怪事廻話
第三環・宿命粛正サバイバル④

「あれは……」
 薄雪領地の森の奥で新技・・を編み出そうとしていた魔鬼は、彼方で炸裂さくれつした鮮烈な気配に一時手を止め顔を上げた。
 それは魔鬼だけでなく、別所で弓の修行をしていた杏虎も空を見上げていたし、丁度手合わせしていた眷属の一人を打ち負かしたばかりの遊嬉もまた同じだった。
「そうだよ乙瓜ちゃん。その輝きは乙瓜ちゃんの力。火遠がいなくたって、ちゃんと二本の足で立っていられる」
 ふふんと笑い、遊嬉は慣れない重たい剣をするりと鞘に納め、起き上がった眷属に一礼してから空を見る。
 社の中で光を見た深世と斬子らは鮮烈な光に目を覆い、それから何かが成された予感に慌てて外へ飛び出した。
「「今のって!」」
 彼女たちがそれぞれ見上げた白い空を貫く橙の光。どこか火遠の炎に似たそれは、しかし彼の炎の輝きではなく。彼に存在を救われた彼女の再起の光だと、誰もがっていた。

 ――退魔結界陣銀星。
『星』の名を与えられた護符の隊列は空に大きく五芒星を描いて乙瓜の周囲を覆い、眞虚の護符槍から乙瓜の身体を守る盾となる。
 護符の槍と護符の盾の衝突は、元が紙切れとは思えない重厚な音をそこかしこに撒き散らし、……やがて眞虚の最後の一撃がはじき返されたのを最後として、辺りに静寂が訪れた。
「はあ……はあ……」
 荒い呼吸を繰り返し、乙瓜はがくりと膝をつく。猛攻を逃げ切った脚の筋肉は既に固く疲弊し切っていて、緊張の糸が切れてしまえば、後はもう崩れるばかりだった。
 膝が付けば今度は肘を、四肢を。遂には全身を地面に投げ出して満身創痍の様相ながらも、乙瓜は誇らしげに呟く。
「勝った」
 はは、と笑いを交えながら。「やった」ではなく、「勝った」と。――そう、彼女は勝利したのだ。己の意思が、己の心が。紛いものでないと証明する戦いに。借り物の力に守られていた頃の己自身に。
 残った力を振り絞って突っ伏したままの体をごろりと転がし、仰向けの大の字でニヤリと笑う乙瓜の視界の端に二本の足が映る。
 小鳥眞虚。今の今まで本気で乙瓜を攻撃していた相手。
「おめでとう。お疲れ様」
 彼女は敵意一つない穏やかな表情でそう言うと、ゆっくりと膝を屈め、そのままとすんと地面に座り込んだ。
「回復結界、かけようか?」
「いや、いい」
 ありがたい筈の申し出を断り、乙瓜はスウと深く深呼吸する。
 どこか外界とは違う神域の空気をたっぷり肺に吸い込んで、少しずつ吐き出して。代わり映えしない白の天面に視線を向けたまま、けれども清々しい表情で彼女は言う。「眞虚ちゃんありがとう」と。
「お礼言われるほどのことなんてしてないよ。……むしろごめんね、この三日」
「いいんだよ。眞虚ちゃんが厳しくやってくれたおかげで、やっと得る事ができた」
 詫びる眞虚に笑顔を返し、地面に投げ出していた右腕をおもむろに天にかざした。
「これでまた戦える。戦って、【月喰の影】あいつらの野望をどうにかして。……また火遠あいつが目覚めたなら、俺たちの戦いは終わりだ」
「終わり、かぁ。……戦いが終わったらどうしようか? なあんて。普通の女子中学生まわりのみんなはこんなこと考えてないだろうね」
 眞虚はクスリと笑った後、地面にぺたりとついたままの両足を持ち上げて体育座りの格好になり、それからどこか寂しそうに呟いた。
「高校受験……だろうね。深世さんに言わせれば。まだ終わってないぞーって言うんだろうね」
「……ああ」
 高校受験。それは中学三年生を迎えた彼女らがいずれ迎える当たり前・・・・の事で、故にすぐに頭に浮かんでこなかった事。
 いつしかずっと続くように錯覚していた美術部の美術部らしからぬ非日常的な日々。その終焉を思わせる単語を前に、乙瓜も眞虚も少しの間黙り込む。
 始まったものはいつか終わってしまう。この世界に永遠不変のものなんてありはしない。みんなずっといっしょにはいられないものなのかもしれない。けれども。
「頑張ろうよ乙瓜ちゃん。【月】との戦いも、受験勉強も。いつか私たちが美術部でなくなっても、火遠くんや水祢くんたちとお別れする時が来ても。みんながみんなのままお別れできるように。みんながみんなのまま高校生になれるように」
 ね? と微笑んで、眞虚は立ち上がった。
「杏虎ちゃんに遊嬉ちゃんに深世さんに魔鬼ちゃん、勿論乙瓜ちゃんも、私も、花子さんたちみんなも。みんなで未来その先へ進もう」
 言って胸の前で拳を握りしめた彼女を見上げ、乙瓜もゆっくりと体を起こした。
「……そうだな。終わらせるために、始めるために。俺たちが今ここで頑張らないといけないな」
 起き上がった彼女の目が見つめる神域の彼方には、先刻放たれたのと同じ代々の光が星のようにまたたいていた――



 眞虚と乙瓜の総力演習が終わった頃、神域内の神逆神社宝物殿内に於いて一際強い光を放つ葛篭つづらがあった。
 その葛篭に収められている宝物こそ、退魔宝具・禍津破まがつやぶり六勾玉むつまがたまである。如何に超常の宝物とはいえ平時はおとなしく・・・・・している勾玉の異変を察知し、この領域の主たる薄雪媛神は思案する。
(疑うまでもない。禍津破は橙の――烏貝乙瓜の放った護符術の光に反応して起動・・した。猿神やつの云うところの意思の力が贋物を本物へと変え、退魔宝具の所有者・・・・・・・・足り得る存在へと成長させた……か)
 薄雪のひづめの両手が器用に開いた葛篭の中では、六勾玉の内の一つが特に強い光を放っている。
木行もくぎょうだいだい・"シン"の勾玉。おぬしきのと/木の弟の字と真なる意思を手に入れた娘に力を貸してくれるか?」
 その橙色の勾玉は古の神の呼びかけに応えるようにゆっくりと明滅すると、再び大人しく・・・・なった。他の勾玉も待っていたかのように輝くのを止め、宝物殿は再び静かな薄闇に包まれた。
「……よい。よい。時が来るまで今は眠れ、眠るのじゃ」
 物言わぬそれらと何かを通じ合えたのか、薄雪は再び葛篭を蓋で閉じ、紐でしっかりと封をして元の場所へと仕舞う。そして彼女が宝物殿を後にしようと見遣った出入り口の階段の下には、長い黒髪の、彼女の一族ではない巫女がすました顔で佇んでいた。
「禍津破のこころはございましたか? 媛神ひめのかみ様」
「相変わらず可愛げがないのう狐巫女。畏れ多くも神の意の先を読もうとは、文徳狐みのりぎつねは自分のところのかんなぎにどういう教育をしておるのやら」
「それこそ相も変わらずぐうたらしております」
 狐巫女――八尾異はニコリと首を傾げ、それから神と変わらぬ金の双眸で改めて薄雪へと向けた。
応じた・・・のなら媛神様におかれましても喜ばしい事ではありませんか。六勾玉の力無くしては【月】どもには勝てない。その六分の一に力を与える所有者が見つかったのですから」
「……簡単に言うなぁお主は。まったく、誰に似たのやら」
「そんなの、誰かと誰か以外にありますか?」
 ふふふと笑う異をジトリと見下ろし、薄雪は小さく溜息を吐いた。
 誰かと誰か――それはほぼ間違いなく草萼火遠と文徳狐だ。
(彼奴らときたら……碌な影響を与えんのじゃから。もう片方・・・・が目を覚ましたら説教じゃな)
 が契約を結んでいた相手が独立した今、遠からず訪れるだろう再会の瞬間にかける一言を考えながら、薄雪は小さな山羊耳をピクリと動かした。
(誰ぞこの場所に介入しようとしておるようじゃが……弱体化したとてそう簡単にやられてやる儂ではないぞ)
 神域外に存在する何者か・・・へと軽蔑の念を飛ばし、彼女は見えざる場所を睨む。……しかし相手は恐ろしく察しが良いらしく、薄雪が捕捉したのは既に消えた何者かの気配の残滓のみ。
「――逃げたか」
「どうされたので?」
 薄雪がやや不機嫌に呟くのに対し、異はきょとんとした反応を示したのみだった。現世では神にも近い霊感少女の力も、真に神と呼ばれる存在とその支配する空間内では絶対ではないらしい。
 その知覚外で何が起こっていたのか知る由もない狐の巫女を一瞥し、薄雪は只「なんでもない」と呟いた。
 なんでもない――そう、なんでもないのだ。
(育ち切るまで決して触れさせはせんぞ。【月】の外道どもめ)
 去った気配に唾を吐きつけ、薄雪は動き出す。

 なんでもない。戦いはとっくに始まっている――それだけの事なのだから。



 リィンリィンと鈴が鳴り、暗中の気配はクスクスと笑う。
「いいの。いいの。今は入れさせてもらえなくても、いつかは必ず出て来るから」
 作り物のような顔面を不気味に歪め、髪飾りの鈴をシャランと鳴らし。それは――【月喰の影】幹部・葵月あおいづきかずらは歌うように囁く。
「どこまで育つ? どこまで育てる? 楽しみに待ってるわねぇ、巣立ったばかりの若鳥を、吊るして捌いて食べる日を。待ってるからね、待ってるからぁ」
 不穏なことば不敵に紡ぎ、蘰は静かにその場から離脱した。

 そう、戦いはとっくに始まっている。北中が攻め入られたあの日から――それよりももっと昔の因縁から。ずっとずっと水面下で続いている。
 それを終わらせ生き残るために、滅びの宿命を正す為に。美術部彼女たちはあがくのだ。



(第三環・宿命粛清サバイバル・完)

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