怪事捜話
第一談・非常日常トロイメライ①

 ――きっとそれは、夢幻ゆめまぼろしのように。


 別れの季節三月も過ぎ、暦は四月へ移り変わる。去る者あれば新しく来る者あり。古霊北中学校も先日無事に新入生を迎え、顔ぶれ新たに新年度がスタートした。
 在校生も何事も無くに二年、三年へと進級し、卒業生が抜けて寂しくなっていた二階の教室も新三年生の居城へと変わる。およそ一月ひとつきぶりに全てのホームルームに生徒を迎え入れた校舎は、もう随分なオンボロであるというのに、心なしか少しだけ輝いているように見えるのだった。

 そんな新学期が始まってから一週間後、昼休み。
「なーんか実感わかないねぇ」
 行儀悪くも机の上に尻を乗せながら、戮飢遊嬉は溜息を吐いた。
 去年とは違う二年生の教室。内部の間取りは全く同じだが、場所も見える景色も日当たりもまるで違う。前の一年一組の教室ならば、窓外に今度こそちゃんと咲いた前庭の桜がばっちり拝めるのだろうが、現在の二年一組教室から見えているのはまた別の桜。一年間通った校舎なのに、見える景色違うだけでちょっとした異界気分だ。
 ――だというのに。遊嬉は再度大きな溜息を漏らす。
 クラス替えをして多少のメンバーの移動はあった。名列番号も若干変わった。だというのに、クラスの担任は一組二組とも持越しで。それだけならまだしも、クラス内の美術部メンバーはほぼ据え置き。相変わらず烏貝乙瓜が居て、小鳥眞虚が居て、白薙杏虎が居て、そして遊嬉が居る。そして――。
(…………あれ?)
 何か違和感を覚えて遊嬉はハッと顔を上げる。
「そう言えば深世さんは?」
 言いながらキョロキョロと教室内を見渡す遊嬉を見て、目の前の乙瓜は呆れたような顔をした。
「だから何回も言ってるじゃないか。深世さんは二組に移動したって……」
「オゥ……、そうでした。いやぁ、うっかりうっかり」
 冗談っぽくアハハと笑い飛ばす遊嬉を見ながら乙瓜はやれやれと肩を竦める。
 そう、一組二組の内訳が殆ど据え置きのように進級した美術部の中で、歩深世ただ一人だけが二年二組へと移っていた。クラス替え発表の日、張り出された紙を見ながら「なんだか今年も一緒だね」と盛り上がる旧一組ぐみの輪から外れた彼女が言い放った「きさまらいい気になるなよ! 来年あたり後悔するからな!」という言葉は、なかなかの意味不明さと破壊力を持ち合わせていた。尤も、直後に「私と同じクラスは不満か」と奇声を上げはじめた魔鬼の方がインパクトでは上回っていたが。
 そんな二人を見ながら「あいつら人生楽しそうだな」と思ったのを、乙瓜は鮮明に覚えている。というか、つい先日の事なので憶えていない方がおかしい。認知症の老人でもあるまいし。……だからこそ乙瓜は思うのだ。

 ――遊嬉の奴、暫くこのネタ引っ張るつもりだなと。

 ふと見た窓際では、ベランダに出た眞虚が風に流されてくる桜の花弁を掴もうと手を伸ばす姿とそれを見守る杏虎の姿が見える。平和だ。実に平和だ。
 乙瓜はほのぼのとした光景に顔を綻ばせながら、ふと思い出したように時計に目を移す。時計の針は1時10分を回ったところで、20分までの昼休みも丁度折り返しといった所だろうか。それを確認し、彼女は遊嬉に向き直った。
わりぃ、ちょっと行ってくるわ」
「……ん、ああ。もう10分? まぁ行ってらー」
 一歩も動こうとしないでヒラヒラと手を振る遊嬉に背を向け、乙瓜は教室を後にした。
「毎日毎日ご苦労なこって」
 そんな遊嬉の言葉を背に受けながら。



 曰くつきの場所、呪われた地、心霊スポット。世の中には、怪奇現象が起こりやすいとされる場所が多々存在する。
 事故現場、事故物件。廃墟や自殺の名所、古戦場。古くからの霊山、霊場。街の中とも自然の中とも問わず、きな臭い噂を纏った場所は日本各地に、否、世界各地に存在している。
 そんな数ある胡散臭い場所の一つに、何故か。古霊北中学校がエントリーされつつあった。
 勿論全国的に有名なわけではない。だが、北中以外の地元小中学生の間では定説になりつつあるようなのだ。

 ――"古霊北中学校には幽霊が出る"。

 曰く、暗くなってきた頃に北中の校舎を見ると真っ暗な廊下で点滅する無数の光が見える、とか。月の出ている晩はどこからともなく奇声が聞こえる、とか。
 そんな噂が、古霊町内の小中学生の間で実しやかに信じられているらしい。真っ当に考えれば実に胡散臭く信用し難いものばかりだが、乙瓜には、そしてその相方たる魔鬼には。その出所について十分すぎる程心当たりがあった。というか心当たりしかなかった。
 何を隠そう、それら全て自分たちのことに他ならないからだ。

 乙瓜と魔鬼の二人は、一年前から大霊道を封印すべく様々な怪事と対峙している。
 大霊道とはこの古霊北中学校の敷地内に存在する霊道の大ボスみたいなもので、開くだけで近隣の霊や妖怪が活性化し、更に放っておくとあの世から悪鬼悪霊があふれ出てくると言われている大変危険な代物である。故に封印されていたのだが、彼女ら含む美術部二年生は去年、怪談話のしすぎでその封印を解いてしまうという大失態を犯している。勿論悪気は無かったし、後に本当の原因らしきものが判明するも、封印を解いた責任を取れという事で、二人は校内で好き勝手する幽霊や妖怪の起こす出来事・怪事アヤシゴトを解決することになってしまった。
 怪事を解決することで、大霊道の封印が少しずつ進む。それを信じ、二人はがむしゃらに怪事と戦ってきた。
 魔鬼は一見普通の学生だが、その実は魔法使いだ。どういう経緯でそうなったのかはまだ誰にも明かしていないのだが、少なくとも乙瓜と出会う前、中学校に入学するより昔からそうだったようで、定規を杖代わりにして光る魔法をぶっ放す。
 乙瓜は乙瓜で、これまた普通の学生のようでいて札術師だ。大霊道の封印が解けた直後に現れた妖怪・草萼火遠と契約し、幽霊妖怪を退ける護符おふだの力を得た。この札が只の札のようでいてトランプ手裏剣より良く飛ぶ。そして模様が光る。
 恐らくというか確実に、暗くなってきてから校舎で見える光は乙瓜と魔鬼が何かしらの怪事と対峙した時の魔法と札の光だ。魔鬼は時々変梃な奇声を上げるので、月の出ている云々も多分自分たちの仕業だ。
 怪事を解決しつつ新しい怪事うわさを作り出していた事実。それを初めて知った時、乙瓜も魔鬼も恥ずかしさに身悶えしたものだ。

 ――"古霊北中学校には幽霊が出る"。
 噂の正体は幽霊じゃないけど、幽霊が出るのは嘘じゃない。嘘の様で本当の噂。北中の外で囁かれていたそれを、厄介なことに新一年生が持ち込んでしまった。
 胡散臭い話は、嘘か本当か検証してみたくなるもの。……そう。今北中の至る所では、新一年生による学校の怪談実証が行われていたのだ!
 入学式から僅か数日。恐れを知らない新一年生たちは暇さえあれば有名な怪談をつつきまわり、尤も有名な"トイレの花子さん"を試した人数はもう数十名にも及ぶ。ここ北中の花子さんは比較的温和な方なので始めのうちは適当に相手をしていたが、しつこく叩かれるドアに遂にぶちギレ、生徒を本気で妖界送りにしようとしたところを偶々通りがかった魔鬼たちに止められ、愚かな新一年生たちは事なきを得た。
 だが怪談検証は終わらず、懲りずに花子さんに挑む者、場所間違いで闇子さんを呼び出してしまう者が続出。その他音楽室や理科室や校庭でも何かしらやらかす生徒が後を絶たず、校内は軽くパニック状態。
 そんな混乱を収めるべく、乙瓜と魔鬼は貴重な休み時間を割いて校内をパトロールする羽目になったのである。


「全く、元は自分たちとはいえ面倒なことになっちゃったなぁもう!」
 独り言をぼやきながら魔鬼は早足で廊下を進む。新しく下したばかりの15cm定規を片手に歩く彼女の隣に乙瓜は居ない。
 相談した結果、頻発する怪談自爆テロの解決に向かうのは非常に効率が悪いという事で、時間をずらして二人バラバラに行動することに決めているのだ。去年の一件から学校内の幽霊や妖怪とは一通り知り合って、一人ずつでも大丈夫だろうという判断もあった。
 魔鬼の見回った十分後、同じ場所を乙瓜が見回る。既に校内を一周し終えた魔鬼は溜息を吐いた。場所は一階、職員昇降口前のエントランス。人気のないそこに何となく座りこみながら、魔鬼は壁にかかった時計を見る。時刻は1時13分。そろそろ乙瓜が動いている頃だろう。
 ――今日の一週目は異常なし。流石に一週間もすれば落ち着いてくるものかと思い、魔鬼はほんのり安堵する。
「この調子で怪談自爆テロも終わってくれるといいんだけどねぇ」
 そんな願望を口にする魔鬼の頬に、ひやりと冷たいものが当たった。
「ひえぁ!? なんぞい!」
 やはりというかいつも通りというか、軽く奇声を上げて振り返る魔鬼の視線の先には、キョトンとした顔をした少年がいた。今時学生帽を被り、古めかしいマントを羽織った古風な姿をした少年が。
 そんな彼の姿を見て、魔鬼は安心したように呟く。
「……なんだ、たろさんか」
 たろさん。そう呼ばれた彼は、"トイレの太郎さん"というれっきとした学校の怪談の一人である。
「なんだとはなんでござるか、折角差し入れをと思ったのに」
 魔鬼の反応に少し不満げに口を尖らせるたろさんの手には、どこから持ってきたのかジュースの缶が握られていた。キンキンに冷えたサイダー。それが先程のひやりとしたものの正体のようだ。
「え、何それくれるん?」
「魔鬼殿に差し上げようと思ったでござるが、止めにしようか迷い中でござる。ぷんぷん」
 たろさんは相変わらず似非武士のようなみょうちきりんな口調で喋りながらぷぅと頬を膨らませている。ルックスは古風で真面目そうな学生なのに、その態度とのギャップが何だか可笑しくて。魔鬼は思わず吹き出してしまう。
「な、何故笑うんでござるか!」
「いいやぁ、別にぃ」
 魔鬼はにやにやしつつ、徐に右手を伸ばす。その手に缶を渡しながら、たろさんははぁと溜息を吐いた。
「まあ、とりあえずいつもお疲れ様でござる。……隣座ってもいいでござるか?」
「ん、おかまいなく」
 魔鬼がサイダーの缶を開ける。プシュっという音の後に、炭酸の音がジュワッと鳴る。
「夏だー」
「まだ春でござるよ」
「知ってるよ」
 シュワシュワと鳴る音にまだ来ぬ夏を感じながら、魔鬼はサイダーを呷った。口内にシュワシュワと広がる炭酸と諄い甘味が、連日の疲れを癒してくれるように感じた。
 三口ほど飲んでからぷはぁと口を離す魔鬼を見て、たろさんは言った。
「魔鬼殿おじさん臭いでござるよ」
「……なんちゃって武士には言われたくないでござるよ」
「失敬な、拙者はなんちゃって、じゃなくてちゃんとした武士でござる」
「お前のような近代的な恰好の武士がいるか」
「それもそうでござるな」
 何故か自分で納得してしまったたろさんを横目に、魔鬼はまた缶を口に着ける。ゴクリと一口飲んでから、ふと疑問に思った事を口にしてみた。
「ていうか、たろさん随分暇そうじゃん。"トイレの太郎さん"は誰も試さないの?」
「……出合い頭に誰と言った輩にそれを言われるとは思ってもみなかったでござるよ」
 たろさんの目がじとりと細くなる。どうやら去年の事をまだ根に持っているようだった。
「いや、あれ言ったの乙瓜だし。……あー、でもうん。なんていうか、ドンマイ」
「優しさがつらい」
 顔を伏せたたろさん。それと同時に昼休み終了のチャイムが鳴る。掃除にいかなくちゃなと立ち上がった魔鬼の背後で、乙瓜の呼ぶ声が聞がした。
「おーい。回ってきたけど今日は何もなかったぞ。……って、なんだ魔鬼、学校にジュースなんて持ち込んで。いーけないんだ、いけないんだ」
「違うし。これたろさんが差し入れって」
「魔鬼殿魔鬼殿! 人の所為にするのはよくないでござるぞ!」
「してないよ? 事実を述べただけだよ?」
 慌てふためくたろさんにさらりと告げ、魔鬼は缶をくるりと揺らす。自販機で一番大きいサイズくらいある缶はまだまだ重く、少なくとも半分以上は入っているようだった。
「……しっかしなー。どうしよっかなこれ。飲み切んなかった」
 少し困った風に言う魔鬼に、乙瓜は言う。
「ちょっと貸して?」
「ん、おう」
 言われるがままに乙瓜に缶を手渡す魔鬼。乙瓜はそれを受け取ると、口を付けてぐいっと傾け、一気に飲み干してしまった。
 腰に手を当ててぷはぁと息を吐く乙瓜を見て、たろさんはジト目で言う。
「……おじさんだ、おじさんがいるでござるよ」
「武士に言われたくないでござるよ。これ先生に見つかる前に処分しておいてほしいでござるよ」
 乙瓜は口元をぬぐいながらたろさんに缶を渡すと、掃除の時間に遅れないようにと呟きながらその場を去って行った。魔鬼もまたそれに続こうとして途中で振り返り、「ありがとねー」と感謝の言葉を述べてから姿を消した。

 後に残されたたろさんの手元には、空き缶が一つ。
 それを懐に仕舞いながら、たろさんはぽつりと呟いた。
「……今日は何もないまま、終わるといいのでござるが」

 昼休みの静寂を破り、構内放送のスピーカーは掃除の時間のアナウンスと愉快な音楽を流しはじめた。
 掃除の為次第に騒がしくなる廊下や昇降口を見守りながら、その雑踏に掻き消されるように。"トイレの太郎さん"は静かに姿を隠した。

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