怪事戯話
第六怪・一夜怪談②

 出発の日は快晴。日ごろの行いがいいからだろうか、天気予報が告げる曇天を覆し、爽やかな青空が広がっていた。
 目的地が県内ゆえか出発時間は朝九時と非常にゆっくりだが、いかんせん長期休暇中の自堕落生活に慣れた一部の生徒たちには辛いところがある。乙瓜も眠い目をこすりながらジャージに着替え、必要な荷物をチェックして自転車に積み、学校へと向かった。
 ふらふらと自転車にまたがる乙瓜に、彼女の母は送って行くかと言ったのだが、多分送ってもらう奴多くて学校混むから、と彼女は断った。
 そして乙瓜が学校についてみると、案の定前庭は乗用車でごったがえしている。乙瓜は呆れて溜息を吐いた。
(まあそうなるだろうな……前庭どんだけ広いと思ってるんだよ。ていうかバス来てるんだから尚更だよ……。朝四時集合ならわかるけど、九時の学校集合なら自力でこいよ……)
 心の中でぶつくさ言いながら、車の列を避けて校門をくぐる。辿りついた駐輪場に思いの外自転車が停めてあるのを見ると、なかなかどうして殊勝な生徒もいるらしい。乙瓜は自分偉いと自賛しながら指定場所に自転車を停め、しっかりと鍵をかけた。

 集合場所の昇降口前には、既に半分くらいの同級生がいて、各々いつも絡んでいるグループの仲間でゆるく集まって話をしていた。ざっと見た感じ美術部のメンバーはまだ来ていない。乙瓜には他にそこまで親しい友人もいないので、隅の方にポツンと立ちながらぽんやりしていると、後ろから肩を叩いてくる者がいた。
「乙瓜ちゃんおはよぉ」
 若干なまったアクセントで挨拶するのは、相変わらず同じ清掃班であると同時に、今回の合宿で乙瓜と同じ行動班の山根だった。因みに班長である。
「お、おはよ山根さん」
 ぎこちなく挨拶を返すと、山根は「やぁだ乙瓜ちゃん」と、大げさに言う。
「山根さんだなんて余所余所しぃな、地禍ちかでいぃよぉ」
 何がツボに入ったのか、山根地禍はケラケラ笑った。空中をぺしぺし叩くように意味も無く振られる左手を見て、井戸端会議おばちゃんみたいだなと乙瓜は思った。
 地禍は相変わらず笑いながら「地禍ちゃんて言ってみ言ってみと」しつこいので、乙瓜がまたぎこちなく名前を呼ぶと、彼女は「んだ、これからそう呼んでくれていいからね」と納得した様子だった。
(あ、相変わらずよくわからん子だ……)
 嫌な奴ではないし、嫌いではないものの、突発的に発生する謎のハイテンションはやや苦手だ。乙瓜がそう感じたと同時、「おはよーっす!」と大きな声がかけられる。
 一早く反応したのは地禍だった。
「あー遊嬉ちゃん。おはよぉ」
 地禍の手を振る先には遊嬉の姿が。前庭でプチ渋滞している乗用車の助手席から荷物を持って降りてきた遊嬉は、いつにも増して元気あふれる姿で駆け寄ってきた。
「おはよ地禍、あーんど乙瓜ちゃーん。ていうか起きたら八時でマジびびったわー」
 言う割に危機感も焦燥感も感じていない風に遊嬉は言う。
(そんなことよりその大荷物は何のために……)
 一泊二日の短い旅の割に異様に大きい荷物鞄を持っている遊嬉に、乙瓜は疑問の眼差しを向ける。
 遊嬉はそれに気づいたようで、「ああこれ」と説明を始めた。
「あたし枕変わると寝れないからさー、枕詰めて持ってきたわー」
「……その割にはなんかゴツゴツしてないか?」
「いや、枕だから。ちょっとゴツゴツしてるだけの枕だから。コレマクラヨー。イイネー?」
 あからさまに枕ではないものが入っている鞄を死守するように抱え上げながら、遊嬉は何度も念押しするように言った。

 マクラヨー。マクラヨー。マクラデスヨー。

 念仏のように繰り返される言葉。多分それを見たほとんどの人は中身は漫画か何かであることに気付くと思うが、天然なのかポーズなのか隣に立つ地禍は納得している様子だったので乙瓜は何も言わないで置いた。
 そうか、枕か。枕なら仕方ない。

 一切のツッコミをあきらめた乙瓜に、遊嬉がそっと耳打ちする。
「そっちの班長アレなんでしょ? きをつけなよー、地禍は天然もんだから、オリエンテーリングで迷子になりますぜ」
 不穏なことを伝えるだけ伝え、遊嬉はじゃぁのと行ってしまった。いや、行くってどこにと乙瓜が見ていると、なんてことはない、バスのトランクに大荷物を積み込んでいるだけだった。
 引率の教師に言及される前に持ちこんでしまえばこちらの勝ちという魂胆が見え見えだ。
(でもそんなに持ちこんだところでそこまで自由な時間があるのか……?)
 心配からか、それとも少しずつ高くなってきた太陽が照りつけるからか、乙瓜のひたいを汗がつぅと伝っていった。
「海さ行きたいねー」
 隣の地禍が呑気のんきな事を言う。
「……そうだね、海に行きたいね」
 あまり不安になることは考えない方がいい。乙瓜は今夏まだ見ぬ海に思いを馳せることで現実から目を逸らした。

 そこから出発するまでは特に何もなかった。
 あえて特筆するなら、魔鬼が遊嬉に負けんばかりの大荷物を持ってきて、あからさまに怪しい為担任が確認したところ、怪しい水晶玉とか謎のアイテムだったことが判明し没収されていたことくらいか。
 学年の、特に魔鬼とは出身小学校の違う連中は「何かヤバいやつがいる……!」と震えあがったが、同じ小学校だった連中は軽く受け流していた。あるある、と。
 これが乙瓜がバスに乗り込む数分前の出来事。
 バスはクラス別なので乙瓜が魔鬼に直接問いただす時間はなかったが、乙瓜の隣席になった地禍はこんなことを呟いた。
「魔鬼ちゃんってー、黒魔術師ー? なんだよぅ」
「!?」
 乙瓜は持参したペットボトルのキャップを開けながらドキリとした。彼女がもし飲み物を口に含んだ状態だったら間違いなく噴き出していただろう。危ない危ない。
 地禍はそうした乙瓜の様子を気にすることなく、マイペースに話を続ける。
「小学生のころからたまァにああいうことしちゃうんだよねェ。占いするとか言って水晶玉とかタロットカード? っていうの? 持ってきちゃったりとか、竹箒たけぼうきまたがったりとかぁ――」
 他にも謎の粉(絵の具で色塗った砂)を調合しているのを見たとか、図書室で定規片手にポーズ決めてるのを見たとか、出るわ出るわエピソードの数々。
「あとなんでだか、魔鬼ちゃんの近くってヘンなこと起こりやすいンだよね。んで、ついたあだ名が黒魔術師ー」
 本人には内緒だよー、っと言う地禍に対して、乙瓜は他人事ながら気が気じゃなかった。空調は十分なのに嫌な汗が止まらない。
 図らずとも友人の恥ずかしい過去を覗いてしまったような気がして、乙瓜は申し訳なく思うと同時に、なんだか悲しくなってしまった。
 乙瓜の穏やかならぬ心中を知らない地下は、更に追い打ちをかけるように言う。
「でも私ー、魔鬼ちゃん本物の魔法使いだと思うんだよねぇ。小学の時ほど変なことしなくなったけど、魔鬼ちゃん時々光るし、箒で空飛んでたの見たって子もいるし、おんなじ小学校の地区の人はみぃンな噂してんだ」
 地禍は朗らかな笑顔で言い切った。乙瓜は心の中で叫ぶ。

(魔鬼おまえ、その秘密魔法使いあんまり隠せてないぞ……!)


 ――同じころ、もう一台のバスでは。


「ぶぇっくしょい! ……うぅーー。風邪かな?」
 自分のところだけ冷房が強すぎるせいか、それとも夏風邪なのか、黒梅魔鬼は大きなくしゃみをしていた。
 いや、そもそも通路側なので冷房の風はそんなに当たらないし風邪だって引いてないぞ、きっと誰かが噂してるんだ! と、魔鬼は誰とも知らない誰かを呪った。
「大丈夫? ティッシュ使う?」
 そういっておもむろにティッシュを差し出す隣席の子の親切に感謝しつつ、魔鬼は起床してからの出来事を頭の中で振り返っていた。
 一応弁明しておくと、彼女が如何にもな黒魔術セットを持ってきてしまったのはわざとではない。
 ただ、散らかった部屋を片付けようと思ってかつて集めに集めたオカルトグッズを一時収納しておいたバッグが、たまたま宿泊セットの鞄にそっくりだった。
 実のところ夏休み前半を乙瓜以上に怠惰に過ごしていた彼女は、案の定寝坊し、急いで荷物一式を持っていく過程でオカルトバッグも持ってきてしまった、それだけのことなのだ。
(あわわわわわわわどうしよう……絶対変な奴だと思われてるうわあああああああ……)
 過去の痛々しい歴史を清算し、同じ出身小学の同級生にも徐々に忘れてもらおうと思った矢先にこれである。魔鬼は頭を抱えた。
 隣に座る彼女は違う小学校の出身だから、インパクトは物凄かったろうなと魔鬼は思う。というか内心ドン引きされてるんじゃないかとうたぐる。
 件の彼女、幸福ヶ森こうふくがもり幸呼さちこは魔鬼の視線に小首を傾げつつもペットボトルのキャップを外した。
「どうしたの?」
「いや……あの……」
「?」
 幸呼は不思議そうな顔をしながらペットボトルを傾け、天然水をゴクリと一口飲むと、キュッとキャップを閉じた。
「あーそだ。美術部にさぁ、乙瓜……――乙瓜ちゃんっているじゃん」
 思い出したように幸呼は言った。唐突に出された乙瓜の名前に、魔鬼の頭の中でクエスチョンマークが浮かぶ。
「仲良いの?」
 背もたれによりかかって幸呼は言う。
「……え? あっ、うん。まあね?」
「ふぅん」
 自分から振っておいて興味なさそうに窓の外に視線を移す幸呼。この人ようわからないな、と魔鬼は思った。
 幸呼は視線を戻さないままで言った。
「ねえ、あの子のことどう思う? ……普通?」
「え……」
(おいおい、もしかして陰口ですか? よしてよねこういう日に……)
 魔鬼はうんざりしつつ、しかしやや強い口調で「普通だよ」と言い切った。幸呼はまた「へえ」と生返事をすると、チラリと魔鬼を振り返って言った。
「あの子昔から色々ヘンだから、この頃どうしてるかなって思ったけど、そっか。もう大丈夫なのかな……」
「……は? さっきから聞いてればどういうことなのさ」
 語気があからさまに苛立った様子の魔鬼に、しかし幸呼は続けた。

「私ね、別にあの子のこと嫌いとか、不利な噂流して立場悪くしてやろうとか、そういうこと言ってるわけじゃないんだ。ちょっと気になっただけ」
「気になったって、何を」
「……ううん、昔の事なんだけど」
 幸呼はそこで一旦言葉を区切り、残りは魔鬼にだけ聞こえるように耳打ちした。


「あの子昔ね、夜中に『助けて』って電話かけてきて、学校の屋上から飛び降りたの」


 ブルルンと強めのエンジン音がする。担任が乗り遅れの生徒がいないか一人ひとり点呼と確認をしている。
 前方、早めに発車した一組のバスの様子は、魔鬼からはわからない。
 二組は二組で盛り上がっている。大したことないイベントでもバス乗ってどこかに行くというのはテンションが上がるものらしい。
 動き出したバスの中、幸呼は前後の席の連中と談笑している。だが、魔鬼はとてもそんな気分にはなれなかった。

(乙瓜が――飛び降り?)

 ほんのり芽生えた疑念と不安。
 そんな魔鬼の心中とは裏腹にすがすがしい青空の下、バスは古霊町を離れていくのだ。

←BACK / NEXT→
HOME