怪事戯話
第十二怪・雪夜に行き世にこんこんと⑤

 ――数分後。
「はぁ、はぁ……! やっと捕まえたぞ半纏小娘!」
 顔を真っ赤にした乙瓜の腕の中には、イヤイヤするようにもがく少女の姿があった。
 ちなみにここに至るまでに熾烈な追いかけっこと雪合戦の応報があったので、乙瓜と魔鬼のウィンドブレーカーは雪まみれである。唯一、レインコートを羽織っていた遊嬉だけは、さほど被害を被っている様子ではなかったが。
「やーだー、離して! わらしもっと遊ぶのーー!」
 乙瓜にがっしりホールドされながら頬を膨らませる少女の顔は雪のように真っ白であり、その口からは白い吐息が出ていないのを見るに、やはり人間ではなさそうだ。
 遊嬉は暴れる彼女に徐に近寄り、その両耳の上ほどに握りこぶしをぐりぐりと押し付けた。
「もう遊びは終わりっ! お姉さん約束はちゃんと果たしたから、学校を元にもどして。早く!」
「痛い、痛い! ……わかったよぅ、戻す! もどしますから堪忍してぇ!」
 少女は身をよじりながら観念したように叫ぶと、乙瓜に自分を放すように促した。
 そしてよろよろと立ち上がると、神社にお参りするように両手をパンパンと叩きはじめた。
「雪さんこーちらっ! 手の鳴る方へ!」
 少女が手を叩きながら歌うように発する言葉は、鬼遊びをしている時の言葉によく似ていた。
 一見してこんなもので異常事態が収束するのか疑わしい行動だったが、変化は思いのほかすぐに表れた。
「氷が……溶けてる!?」
 初めに気付いた魔鬼が声を上げる。
 そう、少女が手を叩いて呼びかける度、あれ程固く凍結していた廊下や壁の氷が解け、その上に堆積する雪も量を減らしている。しかも、かなりの面積で氷解・雪解けが始まっているというのに、辺りが水浸しになると言う事も無く。本来なら当然起こるべき化学変化を無視するかのように、それらは跡形もなく消えて行っているのだ。
 その様子を見ながら、乙瓜は着こんでいたウィンドブレーカーに手をかけた。
「なんだか……暑くなってきたような」
「確かに」
「うぇええい! 暑いんじゃああああ!」
 他の二人も上着を脱ぎだす。特に厚着だった遊嬉などは、幾重にも着込んだ上着をせっせと脱ぎ、無造作に放り投げはじめた。ここが学校の廊下であることなど、すっかり忘れているようだった。
 そんな彼女が上着を脱ぎ終わる頃には、校内はすっかり元通り。窓から見える外には、降る雪も積る雪も綺麗さっぱり消え失せ、殆ど雲の無い空がほんのりと赤く色づいている。
「マジか……」
 魔鬼は窓の外の光景に絶句する。まさかここまで何事も無かったようにしてしまうとは思っても居なかった。
 ――火遠の奴は雪女を引き合いに出してきたけど、一体何者なんだ……?
 疑問と畏れを抱きながら振り返った先の少女は、一仕事終えたようにふぅっと溜息を吐き、無邪気な顔でこう言った。
「約束通り終わりにしたからね、お姉ちゃん」
「……約束?」
 単語を反芻しながら、魔鬼は眉を顰める。そう言えば、遊嬉もそんな事を言っていた。魔鬼は自然と遊嬉の方を見る。乙瓜も同じ考えだったようで、二人から一斉に視線を向けられた遊嬉はやれやれと肩を竦めた。
「約束ってのはね……」
 少し前まで体を動かしていたからなのか、まだまだ暑そうな様子でジャージの前ファスナーを開けながら、遊嬉は語り出した。
「魔鬼と乙瓜ちゃんが下の廊下でスッ転んでる間、あたしは一足先にこっちに来て、そこで階段の上に居るその子と出くわした。まあ、天才的な直感力を持つあたしはそこでこの子が元凶だって気付いて、この猛吹雪と異常寒波を止めてくれるように頼んだってワケ。……そしたら、その子は了解したんだけど、一つ条件を出してきた。その条件ってのが――」
 そこまで言って、遊嬉はちらりと少女を見た。少女はニコリと笑うと、次の遊嬉の言葉に被せるように言った。

「「追い駆けっこして、わらしを捕まえたら終わりにしてあげてもいーよ」」

 二人の声がハモる。遊嬉は呆れたような、或いはくたびれたような溜息を吐きながら「ってワケ」と話を締めた。
「とーっても楽しかったよぉ!」
 少女は腕を広げながら無邪気に笑う。
「た……楽しかったって、おまえなぁ! そんな気まぐれみたいなことの為に俺たちはなぁ! ……ええい誰か刀を持て……じゃなかった、改めて成敗してくれるわ!」
 乙瓜は納得いかない様子でわめき、札を構えて少女に向けた。
「えっ、えっ、……なんで、お姉さんたち怖い顔しちゃやだよ!?」
 少女は何故敵意を向けられるのかイマイチわかってわかっていない様子だが、その背後では乙瓜と同じように定規を構えてじとりと睨む魔鬼が控えている。
「ふえぇん、なんでぇ……?」
 眉をハの字にしてへたり込む少女に、魔鬼は強い口調で言う。
「とぼけたって無駄だぞ、学校中を雪漬け氷漬けにした本当の理由を教えてもらおうか! 第一、お前の素性をこっちは知らないんだ。【三日月】って連中とつながってないとも言えないしな。……さあ!」
「あわわわ……あうぅ……」
「ただで済むと思うなよ……。食い物の恨みと快適な環境を奪われた恨みは海よりも深く山よりも高いんだぞ……!」
 じりじりと迫りくる女子中学生二人を交互に見ながら、少女は言葉にならない言葉を漏らし続ける。元から雪のように白い顔は白いを通り越して青褪めており、完全に怯えきっている様子だ。
 実際の所少女は本当に怯えていた。本来人里離れた山の妖怪である彼女は、人間というものに殆ど会ったことも無く、一応長く生きているような自覚はあるものの、精神年齢は見た目のそれとほぼ変わりなかった。
 つまるところ、完全におこちゃまなのである。そんな彼女の目には、鋭い眼光と敵意を向けながら迫ってくる魔鬼と乙瓜がとてつもなく恐ろしいものに映っていた。
(ひええ……!に、人間こわいよぉ! お母ちゃん助けて……!)
 心の中で念じながら庇うように頭を抑える少女。ほんの少し前まで彼女の方が人間にとって脅威だったことが嘘のようだが、本人にその自覚はない。世間知らずすぎて傷つけているつもりはなかったのだから。
 そんな少女の背景バックボーンや心中など、魔鬼や乙瓜が知る由もない。前後から挟み込むように詰め寄り、もう少女には逃げ場はない。鬼のような形相をした二人に、後は煮るなり焼くなりされるのを震えて待つのみである。
(ば、ばんじ、きゅうすです……)
 少女はぎゅうっと目を瞑った。
 ――その時。
「その辺でやめておきな」
 真上から降ってきた声に、怯えた少女は目を開き顔を上げた。
 少女の見上げた視界の中で、般若の形相の二人もまた宙を睨んでいる。
「今更何しに来たんだよ、火遠」
 乙瓜が不機嫌そうに口を尖らせる。
「いつ出て来ようが俺の勝手じゃあないか。まあ、雪の怪事解決お疲れ様ってことで。まずはおめでとうとでも言っておこうか?」
「全然めでたくねーよ、まだ元凶の正体と目的がわかってねぇ」
 そう言う乙瓜に指さされた先の少女は、「ひぃ」と短く悲鳴を上げた。
「てなわけで、これからこいつ尋問せにゃならんから、火遠は引っ込んどけ」
「そーだそーだ!」
 沸き立つ二人を交互に見つつ、火遠ははあと息を吐いた。
(完全に自分たちの鬱憤晴らしじゃあないか。下の階に残してきた部員は春が来たと騒ぎながら、何でか深世を胴上げしているのに。この二人ときたら……)
 やれやれと首を振り、火遠は二人に伝えた。
「その子は【三日月】の一味じゃあないよ」
「何だって?」
「そうなのか……?」
 二人の視線が一斉に少女に向けられる。再び怯える少女に、火遠は手を差し伸べて立ち上がらせると、優しい声音で尋ねた。
「君の名前を教えてくれないかい?」
 その言葉に、少女は少し戸惑った様子を見せた後、はっきりと答えた。
天華てんか雪童子ゆきわらしの天華」
「雪童子?」
「そう、雪童子……」
 聞き返す乙瓜に、天華は畏縮しながらもう一度答えた。
「雪ん子の事だね」
 彼女らの背後で、暫く黙っていた遊嬉が答える。その両腕にはそこらじゅうに脱ぎ散らかした衣類を担ぎ、幾らか動きにくそうだった。
 遊嬉が言うとおり、雪童子は雪ん子の異称でもある。雪の精霊であるとも言われ、また、雪女の子どもとも言われており、雪女と同じく雪深い地域の山の妖怪だと伝えられている。
「教えてくれないかい、山の妖怪である君がわざわざこんな平地まで降りてきた理由を」
「理由……理由……ぁ」
 火遠に問われ、天華は何かを思い出したような顔をした。そう、彼女には果たすべき目的があった。勿論、それは雪を降らせて人間を凍えさせる事ではない。もっと大切な用事である。だが、困ったことに子供である彼女は雪降らしの楽しさに夢中になってしまい、そのことを今の今まですっかり忘れていたのだ。
(そうだった、わらし、お母ちゃんのおつかい一人でできるよって、だから来たのに……!)
 彼女は出来ると思っていた事が全くできていないことにショックを受けながら、慌てた様子で口を開いた。
「あっ……あのね! わらし、お母ちゃんが『かのん』って人に伝えてって、だから来たのっ」
「俺に? 何をだい?」
「えっと……これ」
 天華は半纏の内側をもぞもぞと弄ると、白いものを引っ張り出した。それは手紙のようだった。
 火遠は手紙を受け取ると、軽く中身を改めた後、優しく天華の頭を撫でた。
「ありがとう。お使いご苦労様」
「…………」
 褒められたのに、天華はしょぼくれた表情で乙瓜と魔鬼の方を交互に見ている。けれど当人たちはそんな彼女の視線に気づいておらず、二人して火遠の受け取った手紙の中身が気になる様だった。
「どーしたよ、何か言いたいことあるんじゃなぁい?」
 眉を八の字にする天華の前に遊嬉が立った。気温が元に戻ったとはいえまだ冬場の陽気の中、初夏ばりの薄着で腕まくりする彼女は、意味ありげに笑っていた。
 彼女を見上げ、自信なさ下に天華は言う。
「お姉さんは怒ってないの……?」
「んー、お姉さんはねー。いや、別に怒ってないよ? めっちゃ疲れたけどねーー。だけど、あの二人はどうだろーね?」
「…………っ」
 天華は言葉を詰まらせた。
 そんな彼女の両肩を持って、遊嬉は言う。
「だけど、悪い事をしたと思ってるなら、……わかるよね?」
 天華はもう一度顔を上げ、遊嬉の目を見つめた。遊嬉の鮮血のように真っ赤な瞳は、けれど優しい色に見えた。


「なー、その手紙何が書いてあるんだよー!」
「だーめ。機密文書ー」
「ちぇっ。けちーー」
「けちくそー」
 魔鬼と乙瓜はすっかり怒りもイライラも失せ、今ではすっかり火遠が受け取った手紙の内容に興味深々と言った所だった。そんな彼女たちの背後から、振り絞ったような声が上がった。

「あ……あのっ!」

 突然上がった大きな声に、二人は自ずと振り返る。その先には顔を真っ赤にした天華が居た。
 遊嬉が励ますように肩を持つ中、天華は緊張しすぎて裏返った声で続ける。
「ごめんなさいっ! お姉さんたちと学校のみんな、酷い目に合せてごめんなさいっ……!」
 勢いよく言って、彼女は腰から深々と頭を下げた。その足はまたぶるぶると震えている。
 真下を向いた彼女の視界には廊下の白い床がある。その隅に、青い学年カラーの上履きが二足入ってくる。
「ばあか、頭上げとけ。やりにくいだろ」
 頭上から降ってきたのは乙瓜の声だった。天華はまた怒られること覚悟で、ゆっくりと顔を上げる。
 しかし、見上げた先の乙瓜の顔は、先のような鬼の形相ではなかった。その傍らに立つ魔鬼の表情も、同一人物のものとは考えられないくらい穏やかなものだ。
 乙瓜は口角を緩く上げながら、天華に右手を差し出した。天華は殴られるのではと思い、咄嗟に身を固くする。……が。
「あんまり人間をナメんなよ、そりゃあめっちゃ寒かったけど、俺も魔鬼も遊嬉も、今はこうして無事じゃないか。つか、そんな事より疲れたわ」
 天華の頭に乙瓜の手がぽんと乗せられる。ほんのり暖かい手は頭を撫でこそすれ、彼女の頭を殴ることは無かった。
「怒らないの……?」
「ん? 怒ってほしいんなら怒るけど。嫌っしょ、そういうの。それにもういーや」
 魔鬼が答えながら教室の方を振り返る。
 暫く死んだように静まり返っていた教室の内側からは、「春か!?」「ついに冬を越したのか!」「日本の夜明けだーーー!」等と、何やらご機嫌な声が聞こえてくる。
「一応死人は出てないっぽいしねー。だけど次に同じ事したら、そん時は無事かわからんよ?」
 わざとらしく不穏な笑みを浮かべると、魔鬼はデコピンの要領で天華の頬を軽く弾いた。

 あまりにあっさりな幕引きに目をぱちくりさせている彼女に、火遠は言った。
「あっさりすぎて驚いてるって顔じゃあないか」
「……だって、お母ちゃんに聞いてたのと全然違うよ?」
「だろうね。まあ、彼女たちは子供だから」
 火遠はクククと笑った後に、こう続けた。

「――だが、願う事なら大人になっても忘れないでいて欲しいもんだよ。今のような気持ちをね」



 豪雪と氷結の怪事が収束し、生徒たちが夢でも見ていたような顔をしながら学校を後にしたその夜。
 遅くまで残っていた職員も帰宅し、非常灯の頼りない灯りを除けば殆ど真っ暗闇同然の北中の中。その僅かな光源さえ断ち切るように暗幕を下した生徒会室の中に、トイレの花子さんを筆頭として、灯りを必要としないこの世ならざる数名の者たちの気配が存在していた。
「――北関東三県に於ける【三日月】の人員拡充計画、地方妖怪の強制徴用及び監視……。連中、ここに来てやけに活発じゃないの」
 雪女からの手紙に目を通し、花子さんは気だるげに溜息を吐いた。
「はン、おまけにあの世郵便の検閲たぁやることが違う。だがあんな小さいガキンチョを遣わすこともないだろうに」
「ヤミちゃん」
「……わーってるよぅ。仕方なかった、ってさぁ」
 花子さんに睨まれ、闇子さんはめんどくさそうにひらひらと手を振った。
「しっかしなぁ、ずっと表だって活動してこなかったのに、こっちにも二度襲撃して来てる。一体どういう風の吹き回しなんだろーな?」
『困った時に僕を見るなよ』
「だって元構成員じゃんか。何か知ってることあるんだろー?」
 闇子さんにせがまれ鏡の中の住人はやれやれと肩を竦めた。
『マガツキさまが組織の行動を再開させたのは、北中大霊道の一時封印が解除され、草萼火遠が復活したからに他ならないよ。それに、今までだってただ黙っていたわけじゃないんだ。人の世に呪いや怨恨を意図的に発生させたり、ひっそりと人員拡充を進めてはいたんだ』
「呪いねえ。そんなもん撒いて何が楽しいんだか、あたしにゃちょっとわかんないわー」
『君たちの本分は人を怖がらせることだから、そう思うんだろうね。だけど彼らはともすれば一過性の恐怖より、永続的な呪詛を与え続けることを選択した。まぁ、明確な敵意だね』
「ふぅん……。なんだかな」
 闇子さんは机に頬杖を付いて黙ってしまった。花子さんも腕組みしたまま壁に背を付け、黙り込んでいる。
『僕みたいな下っ端ならいざしれず、【三日月】上層部の奴らは皆多かれ少なかれ人間社会に敵意を持っているよ。恐らく争いになるだろうね。この間の副長格も、本気の実力はあんなもんじゃない。もし全力で襲ってきたら、あの子たちに退けられるか……。僕たちも無事かどうかわからないしねェ』
 他人事の様に言う魅玄の言葉を聞きながら、花子さんは目を伏せながら呟いた。
「…………。和解はできないのね」
『恐らくは。マガツキ様の怨念は深いよぅ? なんたって、井戸の底の悪霊が一人の怨敵に向けるのと同じ密度の呪いを、全世界に向けて……って、うわっ!?』
 かつて構成員だったときの気分が抜けていないのか、どこか楽しげに語る魅玄の声が、驚きの言葉と共に途切れる。それは、机の上に置かれていた、彼の宿る鏡が急激に持ち上げられたからだけではない。
 彼が外界を覗いている鏡の向こう側に、忌々しげに睨む青い瞳があったからだ。
『水祢っ……!』
 魅玄の声が震える。それはまるで恐ろしいものでも見たような反応だった。
 水祢は呆れたような冷ややかな目線を魅玄に送ると、鏡をわざとらしくぶんぶんと振り回してからもう一度睨みつけた。
『目が……目が回るよ水祢……』
「お前が愚か過ぎるのが悪い」
 吐き捨てるように言い、水祢は鏡を机上に投げた。元が玩具のような鏡は幸いにして破損することは無かったが、もししっかりとした材質のものだったらどうなっていただろうと、魅玄は目を回しながらも戦慄した。
「えげつねーなー」
 そう呟く闇子さんの横を抜けて、水祢は生徒会室の扉の前に立つ。ほんの少しドアを開けると、廊下の窓から月明かりが漏れ出てくる。
「非礼を」
 扉横に立つ花子さんにぺこりと頭を下げた水祢は、そのまま夜の廊下へと姿を消した。



(第十二怪・雪夜に行き世にこんこんと・完 )

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