怪事戯話
第十一怪・未練執念トラッカー②

 宵闇に紛れてカァカァと。姿溶かした鴉が鳴く。
 空にはきらきら星が光る、けれど帰れない空の下。
 怯える子供を取り囲む、後ろの正面だあれ。


 校舎前庭を抜けてすぐのグラウンドには、既に十余人程度の生徒が集まっている。昇降口を飛び出た乙瓜は先に到着した魔鬼の隣に立ち、前方にいる生徒たちの頭の間からその様子を覗き込んだ。生徒たちの視線の中心には、二人の女生徒がいる。何かに怯えるようにガタガタと震える一人に、寄り添って話しかける友人らしき一人。友人の方はあれやこれやと聞いているが震える彼女はふるふると首を横に振るだけで、まともな答えを返しやしない。
 乙瓜には震える彼女の顔に見覚えがあった。それは多分魔鬼にとっても同じ事、というか魔鬼の方が顔を見る機会が多いのではないのだろうか。一年二組、斉藤メイ。八月の合宿で同部屋だった、ちょっぴり気の弱い娘。一緒にいる友人は、同じく二組の馬頭尊めずそん水芽みずめであり、二人は同じ部活動――女子卓球部に所属していた。
 さて、心配と好奇の混じった視線に晒されながら何かを否定するように首を振り続けていた斉藤だったが、暫くの後、彼女は口を開き何かを呟いた。
「…………が……ったの」
 やっと絞り出された蚊の鳴くような声は、恐らく殆どの野次馬には聞き取れなかったろう。けれど馬頭尊には届いたのか、彼女は肩を貸すように斉藤を支え、その場から移動を開始した。
「すみません、メイちゃんのことは私たちが保健室に連れて行きますから、みんなも先輩たちもどいてください」
 馬頭尊がギャラリーを牽制するようにぐるりと見渡して言う。彼女の言葉に、いつの間にか増えていた人の波は裂け、校舎までの道が出来上がる。
 乙瓜と魔鬼もまた、道を開けるため左右に別れる。結局何が起こったのかわからないが、当人があの調子では何も聞きだせないだろうと察した魔鬼は、その他大勢の野次馬に倣い、移動を開始した二人の同級生をただただ見送ろうとした。
 しかしのろのろと進む二人が魔鬼の前まで来たとき、馬頭尊は何の前触れもなく足を止め、顔を上げた。その視線は真っ直ぐ魔鬼のいる方に向けられている。魔鬼はキョロキョロと左右を見るが、彼女の周囲には部活の違う上級生や、同級生らしいが知らない顔の生徒しかいない。もしかしなくても、かの視線が他の誰でもなく自分に向けられているのではと思った魔鬼は、戸惑いながらもゆっくりと自分を指さす。馬頭尊はこくりと頷いた。
 そして彼女は、魔鬼に向かってこう言った。
「黒梅さん、ちょっと手を貸してくれないかな? そこの、一組のあなたも」
 彼女が目で示す先には乙瓜がいる。別段嫌いと言うわけでもないし、かといって親しいわけでもない馬頭尊の突然の申し出に、二人は互いに疑問符を浮かべながら顔を見合わせた。



 保健室は美術室に向かう一階廊下の途中に位置する。
 日中は怪我をしたり体調不良な生徒が休んでいたり、事情があって教室に顔を出したくない生徒などが何人か屯している場所だが、さすがに下校時間近い今はガラリとしている。時々部活で怪我をした生徒が運ばれることもあるが、放課後故に軽い手当をした後は自力ないし家族の迎えですぐに帰って行く生徒が殆どだ。
「下校時刻まで休ませてください」
 馬頭尊は養護教諭にそう断ると一番扉側のベッドに斉藤を降ろし、シャッと勢いよくカーテンを閉めた。……まるで隠れるように。
 ベッドの上に体育座りする斉藤は、まだ幽かに震えている。
 そんな彼女の様子を確認して、馬頭尊は振り返った。
「ちょっと話を聞いてほしいんだけどさ」
 そう言って視線を向けられた先、何もする事も無く棒立ちになっていた魔鬼と乙瓜はビクリとした。
 馬頭尊はあの人だかりの中で二人に手を貸してくれと頼んだものの、あそこから保健室まで殆ど一人で、特に困る事も無い様子で斉藤を運んできていた。魔鬼は保健室のドアを開けるくらいしかやっていないし、乙瓜に至っては全く何も手を貸していない有様。
(何で居合わせちゃったんだろう……完全にオマケじゃないか)
 乙瓜は馬頭尊の意図が分からず困惑していた。それは魔鬼も同じだった。
 正直帰っちゃっても怒られないよね――? と、思っていたタイミングで馬頭尊が振り返るものだから、二人は電流を流されたように驚いたというわけだ。
「え…ええと、何かな?」
 若干の不自然な間を置いてそう答える魔鬼の声は裏返っていた。馬頭尊は若干不思議そうな顔をするも、構わないと言った様子で会話を続けた。
「黒梅さんと、一組の烏貝さん……だっけ。ごめんね、びっくりしたよね。友達ってわけでもない私に急に手を貸してなんて頼まれて。まずはそのことについて謝っておきます」
 言って、馬頭尊は軽く頭を下げた。座ったままとは言え深々と頭を下げる彼女に、二人はちょっぴり困惑する。なんだいきなり畏まって、と。
 きっちり三秒後、馬頭尊は顔を上げると、真剣な眼差しでこう切り出した。
「それで、聞いてほしい話っていうのは、他でもないメイちゃんのこと。……黒梅さんたちは、メイちゃんの悲鳴を聞いて、メイちゃんに何が起こったか知りたくてあそこに来たんでしょ?」
「あ……えと、それは…………」
 まるで「野次馬に来たのね」と言わんばかりの馬頭尊の言葉に弁明しようとする乙瓜だが、上手い言葉は浮かんでこないし、実際の所彼女の推測は当たりすぎていて誤魔化しようがない。違うんだと主張したところで下手くそな嘘しか言えないだろうと観念した乙瓜は、溜息の後にコクリと頷き馬頭尊の言葉を肯定した。
「そう、やっぱりそうだったんだね」
 しかし馬頭尊は軽蔑の目を向けることなく、むしろ何か納得したようなスッキリとした顔をし、言った。
「ならやっぱり噂は本当だったんだ」
「「噂?」」
 馬頭尊の意味ありげな発言に、魔鬼と乙瓜は口をそろえて反応する。馬頭尊は意外そうな顔をする。
「知らないの? この頃キタチュー北中では専らの噂だよ?」
「噂って、何が?」
 不機嫌そうに返す乙瓜とその脇で眉間にしわを寄せる魔鬼を見て、馬頭尊はクスクスと笑った。
「な、何で笑うのさ! 教えてくれたっていいじゃないか!」
 訳が分からず乙瓜は混乱する。
「いやほんとごめん。まさか知らないなんて思わなくって……ううん、でもやっぱ本人が知ってるとは限らないし、まあしかたないか」
「だからどんな噂、……てか私たちの? ますますどんな噂なのさ!? 悪い噂じゃないよねぇ……? ちょ、教えてってば!」
 身を乗り出す魔鬼に、馬頭尊は答えた。

「『美術部が学校の怪談を攻略して回ってる』。あっちこっちの部でまことしやかに囁かれてる、キタチューで一番新しい七不思議。黒梅さんたちにとって悪い噂かどうかは、そっちの判断にお任せするけど」
 実にあっさりと。彼女はそう答えた。
 それを聞いた魔鬼と乙瓜は、目を点にしていた。

『美術部が学校の怪談を攻略して回ってる』
『キタチューで一番新しい七不思議』

 ――いいや、いやいやいや、まてまてまてまてまてそんな!
 二人の脳内は瞬く間に阿鼻叫喚こだまするアマゾンの密林へと変貌していた。
 自分たちが七不思議的な伝説な存在になっている!? そんな馬鹿な! という思いが、二人の頭の中をぐるぐるとまわる。だがしかし、言われてみれば思い当たる節なんていくらでもあった。それを肯定するように、馬頭尊は噂の詳細を語りだした。

 曰く、放課後のピアノが止まったのは美術部が悪霊を合唱力で打ち負かしたから、だとか。
 夏合宿に幽霊が現れたがみんな無事なのは美術部が倒したから、だとか。
 今日も北中が平和なのは美術部が放課後になる度見えない何かと戦っているから、だとか。

 そんな感じで大層に漫画チックでアニメチックな噂になってるよ、と。馬頭尊はニコニコ顔で話してくれた。
 魔鬼と乙瓜は頭を抱えた。「それ、だいたいあってる……」と。
 乙瓜は小声で囁く。
「……魔鬼」
「何だよ」
「ちょっとだけ魔法使いカミングアウトした時のお前の気持ちが分かった気がする」
「大衆受けしない趣味を他人に告白した時って大体こんな気持ちだぞ……」
「ちがいない……」
 二人は顔を見合わせて溜息を吐いた。

 二人の心中など露知らず、馬頭尊は話を続ける。
「まあ話半分で本気で信じてない人のが多いかもだけど、私は信じてる。メイちゃんが言った合宿の夜の事、同室のみんなが同じ記憶を共有してるのに夢だなんて言いきれないじゃん? ねえ」
「……うん」
 同意を求めるような馬頭尊の言葉に答えたのは、つい先ほどまで震えていた斉藤メイだった。彼女は体育座りを解き、馬頭尊がしているようにベッドの縁に腰かけると、美術部二人を見上げて言った。
「黒梅さん、烏貝さん。合宿の時はごめんね。今日もなんか……ごめん」
 申し訳なさそうに言う斉藤に、二人はブンブンと首を振った。
「そんな、謝ることなんてないよ! ……それよりどうしたの斉藤さん。何かあったみたいだけど」
 魔鬼は膝を曲げて斉藤の目線に合わせた。斉藤は頼りなさげな目で魔鬼を見つめ返す。
「メイちゃん、ほら。言わないと。黒梅さん達ならきっと何か力になってくれるよ!」
「うん……。そう、だね。メズちゃん」
 馬頭尊に励まされて斉藤は意を決したように口を開いた。

「校庭に……お化けが出たんです」


 その言葉と同時に、乙瓜のポケットの中の鏡がキラリと小さく光った。斉藤の告白は彼にも届いていたのだ。
『何やら動き出したようだね』
 外には聞こえない程度の独り言を呟き、魅玄はククっと笑った。

『――怪事来たれり』

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