怪事戯話
第十四怪・幽霊部員と秘密の封印④

「応急手当ってどういうことじゃい……って、多々ツッコみたいことはあったけどさ。幽霊先輩に流されるままに、あたしは図書室に向かったんだ。それで――」
「それで、どうなったんです?」
 乙瓜が身を乗り出しながら言う。その目はまさしく興味津々といった様子で、まるでお伽噺の続きをせがむ幼子のようだ。それは何も乙瓜だけのことではなく、話を聞いている美術部一同が皆一様に目を輝かせていた。
 秋刳はそんな彼女たちを見て少し困ったように頬を掻いた。
「どうなったって言っても、期待するほどのことなんてないよ。応急手当して終わりだし」
「終わりって、ちょっと秋刳ちゃん! その方法を詳しく言わなきゃだめじゃない! 皆が知りたいのはそこなんだから!」
 仮名垣まほろが口を尖らせる。他の部員の中からも「そうだそうだ」と彼女に賛同する声が上がる。
「……はいはい、わかったわかった。話しますよう。……っても、結末が見えてる分そんなにめでたしめでたしって話じゃないけれど」
 秋刳は明らかに不機嫌そうに頬を膨らませた後根負けしたように息を吐き、再び話を続けたのだった。
「封印の応急手当を提案されたあたしは、幽霊先輩に連れられるままに図書室に向かったんだ」



 丁度秋刳が千里塚雨筒と出会ったすぐ上の階。北中三階の西端に位置する場所に、その教室はあった。
 図書室。幾つもの本棚が静かに並ぶそこには、蔵書として勉学の助けになるような本から文学本や偉人伝、学校や地域・国家の歴史に関する資料などが幅広く取り揃えられている。基本的に自習や授業内での調べものに利用されているが、近年導入された大型のモニターがある為、視聴覚室代わりにも使われることがある。
 特殊教室である故に特に利用されていない時には鍵がかけられているが、現在はは昼休みだからか、扉の鍵は開け放たれていた。しかし教室内には相変わらず誰も居らず、不気味な静寂が場を支配していた。
 そんな図書室を前にして不安げな表情を見せた秋刳を振り返り、雨筒は「ごめんね」と呟いた。
「私みたいな幽霊や妖怪の類と人間とが遭遇するとき、意図してなくても僅かに空間が変わっちゃうことがあるみたいなんだ。いや、場所自体は同じなんだけどちょっと違う、みたいな。……なんて言ったらいいのかな。……ううん」
 雨筒はやや考えるようなそぶりをした。そして何もない空間を睨みながら数十秒押し黙った後、ふと何かを思い出したような顔で口を開いた。
「……これはある人の受け売りなんだけどさ。幽霊私たちは普段、秋刳ちゃんたち生きてる人間が居る場所とは同じだけど、カーテンを隔てた向こう側に住んでるようなものなのね。だから本当は幽霊なんて身近にうじゃうじゃいるんだけど、カーテンのお陰で生きてる人には見えない。だけど、人によってはそのカーテンが厚手だったり、薄手だったり、見え方が違うんだ」
「見え方、ですか?」
「そう。世の中には前者が多いね。カーテンが厚くて幽霊が見えない。でも、時々後者が居る。その人たちにはカーテンがレースのカーテンみたいに見えてるから、幽霊が見える。所謂『見えちゃう人』って奴だね。まあ、霊感なんてなくても場所や時間によってはカーテンが薄くなったりするし、心に恐怖があるときなんかは見えやすくなっちゃうかもね。心霊スポットなんかがそれかな。まあ、どんなに薄くても全く見えない人も、やっぱりいるんだけどさ」
「ふぅん、そうなのか……。それで、そのカーテンの話とこの状況とに何の関係があるんですか」
「うん、まあね」
 雨筒は曖昧な笑顔を浮かべ、話を続けた。
「時々ね、時々だけど。まだ生きている人間がカーテンの向こうの空間に入りこんじゃう事があるんだ。今の秋刳ちゃんみたいにね。そうすると、向こうから秋刳ちゃんは見えなくなっちゃうし、秋刳ちゃんからも向こうが見えなくなっちゃう。だから今の秋刳ちゃんには生きてる生徒さんが見えないし、反対に私みたいな死んじゃってる人がとても良く見える、ってわけ」
「えっ、じゃあ元の世界ではあたしは行方不明ってことなんですか!?」
「それはないんじゃないかなあ。こっちとあっち、場所は同じだけど時間の経過が微妙に違うから、あっちじゃそんなに騒ぎになるほどの時間は経ってないと思うよ。ほら、ここは若干ズレてるだけだから、割とすぐ戻れるとおもうし。……あーだけどね。本気の妖怪さんや力のある幽霊さんに目を点けられたら、もっとワケのわからない空間に飛ばされる可能性もあるから、毎回安心ってわけじゃないけどー」
 雨筒は腕組みしながらそう語った。その口調はあまり深刻な様子ではなく、まるで世間話をするような語り振りだった。
 そんな彼女の袖を掴んで、秋刳は問う。
「……つまり、戻れるんですね?」
 黄土色の真っ直ぐな視線が雨筒を射る。雨筒はふぅと一息ついてから真面目な表情を作った。

「勿論。先輩を信じなさい」

 雨筒は図書室の中に入るなり、真っ先に入り口右手の貸出カウンターの中に入って行った。そして何やら呟きながらカウンター下を漁ると、何かを見つけた様子で秋刳を手招きした。
「あったあったこれこれ」
 秋刳が招かれるままにカウンターの内側に入り、雨筒の指さす場所を覗くと、そこには机の裏に隠すような形で一枚の札が貼ってあった。
「剥がして剥がして!」
「いいんですか、これお札でしょ?」
「大丈夫だいじょーぶ、いいからいいから。……ゆうれいじゃ剥がせないんだよ、お願い? さあイッキ! イッキ!」
「むぅ……」
 若干不満の入った呟きを零しつつ、秋刳は一思いに札に手を掛けた。正直、こんなわからないような場所に貼ってある札を見てあまりいい予感はしなかったが、既に自分を取り巻く世界が普通ではなかったので、「どうにでもなれ」というやけの気持ちもあり、一思いに引き剥がした。
 剥がれる、剥離する、剥落する。ビリリという乾いた音を立て、札は破けながら剥がれ落ちた。
「これでいいんですか?」
 じとりと眉を顰めながら振り返る秋刳の視界の先には、しかし雨筒は存在していなかった。それどころか見慣れた図書室の光景すら無く、気付けば秋刳を取り巻く四方には白い靄のようなもので包まれていた。
「な、何!? 何だぁここ、何だこれっ!?」
 慌てて周囲を見渡すが、何処を見ても靄、靄、靄。まるでスモークを焚いたステージのような光景が、視界の端から端まで広がり。どこからか差し込む光に反射してキラキラと輝いているばかり。
「ちゃ……ちゃんと、戻れるって言ったじゃん! 先輩の嘘つき!」
 秋刳は大声で叫ぶが、その残響が彼方に消えるまでに雨筒の声が聞こえてくることは無かった。
 今度こそ正真正銘の異空間に放り出されて途方に暮れる秋刳だったが、溜息を吐いて座り込んだ彼女の前に人影が立った。
「先輩? どこに――」
 どこに隠れてたんですか。そう続けようと顔を上げた秋刳の前にあったのは、雨筒の姿ではなかった。
 全身を真っ黒な布ですっぽり包み。一応人のような形をしているものの、どこが正面かもどこが背面かも、そもそも人かどうかすら定かではない不思議な存在が、そこには居た。
 ともすれば斬新なオブジェのような"それ"だが、何もない世界で聞こえる僅かな呼吸音や衣擦れの音から、辛うじて"モノ"ではないことが窺える。
「……誰、ですか?」
 正体不明の何者かに恐る恐る問いかける秋刳に対し、"それ"は答えた。
「古霊北中学校裏図書室専属司書、兼、永年図書委員長」
 漆黒のシルエットから発せられた声は、意外にも少女の声だった。それも鈴を転がすように可憐な声であり、漠然と野太い男の声を想像していた秋刳は面食らった。
「裏司書? 永年……図書委員長?」
「はい」
 確認するように聞き返した秋刳に頷く声は、やはり先程と同じもので。どうやら布の中の存在が女性であることはほぼ間違いないようだった。
(中東の人? まさかね……)
 秋刳は彼女(?)を上から下までまじまじと見つめた。素肌らしいものが一切露出していないその姿は、確かに少しイスラム女性ような風貌だった。
 そんな事を考えている秋刳に対し、裏図書室の司書を名乗った"それ"は語りかけた。
「ここは古霊北中に存在するもう一つの図書室。いつの時代からか閲覧禁止となった封印された曰くつきの蔵書や、学校に棲む皆々様の愛蔵書の保管庫。この世ならざる知の泉。ですがその存在は隠されており、その存在を知る者もごくごく少数。貴女はそんな裏図書室の扉を開いた、数少ない人間の来訪者。こんな隠された場所に来て下さったという事は、一刻も早く知りたいことがあるのでしょう」
「は、はあ……」
 まるで演劇の台詞のような口上を述べる彼女(?)に、秋刳はただただ圧倒される。そもそも彼女は訳もわからずに札を剥がしただけだというのに。しかし"それ"は秋刳に問う。
「さあ、何も遠慮することはありません。何をお知りになりたいのですか?」
 何を知りたいのか。そう問う"それ"が漆黒の布の奥から鋭い視線が向けているのを、秋刳は感じていた。勿論、目には見えていない。だがこの体を刺すような気配は、やはりどう考えても目の前の"それ"の向ける視線としか考えられなかった。
 ――御用の無い者、通しゃせぬ。不意に、秋刳の頭の中に言葉が浮かぶ。わらべうた、通りゃんせの中に出てくる一節だ。
 仮に「何でもない」だなんて答えたらどうなることだろうか。得体の知れない布を凝視しながら、秋刳は嫌な想像をした。
 声もシルエットも人間だが、あの布の向こう側に居るのが人間の姿をしているとは限らない。のっぺらぼうかもしれないし、大きな口と鋭い牙を持っている可能性もある。万が一機嫌を損ねたりしたら頭からガブリ、なんてのも考えられない話ではない。考えすぎなのかもしれないが、そもそもこんなところに居る時点で秋刳の常識の範囲に存在する"人間"でないことは間違いないのだ。
(落ちつけ、思い出せ。そもそも私はどうしてここに来たんだっけ)
 秋刳は考える。嫌な想像が加速し、頭の中は混乱しているが、それでも考える。千里塚雨筒という幽霊先輩の話を思い出す。開かずの会議室を思い出す。カーテンの話を思い出す。順序立てて整理する。やっと秋刳は思い出す。
(そうか、あたしは――)

「あたしが知りたいことは――大霊道の封印結界を応急修復する方法!」



「それで、先輩は封印を応急手当できたんですか?」
「まあ一応。一応ね」
 問いかける魔鬼に対し、秋刳は曖昧に笑ってみせた。
「裏図書室の司書から本を借りたあたしは、千里塚先輩と一緒に封印を一時的に修復した。と言っても、素人が見よう見真似で施した修復だから、去年の春には御存知通り……」
 秋刳はそこまで言ってわざとらしく目を逸らした。
「ははーん成程。それで一昨年の秋に暫く挙動がおかしかったわけか」
「……だって結界がいつ崩れるか心配だったんだもん」
 菫の指摘に秋刳ははぁと溜息を吐き、改めて乙瓜と魔鬼に向き直ると、また頭を下げるのだった。

「本っ当にごめんね!」

 今度は手まで合わせて謝り倒す秋刳に、二人は少し困ったような顔をした。秋刳としては恨み言の一つや二つ言われる覚悟での告白なのだろうが、当の本人たちとしては今更感もあったし、確かに危険な目に逢いもしたが、かといってこの状況に不満があるわけでもなかったからだ。
「いや……まあ、先輩。顔を上げて下さいよ。えっと、私たち確かに変な事任されたり妖怪どもに弄られたり文句言ったりしてますけど。――ねえ、乙瓜?」
「けっこう嫌いじゃないんですよ。こういうの。――な、魔鬼?」
 二人は頷きあい、秋刳の方に向き直った。
「えっと、まあ。そう言う事です秋刳先輩。私たち怒ってないし、特に先輩の事責めたりしないんで」
 魔鬼の言葉に秋刳はチラリと顔を上げる。彼女が見上げた先の魔鬼も乙瓜も、怒るどころかスッキリとした顔をしていた。
「ほ、本当に? ……本当に許してくれんの? 一発くらいは殴ってもいーんだよ?」
「そうしてほしいならそうしますけど?」
「ねえ?」
 呆気にとられたような秋刳を見ながら、乙瓜と魔鬼はクスクスと笑った。
 気が付けば、彼女達だけでなく美術部の他のメンバーたちも清々しい顔をしていた。ともすれば学校中を怪事多発地点にしてしまった元凶のような彼女を前にして、怒っている者は一人も居らず、寧ろ面白い話が聞けたくらいの顔でそこに居るのだった。……唯一、深世だけが知らない内に机に顔面を伏したまま微動だにしていないのが気になるが、恐らく気絶したのであろう。秋刳は彼女のホラー体勢が極端に低いことを思い出し、彼女には本当に悪い事をしたなあと、心の中で詫びた。無論、意識が戻ったら改めて詫びるつもりである。

「――ほらね、言ってみれば大したことないじゃん」
 不意に秋刳の耳元で声が聞こえた気がした。秋刳は振り返る。だがそこには誰も居ない。しかし、秋刳は声の主が"誰でもない彼女"である事を知っていた。
 留められたカーテンが一つ、風も無いのにゆらゆらと揺れている。あの不思議な体験の後、秋刳は一度も千里塚雨筒の姿を見れていない。だが、きっと彼女は今でもそこに居るのだ。文字通りの幽霊部員として、今も、ここに。
 秋刳は思う。来年の今頃、自分もこの学び舎を後にする。家は決して遠くないが、卒業という儀式を経て人と場所は離れるのだ。距離ではなく、もっと大事な何かが。
(あたしがここに居なくなっても、あの幽霊先輩はずっと居るんだよなぁ)
 不自然に揺らめくカーテンを見てから、後輩たちへと目を移す。彼女等は秋刳が卒業してもあと一年は北中ここに居る。今から数えて二年。そう、彼女等の時間も残り二年しかない。
(終わるだろうか。あたしが居る間に。終わるだろうか。あの子たちが居る間に)
 大霊道がきちんと封印されるまで、あとどれくらいかかるのだろう。卒業すれば部外者で、都合よく訪れることも出来なくなる学校。やり残したまま卒業してしまったとして、次は誰が責任を追うのだろうか。
(例えあの子たちが許したとしても、終わらない限り続いてく……。もし、終わらなかったとして。その時は、あたしが)  漠然とした不安と戦うように自分の腕を握りしめながら、秋刳はもう一度窓を見た。カーテンはもう動いておらず、窓の向こうには暮れなずむ空と白雲が見える。



 星明りが輝かしい新月の夜。
 終電も過ぎて暗い駅のプラットホームに、軽快なメロディを口ずさむ少年が一人。
 肌寒い中に居て軽装の彼は大きな荷物を抱えながら、闇夜の静寂を裂くように歌い続ける。
 やがて線路の彼方に光が見える。目玉のような二つの光。眩い光。それは電車のライトだった。
 来るはずのない電車は駅に停まる。ドアが開く。車両の明かりが零れる。沢山の乗客の姿が見える。
 少年は歌うのを止め、しかし嬉々として電車に乗り込む。
 あり得ない時間のあり得ない電車は少年を乗せると、不思議なメロディと共に発進した。
「楽しみだなあ、楽しみだなあ」
 電車の中で少年が呟く。その顔は満面の笑顔だ。
 相変らず重そうな荷物を大事そうに膝に乗せながら、彼は言った。

「お会いするのは数十年振りだ。待っていてよ、火遠の兄さん」


(第十四怪・幽霊部員と秘密の封印・完)

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