怪事捜話
序章

 生きて行くことは、常に何かを"さがし"続けること。
 例えばそれは、夢や目標、希望や勇気、或いは野望といった言葉で語られる原動力。そしてそれらを元にして活動する分野への知識であり、技術である。
 もしくはそれは、何かとの出会い。その対象は人だったり、家だったり、職だったり、――場合によっては目に見えない縁や、運命と呼ばれるようなものだったりと、多岐に渡り漠然としている。
 だが人々は。無意識にそんな漠然としたものを求め、さがし続けているのである。

 さて、さがすという言葉には、二通りの漢字が当てられている。すなわち"探"と"捜"である。
"探す"とは、新しく何かを見つけることだ。宝物を掘り当てるように、隠されている未知のモノを発見することである。
 一方で"捜す"とは、見えなくなった何かを再び見つけだすことである。失せ物や行方不明者など、姿を隠してしまったモノをもう一度発見することである。
 人は度々己の目的や、存在価値や理由を見失う。そうして迷路の中に閉じ込められた子供のように右往左往し、やがてくたびれ膝をつく。
 どうせ立ち止まってしまうなら、動かなければいい。そう言う者も出てくるだろう。愚者と決めつけせせら笑う者も出てくるだろう。
 だが、例え意味などなくても。彼らはそれをさがさずには居られなかったのである。

 なぜなら、生きていくことは常に何かをさがし続けることだから。そして何より、何も持たないことほど恐ろしく虚しいことは無いからだ。
 ……例えその終わり無き探求の果てにすら、断崖絶壁の如き虚無が待ち構えていたとしても。

 人は探していた。失った何かを捜し、心の隙間を埋めるために、荒唐無稽で胡散臭うさんくさい物語を。
 人でなきものアヤカシは探していた。人に忘れ去られた怪談を、失いかけた存在理由を再び捜す為の物語を。

 探し、失い、捜し、見つける。

 この物語は。
 きっと何かをさがし続ける者たちの群像劇であり。何かと出会い、何かを見つける物語だ。


 ――故に。彼女たちはさがしていた。

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