怪事戯話
序文

 深夜。真夜中。人の街が昼の喧騒から遠く離れ、眠りの静寂に包まれる、くらく優しく妖しげな時間帯。
 かつて人は怖れた。闇は異形の棲み処だと。人ならざるモノが動きだし、我が物顔で跋扈ばっこすると。幽霊や妖怪と云った、有象無象の類のモノが闊歩しているのだと。
 恐れ。畏れ。怖れ。

 自分達の預かり知る事の出来ぬ事象へのおそれ。そのような感情があるからこそ、人は数々の危機を本能的に逃れて生き延び、子孫繁栄を続けてきた。
 だが、しかし「おそれ」の方はどうだろうか。

 おそれは目には見えぬもの。
 全ての物は無いと思えばそこに無し、事象は事象として体を形を成さぬもの。
 反面、総てのモノは有ると思えばそこに在り。
 例え地に無くとも天に在り。此岸に亡くとも彼岸にあり。それがこの世の理。有り得ないけれどあり得ることは、いくらでも起こり得る。
 それが幻想だと笑う奴がいるなら、好きなだけ嗤わせておけばいい。そんな奴の前にはどんな奇跡や魔術だって訪れやしないのだから。

 兎に角、だ。
 この世には有り得ないことを真実に、有るかもしれないことを幻想に変えてしまう力が、主張しない程度にひっそりと、だが確実に存在している。
 故に此処に宣言しよう。幽霊は居る。妖怪は居る。神も仏も、人々が化生・化け物と呼ばる異形異能も存在する。目に見えずとも、耳で聞けずとも、肌で感じることが出来ずとも。きっと遙か昔から。
 人類の歴史がはじまり、人々が夢想し、超自然の力を一瞬でも信じた瞬間から。それは産声を上げ、あたかも最初から在ったかのように。

 信じる者は救われ、掬われ、そして巣喰われる。
 有ると想えばそこに在り、亡しと思えばそこに無し。人の夢もこの世の幻も、全てが総てが無常、常ならぬ。絶対不変の世界の理。

 だからこそこの世は、面白い。

 この世には未だ解明されない不思議で不気味で奇怪で愉快な事が充ち満ちている。怪しく妖しく恐ろしく畏ろしいモノは、常に万人の隣に在り、何喰わぬ顔して居座っている。

 さて準備は整った。早速これから怪しい事を語ろうではないか。妖しい事と戯れた、とある少女達の話を――

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