怪事戯話
第四怪・放課後の狩猟者④

「姉……? 姉、だと……!?」
「ああ、そうともさ」
 耳を疑うように聞き返す魔鬼の言葉に、火遠はさらりと答えた。
彼女・・は草萼異怨いおん。俺と水祢たち・・長姉ちょうしであり、何事にも縛られない自由意思と食欲の権化ごんげ。……まあ、話の通じない度を過ぎた食いしん坊だと思っておけばだいたいあってる」
「まてまてまて、どこから突っ込んだらいいのかわかんないよそれ」
「……何がだい?」
「何がだい、じゃない! まず何、俺たちの長姉って、まるでまだまだいるみたいじゃあないか! それに話通じないどの過ぎた食いしん坊って要するに超危険人物って事でしょ!? 何でそんなの放置しておくんだよ馬鹿ぁ!! 魔法わざ全然効かねえし乙瓜はそんなになっちゃうしドヤ顔で語ってる余裕あんだったらもっと早く来いよこのアンポンタン調停者まとめやくーーーー!!!」
 ひとまずの応援の到着で緊張の糸が切れたせいか機関銃のように喋る魔鬼。そんな彼女を小馬鹿にするように見ている火遠。そして第三者の声。
「……うるさい。質問は、この状況を収集させてから」
 静かだが確かな嫌厭けんえんの感情の籠った声。水祢だ。
 彼はいつの間にか魔鬼の右手側の下駄箱の列の上に立ち。うんざりしたような顔で魔鬼と、鎖につながれたてけてけと、対峙するきょうだいたちと、倒れる乙瓜を見つめていた。
「火遠。人払いのしゅを張った。……時間が許す限りここには誰も来られないから」
「ありがとう。さすが俺の弟だ、いい仕事をしてくれる」
 火遠の感謝の言葉に水祢は気恥ずかしそうに顔をそむけた。魔鬼は水祢が協力してくれたことを意外に思い、目を丸くした。
「なあんだ、水祢も手伝ってくれるのか」
「……勘違いするんじゃあないよ。俺は別におまえらの為に手伝ってやってるわけじゃないんだからね」
「うん知ってる。テンプレ乙」

 一方、乙瓜を背にして実姉と対峙する火遠は姉の出方をうかがう一方で背後のてけてけを気にかけていた。
 最初から一貫して一言も語らず、異怨に引きずられるままに行動を共にする上半身だけの妖怪。長い髪に隠れがちの土気色の顔は笑っていない。
「大姉上。その妖怪、いったいどこで拾ったものか。お教え願おうか」
「ひろ、う? てけてけ、の、こと。ひろう。ちがう。いおん、はじめから。てけてけ、はじめから。いおん、の。ぺっと」
 白い異怨は真っ赤な目を爛々と輝かせながら言った。現れた頃の虚ろな雰囲気は残っているものの、何故だかとても嬉しそうな、うきうきしているように見えるのは気のせいだろうか。否、気のせいではない。
 ――嬉しそうなのだ。火遠が「大姉上さま」と、血縁を明らかにする言葉で呼びかけたその時から、異怨は。何か素敵なプレゼントを貰った幼子のように。嬉しそうなのだ。
「てけてけ、はじめ、たべた。いおん、てけてけ、のこした。てけてけ、てけてけ、なた。いおん、てけてけ、おいた。でも、かた」
「……ああ、そうかい。彼女は、彼女の存在の大元が大姉上に繋がると、そういう事なのか」
「そういう、こと、なのか」
 三角に口を開けてオウム返しする異怨に、火遠は頭を抱えた。……ように魔鬼には見えた。
 そして魔鬼は思った。話がさっぱりわからん。
「でもそれは。だがそれは、大姉上さま。果たして彼女の望みなのだろうか。彼女はあなたが為に妖怪変化の仲間入りをしたが、仲間が襲われていく様を見せつけられるのは彼女の望みだろうか」
 火遠が何やら大真面目な面持ちで問いかけるそれに、異怨は満面の笑顔で答えた。 「いぬ!」
「……っ! 大姉上!」
「ひと、いぬ、かり、つかう。いおん、えもの、たべる、いぬ、かり、つかう。てけてけ、ぺっと。いおん、つかう。てけてけ、おりこう。いおん、うれし」
 誇示するようにじゃらじゃらと鎖を鳴らして見せる異怨。
「てけてけ、しゃべる、できない。いおん、てけてけ、なかま。おこる、ない。かなしい、ない。いっしょ、いっしょ」
 ……火遠は。
 何も言わず。……しかし、目を見開いて。普段吊り上げられている口角は真一文字に結ばれ。
 ――怒りだ。静かな、だが激しく燃え盛るような怒り。
 草萼火遠は激怒していた。今この瞬間、荒れ狂わんばかりの心火を燃やしていた。

「……どゆこと?」
 すっかり蚊帳かやの外な魔鬼は、ひそひそと水祢にささめいた。
 水祢は物凄い見下したような目をしながらも、意外なことに答えてくれた。
「異怨は……あいつは。いつだか昔に人間を食べ残し、その残骸がてけてけになった。あいつはそれを最初放置して、それがこの学校のてけてけになった」
「ふむふむ」
「だけどあいつは、てけてけを狩猟犬代わりにするのにもう一度捕まえた。それがてけてけがいなくなった頃の話。それから十年何をしていたか知らないけど、あいつはてけてけを連れて学校ここに出戻ってきたってわけ。昔の仲間を狩らせるために」
「そいつぁやべえや」
「あいつは喋れないてけてけの意思を完全に無視してる。だから兄さんは怒ってるの。――少しは理解できた? この阿呆ノータリン
「なッ、のぅっ……!? そこまでいう事ないじゃあないか!」
 水祢はため息をつき、魔鬼から目を逸らした。
「あのイカれたアマが何言おうとしてるかなんて真面目に聞くだけ無駄。文脈コンテクストを読まないと」
 呆れきった様子でぶつぶつ言う水祢を見て魔鬼は。鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして一言。
「……あんた存外世話焼きいいやつだね」
 直後、煩いという言葉とともに紙人形が飛んできた。回避した。

 ――転。

 火遠は煮えくり立つ心を爆発させぬよう抑えつつ、背後に庇う乙瓜をちらと見た。
 痛みに耐えるように目を閉じ歯を食いしばりながらも、急所は打たなかったのか思いの外元気そうだ・・・・・
「……立ちなよ、乙瓜。烏貝乙瓜。立てるはずだ。まだ立てるはずだ」
「ッの……勝手に、話進めてるんじゃァ……! ねェ……ぞ!」
「なんだ、大分だいぶん元気そうじゃないか。ほらゆっくり息を吸って、吐いて」
 火遠が呼びかける。乙瓜は呼応するようによろよろと体を起こす。
「感覚の半分は幻想だ。もう動けないと思えば身体は鉛の如く重く鈍く、諦めるほどし掛かる」
 乙瓜の上履きの底が床面を踏む。力を入れる。踏みしめる。
「有ると思えばそこに在り、無しと思えばそこに亡し。理屈よりも原理よりも法則よりも、不可と思えばそこで断たれ、可と思えばその先開く」
 生れたての小鹿のように、よろよろと、ゆっくりと。
「立ち上がれ乙瓜。このヒトデナシの大姉から、哀れ濡れ衣の娘を救え」
 乙瓜は。烏貝乙瓜はここに。今ここに再び立ち上がった。

 大きく一呼吸。すぅっとまぶたを開いた乙瓜は、身体が羽のように軽く、もうそれほど痛みを感じないことに気付いていた。
「……これは何かのまじないか?」
「何を、俺はほんのちょっぴり応援・・してやっただけだぜ。そんじょそこらの催眠術師ヒプノティストの手口とさほど変わらないさ」
 火遠はくすぐったそうに視線を逸らした。
 頭の中にカビでも生やしていそうな火遠らの長姉は、まーだ? などと呑気に言いながら首を左右にカクンカクンと振っている。首降り人形の仲間なのかもしれない。
「火遠。注文オーダーはてけてけを救うだけでいいのか?」
 乙瓜は火遠の一歩手前に踏み出し、ポケットを漁りながらキッと異怨を睨みつける。
「かまーないさ。どうせ大姉を倒しきるなんて不可能だ。説得なんてもってのほかだ。……だけど、一つだけ方法がみつかった」
「なんだよ、その方法ってやらは」
「君一人じゃ無理だ。魔鬼の力が要る。ちょっとした小細工だ。それをやりきる間だけでいい。乙瓜、君は大姉の注意を引きつけておいてくれ。できれば足止めも。それだけでいい。サポートは水祢がする」
 瞬時に「誰が手助けなんてッ」という不満が下駄箱の上から降りてくる。だが直後、「今回だけだからな」という言葉が加えられた。
 魔鬼は「えっ!?」という顔をしたが、すぐに「やってやるぜ……!」という顔をしていたので、たぶん大丈夫なのだろう。
 白い異形、異怨はもういいかいと歌っている。間延びした音程の外れた声で歌っている。
 てけてけは黙っている。喋れないてけてけは、縮こまるようにして待っている。飼い主が動くのを、乙瓜たちが動くのを、どこか申し訳なさそうな顔で待っている。
 乙瓜と魔鬼、火遠と水祢はそれぞれ視線を送り合い、頷きあう。そして。

「もういいよ。鬼さんこちら、手の鳴る方へッ!」
 火遠の言葉で、一時停止していた状況は再開した。

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