怪事廻話
第三環・宿命粛正サバイバル③

「勅令! 草萼準速効退魔結界・七色蟲たまむし・改! 急襲制圧結界・針路支配者の槍ロードスピア!」
 彼方に立った少女の宣言ことばくうに響き、一瞬後に無数の護符の槍となって白砂利の大地へ――ひいてはその上に立つもう一人の少女へと向かって雨あられの如く降り注ぐ。
 集中豪雨・・・・の直撃圏内に立つ少女・烏貝乙瓜は、その手指の間に己の護符を握りしめ、攻撃を支配する少女・小鳥眞虚を真っ直ぐに見つめた。
 雄大な原生の大地に暮らす狩猟の民のような超視力を持たない乙瓜には、軽く二十メートルは向こう側に立つ眞虚の表情をはっきりと窺い知る事は出来ない。それは当然の事ながら眞虚にとっても同じことで、双方が視線だけで意思疎通を図る事はほぼ不可能だ。
 襲い来る護符槍を寸での所で避け続ける乙瓜がどんなに苦しい視線を向けたとしても、その意思は眞虚には伝わらない。だからとて仮に言葉にして伝えたとしても、眞虚が攻撃の手を緩める事はないだろう。
 されども「何故」だなんて、今更に説明することもない。それが為の修行・・なのだから。  乙瓜が再び護符を、己の力として再習得する為の。
 今現在乙瓜に出来るのは、「護符を投射する事」。それそのものはかつて――護符の技を手に入れた後の一ヶ月の『修行』によって習得したものだったが為に、勘を取り戻すのは早かった。
 けれども、それだけだ。
 あの放課後の走り込みを始めて以降、一応護符についても修行らしきものをしていたのだ。……が。乙瓜が術らしい術を発動させたことは、あれから今日までの間に一度もない。
 どうしたらいいものかと悩んだ二人は、一度多忙の丙の元を訪れた。
 逗留中の居鴉寺の縁側にて、どういう原理か宙に浮かんでいる謎の光る文字列を睨みながらも話を聞いてくれた丙は、何やらブツブツと独り言を言った後に、ふと思いついたように言ったのだ。

「いっそ一度全力で演習でもしてみたらどうだ」と。

 ――『【灯火】あちきたちの術式を発動する上で最も必要なものは素質でも呪文でもなく、「成し遂げたいという強い意思」だ』。……それは他の誰でもない、現在の【灯火】の護符術式を火遠と共に組み上げて来た丁丙の言葉である。
「あんまりこう言いたかないが、今までの乙瓜お前さんは数ある"影の魔"の分身の一つで、誰か――七瓜から写し取った仮初の意思で動いてた。その欠落・・を坊の奴が契約で補填していたから今まで問題なく護符を使えていたわけであって、要するにお前さんは今まで一度も本当の自分の意思・・・・・・・・で術式を使ったことはなかったって事だ。だから、まァ、そうだなあ。無理矢理にでも護符を使わなくてはと強く思う状況にさえなれば、お前さんの意思と護符の術式回線が再接続つながって、もう一度全ての護符術式を使えるようになるだろう、って見立てだ。要するに」
 などと語った後で、丙は演習の件を提案してきたのである。
 どうしても護符を使わなくてはいけない状況なんて日常ではまず起こりえない。そうでなければ危険な状況が最も手っ取り早く望ましいが、敵の襲撃待ちではリスクの方が大きい。だからこその手段としてなら「模擬戦による演習が最適だろう」とのことであり、その理屈は乙瓜らにも理解できた。
 そうとなると必要になってくるのは暴れる場所・・・・・である。どれだけ騒いでも周囲の迷惑にならない場所。その条件を満たす場所は、実に都合よくもたらされた。
 鬼伐山斬子によって提供された薄雪媛神の神域。現世ではなく、時間の流れが異なる異界。
 絶好の場所を得たことにより、此度の「合宿」は決行されたのだ。

「……まーたとんでもないスパルタだなあ」
 彼方天面で炸裂する七色の光を見上げ、杏虎は呆れと感心入り混じった溜息を吐いた。
 彼女が――彼女が乙瓜と眞虚に便乗する形で神域にやって来てからおよそ三日。とはいえ神域内での経過時間であり、現世の時間では一日経ったかどうかというところだろうが、もう目に映るものの大半が白いことに慣れてしまうくらいにはこの場所で過ごした杏虎にとっては、一日の内に何度か起るそれ・・が――眞虚の術が呼ぶ虹色の光の炸裂がちょっとした楽しみになっていた。
 眞虚が乙瓜の護符術を呼び覚まさせる為に仕掛ける攻撃は回を重ねるごとに苛烈になって行き、常に靄がかったような憂鬱な空に産む虹はどんどん美しくなっていく。
(見てる分には綺麗で楽しいんだけどさ。……そろそろいい加減どうにかしないと、そのうち眞虚ちゃんに殺されちゃうよ? 乙瓜)
 物騒な事をさらりと思った後、杏虎はずっと抱えたまま下ろしていた弓を構え直した。
 もう彼女の意識は彼方のにはなく、己を取り囲む無数のモノたちへと向かっていた。
 小さな的を掲げてゆらゆらと不規則に動く、紙の面で顔を覆った人影たち。現世で死して尚薄雪媛神に仕える眷属たち。
 杏虎もまた己の目指す事の為に動き出していた。それはきっと魔鬼も遊嬉も同じだ。
 三日前にこの場所に来て以来遊嬉は剣術を、魔鬼は魔術を。それぞれ更に極めるために、薄雪の眷属の力を借りて修行を始めている。
 皆なかなか一所に集まらない上に分野が違う為に順調かどうかはわからないが、誰もが昨日よりも強い自分になるために戦っている事は確かだろう。そういった意味では、深世や斬子もまた戦っていると言えるだろう。
 神域のやしろの中、不在の眷属たちの机を借りて一人黙々と受験勉強に励む深世は、時折遠くから聞こえて来る爆音に顔を上げては、傍らの少女・鬼伐山斬子に訊ねる。
「……あいつら怪我してないかな?」
「大丈夫。たぶん、きっと」
 この三日間幾度となく繰り返された遣り取り。問いと返答がもうすっかりお約束の内容となってしまったことがおかしくて、斬子は小さく噴き出した。彼女の膝上にはあの五人が着替えた服が畳まれている。一見してクリーニングから戻ってきたばかりのように綺麗だが、実際は毎日ボロボロになるまで着て帰ってきたものだ。
 大層な霊能を持たない斬子の神域での主な役割は、美術部が一日一日着潰す勢いで汚し傷つけてくる衣類を洗い修繕することだった。とはいえ難しいことはない。神域の水には不思議な効果があり、一定時間浸けておけばどんな傷も汚れも自然と無くなる。……ので、実質やることは水に浸して干して畳む事だけ。非常に簡単で――けれども誰もそれをしない以上、最も重要な仕事。それを斬子は担っているのである。
 その都合上社の近くに居る事が多いので、自然と話し相手は深世に絞られてくる。かと言って長々と話したい事があるわけでもないが、時折時報のように繰り返される会話の中で、確かに分かり合っているものがあった。
 二人とも、あの五人の無事を願っているということ。信じて待っているということ。多くを語り合わないからこそ、互いにそれを強く実感していた。
 何もできないかもしれない。それでも、少しでも何かの力になれたら。
 祈り、願い、待ち続ける。彼女らもまた静かに戦っていた。

 そう、誰もが戦っていた。――言うまでも無く、この合宿のはじまりになった乙瓜だって。

 眞虚の放った連撃は乙瓜が避けられるか避けられないかのギリギリのところを的確に狙い撃ち、乙瓜に気の緩む隙を与えない。
 そんな苦境に立たされて尚、乙瓜は握ったままの護符を展開出来ないでいた。
 護符を広げ、結界を展開出来れば楽になる。乙瓜がそうしたいと思う動機は十分だったし、現に切に願っている。
 だが、それでも、まだ何かが足りない。
(……それでもまだ、あの頃の感覚に辿り着けていない……!)
 理屈なんてない。けれども乙瓜は確かにそう感じていた。あの頃。火遠と契約し、当たり前のように護符術を使えていた頃。その頃にあった何らかの、形容しがたい感覚が、今の自分には足りていないのだと。
(それが何なのかはわからねえ。でも、それがないときっと何の術式も使えない。護符を飛ばすことしか出来ない。護符そのものにも力はあるにしろ、……でもそれだけじゃ駄目だ……!)
 天から降り注ぐ無数のかわし、乙瓜は考える。あの時あって現在いまはない何か、その正体について。
 それは火遠ではない。否、火遠であってはいけない。所詮己は七瓜の姿形を真似ただけの虚像だと、火遠に繋ぎ止められないと人間未満のニセモノだと認めてはいけない。……それを認めてしまう事は、何よりあの日その力を賭して乙瓜おのれを七瓜の贋物でも"影の魔"でもなく『烏貝乙瓜』という個にしてくれた火遠への裏切りだ。
 だから乙瓜は自分で見つけ出さなければならなかった。己と護符術式を繋ぐための最後のかなめを。
(何の根拠もない。だけどあと少し・・・・、あと少しで何かに手が届きそうなんだ! あと少しで……!)
 その焦燥が一瞬だけ判断を鈍らせたのか、護符槍が乙瓜に右耳から僅かに髪の毛一本分の隣を掠める。
 今、数ミリでも右にずれていたら――。その事実が乙瓜の思考を「視えない何かへの希求」から「今この現状への対処」へと連れ戻し、同時に震え上がらせた。
 小鳥眞虚は本気だ。本気で攻撃を仕掛けている。……所詮演習だからとなあなあ・・・・そこそこ・・・・に相手をしているのではない。ともすれば乙瓜を撃ち抜く覚悟で攻撃を続けている。――それは何よりも乙瓜の為に。
 乙瓜に護符の力を再び与える為に。殺意一歩手前の誠意で。全力で。……乙瓜の知る小鳥眞虚は、そういう子だ。
「眞虚ちゃん……!」
 小さく名を口にしながら乙瓜が見遣った彼女は遠く、依然としてどんな表情かおをしているのかわからない。確かなのは攻撃は止みそうにないという事実と、胸の内から湧き上がる思い。

 死にたくない、死ぬのは嫌だ。――始まりの日の願い。そこに重ねるのは脅威への殺意ではない。

は……、生きていたい……ッ!」

 純粋な願い。願いに願いを重ねた時、彼女の手は無意識の内に動き出していた。
 指と指の間に挟む護符を天へ投げ放つ。一瞬の空白の後意識が追い付き、己の行動に驚き目を見開き。その次の瞬間には、乙瓜はもう覚悟を決めた。
 ここしかない。ここ何も成せなければ文字通り死ぬしかない。
「草萼……、退魔結界……」
 弱々しく頼りなさげな宣言。けれども乙瓜の中では何かと何かが繋がり始める。つい先刻まで単なる紙切れだった護符が己の身体の延長のように感じられ、もう己の意思で自由に動かせるのだと悟った。
 どのように展開し、どのように動かすのが最適か。その為に最適な言葉は何か。
 一秒を何万倍にも引き延ばしたかのような長大な一瞬の中で、乙瓜はそれに辿り着いた。
 やっと。ようやく。故に。

「……護符術式発動! 隊列『天』から『星』へ! 草萼退魔結界陣、銀星ぎんぼし!」

 自信を新たに宣言し直す。荒々しく、力強く。彼からの借り物の【星】の名を、己の星として得る為に。
 咆哮の如き言葉は弾け、橙の閃光と鳴って白い神域にほとばしった。

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