怪事戯話
第三怪・怪談の女王様③

 幽霊ってのは、ドロンと化けて出るものだという。
 たった今、烏貝乙瓜の頭上で起こった出来事を的確に表すならば、まさに『ドロン』だった。
 
 音、というものは空気を揺らして伝わる波だ。
 幽霊の声というものは果たして通常の音と同じ振動によって伝わるものなのか、それともやはり超常的な力で脳に直接伝わるものなのかは皆目見当つかないが、少なくとも乙瓜には、通常の声と同じように聞こえた。
 そして、見上げた、頭上には。

 最初に目に飛び込んできたのは、黒。
 不自然に、しかもあたかも自然に。ふわりと浮かぶ長い黒髪。
 よくホラー映画に出てくる女幽霊の生気のないそれとは異なり、やわらかく艶のある美しい髪の毛だった。
(シャンプー何使ってんだろ……)
 思わずいらぬことを考えながらも、乙瓜は長い長い髪の毛を目で辿る。
 末端部分は二つに分けられて赤いリボンで縛られているのを確認して、その反対である根本、つまり髪の本体の方へと視線を移動させる。

 彼女は、いた。

 ここの学生たちと同じ制服を身にまとい。白い、しかし死人の青白さではなく、所謂『美白』と評されるような白磁の肌をもち。
 形のいい顔の輪郭の内側には、肌と対照的な薔薇色の唇。長い睫毛の真ん中には、宝石のような紅の瞳が鎮座し、眼下の乙瓜を見下ろしている。
 それをしっかりと認識した瞬間、どきりとした。
 女の乙瓜が見ても生唾を飲み込むレベルの『美少女』が、目の前に浮遊していたのだから……!
 
「ぇ……あ、あの……」
「あなたが代理人さんね」
 微妙な気恥ずかしさからうまく言葉を紡げないでいる乙瓜に、『彼女』はすっと顔を寄せて微笑んだ。
 丁寧に切りそろえられた前髪のおかげで花のような表情がよく見える。
(って……おいおいおいおいおいまてまてまてまて! 相手は女、相手は女! しかも明らかに人じゃない人に、何ドキドキしてんだ……!)
「そんなに固くならなくてもいいのよ。うふふ。力を抜いて……」
 ぐいっと、ますます近くなる『彼女』の顔。現状を簡潔に言い表すなら『密室で人外に襲われて(?)いる』なのだが、乙瓜の心臓の鼓動は恐怖とは正反対のベクトルで高鳴っていた。
(ええええええ何この人やばいやばいなんか近い近い近いこれキスしちゃうキスしちゃういやこれキスしちゃうってあわわわわわわ……!)
 そんな、ラブコメの主人公みたいな考えが脳みその中で破裂しそうになった時、何の前触れもなく扉が開いた。

「花子さんでたー?」

 火遠だった。

「やっだー、火遠ったら久しぶりじゃないのー!」
 ほんの一瞬の出来事だった。
 『彼女』……こと花子さんは、扉が開けられた瞬間に跳ねるように乙瓜から体を離し、まばたきするまもなく今度は火遠に飛びついていた。
 そんな彼女を抱き止め、ついでに反動でくるくる回りながら、「しばらくぶり」とか「十年位ぶりかしら?」なんて、旧知の親友のように言葉かわす彼らを、乙瓜は個室の中から呆然と見ていることしかできなかった。
(なんだろう、実際はなーんにもされてないのに、この純情を弄ばれた感はどこからくるんだろう……)
 なんて思いながら。

「紹介するよ、ていうか紹介するまでもないだろうけど。彼女が古霊北中学校ここの花子さん」
 一通りいちゃいちゃ(乙瓜にはそうにしか見えなかった)し終えた後、火遠は何事も無かったかのように花子さんを紹介し始めた。
「花子さんは、まあさっきのでわかったろうけど、基本的に他人ひととの距離感零だから、鬱陶しいかもしれないけど仲良くしてやってよ」
「よろしくねー」
 さらっとすごい酷い紹介をされたにも関わらず花のような笑顔で流す花子さんに、乙瓜はある種のおそろしさを感じた。
(天然なのか……それとも『黒い』のか……)
 わからねえ、と戦慄する乙瓜を余所に火遠は続ける。
「で、花子さん。こいつは乙瓜。烏貝乙瓜。なんかこの間俺の封印解いて立ち向かってきたんで返り討ちにして下僕にしました」
「あら、そうなのー」
「いや違うし。下僕ちがうし。しかも――」
 しかも返り討ちにされたのお前だし。というツッコミを内心に押し留めたと同時、乙瓜は先程の紹介で何か引っかかったのを思い出した。
「……まて。さっきお前『ここの』花子さんだって言ったな。まるであっちこっちに花子さんいるみたいな口ぶりじゃあないか」
 乙瓜の話題転換に二人(いや、二匹か?)は一瞬目を丸くするも、「ああ、そのことね」と火遠が目くばせすると、花子さんは語りだした。
「ご推察の通りよ乙瓜。私たち花子さんは全国どこにでもいる。でも、全部が同じ花子さんじゃない。同じ花子さんがあっちこっちに縄張りを持ってる場合もあるけど、この片田舎では一人一校ね。ねえ乙瓜、知らなかったでしょう? 花子さんって全国分業制なのよ」
「ぜ、全国分業制ぃ!?」
 まじかよ、と衝撃を受ける乙瓜を目で笑いながら、花子さんは続ける。
「勿論、日本のあっちこっちに都合よく『花子さん』って名前の悲運の幽霊がいるわけはないわ。だからね、うーん、何て言うのかしら。これは花子さん間のローカルルールみたいなものなんだけど。……あ、そうそう乙瓜。乙瓜は花子さんになれる条件、って何だと思う?」
「え、は、花子さんの条件!? な、なんだそりゃ……!」
 唐突に話をパスされてどもるのを楽しむよう見ながら、花子さんは回したパスを無理矢理奪い戻した。会話のサッカーボールである。
「花子さんになれる条件は容姿じゃない、生い立ちじゃない。すごく単純明快で直截簡明ちょくせつかんめいな、唯一絶対の解あるのみ」
 言うと、彼女は人差し指をまっすぐ立てた右手を、右腕を、天井向かってすっと突き上げた。

「花子さんとは強者に許された称号! 花子さんとは、知らない者はいないその名をほしいままにする者! 故に女王! 学校怪談の女王様、それが『花子さん』、それが私!」
 全世界に向かって宣誓するかのような勢いに気おされる乙瓜に彼女は問う。女王は問う。
「さあて乙瓜。あなた私を呼び出すときのまじない文句は御存知?」
 答えはイエス。オカルトに精通している美術部一員たる乙瓜が、ましてやほんの数分前それを聞いていた乙瓜が知らないわけはない。

 『花子さん、遊びましょ』の、その言葉を……!

「遊びましょって言われて遊ばない子はいないのよ。人間もそうでしょ? だからあなたと私は遊びましょ。遊ばなくてはだめなのよ。そう、これは試練。学校の女王たるこの私が、あなたをこの学校の理の調停者、その代理として認めるために課す試練のようなもの」
 花子さんは大きな目を不気味に細めると、言った。云った。確かに宣誓った。

「いーつーかちゃんっ、あっそびっましょ!」

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