怪事戯話
第十二怪・雪夜に行き世にこんこんと①

 一切の日光を遮断した漆黒の室内に、青白い灯がぽつぽつと灯り、そこに在るものの輪郭を茫と浮かび上がらせる。
 壁に掲げられた鹿や獅子の首剥製、額縁の中の肖像画。部屋の北面には決して安くはなさそうな執務机が堂々と置かれ、その向こう側には、これまた高そうな黒革の椅子がずしりと存在している。
 そんな椅子にするのは、大きさに対してあまりにも不釣り合いな人影。
 それは少年――それもまだ義務教育を終えているかすら怪しい見た目の、小柄な少年だった。
 私学の制服のような半ズボンのセーラー服に身を包んだ彼は、偉そうな様子で椅子にもたれかかっている。さもそれが当然だと言わんばかりに組まれた足には何も履いておらず、素足の状態だ。その目は閉じられているが、彼は眠っているのではない。――彼は、待っているのである。
 刹那、部屋の扉が開かれる。金具の軋む音が伝わり、次いで二、三人の気配が室内に入ってくる。複数の足音が床をコツコツと鳴らした。
 そこにきて、少年は閉じていた瞼をスッと開き、黄金の瞳で来訪者を見つめる。それと同時に、彼の机の数歩前で三人の人影が立ち止まった。
 三人組は少年に深く一礼する。そして中央の女だけが一歩進み出る。その様を見て、彼は机上に肘を立て、頬杖をついてからこう言った。
「やあ。どうだったい? 成果は」

「上々で御座います。北関東三県の支部及び人員拡充計画、つつがなく完了いたしましたわ、マガツキさま・・・・・・

 言って、女はニコリと微笑んだ。彼女からの報告を受け、少年は――否、月喰の影【三日月】の総裁・曲月まがつき嘉乃よみのはにやりと笑った。
「ご苦労様、関東地区総括部隊長。君は半年間本当に良くやってくれたよ」
「いえいえマガツキさま。このくらい当然でございます」
 女はほんのりはにかんだように笑った。……が、そんな嬉しげな表情を浮かべたのは一瞬。女はすぐに真面目な表情に戻り、声の調子をやや落として、「ですが」と続けた。
「――ですがマガツキさま。一つ、一つだけ気になる点が」
「……気になること?」
 眉をひそめる嘉乃を見て、女は「ささいなことですが……」と、言葉を続けた。
「栃木支部から観察区内の妖怪が一匹脱走したとの報告がありまして。……いかがしましょう、マガツキさま?」
 上目づかいで様子を窺いながら報告する女に対し、嘉乃は少しだけ考えるようなそぶりを見せてから、ゆっくりと首を横に振った。
「放っておきな」
「……宜しいのでしょうか?」
 意外だと言わんばかりに首を傾げる女に、嘉乃はもう一度先の文言を繰り返した。
「放っておきな、と言ったんだ。第一、栃木観察区の妖怪は山のモノだろう? 彼らが下山してまで出来ることなんて、たがが知れているじゃないか。山の子は必ず山に帰ってくる。放っておきな」
 言うと嘉乃は背もたれにでんともたれかかり、手の甲をひらひらさせた。もう下がれということなのだろう。
 女はそれを察して深々と一礼すると、控えの二人を引き連れて、足早に室内を後にした。

「――いいんですの? あんなこと仰って」
 三人が立ち去った後の室内に、高い女の声が響いた。いつからか椅子の後ろから回り込んでいた手が、そっと嘉乃の顔を撫でる。
 嘉乃はその手をやんわりと払いのけ、頭を上に向けた。
「……何、心配することなんてないさ。抜け出した妖怪の居所なんて、大体察しが付いている」
 言いながら、嘉乃は机上に置かれた端末を弄り、背後から覗き込む彼女にも見えるように傾けた。
「あら、あら。もう御存知でらしたの? でしたらあの子にもちゃあんと言ってあげればよかったのに。意地悪な人ね、嘉乃様は」
 背後の女――年の頃はまだ二十歳に届かない少女に見える――はクスクスと笑った。
 その笑い声を聞きながら、嘉乃は暗闇に浮かび上がる端末のディスプレイを睨むように見つめる。そして、誰に言うでもなく呟くのだった。

「故意か偶然か、それはそこへ流れ着いた。……君はそれをどうする? ……僕に教えて欲しいな。――ねえ、火遠?」



「さっっむぅぅぅぅーーーーーーーーーいッッ!!!」
 古霊北中学校に、切実な叫びが響き渡る。
 時は一月。クリスマスや年末年始のイベントを内包する短い冬休みはあっという間に過ぎ去り、北中は先日より三学期を迎えていた。
 短期とは言えまとまった休みを経て、生徒たちの中には正月気分の抜けきらない輩も多々存在する。暖かくて快適な家の一歩外に蔓延する鋭い寒気は、彼らの気力を確実に殺いで行ったに違いない。
 とはいえ、学校までの数分、長くても数十分の道程みちのりを耐えきってさえしまえば、学校にだって暖房器具はあるし、昼過ぎには幾らか日が射して暖かくなるしで、基本的にそこまで辛いことは無い。
 だが、この日は幾らか様子が違った。
 ストーブを最大火力で燃やし、防寒器具を着れるだけ着こみ。そんな状況であっても、生徒たちが「寒い」と口にせずには居られない状況。即ち――雪である。
 そう、その日古霊町は雪に見舞われていた。それも、普段古霊町含む関東平野で振っているような生半可な雪ではない。
 なにしろ、外は雪国かと錯覚するほどの猛吹雪。恐らく本気の雪国には及ばないものの、窓にかかるものをパッと見るだけでも数十センチは積もっているようだ。階上のベランダから下がる氷柱つららは、ベテランの教師が「こんな立派な氷柱を見たは子供の時以来だ」と叫ぶほどのもので、どう考えても異常事態であった。実際、あまりの雪量に昇降口は封鎖された。
 勿論、こんな悪天が朝から続いていたのなら、学校は問答無用で休校になるのだろうが、生憎その日の朝は晴天。それも雲一つない快晴であり、天気予報では午後から幾らか暖かくなるだろうとまで伝えていたほどだ。
 その筈なのに、昼前頃から徐々に現れた鉛色の雲が青空を覆いつくし、昼休みの午後一時現在にはもうこの様。
 あまりにも異様な状態に学校は午後の授業を取りやめ、迎えを呼べる生徒は迎えを呼び、吹雪が治まるまで待機することになった。……それもそうだろう、この吹雪の中自転車にしろ徒歩にしろ、自力で帰るのは中々に酷である。それに、万が一事故にあったりなんてことがあれば、学校としても責任を取りきれない。
 しかし何しろ平日のこと、誰もが迎えを呼べる筈もなく、多くの生徒はストーブをガン焚きした教室に残り、吹雪が治まるのを震えながら待つこととなった。

「うぅぅぅ……寒いよぉぉ…………」
 烏貝乙瓜は、本日何度目になるかわからない言葉を漏らしながらストーブに手を伸ばした。彼女もまた「帰宅難民」であり、家に帰る目途の付かない大勢の生徒たちの一人である。
 場所はいつもの美術室。教室のストーブは大勢に囲まれてちっとも暖かさが伝わってこない為、活動し慣れた居城までわざわざやってきたというワケだ。
 美術室内には現在乙瓜の他に五人ほど。――というか、いつもの美術部一年たちが、引っ張ってきた椅子に座りながらストーブを囲っていた。二年や引退した三年の先輩は一人も居なかったが、皆そこまで気が回らないので誰もそのことについて言及しなかった。だがここに来ないということなら、恐らく無事に帰れたか、自分たちの教室内でそこそこ暖かいポジションを確保したのだろう。多分そうだ。
 ……などと考えつつも皆殆ど無言で、時々乙瓜のように「寒い寒い」と漏らしながらストーブに手を伸ばす姿は、中々にシュールで、そして切実なものがあった。
 そんな中、一番沢山の上着を着こみながらもガタガタと震える遊嬉がぼそりと呟いた。
「うげー……灯油あと何リットルよ……。あたしたち……凍死しちゃったりしないよねぇ?」
 その言葉に、ストーブの前面に座る深世が反応する。
「あと1メモリくらい……うぅ……」
「まじかよ…………」
 深世の言葉に、残り五人は深い絶望を覚えざるを得ない。
 ストーブをつけて居る現状ですらこれなのに、その灯が消えた時、一体どうなってしまうというのか。
「……だれか灯油もってきてよぅ……」
「やだよ……」
 深世が提案し、乙瓜が即座に断る。
 灯油を新しく入れるには、屋外の給油室に行かなければならない。無論、屋外とはあの・・吹雪の屋外である。好き好んで行きたい輩がいるわけがない。
 暫しの沈黙が流れた後、杏虎が提案する。
「……いつまでもこうしててもいずれ切れるんだから、ここはいっそじゃんけんで決めない?」
 そう言って全員の顔をぐるりと見る杏虎に、眞虚が賛同する。
「ああ、それいいね……いいとおもうよ」
 恐らく、その他のメンバーも同じことを思っていただろう。ストーブの上部にスルスルと六つの手が差し出された。

「行くよ。じゃーんけーん……」



「……なーんでこうなるんだ」
 凍てつく寒さの廊下を、深世は震えながら歩いていた。制服の上下にはウィンドブレーカーを着て、縛り髪を解いてマフラーまでしているというのに、それでも廊下が絶望的に寒い事には変わりなかった。
 ――こんなんで外に出て行ったらどうなってしまうんだろうか。深世は不安を隠しきれない。
 そのまま昇降口前へと進んだ時、ひゅぅと冷たい風が深世の顔を撫でた。
「ひゃぁっ!?」
 深世は悲鳴を上げると、弾かれたように風の入ってきた方を振り向いた。見ると、閉め切られていた筈の昇降口の扉の一つが僅かに開いている。
「……ちょ……っとぉ、マジ止めてよね?! 適当な仕事しやがって!」
 誰に宛てるでもなく怒りの声を上げると、強風にカタカタと揺れる扉にスタスタと向かうと、浮いた扉をしっかりと閉ざし、鍵を閉めた。
 そしてまた「うぅ寒い」と震えながら、給油室に走った。


 その背後で、もぞりと動く人影に気付かないまま。

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