怪事戯話
第十五怪・怪火桜花の怪事戯話①

 三月も半ばに入り、良く晴れた青空の下に春告鳥うぐいすの鳴き声が響く頃。
 去る週末に三年生を送り出して少し寂しくなった北中は、しかし修了式まではまだひと踏ん張りと、平常通りの授業内容が進んでいた。
 そんな最中、いつもの放課後。部活動中の美術室に訪れたのは、一風変わった珍客だった。

「お邪魔します、こんにちは」
 そう言って扉の向こうから現れたのは、眼鏡をかけた少年だった。その小柄な背丈と華奢な体つき、そして何より幼い顔立ちから、年の頃は小学生ほどに見える。服装はどこか坊ちゃん然としていて、未だに野山で遊ぶ子供の多い古霊町にはそぐわない雰囲気であり、どうも地元の子どもではなさそうだ。
 ――そんな子が一体何の用で? 一斉に首を傾げる美術部員に件の彼はぺこりと一礼し、にこやかな笑顔で二の句を紡いだ。
「火遠の兄さんはこちらですか?」
 その言葉に、美術部全員が唖然とした。只一人、奥の窓枠に寄り掛かっていたを除いて。



「いやあ、久しぶりじゃあないか。最後に会ったのはいつの事だったか――」
「ざっと三十年くらい前じゃないですかねぇ。ほら、映画の料金が一気に高くなった辺りですよ」
「ああそれだそれだ。あれには本当に参ったよ」
 窓際最奥の作業机で、火遠と少年は話に花を咲かせていた。いつもその辺の区画に陣取っている一年達は一つ内側の机への移動を余儀なくされ、やや遠巻きに二人の様子を眺めている。
「明らかな部外者な時点で人間じゃないんじゃないかとは思ったけど、火遠の友達とはなぁ。何て言ったっけ、あの子――」
慈乃じだい
 彼らの方を見ながら言う魔鬼に、水祢が答えた。彼は美術部一年たちと同じ机の椅子に座り、恨めしそうに二人を見つめている。件の来訪者――慈乃は、火遠にとっては友人でも水祢にとってはそうでもないらしく、会話の輪から弾かれた水祢はこうして美術部の彼女達と一緒に居るというわけだ。
「おのれ……兄さんにベタベタしやがって……」
「いや、そんなにベタベタしてるってわけでもないと思うよ水祢くん……」
「知ってるけど兄さんの半径50cm圏内に居るのが気にくわないの」
 困った顔で諭す眞虚に、水祢は振り返りもせずに即答した。眞虚は益々困ったような顔をした。傍から見ていた乙瓜は水祢と出会った時の出来事を思い出しつつ、その感情の流れ弾が自分の方へ飛んでこない事を祈っていた。
 一部で不穏な空気が渦巻く中、そんな事など知ったものかと、いつもと全く変わらない調子で遊嬉が言った。
「それにしても、これまで学校にまでやってくる妖怪ってほとんどが敵とか敵とか、……お使いとか、敵とかだったじゃん? 大体の場面で何かあったから、フツーの茶飲み友達みたいのが出てくるとそれはそれで斬新っちゃ斬新だよね。そしてわりとつまらん」
「つまらんって……あんたは一体何を望んでるんだ何を」
「そりゃあ深世さん、そんなの」
 聞くまでも無いとばかりににやりと笑う遊嬉を見て、深世は心底呆れかえった。
「うわぁ……うわぁー」
「うわぁとか言わないの。傷つくでしょーが」
「いや私の方が傷ついたし。ただでさえオカルトオカルトしくなってしまった学校にあんたはこれ以上何を望んでいるんだと」
「恐怖と混沌」
 遊嬉はしれっととんでもない望みを口にした。
「ほらー! ほらぁーー!」
 深世はやっぱりと言わんばかりに遊嬉を指差し、訴えかけるように周囲を見た。だが他の部員たちの関心は火遠と慈乃の対話の内容か水祢の動向のどちらかに向いており、そんな彼女達から深世に突き付けられた言葉は、薄情にも「ちょっと静かにして」というものだった。
 唯一反応を返してくれる者といったら、丁度対話していた遊嬉のみ。
「ん、ホラーがどうしたって? ほしい?」
 その、唯一の反応がこれである。深世はくらりと倒れそうになるのを何とか堪えながら遊嬉に言い返した。
「いや、ホラーはいらん……」
 そう言って頭を机に伏せた深世の頭上で声がした。
「いやいや、ホラーは必要だよ? ホ・シンセイ」
 その声は遊嬉のものではなかったが、それが誰の者か深世には大体見当がついていた。
「私は怪しげな中国人みたいな名前じゃないって、いつも言ってるでしょーが」
 ぶっきらぼうに答える深世に、声の主が笑った。
「知ってるよ、知ってて言ってるんだから」
 意地悪く笑う声に、深世は顔を上げる。見上げた先には、やはりというか予想通りというか、ケラケラと笑う火遠の姿があった。
「……なにさ、友達とはもういいのか?」
「いやあ、もういいってこたぁ無い。無いんだけどね。慈乃の奴ときたら、どうやら君たちとも話をしたいそうなんだ」
「私たちとぉ?」
 露骨に嫌そうな顔をする深世。そんな彼女を見て、火遠は真顔でこう言った。
「いや、君にはない」
「無いのかよ!」
 何故か意外そうにツッコミ返す深世に、火遠は「ああ」と頷いた。
「寧ろこれから君の嫌いな類の話を色々と蒸し返すから、君は外で遊んで来たらいいんじゃあないのか。寧ろそうした方がいいと思う」
「……おい火遠、それって暗に深世さん追い出そうとしてないか?」
 指摘する乙瓜に、火遠は「そうだね」と肯定の言葉を返す。
「ひでえ」
「とは言うけどね乙瓜。気絶した人を毎回介抱するのは結構面倒臭いんだぜ? こないだなんておでこに大きなたんこぶ作って、一体どんな倒れ方をしたらそうなるんだい」
「ああ、あれは顔面から――確かに危ないな。打ち所によっては命に関わる……」
 乙瓜は先日の出来事思い出しながら神妙な顔で呟いた。他の部員達も「確かにねー」やら「そうだねー」等と口々に呟いている。
 そんなやり取りを見て、深世は堪らず叫ぶ。
「あんたら心配してる風で何気に酷いな! 私だって毎回気絶してるだけじゃないし、役に立った時もあるし……!」
「……役に立った時とは?」
 真顔で聞き返す魔鬼に、深世は堂々と胸を張って答える。
「合唱の時とか! 気絶しなかった!」
「あー……」
 そう言えばそうだなと、深世を除いた五人は納得したように頷く。思い起こしてみればピアノ幽霊の件で嶽木及び火遠と合唱の対決をした時、大勢の幽霊な観客を前にして深世は気絶していなかった。
 そんな事もあったと皆が懐かしがる中、乙瓜の頭には一つの疑問が浮かぶ。もしかしたら他四人も同じことを思ったかも知れないが、口に出したのは乙瓜が最初だった。
「……待てよ、そんなオカルト修羅場を乗り越えておきながら何で未だに気絶するんだ?」
 そんな素朴な疑問を受け、深世は一瞬だけ真顔になり、遅れて答えに窮したように唇を噛みながら目を逸らす。だが、自分に集中する視線に耐えかねたのか、数秒の後に観念したようにこう言った。

「し……仕方ないじゃないか。私が気絶でもしないとみんな怖い話止めないだろ……ッ!」

 ――間。
 明らかな間がそこにはあった。美術室中の誰も彼もが話すのを止め、何とも言えない表情で深世の方を見ていた。
 誰も何も言わないが、皆同じ事を考えているのは明白だった。――それ意図的にやってたんだ。と
「な、なんだよ! 言いたいことがあるなら正直に言えよぅ!」
 焦る深世を取り巻く無言の圧力。その中で、クスクスと楽しそうな笑いが起こった。それは火遠の友人・慈乃の笑い声だった。
「いやあ、失礼。火遠の兄さんの所の子たちはやっぱり面白い子が多いなと、つい」
 彼は口を押えて席を立つと、美術部一年達が集まる机の前まで移動した。
「つまるところそちらのお姉さんは、怖い展開には慣れてきたけど相変わらず苦手なもんだから、身を張って抵抗してると、そういう理由ワケだね。うん、面白い。お話的にとても面白いよ!」
 そう言ってパチパチと手を叩く慈乃に、深世は顔を真っ赤にした。
「ばっ――」
 馬鹿にしてんのか! と叫ぼうとした深世の肩に火遠の手がポンと乗せられる。
「彼なりには褒めてるんだよ。奴は自分で面白いと思ったものには何でもあの調子なんだ」
 火遠は憤る深世を鎮めるように静かな口調で囁くと、慈乃に言った。
「お待たせして済まなかったね。まあ一応、この娘も大丈夫ということだし、このまま君の仕事を始めてしまっても問題ないだろう」
 その言葉を受け、慈乃はにこりと笑った。それを見ながら、乙瓜は火遠に小声で話しかけた。
「……おい火遠、あいつの仕事って何だ? さっき言ってた俺たちと話したいことが関係してんのか?」
「ああ。君たちはこれから話せばいいんだ」
「話すって何を」
 疑問を口にする乙瓜に、火遠はにやりと笑った。
「これまでにあったコトを」
 その返答に乙瓜が首を傾げている間に、慈乃は鞄の中から一冊の本を取り出した。ハードカバーの分厚い本にはしかし題名も著者名も書かれていない。部員達の目の前でペラペラと捲られるページには初めの方こそ文字が書かれているのだが、途中から白紙のページとなっていた。
「なぁに、この本」
 眞虚が思った疑問を口にすると、慈乃は鞄からペンを取り出してこう答えた。
「これはまだ本じゃないんですよ。こんな見てくれをしてますけど、これはね。自分用のメモ帳なんです」
 慈乃はにこりと笑顔をつくると、本を一旦机の上に置き、白紙の一番上に何事かを書きはじめた。それは小題のようであり、書きあがった文章はこのようなものだった。

『古霊北中学校での怪事話』

 ペンを置いた慈乃は、文字が見えるように本を掲げた。
「皆さんには自己紹介が遅れました。僕は妖怪史の記述者・慈乃と申します。日本全国を周り古今東西の妖怪事幽霊事を書き記すのを生業なりわいにしております。……まあ、生業といいましても所詮妖怪の道楽、趣味のようなもので御座いますが。どうぞお見知りおきを」
 慈乃はそこで一旦本を下げ、美術部員に向けて深々とお辞儀をした。そして数秒の後再び顔を上げた彼は、幼子おさなごのように目を輝かせてこう言った。

「それでは皆さんお聞かせ下さいませ。この一年、皆さんの関わった奇怪なお話を――」

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