?」
「まあな。小鳥くんは前と変わらず真面目だがね、週一の生徒会でもあの調子・・・・だよ。ドロー」
 考え事をしながら喋っているからなのか、至って落ち着いたテンションで山札デッキからカードをドローし引いた王宮は、そのカードをチラリと見て手札に加えると、淡々としたまま己のターンの行動を開始した。天神坂はそれらに一喜一憂のコメントを残しながら、ふと、あの秋の頃の出来事を思い出していた。
 秋の頃――この北中で一生に一度遭遇するかどうかという大きな事件が起こり、臨時休校を経て通常日課が再開したあの日。
 見慣れぬアドレスから届いた怪文書にノコノコと釣られてやって来た図書室で、普段物静かなクラスメートから告げられた、美術部彼女たちについての話。
 よくできた人形のような顔をしたクラスメートは、既に北中の中では半信半疑で伝えられる話をあっさりと本当の事だと告げた。その上で更に眉唾な事に、美術部はこの北中の地に存在する異界への門めいたものを狙う妖怪軍団と戦っている、なんて荒唐無稽な話をされるのだから、もう理解が追い付かない。
 漫画やアニメじゃないんだからあるわけがないと反論する天神坂と王宮に、信じなくてもいいと彼女は言った。ただ覚えていてくれればいいと。
(……流石に担がれてるんじゃないかと思って、そっから更に言われた事についてはあんまし考えんようにしてたけど)
 近頃の美術部の妙な行動。体育祭の時に見た異形の生徒たち。オカルトの解決と知られざる戦い。
 考えるにつれ、天神坂の眉間には小さくしわが寄っていった。それこそ最近の美術部のような難しい表情で王宮のターンが終わるのを見届けると、彼は黙々と己のターンを開始した。
 彼の脳裏にこだまするのは、あの日クラスメートが――今日もまた休んでいる八尾異が言った最後の言葉。最近まで真面目に考えた事のなかったあの言葉が、今になって厄介なかびのように浮かび上がってきて離れない。
 そんな天神坂に、ふと王宮が言った。「それはそうとYOUユー、明後日からスキー合宿だな!」と。
 或いは何かを深刻に考えるような友人を見て機転を利かせたのかもしれないが、話題を180度返すような調子でそう言う彼に「そうだな」と頷き返し、天神坂は窓に目を遣った。王宮もまた追従するよう首を動かす。
 そして窓外に広がる曇天を見ながら、どちらからともなく言うのだった。「当日は晴れだといいな」と。

 彼らの懸念するスキー合宿とは、この古霊北中学校と近隣市町村の中学校でほぼ同じ時期に実施される、第二学年の恒例行事である。
 隣県の某有名観光地から遠からぬ所にあるスキー場で二泊三日の合宿を行い、共通の課題に取り組む中で連帯感や絆といった言葉で表されるサムシングを深めようという題目の下で青春の思い出に何かしらの一ページを刻む、日本全国・津々浦々、どこの学校でありがちな例のイベントの内の一つだ。
 そんなイベントを目前に控え、大多数の生徒が浮足立っていたからこそ、美術部の行動は妙だった。だが、美術部の『事情』を知る者からすれば、それはさしたる異常でもなく、寧ろ当然の行動とも言えた。
 彼女たちは懸念していたのだ。学校行事とはいえ三日も古霊町を離れるタイミングで【月】の使者が現れるのではないかと。
 その心配のあまり些細な物音に敏感になり、考え事が増え、目の前の出来事に集中し辛くなっている様は、【月】の術中にまんまと嵌められているとしか言いようがなく、花子さんはじめ学校妖怪たちにすら心配されていた。

「ねえ、北中の事は大丈夫だから。貴女たちは心配せずに合宿を楽しんできなさいな」
 出立前日の放課後、美術室の中で妙に浮かない顔だちの美術部二年彼女らを見かねた花子さんが言う。けれども乙瓜も魔鬼も、杏虎も眞虚も、そして何より遊嬉すらも乗らない反応を返す様を見て、花子さんは彼女らが思っていたより重症である事を知ったのだった。
 だがそれも無理はない。【月喰の影】はともすれば現象的なオカルトではなく、明確な目的意思とそれを共有する群から成る現実的な脅威だ。何の禁忌を犯そうが犯すまいが、何の予防をしようがしまいが、古霊北中に大霊道がある限り、そして世に人間がいる限り。彼らの襲撃は終わる事はない。例え一人二人退けようとも、彼らの同朋が存在する限り攻撃・・は続くだろう。
 その果てに、また無関係な生徒が傷つけられるかもしれない。校舎が抉られるかもしれない。学校妖怪の心が壊され利用されるかもしれない。
 美術部の彼女たちは全員が全員世の為に人の為に何かをしたいわけではなかったが、だからとて謂われなく誰かが傷つくことは誰も望んでいなかった。それが近しい者なら猶更なおさらだ。
 故に、これからまた北中に起こるかも知れない『何か』を前に憂鬱となってしまう事は仕方のない事とも言えよう。他者と違う力を持った彼女たちは、あまりにも平均的な子供だったのだ。
 花子さんがどうしたものかと腕組みする中、事情を知りながらもほぼ蚊帳の外を生きる深世がおもむろに立ち上がった。それから傾注を促すように両の手をパンと叩き合わせ、「あくまで個人的な意見として言わせてもらうけど」と前置きした後で、彼女はすぅっと大きく息を吸い込んだ。
 一瞬の間が生まれる。不意に変わった雰囲気に、全ての視線が彼女に集まる。それを見計らったかのように、深世は言った。とびきり大きな声でこう言った。

「馬ッッ鹿かおまえら!! こういう時の他人の好意は素直に受け取っておく事! なんでも自分らじゃないと駄目とか、思い上がるのも大概にしろよ!? いいか!? 今のお前らはアホだ!!」

 突然の発言に、その場にいた全員の目が点になる。勿論花子さんも例外なくだ。よく考えずとも、それは深世と同じく二年部員全員に宛てた言葉だとわかる。だが「馬鹿」に始まり「アホ」とまで言われているにも関わらず、誰一人として反発する者はいない。それほどまでに深世の言葉は不意打ちで出し抜けで、呆気にとられる他なかったからだ。そして尚も彼女の言葉は続く。
「やれるだけの準備と対策をした、なら後は信じるしかないだろうが! お前ら交通事故に遭うかもしれないからバスに乗らないのか!? 泥棒に入られるかもしれないから外出しないのか!? 違うだろ!? 違わないってのなら合宿になんか来なくていい。花子さんそこのその人と一緒にずっと学校で警備員でもやってればいい。……だけどその人が大丈夫って言ってるんだ。なんでそれを素直に受け取らないんだよッ!? なんで信じてやんないんだよ!? 選ばれた者気取りか!? ……なめんなよ。明日もまだそんな顔のままで居るってのなら、私はお前らとなんか合宿に行かないからな」
 プイとそっぽを向くようにして踵を返すと、深世はそのまま自分の荷物を持って美術室から去ってしまった。残された者たちは暫し呆然とした後、漸く脳味噌が状況に追い付いたのか、一年生から騒めき出す。
「どうしよう、部長出て行っちゃった!?」
「まだ部活時間終わってないのに……」
 口々に言うものの、ブチギレて飛び出して行った先輩なんて追いたくないのは後輩のさがか、或いはそれは自分たちの役目でない事を理解しているからか。皆未だ沈黙したままの二年部員をチラチラと見るだけで、誰一人として深世を追いかけようとしない。
 そんな一年部員の中から、恐る恐る一人の少女が歩み出る。古虎渓明菜だ。
「あの……」と声を絞り出す彼女を見て、二年部員は、乙瓜と魔鬼は、杏虎と眞虚は、そして遊嬉は。肩を竦め、溜息を吐き、困ったように笑って。それからゆっくりと立ち上がった。
「ごめんね」
 それを言ったのは眞虚だった。明菜に、そして後輩たちに向けた謝罪を述べると、彼女は同学年の仲間たちと目線を交わし合って、連れ立って美術室の入り口へと向かった。
「ちょーっと、部長と仲直りしてくるね」
 最後に出て行った遊嬉は平時のおちゃらけた調子でそう言うと、ひらひらと手を振りながら建付けの悪い引き戸をガタンと閉じた。
 残された明菜らはキョトンとしつつも、けれども何故かこれで大丈夫という確信を持って各々の作業を再開した。
 花子さんは呆れたように笑いながら、「不器用よね」と小さく零した。

 十分も過ぎた頃には未だむくれ顔ながらも深世が美術室に帰って来て、その日の部活の時間もつづがなく終わりを迎える。

 その晩、隣県を含む広域でしとしとと雨が降り出すが、明日現地に着く頃には止むとの予報だった。
 窓打つ雨の音を聞きながら、乙瓜は荷物の最終確認をしていた。きっと今頃、他のクラスメートも荷物の確認をしているだろう。考えずとも自分たちの為に怒ってくれた深世もきっと。……遊嬉辺りは、今から準備を始めるのかもしれないが。
 散々出発まで待たされた夏の日を思い出し、乙瓜は暫くぶりにクスリと笑った。そして――いつの間にか当たり前のようにベッドの上に座っているを向き直らず、「お前も来るのか?」と問いかけた。
 彼――草萼火遠は「まあね」と頷くと、乙瓜に何を言い返されるよりも早く「北中の守りなら心配しなくていい」と続けた。
「留守の間は薄雪神に任せて来た。あのひとも普段こそちゃらんぽらんだけど、やるときゃやるからまあ安心していいとは思う」
 そう言った上で火遠は言う。「君たちでなければ駄目、君でなければ駄目という事は存外少ないのさ。それは必要とされていないというわけではなくて、そこまで気負う必要はないという事なんだけどね」と。
 乙瓜はそんな火遠の言葉に「ふうん」と返した後、「じゃあ俺たちってなんなんだろうな?」と呟いた。
「なんなんだ、とは?」
 興味深そうに問う火遠に、乙瓜は少しややこしそうに唸ってから答える。
「大霊道の封印の責任取りとか、結局は俺らじゃなくて誰でもよかったんじゃないか、とか。例えじゅつが失われても神様は残ってるし、お前たちだって仲間がいっぱいいるだろ? だったら、最初から美術部おれたちのする事に意味なんてなかったんじゃないのか、なんて」
 そんな不満を零しながら、乙瓜は初めて火遠の方を見た。視線の先の彼はいつも通りすぎる程にいつも通りな笑みを口許に浮かべ、片方しかない焔宿る瞳をそっと細めた。
「意味のない事なんてないのさ。やったことはいずれ必ず何かしらになる。それは必ずしもプラスになるとは限らないし、人間ヒトの言葉で説明できるものになるとも限らないけれどね」
 直後「そして」と付け加え、一拍の間を置いてから彼は言う。
「俺が君たちに大霊道の件を任せたのは『誰でも良かった』からじゃあない。且つ、これから君たちが向かう場所には『誰でも良かった』は無い。そして明確な意味がある。あの日、俺と共に戦ってくれると言った君たちには、そこに招かれる権利がある」
「……招かれる?」
 怪訝に眉をひそめた乙瓜に火遠は頷き、そして答えた。

「隣県N市山中にある【灯火】本部。隣県に向かう機会を得たついでに、君たち美術部をそこに招きたい。――うちの師匠たっての願いでね」


 雨露は夜通し流れ落ち、やがて鉛色のまま朝を迎える。遥か空高くの風で渦巻く雲の下、出立の時は来たのだった――。

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