怪事戯話
第十五怪・怪火桜花の怪事戯話②

「この一年、かぁ。思い返せばなんだか色々あったよな」
 乙瓜は顎に手を当てた。
「えーっと、どこからが始まりだ? とりあえず俺が火遠の奴と会った日から事が始まったと見るべきか、それとも秋刳先輩が一旦封印を解いた辺りから話せばいいのか……」
 どこから話したものかと悩む乙瓜に慈乃は言う。
「とりあえず乙瓜さん自身が体験した事からでどうでしょう? 秋刳さんの話は改めて本人に伺いますので、知っている事を何でも話そうとしなくて大丈夫ですよ」
「それもそうだな」
 乙瓜は頷く。そして自分が北中で一番はじめに遭遇した怪事――乃ち、草萼火遠との遭遇した日のことを思い出しながら語り始めた。
「あれは確か、去年の五月の事だったな――」
 語りながら乙瓜は思う。去年の五月、まだ学校に入学して一ヶ月余り。やっと部活に正式に所属したあの頃は、もうそんなに前なのか、と。思えばまだ先輩達や別の小学校から合流した友人との距離の取り方もおっかなびっくりで、少しずつコミュニケーションを取る中で怖い話好きが意外と多いと知って。
(本当に何の部活って感じだったよな。……今でもそんなもんだけど)
 乙瓜は苦笑いした。本当に美術部というよりオカルト同好会だとか研究会の方がよっぽど似合っているなと。
 だがそれがいつしか単なる趣味を越え、彼女達を本物の怪異と巡り合わせることになるだなんて。当初誰が想像しただろうか。
 大霊道の封印の崩壊、草萼火遠の復活。始まりの晩。そう言えば、最初火遠は自分にとって敵のような存在だった。乙瓜は思い出す。
 ――さよなら。恨むなよ、お嬢ちゃん。
 閉じ込められた美術室の中、振り上げられた大鎌。もしあの時反撃していなかったらと思うと、乙瓜は今でも背筋が凍る思いだった。
「――あの時は本気で死ぬかと思ったわ」
 乙瓜は寒気を抑えるように腕を擦った。
「俺だって、まさかこんな子供に目を抉られるだなんて思ってなかたっよ」
 一方の火遠はやれやれと肩を竦め、顔の半分を覆っている前髪を掻き上げた。普段隠れている前髪の下には更に包帯が巻かれ、その下の左目を覆い隠している。
「……なあ、それいい加減治ったりしねぇの?」
 乙瓜が問う。自分のやった事とは言え、いつまでも火遠の半面に痛々しく巻かれている包帯を見て何も思わない彼女ではない。
 そんな彼女の困ったような顔を見て、火遠もまた困ったような顔をした。
「生憎だけど人間じゃないからって何でも治ったりするわけじゃあないんだぜ。大昔の妖怪退治の話だって割と普通に殺されてるし、多神教の文化圏じゃ神様だって普通に怪我して死ぬからね。まあ、一応傷そのものは塞がってはいるんだけど」
 火遠はそう言いながら包帯に手を掛ける。顔を覆っていた白い帯が緩み、するすると床に落ちていく。
「取って大丈夫なのか?」
 包帯を拾いながら問う魔鬼に、火遠は「かまわないさ」と答えた。
「してると乙瓜が気になるみたいだからね。それにもう血も出てないし化膿もしてない。傷跡自体は髪で隠せるし、問題ないさ」
 言って、火遠は前髪を整えた。
 その間に慈乃は乙瓜の話を本に書き終えたらしく、顔を上げて「次の話を」と催促した。

 そこから美術部員たちは自分たちの遭遇した・巻き込まれた怪事について次々に語り始めた。
 同じ怪事の中でいても人によって全く違う感想や発見があり、殆どの怪事に関わっている乙瓜や魔鬼ですら初めて知るような事があった。
「アレだよ、あの七月の音楽祭! あの後私部長ってだけで幽霊生徒どもに胴上げされて大変だったんだからな!」
 深世がそんな事を言いだしたかと思えば、杏虎もまた
「そう言えば、八月の合宿で悪霊とも生きてる連中とも違う女の子の声がしたような?」などと言い出し。
 遊嬉は遊嬉で「十月の終わりの事なんだけどさぁ」と、誰も知らなかったような怪事について語り出したりと、新事実や新発見は尽きない。
「てか、遊嬉さぁ。あんた知らない間に退魔剣士とか語っちゃって、こっちにはあんまり顔出さない緑のとも仲良いみたいだけど、一体なんなのさ? 私としてはそっちのほうがよっぽど謎だよ」
「なーに深世さん。気になんの?」
 遊嬉はからかうようににやにやと笑った。
「割とみんな気になってんじゃないの。つーか遊嬉詳しい経緯とか誤魔化してばっかじゃん」
 深世ではなく杏虎が遊嬉に向き直って言う。
「そーいう杏虎こそ、幽霊の声が聞こえるとか微霊感とか、あたし合宿で初めて知ったし!」
「ん? そうだっけか?」
「そうだよ!?」
 杏虎は少しだけ宙を見て考えるような仕草をしてから、ああと頷いた。
「いや、つっても突然剣士とかにジョブチェンジする事に比べたらどってことなくね?」
 そうだよね? と周囲を見渡す杏虎に、皆うんうんと頷いた。
 特に魔鬼は妙に清々しい笑顔を浮かべながら「ハナストラクニナルヨ」と、親指を立てている。
「大丈夫。恥ずかしいの最初ダケヨ」
 そう言って歯磨き粉のCMのように白い歯を浮かべて笑う魔鬼を見て、遊嬉はぐぬぬと唸った。
 そんな遊嬉の真上で声が響く。
「別にいーじゃないか。話しちゃってもー」
 唐突な第三者の声に、全員が遊嬉の上を注視する。すると何もない空中に若葉が舞い、一瞬の後に何食わぬ顔をした嶽木が現れた。どういうわけかその左腕には異怨がしがみついており、嶽木の指を口に含んでは赤子のように一心不乱に吸っている。
「おう、美術部員のみんな。元気だったかー?」
 右手を挙げて挨拶する嶽木だったが、美術部の注目は何より異怨の方に向けられている。異怨は美術部の視線に気づいたのか、チラリと視線を返しつつやっと指から口を離し、嶽木と同じように右手を挙げた。その右腕は乙瓜と魔鬼がかつて見たのと変わらない、古木のような化け物じみた形で。恐らく彼女を始めて見たであろう深世は、椅子から飛びのいて「うわぁ」と声を上げた。
 そんな深世の挙動を全く気にする様子も無く。異怨は先程の嶽木をなぞる様に、相変わらず舌足らずな口調で言った。
「げんき、だった、か?」
 とは言われてもなんと反応していいか分からず固まる美術部。そんな最中嶽木が異怨の方にぐりんと首を傾けた。
「……ああ、なんだ付いて来てたのか」
 まるで今の今気付いたような態度で呟くと、嶽木は異怨を引き離しはじめた。
「な、にをー」
 異怨は躍起になってしがみ付いているのかなかなか離れない。嶽木は少し不機嫌そうな顔をしながら、徐に自分の右手をガブリと噛んだ。
「ひ、ひええ……!」
 その様を見ていた深世がまた悲鳴を上げる。何故ならば、嶽木は自分の小指を噛み千切っていたからだ。
「あわわわわわわわ……」
 突然のグロに深世のみならず眞虚もおかしな声を上げて震えている。他の部員も凍り付いている中、嶽木は千切った小指を思いきり投げた。それは瞬く間に開いていた窓を越え、前庭の向こう側へと消えていく。
「とってこーい」
 そう嶽木が叫ぶと、異怨は即座に嶽木から離れて窓の向こうへ飛び出していった。まるでフリスビーで遊ぶ犬と飼い主のような光景だが、投げられたものはフリスビーではなく指で、追って行ったのも犬ではなく人型をした何かである。
 目の前で流れるように起こった異常事態に、乙瓜と魔鬼すらも口を金魚のように開けたまま震えている。ドン引きである。よく見るとドン引いているのは人間たちだけではなく、あの火遠すらもとんでもないものを見てしまったような顔をしていた。
 場を凍り付かせた元凶たる嶽木は右手の傷口を舐めながら、美術部を包む異様な気配に首を傾げている。
「……姉さん大丈夫かい、それ?」
 恐る恐ると言った感じで火遠が問う。嶽木は右手をおろしながら火遠の方を見る。
「なぁに指なんてそのうち生えてくる」
 ケロリと言い放つ彼女の傷口からは血の一滴も流れていなかった。
 実姉の何気ない一言に「そ、そうだよね……ハハ」と笑ってみせる火遠の目は笑っていなかった。先程それらしいことを話をした直後に見せつけるように起こった出来事に、少なからずショックを受けているのだろう。
 明らかに元気を失くした火遠の隣で水祢が鬼のような形相で嶽木を睨みつけるが、当の嶽木はもうすっかり遊嬉の方に関心が行っているようで、水祢はあからさまに舌打ちする。
「カニバ女どもが……」
「……おい水祢、さっきの何すごい怖い」
 確実に不機嫌のボルテージが上がっている水祢を恐ろしく思いながらも、乙瓜は小声で問う。水祢はそんな乙瓜をギロリと睨みつけ、今度は小さく舌打ちしてから答えた。
「……嶽木と異怨あいつらは不死身なんだよ。異常とも言えるくらい再生力が高いから、普通の方法じゃ死なないし殺せない。肉片一つでも残ってる限り生き返る。……異怨の異常な食欲は身を以て知ってるでしょ。だからあいつと組ませておくのが一番被害少なくていいの」
「そうなんだ……」
 それって普段から定期的に食ったり食われたりしてるってことじゃ……。乙瓜は背筋に悪寒を感じながらそろりそろりと嶽木に視線を戻す。その右手にはもう小指が生え始めていた。

「ま、まー気を取り直して。遊嬉の理由聞いてみようかー」
 おかしくなった場の空気を戻すべく、魔鬼が空元気を絞り出したように声を上げる。周りもそれに追従するように相槌を打ち、努めて先程の事は気にしないようにしているようだった。
 そんな流れに合せるように、慈乃がペンの動きを止めて顔を上げる。
「差し支えなければ是非お聞かせ下さい」
 ニコリと、見た目年齢相応の可愛らしい笑顔を浮かべる慈乃。彼と自分の横で「話しちゃっても別にいいじゃないか」と促す嶽木に押され、遂に遊嬉は語り出した。
「……えっとねぇ、いや別に面白い話でもないんだけどさ。あたしと嶽木って前々から……北中に入学するよりずっと前から知り合いだったんだよね」
「なにそれ初耳。どんな縁よ?」
 杏虎が食いつく。遊嬉は少し恥ずかしそうに頬を掻きながら、少しずつ過去を語り出した。
 ――曰く、それは遊嬉が小学生の時分の話。
 よこしまな蛇神に気に入られて異界に攫われそうになった経験と、そこから救い出してくれた者の存在。
「あの時嶽木が来てくれなかったら、あたしは一体どうなってたんだろう」
 遊嬉はその時の事を思い出し身を震わせた。
 嶽木に助けられた遊嬉は、その事件の少し後に嶽木と再会た際にとある約束をし、その結果として怖い話を蒐集しはじめたと言う。
「この瞳はあの時の名残。で、嶽木の髪留めはその時にあたしがあげたもの。まあつまり、北中で再会した時にはもう面識があったってワケ。あたしと嶽木はねー」
 遊嬉はそう言いながら手をヒラヒラと振る。
「要するにあたしと嶽木ははなかよし? みたいな」
「みたいな」
「「ねー」」
 遊嬉と嶽木は頷きあって意味も無くハイタッチした。
「つまり遊嬉は最初から心霊現象超常現象の類はあると思って行動してたと」
 杏虎が額に手を当てながら指摘する。
「そゆわけ。……で、こっからが退魔剣士編なわけなんだけれどさ」
 遊嬉はそう言うと、少し声の調子を落とした。
「……九月に乙瓜ちゃんのそっくりさん襲撃事件があったじゃん。ほら、みんなして操られてた? っていうあの事件ね」
 九月の事件。その話題に入った途端、魔鬼があからさまに嫌そうな顔をする。他の部員たちは操られていた時の記憶がすっぽり抜けているようだが、途中で自分の意識を取り戻した魔鬼には嫌な思い出以外の何物でもないのだろう。
 乙瓜と同じ顔の、けれど乙瓜ではない彼女。烏貝七瓜。彼女の術の前に、何の力も持たない部員のみならず、魔法使いである魔鬼すらもあっさりと陥落したのだ。
 魔鬼の両手に思わず力が入る。彼女は思っていた。あの時の事は今思い出しても屈辱の極みだと。
 だが、同じような事を考えたのは魔鬼だけではなかった。
「あたしは。あの時全部終わるまで何が起こったのかさっぱりわかんなくて、ただただ流されるだけだった。確かに、怖い"話"は好きだけどさ。"お話"じゃ済まないような事は、やっぱやだよ。……だって、下手したら乙瓜ちゃんを殺してしまったかも知れないわけじゃん。そーいうのは勘弁だなーって。だから、嶽木に相談したのさ」
 そこで彼女は一旦区切って嶽木の方を向き、意味ありげに頷いた後でその続きを口にした。
「"少なくとも自分が関わった怪事では悲劇を起こさない。"それが契約。……って、自分で言っててちょっとはずかしーけどねぇ」
 遊嬉は照れ隠しするように笑った。
 一方、一連の話を黙って聞いていた火遠がここにきてやっと口を開いた。
「なーるほどー。それで姉さんはそいつに惜しみなく能力シェアしてるわけか。道理で強すぎると思ったよ、はぁ。俺んところまで来て崩魔刀貸してくれってのはそういうことだったのか」
 不貞腐れたように頬を膨らませる火遠を見て、嶽木はクスクスと笑った。
「それは寧ろ火遠が契約者に厳しすぎるのがいけないんじゃないか。おれは遊嬉ちゃんの望みの為に全力で契約を履行してるだけだよ」
「姉は甘すぎる」
「なら弟は不真面目すぎる」
 愉快げな嶽木と不愉快そうな火遠。珍しく劣勢な火遠を見て貴重なものを見たと思う美術部の傍らで、パタンと大き目の音がした。慈乃がメモ帳と言う名の本を閉じる音だ。
 慈乃はふぅと息を吐くと、椅子からスッと立ち上がる。 「大体の怪事は蒐集させてもらいました。皆さんのご協力に感謝しますね」
 そう言って彼は、来た時と同じように深々と礼をした。少しの間を置いて頭を上げた彼は、窓の方を見てふっと顔をほころばせる。
「否……まだひとつありましたか」
 嬉しそうに呟く彼につられ、皆一斉に窓の外を見る。
 皆の視線の集中する窓の外には、三月も中旬にも関わらず、不思議な光景が広がっていた。

 ひらひらと風に舞う、薄紅色の花弁、花弁、花弁。
 前線もまだまだ到達していない北関東で。先程までまだまだ眠っていた筈の蕾が一斉に花開き。
 ――桜の花が、咲いていた。それも前庭の一際大きな桜の樹だけが。満開の花を身に纏って。

 美術部員達が呆然と口を開ける中、慈乃は歌うように口ずさむ。
「怪事、来たれり」

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