怪事捜話
第九談・盛暑青海サマーデイ②

 週は開けて二十九日火曜日。
 時刻は早朝7時、遊嬉の胡散臭い誘いに乗った美術部二年・遊嬉を除いた五名の姿は現在、戮飢りくのうえ家の前にあった。
 見慣れた制服ではなく各々の私服へと身を包んだ彼女達は、ちょっと遊びに行くにしては大き目の荷物をそれぞれ抱え、この時間に集まるようにと指定した張本人の登場を待っていた。
 ……かれこれ10分も。
 そんな中、しびれを切らしたように足元の小石を蹴り飛ばしたのは杏虎だった。
「……っていうかさぁ、遊嬉のヤツ、自分から呼び出しておいて出てくるの遅くね?」
 忌々いまいまし気に呟いて、杏虎は家の二階・遊嬉の部屋をにらみつける。
 閉ざされた窓の向こうでは部屋の主が慌ただしくしているようで、ドタバタと探しするような音が鳴りやまない。……遊嬉の事だ、恐らく前日に準備をしないまま寝て、そのまま寝過したのであろう。
「ちゃらんぽらんな子でごめんなさいねえ」と、玄関先で申し訳なさそうにしている遊嬉の母の表情も、暫く前から引きつりっぱなしだ。
 何とも言えない空気が場を支配し始めた頃、やっと主役が姿を現した。
 パンパンのボストンバッグを抱え、バタバタと廊下を走ってきた遊嬉は、白々しい様子で「おまたせー」と手を振っている。
 あたかも何事もなかったかの如く玄関を出た彼女を見て、最初に口を開いたのは他でもない彼女の母だった。
「何がお待たせだこのあほんだら! 約束したならちゃんと守んなさい!」
「えー? なんだよおかーさん、仕方ないじゃんさー」
 友人の前であるにも関わらずピシャリと叱られて、遊嬉はむぅと唇を尖らせた。まるで反省する様子がない。
 そんな遊嬉の頭に容赦ないチョップが叩き込まれるまで、1秒とかからなかった。
「痛ッ!?」と頭頂部を抑える遊嬉を一瞥し、母親は立ち尽くす五人に向き直った。
「もうまったく、本当に馬鹿なでごめんなさいね~」
「あ、えと、おかまいなく……?」
 何事も無かったかのようにオホホホと笑う遊嬉の母親にぎこちない返事を返しながら、杏虎は思った。あのチョップアレは壊れたテレビを直すときの角度だったと。そう思ったのは何も杏虎だけでなく、その場に居た五人の部員全員が同じ感想を抱いていた。
 ――『テレビの映りが悪い時には叩けば直る』。近年薄型化&液晶化が進み、ブラウン管の箱型テレビがほぼ絶滅種と化す中で、尚も消えない昭和の知恵の一端が、そこには在ったのだ。
 ……と、皆がロストテクノロジーに思いを馳せる短い間に遊嬉は立ち直ったらしく、叱られた事などすっかり忘れたような表情でぐーんと腕を伸ばし、大きな声で宣言した。

「じゃあ行きますかっ!」



 戮飢家から車に揺られる事30分、古霊町南西の駅から電車に乗り換え1時間。
 それなりにそこそこ手間と時間をかけて辿り着いたのは、県東に位置する海辺の町だった。
 現地は快晴。降り立った無人駅の白いコンクリートには盛暑の陽気に煽られた陽炎が揺らめき、届かない逃げ水が遮るもののない青空を映し出している。
 改札を出て、防風林の松の木が立ち並ぶ道を歩く事数分。林の途切れたその場所に辿り着いた瞬間、独特の匂いを含んだ風が、待ち構えていたかのようにざぁっと吹き込んできた。
「うーみだぁー!」
 目を輝かせて深世が叫んだ。残りの五人も「おお」だの「わぁ」だの、思い思いの感嘆詞を持ってその心情を表現している。
 空を映して青い海。潮風に乗って光る白波。辺りを飛び交うカモメの鳴き声。ざざんと唸る波音はけた砂浜で泡と弾け、押しては引いて、引いては押してを繰り返している。
 あの日灼熱の美術室で夢にまで見た光景が、そこには広がっていた。
「やぁったっ! 来ちゃったよ海! 海来ちゃったよ!! やっほー!」
「落ち着け深世さん。やっほーは山」
 何気にこの日を一番楽しみにしていたのだろう、海に向かって叫ぶ深世にツッコミを入れる杏虎。
 そんな二人を横に乙瓜と魔鬼は今歩いている防潮堤ぼうちょうてい上の道から海岸へと降りる階段を下りはじめており、既に海へ向かう事以外頭にない様子だ。
 そんな魔性の海を見つめて眞虚は大きく深呼吸すると、傍らの遊嬉を見遣ってニコリと微笑んだ。
「良い天気で良かったねぇ、遊嬉ちゃん」
「ふふん、あたしはここぞというとき晴れ女だからねぇー、これくらいは予定調和ってもんよ。へへん!」
「う、うん。ちょっと返しに困るかな……」
 得意げに胸を張る遊嬉に苦笑いを返す眞虚は、次の瞬間何かを思い出したようにポンと手を叩き「そういえば」と切り出した。
「そういえば、今日のバイト先って?」と。
 そう。今日眞虚たちは只遊びに来たわけではない。
 遊嬉が言う所の「海で遊べてタダで寝泊まりで来てお給料も貰えちゃう」という、如何にも怪し気な触れ込みのバイトこなす為に此処に来たのだ。一応は。

 バイト。あの日――亜熱帯のサウナと化した美術室で、「海」というマジックワードをエサに友人を釣った遊嬉の説明によると、それは県内沿岸の某町にて遊嬉の親類が経営している、小さな民宿の手伝いであるらしい。
「手伝いっても、別に夏休みだからって特別忙しいってわけじゃないんだよね。田舎んみたいなとこでのんびりしたい人が来るとこだから、部屋が満杯になるわけでもなし、回転が速いわけでもないし、そんなやる事ないんじゃないかな。どっちかってーと理由付けて親戚の子に遊びに来てほしいのが近い感じ。あっちからあんまり来れないからね。お小遣いくれるし」
 遊嬉はそう語ってから約束の日と待ち合わせの時刻について念押しし、一泊分の着替えとタオル、そして水着を忘れずに持って来いと伝えたのだった。
 ……もっとも、待ち合わせについては本人が一番守れなかったのだが。

 というわけで、「遊ぶ、時々お手伝い」くらいの認識で来た眞虚は、遊ぶより先に件のバイト先――例の民宿の所在を確認しておこうと考え、遊嬉にそれを訪ねたのだった。
 遊嬉はその問いに一瞬ポカンとするが、すぐに何の事か思い至ったようで赤べこのように首を振った。
「ああ、それならこーこ」
 言って遊嬉が指さしたのは、彼女らの現在地点から車道を挟んで反対側に建つ、一見平凡な民家だった。
 二階建ての、少し大きめだが町並みによく溶け込んだ普通の家。しかしよく見てみれば成程、その玄関口には個人経営の居酒屋のような小さな看板が掲げてあり、『海の宿・りくのうえ』と、海なのか陸なのか今一つ判然としないカオスな文字列が踊っている。
「ほ、本当だ……全然気付かなかった……。ごめん私普通に民家だと……」
「や、それがウリなんだよ。……でもまあ、看板もっと表に出せばもうちょい儲かるたぁ思うけどねぇ~」
 やれやれと肩を竦め、遊嬉は海へと視線を戻した。
 防潮堤から見下ろした海岸では、真っ盛りの夏を楽しむ水着の人々の群れに紛れた泳げない服装の見知った四人が、……何故かえていた。

「リア充ほろびろおおォォ! あああああァ!!」
「焼き鳥たべたぁい!」
「お好み焼きィーー! かき氷ィぃぃ!」
「せかーいせいふくー!」

 炎天下の日光で脳みそがやられたのか、海に向かって意味不明な事を叫び続ける四人を見て、遊嬉はポツリと呟いた。
「あいつらこの頃頭のネジ飛ばしすぎだと思う」
 あたかも自分とは無関係であるかのようにそんな事をのたまう遊嬉を見て、眞虚は複雑な表情を浮かべた。
(みんな遊嬉ちゃんにだけは言われたくないって言うと思うよ……)
 胸中に浮かんだ辛辣しんらつな言葉を心に秘めたまま、眞虚もまた遊嬉と同じように海を見た。
 生まれた街と違う海、けれども同じ色の青と輝く波の広がる海。そんな海を見て、眞虚は深く溜息を吐き、そして「水祢くんも連れてくればよかったな」と呟いた。
 その小さな呟きは傍らの遊嬉が浜辺の四馬鹿を呼び戻す声に掻き消され、誰にも届くことは無かった。

「はいはーい美術部みんなちゃぁんと戻って来れたねぇ~。部長嬉しいぞっ」
 砂浜から防潮堤上に戻って来た四人を見て、遊嬉はにんまりとわざとらしい笑みを浮かべた。
「ちょぉっとまてやぁ! あんたがいつ部長になった部長にィ! 部長は私ッ! 私なのッ!」
「えーー、だってぇー。深世さんが部長さぼってんだもーん。……ていうかなーにぃ? リア充滅びろって。プークスクス。ワロタワロタ」
「いっ、いいじゃんか別に海に向かって何叫んだってぇ! そのわざとらしい笑いやめろむかつくぅ!」
 案の定深世と遊嬉の二人がいつも通りの実のないやり取りを繰り広げ始めた中、海に向かって欲望を叫んでいた残りの三人はというと。
「いやあ、俺たち食べ物の名前ばっかり叫んでたから腹減ったな……」
「焼き鳥食べたいぃ……」
「あたしは別に?」
「……っていうか杏虎の世界征服食べ物じゃねえじゃん!? 卑怯!」
「卑怯だ卑怯だ!」
 こちらもまたこちらで相当不毛な会話を繰り広げていたのだった。
 そんな纏まりのない彼女らを纏めたのが眞虚の「いや、民宿に挨拶いこうよ?」という苦笑いの言葉で。一同はすんなり納得した後、限りなく只の家っぽい民宿『りくのうえ』へと足を運んだのだった。

 ――その先に、夏の夜に相応しい、ちょっとした怪事が待ち受けているとは知らずに。

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