怪事捜話
第九談・盛暑青海サマーデイ③

「たっまみちゃーーーーん! おっひさーーーー!」
 チャイムを押して一呼吸。内からの返事も待たず、昭和情緒残る引き戸をガララと開け放つなり、遊嬉はそう叫んだ。
 程なくして、民宿『りくのうえ』の整然とした玄関と続く廊下の奥から、妙齢の女性がひょこっと顔を出す。
 恐らくあさだろうか、夏物のやや涼し気な着物に身を包んだその女性は、遊嬉を見るなり破顔一笑、林檎リンゴのような頬を上げてニコリと笑った。
「遊嬉ちゃぁぁん! よく来たわねぇ、また大きくなってぇ!」
 彼女は早足で玄関まで下りてくると、遊嬉をひしと抱きしめ、その頭をよしよしと撫ではじめた。
「ちょっ、珠美たまみちゃ……皆見てるんだからそれやーめーてー!」
 遊嬉は女性――珠美の抱擁から逃れようともぞもぞと体をよじった。
 そこにきて漸く珠美は、玄関先で棒立ちになっているその他美術部一同の存在に気付いたのか、「あらやだ……」と顔を赤らめた。
 そして遊嬉から一歩離れて咳払いを一つすると、綺麗な所作で腰を折った。
「遠いところをよくいらっしゃいました、わたくし女将おかみの珠美と申します。……まあ、女将といってもそれほど立派なものでもないんですけれども」
 きっちり90度のお辞儀の後、珠美は遊嬉以外の部員の顔を一人一人確かめるように視線を流した。そして「友達沢山連れて来たわねえ」と、遊嬉を見てちょっぴり困ったように笑った。
 そこで率先して「……ご迷惑でしたか?」と尋ねたのは深世だった。流石は部長と言うべきだろうか。しかし珠美は首を振ると「とんでもない」と否定した。
「迷惑だなんて! 寧ろ仕事が楽になりすぎちゃって、どうしようかと思ったくらいだわ! 小さい宿だけど部屋はちゃんと用意してあるから、遠慮せずにゆっくりして行ってね。……さて、それじゃあ一先ずお部屋に案内しますね。その大荷物じゃ海で遊べないでしょう?」
 微笑んで建物の中へ誘う珠美に、美術部一同は声を揃えて言った。

「お世話になります!」


 屋外からの見かけに拠らず、『りくのうえ』は存外に広い民宿だった。客室は一階二階合わせて六つ、一部屋辺りたっぷり八畳はある。
 美術部一同の通された客室は二階の一番奥。ちょっぴり時代を感じさせる内装の隅で、最新式のテレビがちょっぴり居心地悪そうに座っている。けれど、決して悪くはない。
「広さ足りてるかしら? 窮屈なようだったらもう一部屋用意できるけれど」
 人数を見て申し訳なさそうに尋ねる珠美に、遊嬉は軽い調子で返す。
「大丈夫ー、足んなくてもちょっと詰めればいいだけだし。エアコンあるからよゆーよゆー」
「そう? じゃあ……」
 珠美は一応納得したように呟くと、いよいよ民宿のあれこれについて説明し始めた。
「朝食と夕食はそれぞれ朝と夜の7時に一階の食堂で出すから、遅れないように気を付けてね。昼食は……外で食べてくるお客さんが多いから、必要な場合だけ事前に伝えておいてくれれば、正午頃に出せると思うわ。勿論今日は大丈夫よ、……ただ、少し買い足しが必要かもね」
 いかにも育ち盛りな六人の顔を見て、珠美は悪戯っぽくクスリと笑った。
「ええとそれから……そうね。トイレと洗面所とお風呂は一階。トイレが上がって来た階段のすぐ横で、洗面所とお風呂がその反対側。お風呂のお湯は朝には抜いちゃうから、夜の内、できるだけ早い時間に入ってね。他のお客さんも一応いるから、あまり長湯はしないこと。遊嬉ちゃん分かった?」
「……んもう、わかってるよぅ」
「どうだかねえー」
 珠美はむくれる遊嬉を見てニヤリとし、それから漸く『バイト』について言及しはじめた。
「この子から聞いてると思うけど、バイトっても大してやる事ないの。けどまあ、折角人手が集まったのだから、そうね。食事後のお掃除や食器洗い、お風呂掃除と……あとお布団干したりするのを分担して手伝って貰いたいわ。いいかしら?」
 小首を傾げる女将の頼みに、まず頷いたのが杏虎だった。眞虚、深世、魔鬼、乙瓜とそれに続き、遊嬉だけが「ええー」とぶーたれている。
「なんでさー? いつもちょっとした掃除くらいじゃーん?」
「だぁっていつもは遊嬉ちゃんしか居ないじゃないの。それにこんなに大勢で掃除なんかしたってちいっとも働いたことにならないじゃないの。ねえ?」
「私もそう思います」
「深世さんッ! んもー…」
 タコみたいに口をすぼめて尖らせる遊嬉を見て、珠美も美術部もクスクスと笑った。
 遊嬉はそんな場の雰囲気に顔を赤くして抗議するのだが、それが茹蛸みたいで益々皆の笑いを誘った。
「遊嬉ちゃん、家族親類にはとことん弱いねぇ」と眞虚が呟く。きっとその脳裏には今朝の戮飢家でのやりとりが思い浮かんでいたに違いない。
 その呟きは遊嬉の耳に届くことは無かったが、自宅でも親類の前でも変わらず陽気でお調子者な遊嬉を見て、眞虚はちょっぴり羨ましく思ったのだった。

 程なくして、珠美は客室から出て行った。今朝の分の掃除は概ね終わっているので、後は昼まで表で遊んできていいとの事だった。
「そしたら一日の大半やる事ないじゃん。……本当にバイトっていうか簡単なお手伝いって感じだな。ていうか、これでこの旅館やってけるのか?」
 旅行鞄から財布を引っ張り出しながら、乙瓜は遊嬉を振り返った。
 部屋には既に乙瓜と遊嬉しか居らず、他の皆は一足早く階下に降りてしまっている。
 話しかけられた遊嬉はというと、先程の茹蛸・・から一転、すっかり何事も無かったかの様に部屋を出ようとしていた足を止め、「ああ」と理由を話し出した。
「まーそだね、ぶっちゃけそこまでは儲かってないっぽいけど、潰れるって程でもないっつーか。それに珠美ちゃんの旦那さんの弟が結構設けてる漁師らしいし」
「ふーん……」
 納得した風に答えた直後、乙瓜は遊嬉の言葉に一つの疑問を抱く。そして次の瞬間、その疑問を包み隠す事無く正直に口に出したのだった。

「旦那さんは何してるんだ?」と。至極当然の疑問を。

 その言葉を受けて、遊嬉は一瞬固まった。
 きょとんとした表情で数秒押し黙った後、どこか気まずそうに「あー……」やら「んー……」やら唸った後、声を潜めてこう言った。

「珠美ちゃんの旦那さんは旅館の経営がてらライフセーバーをしてたんだけど……。去年の盆から行方不明なんだよ」



「改めて……海だぁーーーッ!」
 いよいよ昼の日差し眩しい夏空の下に手を広げ、深世は眼前の大海に向けて叫んだ。
 その姿は既に水着……であるのだが、悲しい事かな、折角そこに夏の海があるというのに、深世の水着は学校の水泳の授業と全く変わらないスクール水着姿であった。
 一方、その他美術部員はというと。砂を掘っている眞虚も、浮き輪を抱えている魔鬼も、水鉄砲を構える杏虎も、皆スクール水着とは明らかに違う、カラフルで三者三様のかわいい水着を身に纏っている。
 その姿を見て深世は吼えた。「この裏切者どもめえええええええ!」と。
「いいかお前ら! 私ら中学生だぞ中学生! それをこんな、はしたないこんな、フリフリつけていい気になってこんなーーーーーッ!」
「いやいやいや、言うてももうあたしら中学生じゃん。学校でもあるまいし別にいいじゃんよ。ていうかフリフリつけてんの魔鬼だけだし。あたしと眞虚ちゃん付けてないし」
「ねー?」
「……悪かったなフリフリで」
 唯一フリルのチューブトップを着ていた魔鬼がぷうと頬を膨らませる。深世はというと、別に何でもないと言った風の三人の反応を見て「だあらっしゃい!」と叫び、妙なポーズで魔鬼をビシッと指さした。
「貴様らまだ13そこそこで男が目当てか……ッ! ううう……確かに漫画とかじゃあそうかもしれんけどなッ……そういう若年層の性の乱れがだな……ッ! ……ぐぬぬぬぬう……!」
 深世はそう叫ぶなり、何やら感極まって来たのか泣き出してしまった。一人クライマックスである。
 お陰様で通りすがったリゾート客にチラチラ見られてしまい、美術部は恥ずかしいやら情けないやらで……まあいつもの事だった。
 魔鬼は実に嫌そうに息を吐くと、所謂『漢泣き』の如く立ったまま顔を腕で覆って泣く深世の肩をポンポンと叩いた。
「……もしもーし? 深世さん?? 言ってる事はまあわからんでもないけど、遠い世界から帰っといでー?」
 あらぬ方向にトリップしてしまった深世を引き戻すべく呼びかける魔鬼の横で、杏虎はやれやれと肩を竦めた。
「ったく妙な所で真面目なんだからさー、うちらの部長は。……そもそも水着変えたくらいで男寄ってくるんだったらだぁれも苦労しねーつーの」
「きょ、杏虎ちゃん、それあんまり大きい声で言ったら怒られるよ……」
 眞虚は杏虎の大胆な発言に苦笑いを浮かべた。そしてふと、遅れている遊嬉と乙瓜の事を思って陸側を振り返った。
 すると丁度海の家付近の更衣室の前に、ビーチボールを引っ提げた遊嬉(やはり彼女もスクールじゃない水着だった)と、その後に続く乙瓜の姿が見えたのだった。
(ああ、良かった。二人ともちゃんと来たみたい)
 眞虚は安心し、二人に向けて手を振った。遊嬉もそれを見て気付いたのか、乙瓜の手を引いてパタパタと駆けだした様子だ。
 ――それにしても、と眞虚は思う。遊嬉の手に引かれる乙瓜は、なんだかやたらと周囲を気にした様子で、水着の上にパーカーなんぞを羽織っている。
(多分アレ、濡れちゃ駄目な奴だと思うけど……)
 前門の虎、後門の狼か。なんとなくもう一波乱ありそうな予感に、眞虚は仕方なく苦笑いした。

 そこから乙瓜が何やらそわそわしていた理由が「テンション上がってガラにもなく可愛い水着を買って来てしまって何となく落ち着かなかったから」だとわかり、深世が「またフリフリ族かァ!」と叫ぶまで、二分とかからなかった。

「裏切ったな! また私の心を裏切ったな! よりにもよってッ……ビキニ……このっ……!」
「またって何だよ!? なんで俺キレられてんだよ!? ~~ッ、だから見せるの嫌だったんだ……! どうせみんな浮かれてんじゃねえよとか思ってんだろぉ……!」
「思ってないから! 着なくていいから! ……ああもうなんだこの浜辺のめんどくさい人頂上決戦は!」
 泣き怒りの表情でパーカーのファスナーを上げにかかる乙瓜の手を止めながら「ああもう!」と叫ぶ魔鬼の顔に、何の前触れもなく冷たい物がかかった。
 いや、魔鬼だけではない、それは乙瓜にも、深世にも、暴れる深世を抑える遊嬉や眞虚にも平等にかけられたのだ。
 その正体は水。塩辛い海の水ではなく、それは真水であった。そして皆に水を掛けたのは他でもない、水鉄砲片手にガンマンポーズを決めている彼女――杏虎であった。
 皆から数歩離れた場所で煙の出ない銃口をヒュウと吹く杏虎を見て、真っ先に「何すんだ」と叫んだのは魔鬼だった。
 それに対し杏虎は、何でもない表情で一言。
「いや、皆頭冷やそうぜと思って」
 ぽかんとする五人相手にそう言い放ち、彼女は続けた。
「ていうか、あたしら遊びに来たんしょ? 水着がどうとか二の次で、楽しく涼しく遊べなきゃ意味ねーじゃん。はいはい、意味ないやり取り止め止め。文句あったらあたしに一発当ててみな」
 んじゃ、と呟くなり、杏虎は浅瀬に向けて駆けだした。杏虎が先程まで立っていた場所には、恐らく彼女が持ち込んだのであろう、人数分の水鉄砲が転がしてあった。
 それを見て美術部五人は。皆目をパチクリとさせた後、互いに顔を見合わせて。水鉄砲を手に取り、そして。

「待てい杏虎!」
「当て逃げが許されるとでも思うたか!」
「絶対逃がさないんだから!」
「おいちょっとまてよ、俺のパーカー濡れたんだけど!?」
「……脱いじゃえば?」
 等、思い思いの言葉を吐きながら、杏虎の背中を追いかけるのだった。



 一方その頃、美術部と同じ海岸の、少し離れた地点にて。
 燦々さんさんと照らす太陽の下にパラソルとデッキチェアーを広げ、のんびりと夏を過ごしている三人の少女が居た。
 一人は燃え上がるような深紅の長髪で、残りは黒髪のロングとショート。内二人は白い肌を陽光の下に横たえ、何やらやたらと優雅な様子だった。
 残るショートの少女は、影になったパラソルの下から一歩も出ようとせず、無心に海を見つめてどことなく憂鬱げであった。
 そんな憂鬱そうな少女は影の中から光の下の二人を見つめ、憎々し気に呟いた。
「こんな所に私を連れてくるなんて、何かの嫌がらせかしら?」
「あら、嫌がらせなんてとんでもない。いつも同じお部屋じゃ飽きちゃうかと思って、折角連れて来てあげたのに。そうよね、エリィ?」
 振り向いた長い黒髪の少女はニィと笑うと、傍らの紅髪の少女に話を振った。雑誌に目を向けていた彼女は溜息一つ吐いて体を起こし、笑顔の少女を一瞥した。
「あまり人を揶揄するものじゃないわ、三咲」
「だってぇー」
 長い黒髪の少女――三咲は、不満げに頬を膨らませた。
 そう、彼女達は魔女。青薔薇なる組織に属する石神三咲、アルミレーナと、彼女らに連れられるパラソルの下の少女が烏貝七瓜。
 一度美術部を襲撃して以来敵とも味方ともつかぬ行動を繰り返している彼女らは今、よりにもよって美術部のすぐ近くまで来ていたのだった。
「だって七瓜、この間もう一人の方……乙瓜ちゃんに会ったって言ってたじゃない。どこまで話ちゃったか知らないけど、ヘンゼに知られたら大変だよぅ?」
 唇を尖らせて三咲が言う。俯きながら「わかってるわよ」と七瓜が答える。三咲はやれやれと肩を竦め、頬杖を付いて言葉を続けた。
「ヘンゼは七瓜とあの子を争わせたがってるもの。仲良くしようとしてたなんて、知られちゃったらどうなるか。ね? エリィー」
「……そうね」
 エリィ――アルミレーナは素っ気なく答えると、七瓜を振り返って言った。
「ヘンゼリーゼはヤツら月に連なるモノを根絶やしにしようとしてる。……あくまで自分の娯楽の為にね。だから――結果的に貴女にも得になる事だからと、あの乙瓜という子を消そうとしている。……七瓜。貴方にはヘンゼリーゼに拾ってもらった恩があるから、その言いつけを果たそうとしてきたのよね。……けれど」
 アルミレーナはそこで一旦言葉を区切り、七瓜の傍へ寄ると、その瞳を真っ直ぐに覗き込んだ。その髪と同じ、焔の如く紅い瞳で。そしてこう続けた。
「もしも……もしも貴女に僅かでも迷いがあるのなら。無理に従う必要はないと思うわ」
 言って、彼女は僅かに微笑んだ。そしてくるりと七瓜に背を向けると、再び元居た場所へと戻って行ってしまった。七瓜の存在できない、陽の光の下へと。
 七瓜はその一瞬の優しさに感じ入り、しかし何も言えずに暫し俯いていた。
 そして幾許かの沈黙の後に顔を上げ、すっかり何事もなかったかのように時を過ごす二人の友人を見て、輝く海を見て……そして呟いた。

 ――こんなに綺麗なのに、と。

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