怪事戯話
第八怪・花の玉座④

「やれやれ、ビー玉のおかげで助かったぜ……」
 安堵の溜息を吐き、乙瓜は埃を落とすように手をパンパンと叩いた。
 闇子さんの作り出した「穴」に落ちた彼女は上下左右の感覚を奪われ、どこかで見たような真っ闇の中でどうしたものかと思案していたのだが、そこで魔鬼が転がしたビー玉を見たのだった。
 どこかに向かって落ちているのか浮かんでいるのか、それとも静止しているのか全くわからない自分の目の前を横切って行く金魚色のガラス玉。それを目で追うと、ガラス玉の行く先に一瞬だけ光が見え、すぐに閉じた。
 ――出口はあそこか!
 乙瓜はガラス玉の行った先を目指し、何もない空間を泳ぐように進んだ。その結果として「穴」から抜け出せたというわけである。

「――ところで魔鬼、何で突然ビー玉なんて転がしたんだ?」
 乙瓜の問いに、倒れている闇子さんの関節を適当に固めていた魔鬼が顔を上げる。
「……なーに、とっさに思い出しただけだよ」
 闇子さんに馬乗りになったまま魔鬼は語った。

 黒梅魔鬼がビー玉を転がしたのは、気分や思いつきなどではない。
 花子さんが自分たちに闇子さんと戦うよう仕向けたときの言葉と、そして先月の来訪者・烏貝七瓜の事を思い出したからだ。
 七瓜は別次元に転移させる術や人間を操る術を使うトリッキーなタイプだった。そういう相手に苦戦したことは、勿論花子さんも知っている。そして悔しがっている調停者代理二人を見て、花子さんが単純にパワーだけが強い相手と戦うよう仕向けるとは思えない。
「初手の鎖が結界に阻まれた後、花子さんこいつのこと煽ったじゃん。その時『ズルいこといっぱいする』って言ってた。そのあとに色々思い出して勘くぐって、絶対に変梃な技使ってくるタイプだと私は思ったわけだ」
「それとビー玉とどう関係あるのさ」
「んーーー……えっと、なんていうのか。闇子さんは自分の遠距離武器が効かないから結界が邪魔なワケじゃん。でも一つ一つ壊すの時間かかるし、その間にこっちから攻撃され放題っていうのは不本意なわけでしょ。……それで私ならどうすっかなーって思ったんだけど、やっぱりこれは空間系かなあと思った。咄嗟にね」
 覚えてる? と、魔鬼は人差し指を立てた。
「五月に会ったヨジババって妖怪。あの人は三階から一階まで時間と空間を捻じ曲げて繋ぐことができた。そういうことが出来るのがいるなら、結界の外側から内側まで空間を繋げるのがいてもおかしくないなって思った。単純に空間接続系ならどっからどこがつながってるのかの目安になるし、四次元閉じ込め系だったらを知る指針になるし――」
 つらつらと喋る魔鬼に乙瓜は呆れたように言った。
「魔鬼お前……咄嗟とかいいつつ一瞬のうちに物凄い考えてるのな」
「いや、そういう乙瓜だってやたら出てくるのが遅かった割に普通に攻撃体勢だったじゃんか。それはパニックにならなかったってことっしょ?」
「そーだけど……ああ!」
 そこまで話して、乙瓜はやっとあの「穴」の中で感じたどこかで見たような感じの正体に気付いた。
「どうしたん、いきなり」
「ヨジババだよヨジババ。あの穴の中の暗黒空間はヨジババの四次元空間とそっくりだったんだ! そうだよ、あのときも札はに落ちたじゃないか。生物は上下左右を見失うけど、ビー玉は生物じゃないから出口に向かって落ちて行くことができたんだ」
 話がつながったとばかりに目を見開いてポンと手を打つ乙瓜。
 彼女の様子を見て魔鬼は、自分の説はだいたいあってたんだなと我ながら感心すると同時に、穴に飛び込まなくてよかったと心の底から思った。

 ともあれ互いに無事で良かったとすっかり安心しきっている彼女らの――特に魔鬼の下で、ギリギリと歯ぎしりする者がいた。言うまでもなく、闇子さんである。

「ンたらさっきから人に乗りながらダラダラダラダラ話しやがって……ええい重いわッ!」
「うわわっ?!」
 怒りを募らせた闇子さんは渾身の力で魔鬼の拘束を振りほどきよろよろと立ち上がった。

「人にッ! 乗ったままッ!! 長話すんな!!! 痛ぇんだよコノヤロー!」

 青筋を浮かばせて叫ぶ闇子さん。
「……なんだ、まだ元気そうじゃん。やるか……?」
 乙瓜が再び構え、振り下ろされた魔鬼ももう一度定規を仕舞ったポケットに手を伸ばした、その時。


「おやまあ、夜美やみちゃん。いつ帰ったんだい?」

 闇子さんの背後からおっとりした声。乙瓜と魔鬼の二人には、その嗄れた声に聞き覚えがあった。

「――ヨジババ!?」

 二人が叫ぶのと闇子さんが振り返るのはほぼ同時だった。そう、闇子さんの背後には、五月に花子さんが課した試練において乙瓜と魔鬼に立ちふさがった時空の怪・ヨジババだった。
 彼女はあの一件以来姿を現していない為、代理者二人がヨジババを見るのは久しぶりだ。だから二人ともその意外な登場に驚いていた。
 しかし、彼女達以上に目を丸く見開いて驚いている者がいた。

「……ぉ、おばあちゃん……?」

 闇子さんだった。
 ――「おばあちゃん」。ヨジババはその名の通り老婆の姿の妖怪で、花子さんや赤マントの娘エリーザにも「おばあちゃん」と呼ばれ慕われている。だから、闇子さんが「おばあちゃん」と呼んだところで何の不思議もない。けれど、何故だろう。まるで悪戯をみつかった子どもみたいにふるふると震える、先程までの威勢のかけらもない闇子さんが口にする「おばあちゃん」は、ただの老人に対する呼称とは違うのではないか。少なくとも、乙瓜にはそう思えた。……両親共働きの家庭で、祖父母と過ごす事の多かった彼女には、わかってしまったのだ。
「……もしかして、闇子さんてヨジババの、」
「そうよー」
 乙瓜の言葉を、陽気な声が遮りつつも肯定する。いつの間にか乙瓜の背後に立っていた花子さんの声だった。
「花子さん!? ていうか今までどこに……!」
 驚く乙瓜にしーっと人差し指を突きつけつつ、花子さんは声を小さくして言う。
「そんなの勿論、おばあちゃんを呼びに行ってたに決まってるじゃなーい。折角孫が凱旋してきたんだから、会わせないわけにはいかないでしょー?」
 ニヤニヤと楽しげに花子さんは言う。
「孫って、じゃあやっぱ闇子さんは――」
「後はみてればわかるわよ~」
 花子さんは乙瓜の肩に両手を乗せ、耳元で「見てて見てて」と囁いた。
(悪戯っ子か……)
 思いつつも、乙瓜は闇子さんとヨジババの方を見るしかなかった。


 ニコニコ笑顔のヨジババは、闇子さんに歩み寄り、その手をぎゅっと握りしめた。
「おかえり夜美ちゃん。東京で歌手にはなれたのかい?」

「!?」
 物凄い爆弾発言を聞いてしまったような気がして、乙瓜は硬直した。魔鬼は変な顔をして中途半端に乙瓜を振り返っている。背後の花子さんは小刻みに震えている。笑いを堪えるのに必死なようだ。
 当事者の闇子さんはひきつった笑顔を浮かべながら目を泳がせまくっている。

 事の真相はこんな具合だ。
 十五年くらい前に"花子さん"の座を巡って現・花子さんと戦って敗れた闇子さん――こと、四元よつもと夜美子やみこは、修行の旅に出ると言って学校を去ったが、本当は「上京してアイドル歌手になる」という野望を持っていた。それは学校の怪談のアイドルの座を射止められないならせめて……と思った結果の無謀な行動だった。そのことは祖母のヨジババだけが知っていたが、花子さんはこっそり聞いて知っていた。
 話を聞いた花子さんは、そう遠くない内に挫折してもう一度花子さんの座を狙ってくるだろうと踏み、その時に学校の裏生徒みんなにばらしてやろうと心躍らせていたのだという。なんとも酷い話だ。
 ……と言うようなことをひそひそ声で乙瓜に告げた花子さんは、一旦深呼吸すると大きな声で言った。

「ヤミちゃんね、外面は尖ってるけど本当は可愛いものとかアイドルポップとか大好きだから! ご当地ゆるキャラとか本当に大好きだから! そんな子だからみんなどうか仲良くしてあげてね!!!」
 口元に手を添えて四方八方に向けて発する言葉は、乙瓜や魔鬼だけに宛てた言葉ではない。無邪気な顔で、学校中の在る者亡い者全てに呼びかけているのだ!

「や、やめろぉぉぉおぉおおおおおおぉオぉぉおッ!」
 闇子さんは真っ青な顔で叫ぶも、既に時遅し。

『いいよーーーーーーーーー』

 天井から、階段の影から、無人の教室から、学校中から、有象無象の声が答えるのを。乙瓜は、魔鬼は、確かに聞いた。まるでこの場の状況を見ていたかのようにタイミングよく答える声たちが、校内に僅かに残っている現役文化部のものではないことなんて、彼女達には容易に想像がついた。
 学校の裏の住人、幽霊や妖怪と呼ばれる彼らからの受け入れの言葉。本来であれば嬉しい言葉の筈なのに、闇子さんは真っ赤になって廊下にうずくまってしまった。
 周知された恥ずかしい事実。もう、戦意なんて残ってないだろう。疑うまでもなく、完全に、完璧に、花子さんの勝ちだった。
 羞恥に泣く闇子さん。その実祖母であるヨジババは、彼女の背中を撫でながら優しい声で言う。
「夜美ちゃん。歌手になれなくても、"花子さん"になれなくても、夜美ちゃんにお友達がたくさんできて、お婆ちゃんは嬉しくおもうよ」
 身内であるが故の優しい言葉。だが、その言葉がとどめを刺していることに、ヨジババは気付いていない。

「……ふふふふ! また勝っちゃった。うふふふふ」
 祖母と孫の様子を眺めながら、花子さんはクスクスと笑っていた。
「えげつないなぁ……」
 やっと変な顔から復活した魔鬼は、呆れた様子で花子さんを見た。まだ肩に手を置かれたままの乙瓜も首を回して同じような視線を背後に送っている。
「あら、えげつないなんてとんでもない。勝負の決め手は魔鬼、あなたの飛び蹴りよ。ちゃんとした決闘で負けてるんだから、最後の精神攻撃なんてオマケみたいなものよ」
 花子さんは言って手をひらひらさせた。ふわりと一旦宙に浮かび、乙瓜と魔鬼の中点に降りる。
「何はともあれあなた達は勝ったのよ。おめでとう、そしてありがとう。私の"座"を守ってくれて」
 花のような笑顔で感謝する彼女に、二人は何も言い返せないのだった。

←BACK / NEXT→
HOME