怪事廻話
第十一環・私たちの怪事を②

【灯火】に協力した妖怪たちの解散が決まったのは、その日の夕暮れ時だった。
【月喰の影】にはあの日の決戦に参集しなかった残党が未だ何割かは存在するし、ツクヨミグループの社員として存在している"影の魔"の分身たちも未だ健在だ。戦いの生き残りである十五夜兄弟は【灯火】の監視下に置かれたが、左右の『御方』改めあじかいぐさの二人も処分を決める前に姿を消したまま……故にどこかで何かしらの報復があるのではないかと、【灯火】と協力妖怪たちは戦いが終わった後も警戒を続けていた。
 だが、どうも残党の大半は総裁・曲月嘉乃を失って戦意喪失の状態にあるらしい。それは能力不足や諸々のしがらみを理由に戦いには参じなかったものの、気持ちだけは【灯火】に寄っていた全国各地の妖怪たちからの情報だ。
 上野こうずけ檜皮ひわだ姫と呼ばれる妖怪などがその筆頭だ。京都道中の烏山蜜香に、当時まだ倒れていた草萼火遠への見舞いの品を託した妖怪である。
「ごく一部には過激な思想を抱いている者もいるようですが、暫定リーダー格も曲月嘉乃ほどのカリスマ性はなく、瓦解がかいはそう遠くないでしょう。――って言ってましたよ」
 九月の終わり、檜皮に会ってきた蜜香は丙らにそう伝え、ついでに檜皮からの慰労と感謝の菓子折を送り届けた。蜜香がかっくん・・・・と呼ぶ、檜皮の求めに応じて人里の料理を研究させられ・・ている妖怪謹製の品である。
「かっくんも人里近くに不審な動きはないみたいなこと言ってましたし、白黒仮面・・・・のことは気がかりですけど……そろそろ大丈夫なんじゃないですかね?」
「……かも知れんな」
 答え、丙は思う。所在不明の篠と莞。彼らの旧知であり身内であった慈乃と暦・歴は、必ず捜し出すと丙に約束し、戦いの後すぐに旅立って行った。
「良からぬことを考えているようなら全力で止めます。家族ですから。……けれど、もし、まだ解りあえるようなら――」
 そこから先を告げず、慈乃は最後丙や火遠らに微笑んでいた。彼の言外の願いが叶うことを祈り見送ったことは、丙の記憶に新しい。
 どれだけ時間がかかるかはわからないが、篠と莞は恐らく彼らが見つけ出すだろう。丙はそう信じ――頭を切り替え蜜香との会話を続けた。
「むしろ大霊道を強力に封じ込めた今、もうあちきたちや妖怪たちが一所に集まっている意味はないのかも知れない。……"影の魔"の脅威も、当面は」
 と、丙は己の影を見た。
 あの日。最後に乙瓜に恨み言を吐いて消えて行った"影の魔"……自らを曲月常世と名乗ったそれは、元々世界の全ての影そのもの。だから影の在る場所ならどこにでも存在できるし、あのようなはっきりとした自我が芽生えた状態では常に監視されているようなもの、はっきりと最大の脅威だろう。
 けれども……大霊道の禍々しい力の大半を吐き戻した今となっては、【彼女】に出来ることはそう多くない。例え悪意を持っても"調子"の合わない人間を取り込み成り変わることは出来ないだろうし、"呪術者"である琴月亜璃紗や"開発者"であるアンナ・マリー・神楽月を失った今後のツクヨミグループは、"影の魔"が進出する為の呪術製品の生産を嫌でも縮小させざるを得ないだろう。そうなれば指を咥えて見ている他ない。……少々気がかりなことがないわけでもないが、当面はなにも起らないし起こせないだろう。
 本当に、当面・・の間は。
(それが長く続くことを祈りながら、あちきたち【灯火】は監視を続けていく。これからも)
 そう思いながら影を睨む丙を、蜜香はどこか怪訝な顔で見つめた。
「丙さん?」と。不安げに言葉を掛けながら。
「……いいや」
 丙はそんな彼女を見上げて、それから吹っ切れたように「よし!」と膝を叩いた。それが決断の瞬間で、かくして古霊町に留まる妖怪たちは解散することとなったのだった。

 そしてその晩に話は戻る。
 居鴉寺の屋根の上に腰掛け、まばらな家々と同じく疎らな街灯の明かりが離れ離れにぽつぽつと並ぶ古霊町の夜を眺め、ほとりは浮かない表情を浮かべていた。
 解散宣言。仲間の多くはやっと事態が終息したことに歓喜して、……勿論ほとりも嬉しくないわけではないのだが、それはつまりこの古霊町で出会った仲間たちとの別れを意味していて。
 いや、ほとりだってわかっている。もう会えないわけではない。ただ、会うのが難しくなるだけだ。難しいから憂鬱になるのだ。
 最初きつい態度で当たってしまった小鈴と電八、似通った性質から仲良さげに見える彼らだって、それぞれの故郷はそれなりの距離で隔たれている。そしてほとりの故郷だって、地図の上ではそう遠くないが、実際の距離は言わずもがな。それは人間だろうが妖怪だろうが同じだ。丙の求めに応じて京都に、そしてそこから古霊町に集まった妖怪たちは気軽に行き来できないその距離を承知でやって来たのだ。だから散り散りになった後は、そう気軽には会えなくなってしまう。
 皆帰る場所がある。故郷や家族を【月喰の影】に蹂躙された雷獣のような者でも、それでも……だからこそ故郷に帰ることを望む者もいる。別れは避けて通れない。
(仕方ない、よね。……ううん、当然のことだものね)
 ほとりは思い、無意識の内に込み上げて来た視界の底にじんわりと滲ませるものを誤魔化すように星を見た。別に『帰らなくてはいけない』ということはない。だが、ほとりにも故郷と家族が居る。直接顔を見せることは彼らの安心につながるだろうし、報告すべきことも山ほどある。……それもわかっているし、僅かに存在する、同郷の友人の"死"を持ち帰らなければならない者に比べたら、自分なんか全然辛くないとも承知している。なのに。
「なんでだろ。……辛いことを終わらせるために集まったのに。……それでもやっぱり、少しは楽しかったからかな」
 夜空に独り言を呟いて、ほとりは腕で涙を拭った。
 そんな彼女の隣に、すっと黒い影が立つ。
「今日は星が少ないなあ」
「!?」
 不意の声かけに、ほとりはびくんと肩を震わせた。そして彼女が振り返った先には、はたしてこの寺に元から居着いている篤風天狗が立っていた。
「先の戦いでは世話になったな」
 篤風天狗は驚き慌てた様子のほとりとは対照的にすっきりとした表情で、特に許可を請うことなくほとりの隣にどっかりと座った。その胡坐あぐらをかいた脚の上、に寺の居候の童女妖怪である曼珠沙華まんじゅしゃげがちょこんと座り、微笑みながら犬猫のような白目の見えづらい目でほとりをじっと見つめる。
「……それ会う度言ってない?」
 ほとりは呆れたように呟いて、それからもう一度目を擦り、俯き気味になって……それから改めて篤風を、ちょっぴり恨めしそうに見つめた。
「いつからいたの?」
「なぁに、たった今さっきからよ。"風吹かせ"とはいえずっと一所屋根の上にいるわけではないからな」
 篤風はカラリと答え、ゆるりとほとりに視線を向けて、藪から棒にこう言った。
「泣くほど皆が愛おしくなったか」と。
 対しほとりはそう言う篤風をジトリと睨む。
「……やっぱり見てたんじゃない」
「見られてまずいものかいな。別れを思って涙する、それは恥ずべきことではなかろうぞ」
 篤風は飄々ひょうひょうと返し、曼珠沙華の頭を一撫でしてから言葉を続けた。
「実のところ最初は心配しておったのだ。どうにもお前さんはじゃじゃ馬というか聞かん坊というか、それで皆と上手くやっていけるだろうかと。だが杞憂であったな」
「…………悪かったわね。じゃじゃ馬の聞かん坊で」
「悪かァないさ。あの戦いでよォくわかった。俺もお前さんには助けられた。むしろ無様を晒してしまってこちらこそ悪かったな。重ね重ねになるが今の内にもう一度礼を言っておこう。有難ありがとう」
 言って、篤風はぺこりと頭を下げた。彼の胡坐の上に座る曼珠沙華も、それに合わせるように笑顔のままで小さく頭を下げる。
 ほとりはその様に面食らって、赤面して、……それから絞り出すような声で「ありがとうだなんて」と呟いた。
「あ……ありがとうだなんて言われるほどじゃないわよ。だって、私だって、あのとき……あの子のこと認められなかったら、全然……、全然誰かのこと助けたりできなかったと思う……し……」
 もごもごと言うほとりの頭の中にはある人物の顔が浮かんでいた。自分のことしか考えていなかった彼女に、誰かの為に行動することの大切さを、言葉でなく身をもって教えた人間の顔が。
 篤風はそんな彼女を見て、そして彼女の思い浮かべる人物の名を口にした。
「歩深世か」と。
 それはほとりに少しでも注目していた者にとっては当たり前に導き出せる解で、そもそもあの戦いで深世とほとりに間近で接した篤風にとっては謎ですらなかった。けれどもはっきりそれだと当てられたほとりはただでさえ赤い顔を更に真っ赤にして、照れ隠しなのかただ素直でないだけなのか、不機嫌そうに「そうよ」と答えた。
「……なんか文句でも?」
「はは、そんなものありゃしないさ。……だがそうだな、お前さんが皆に歩み寄った理由がそうならば、俺はあの子にも礼を告げねばいけないな。そうでなくとも命の恩人だ」
 篤風はそう言って、屋根の上から見える暗い古霊町へと目を向けた。ほとりもそれにならって町を見て、二人はそれから暫く無言になった。
 少しだけ風が吹いていた。篤風が起こしたわけではない、秋の夜のそよ風が。天気は曇りがちだったが、風はカラリとしていて不快ではなかった。
 その風に併せて、曼珠沙華がゆらゆらと楽し気に身体を左右に動かす。丁度その時期田畑に墓地に赤く咲く、同じ名前の花ように。
 何分か――そんな状態が続いた後、篤風の方から沈黙を破った。
「同じ天狗としてのよしみで言うとな。思い立ったが吉日だぞ。別れが近いなら猶更なおさらだ。いつかでいいと思っていると、特に人間はな。実にはかない」
「…………知ってるわよ」
「なら答えは一つだ。あとはそうだな、来訪神の二人や夜雀の兄弟、雷獣にもきちんと伝えるんだぞ。妖怪とていつ何があるか知れないのは同じことよ」
「……知ってる!」
 ほとりは答え、スッと立ち上がった。その目の下は未だ赤かったが、けれどももう涙は止まっていた。篤風はそれを見上げて微笑み呟く。「まあかな」と。言ってまた曼珠沙華の頭を撫で、曼珠沙華は満足そうに眼を細めた。
 その屋根の下で、小鈴がほとりを捜す声が聞こえて来る。
「ほとちゃーん? どこかいね?」
 どうやら屋根下ではお別れ会のようなものが開かれ出したらしく、耳をすませば別れを惜しむ声や最後のどんちゃん騒ぎが少しずつはっきりと聞こえてくる。
「ありがとね。……あんまり話す機会なかったけれど、あんたも元気で」
 ほとりは未だ座ったままの篤風を見てそう言った。その表情はやっと曇りが晴れたようにすっきりとしていた。
「ああ。お前さんも達者でな」
 篤風は安心したようにそう答え、地上に降り立つほとりを見送った。曼珠沙華も。
 ほどなく寺の中から聞こえて来る、吹っ切るような「いままでありがとう」の大声を聞いて、彼らは心温まる気持ちになるのだった。

 ――そして。
 歩深世の元にほとりからの手紙が届いたのは、その翌日・日曜日のことだった。

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