怪事捜話
第八談・私とあなたと祭囃子④

「は?」と短く、怪訝な、或いは威圧するような言葉を返した乙瓜を見て、しかし七瓜は怯むことなく言葉を続けた。
「やっぱり信じてくれないわよね。わかってた。けど言わせて。あなたは私だった。そして私とあなたは友達だった。かつては、ね」
「……お前、自分で何言ってるのか分かってんのか? お前が俺で、しかも俺が憶えてない友達だっただと? そんな夢の中みてえな事、ある筈が――」
 ある筈がない。そう乙瓜が紡ぐより早く、七瓜は言った。言い切って見せた。

「あるわよ。有ると思えば」

 きっぱりと。迷いなく。
 乙瓜の疑問に対する解を答え、七瓜はじっと乙瓜の瞳を覗き込んだ。
 近く遠い外灯の輝きに照らされて、彼女の瞳が僅かに輝く。
 その瞳は、おそろしく澄んだ色に染まっていた。
 まるでなんの虚偽も無ければ迷いも無いと言わんばかりに。まるで相対する者の嘘を全て見透かしてしまえるような。そんな二対の瞳が、己を真っ直ぐ見つめている。
 それに気づき、乙瓜は意味も無くゾッとした。
 何故なのかは分からない。意味も無く、理由も分からず。しかし乙瓜は、己の背筋に冷たいものが走るのを感じたのだった。
 そんな乙瓜から視線を逸らさないまま、七瓜は続けた。
「妖怪が居て、幽霊が居て、魔女が居る。そもそもこんな世界だもの。夢物語だなんて、誰が言い切ることができるの? "あるかもしれない"、そう思った瞬間から、全ては"在りる"のよ。それがどんなに荒唐無稽な事だったとしても、ね。……少なくとも、あなたには全てを否定することは出来ない筈。幾多の怪事を目の当たりにしてきたあなたには」
 滔々とうとうと告げて、七瓜は漸く乙瓜から視線を放した。
 ふぅと息を吐き天を仰ぐ。漸く視線から解放された乙瓜も、釣られるように空を見上げた。
 大分闇に染まった天上には一等星が眩く輝き、晴れた夜空を幻想的に彩っていた。
 その星々の輝きを見て、七瓜はほんの少しだけ表情を歪めた。
 それは怒っているようなものではなく、泣き出しそうなのを堪える様な表情だった。
 その変化に、同じく空を見上げる乙瓜は気づかないでいる。七瓜はその間に顔を下ろし、静かに話を続けた。
「私が前にこの祭に来たのは6年前。今よりずっと小さかった時。お祭り行こうかって言うお母さんに手を引かれて、大勢の人と露店で賑わう参道に来た。お父さんはお仕事の都合で、お爺ちゃんとお婆ちゃんはくたびれるからって、それぞれお留守番。お兄ちゃんは友達の家に遊びに行っちゃってた。お母さんと私、二人だけ。だけど、私は楽しかった」
 どうしてだと思う? そう問われ、乙瓜は視線を星の海から七瓜へと戻した。
 彼女が再び見遣った七瓜は、やはり寂しげに微笑んでいた。
 その表情に戸惑いつつも何か言葉を紡ごうとした瞬間、乙瓜の脳裏に閃光のように走り抜けた光景があった。
 それは自分がまだ小さい頃に訪れた祭の光景。小さい頃――それは自分が7つの頃、七瓜が言ったのと同じ6年前の記憶。
 丁度その日。父は会社の急な呼び出しで家に居らず、兄は数少ない友人の家に遊びに出掛けていた。
 祖父母は人だらけでくたびれるからと断り、乙瓜は母と二人で出かけることになった。
 そう。丁度七瓜が語ったのと全く同じ状況で、乙瓜も祭に出掛けたのだ。
(そうだ、そうだった。これは確かに俺の記憶・・・・。6年前の俺自身の記憶だ。……だが、全く同じなんてことがあるのか……? 家族構成から同じ年の祭に来れなかった理由まで、全く同じなんてことが……)
 そんな馬鹿なと妙な焦りを覚えつつも、乙瓜は今までの七瓜の言葉を一つ一つ思い返していた。

 ――二年ぶりかしら、私の妹。
 ――私は七瓜 。烏貝七瓜。世界に忘れ捨てられた烏貝の影、そしてあなたの双子のお姉さん。
 ――あなたは私だったのよ。
 ――そして私とあなたは友達だった。

(そんなまさか、まさかそんな事って……。でも、こいつの言ってた事が全部嘘でなかったとしたら・・・・・・・・・・……? 全部本当だったとしたら……)
 それまで七瓜が残した不可解な発言が線で繋がっていくのを、乙瓜は感じていた。
 しかし形成された一本の線が導き出すところの答えを受け入れきれず、乙瓜はぶんぶんと首を振った。
「……あるわけないだろ! だって、記憶にないんだぞ! 記録にだって残ってない! 仮に本当にあったんだとしたら、どうして誰も何も憶えてないんだよ! おかしいだろ!? なあ!?」
 大声で否定しつつ、乙瓜は改めて七瓜を見た。
 その顔に寂しげな表情を貼りつけたままの彼女は何も言わない。
 乙瓜はそんな七瓜を見て表情を歪め、言葉を続けた。
「何か言えよ! こちとら憶えてないんだよ、思い出せないんだよ! 思い出せないのに引っかかるんだよ、あの時・・・隣に誰かが居たってッ……! ……なあ、教えてくれよ。…………お前……だったのか?」
 それはまるで縋るような叫びだった。
 その声にコクリと頷いて、たっぷりと息を吸い込んでから七瓜は言った。
「――そうね。あの時あなたの隣に居たのが私。私の隣に居たのがあなた。食べかけのかき氷はブルーハワイで、釣った水風船は迷子になった時にどこかに落とした。……そしてここに辿り着いたのよ。誰も居ない本殿の裏へ」
 あの日も星が綺麗だったと、七瓜は再度星空を見上げて溜息を吐いた。
「なんで誰も私を憶えていないのか。……それはね乙瓜。私が影を失ったからよ。でもそれは死んだという事ではないの。ただ死んだだけなら、存在はなかった事にはならない。お墓も立つし、痕跡も残る」
「なら、どうして……」
 言いかけて、乙瓜はハッとした。彼女の脳裏に先日の三咲の言葉が過ったからだ。
 ――影泥棒。その意味することが分かってしまったような気がして、乙瓜の顔はみるみる青褪あおざめていった。
(そうだ……そうだった。去年こいつは言ったじゃねえか……"私の影を返して"って! ……こいつが誰からも見えなくなったのも、存在そのものを抹消されてしまったのも、全ては――)
 去年はまるで意味が分からなかった。反発し、只命を狙われたという事実のみでずっと敵視してきた。
 しかし――しかし。何故なにゆえに七瓜が自分を狙い、だがすんでの所で仕損じたのか。その全てが今更分かったような気がして、震える声で乙瓜は問う。

「……俺の、せいなのか? 俺が、お前の影を、盗ったから……?」

 暫しの沈黙があった。時間にして10秒か、20秒か、しかし耐え難いような沈黙があった。
 草木のざわめきや呼吸音がやたらと耳に付き、互いに互いの鼓動すら聞こえてくるのではと錯覚させた。
 そんな沈黙を破って、七瓜は言った。
「…………。3年前。私は影を失った。影を失ったモノは空気と同じになる。居るけど・・・・居ない・・・。確実に視界には入っているのに、認識されない。でも、幽霊じゃない。ちゃんと生きてる。食欲もあるし、睡眠もとるし、心臓も動いてる。……でも、そんな奇妙な人間が居る筈がない。だから、まるでエラーを修正するように。世界は私の痕跡を抹消した。私は誰にも、家族にも認識されなくなって。そしてあの魔女に出会った」
「それが……魔女ヘンゼリーゼとかいう奴か?」
 乙瓜は先日三咲との会話でも出て来た魔女の名を口にした。
 ヘンゼリーゼ。七瓜はその名を聞くなり表情を曇らせ、力なく頷いて言葉を続けた。
「ヘンゼリーゼは私に言ったのよ。以前の状態に戻る為には私の影を使っている相手から取り戻さなくてはならないと。そしてあの時の剣と少しの術を授かった。……あの日あの瞬間、私は本気であなたを殺す気だった。あなたの友達まで巻き込んで。それだけは紛れもない事実。嘘偽りない事実なの。……だから」
 ごめんなさい。と、七瓜は俯いた顔を両手で覆った。
 覆った顔面から嗚咽おえつが漏れる。両肩は震えており、どうやら泣いているようだった。
 その姿を見て、乙瓜は複雑な気分でいた。
 七瓜の言っている事が本当だとして、去年の彼女が自分を襲った理由はまあ分かった。
 自分が誰にも存在を認識されない、居なかった事にされているなんて不安で絶望的な状況の中に彼女は居たのだ。
 そこから抜け出す方法を与えられたのなら、例えそれがどんな方法であったとしてもすがる気持ちは分かる気がする。
 ……なんの説明も無くこちらの命を奪おうとしたことは別として、だ。
 しかし。肝心の事がまだ明らかになっていないのだ。
 存在を抹消される前の七瓜と自分との関係。真に姉妹であったのか、それとも違うのか。
 いつだったか、山の神は七瓜の言葉に嘘は無い、本当の姉妹だと言っていたが……。
 ――そして。自分が七瓜の影を持っているとして、いつどのようにそれを奪ったのか。
(それに……そうだよ。俺の影が七瓜の影だったとして、元々の俺の影はどこへ行ったんだ……? いや、そもそも、そもそも……影を失う前の七瓜のポジションにが居たとして、元々のはどうなった……?)
 新たな疑念。それに伴う謎の焦燥。何かを思い出さなくてはならないような気がして、或いは何かを思い出してはならないような気がして。乙瓜の心はざわりと揺れた。
 やがてそのざわめきが頂点に達した時、乙瓜は己の頭の中に声が響いた気がした。
 二つの異なる声、しかし殆ど同じことを告げる声を。

『思い出すな!』
『忘れなさい』

 その言葉にハッとして、乙瓜は顔を上げた。
 渦巻くような思考の世界から抜け出し、改めて見た現実の先には泣き続ける七瓜の姿がある。
 ごめんなさいと繰り返して泣き続ける、己と瓜二つの少女の姿。その姿を見て、しかし乙瓜が呟いたのは眼前の彼女の名ではなかった。
「……火遠?」
 口を突いて出たこの場に居ない存在、待ち合わせに現れなかった妖怪の名に、乙瓜自身も「?」と首を傾げた。何故その名を口にしたのか、彼女自身にも分からなかった。
 だがそのミスマッチな呟きは幸い七瓜には聞こえていなかったようで、乙瓜は一呼吸おいてから改めて彼女の名を口にした。
「七瓜」
 いつまでも泣いてんじゃねーぞ、と呆れたように続けた彼女は、先程まで頭の中を支配していた不穏に纏まらない考えを一旦忘れる事とした。
 恐らく全ての答えは目の前の少女が知っているのだろうが、その彼女がこんな状態ではどうしようもない。
 乙瓜はより七瓜の傍へと歩み寄ると、その両肩にぎこちなく手を置いた。
 どうにも調子が狂うと、暫く口の中でもごもご言った後、意を決したように乙瓜は言った。
「えーと、その、なんだ。……去年の事は一旦ゆるす。だから、まあ、顔上げろよ。やりにくい」
「えっ……?」
 唐突に投げかけられた赦しの言葉に、七瓜は呆けたように顔を上げた。
 髪の間からやっと覗いた目は赤く充血しており、幾重もの涙の筋を頬に落としている。
「なん……てっ……」
 なんて言ったのと、恐らくそう言いたいのだろう。しゃくりあげた声で七瓜は言った。
 まさか自分の言葉が信じてもらえるだなんて、そしてまさか赦しの言葉がかけられるだなんて。そんなことは夢にも思って居なかったのだろう。
 まるで信じられないと言いたげな七瓜の瞳を見つめ返し、乙瓜はもう一度繰り返した。
「去年の事は一旦赦す。……他の美術部みんなは別として、だ」
「ほ……本当、本当……に?」
「ここで嘘ついてどうすんだよ」
 だから泣き止め、と乙瓜は続けるが、次の瞬間七瓜の目には新たな涙が湧き出し、重力に従ってぼろぼろと雨のように頬を零れ落ちていった。
「ごめんなさい……ごめんなさいっ……! これはその……嬉しくて……」
 一瞬の間を置き、ハッとしたように涙をぬぐって七瓜は言う。
 その顔は既にぐしゃぐしゃで、去年あの日北中の階段で出会った時のすまし顔とは大違いだった。
 そんな彼女に困ったような視線を送りながら、乙瓜は考える。
 嘗て、出会い頭に命を狙ってきた、自分と同じ姿を持つ少女・烏貝七瓜。
 今日までずっと邪険にしていた彼女とこうして話す機会を得て、彼女と自分との因縁を多少知ることが出来たように感じる。それは大きな収穫だと思う。
 少なくとも、今の七瓜は。乙瓜の生命を害したり、美術部の仲間を傷つけたりするような事はしないだろう。
 ……例え今までの話が全て嘘で、この涙が演技だったとしても。
 少なくとも、日傘――以前剣へと変えて見せたそれを地面に置いている時点で、今この場で争う気はないだろうと、乙瓜はそう判断した。
(そう思うのも泣き落としに引っかかってるからかも知れねえけどな……)
 一つ吐いた溜息は、他ならぬ自分自身の甘さへの呆れからか。乙瓜は虚空へと放たれた吐息を追うように夜空を見上げた。
 濃紺のキャンバス上には、一度七瓜と見上げた時と変わらず、煌々と輝く夏の星々が広がっている。
 心奪われるようなその美しさを前に目を瞑り、乙瓜は思った。
 次に美術部みんなに会ったら、今日の事をどう説明しよう。と。
 上手い説明を考えて、そもそも別に伝える必要なんてないんじゃないかという結論に思い至った時。烏貝乙瓜は、何かを見つけていたのかもしれない。



 7時半を回り、乙瓜は一人境内の丘を下っていた。
 あの後七瓜とは一つ二つ他愛もない会話を交わした後に別れ、両手を占有していた食べ物類のパックは完食した後ゴミ箱の中。手元には唯一、彼女に貰った未開封のキャラメルの箱のみが残った。
 その何の変哲もないキャラメルの箱をしげしげと見つめながら、乙瓜は今日の出来事を一つ一つ思い返す。
 結局、七瓜からあれ以上の事を聞き出すことは出来なかった。
 それは何より、その先を知ることを自分自身が怖がったからかもしれない。
 ……自分が本当は何者であるのか、だなんて。ともすれば哲学的なその追及の先を。
(細かいところは何もスッキリして無い……けど、今日の所はこれで良かったのかも知れないのかもな)
 乙瓜は箱を振った。恐らくぎっしり詰まっているだろうキャラメルが、僅かな隙間を巡ってカタカタと小さな音を立てる。
 私とあなたは友達だった。七瓜は確かにそう言った。
 彼女が語った迷子になった時のシチュエーション――かき氷の色も失くした水風船の事も、乙瓜の記憶の断片と一致していた。
 それは単なる推測だけで語れる事ではないと乙瓜は思う。
(……隣に居たのは、きっとお前だったんだ。なあ、七瓜。……あの時の俺の大事な人はお前だったんだ。……何をどう間違って影なんざ奪っちまったのかは、思い出せねえけど。……いつかその日が来るんだろうか。何が本当で何が嘘か、それが分かる日が――)
 そんな真面目な事を考えながら乙瓜が鳥居の前まで来ると、左の柱に見覚えのある人物が寄り掛かっているのが見えた。
 普段の姿とは違う黒いパーカーに白いキャスケット帽といった出で立ちだが、間違いない。
 何より帽子からはみ出た鮮明な赤色を見紛うはずが無い。
 次の瞬間、乙瓜はその人物を思い切り指さしていた。
 件の人物の方も乙瓜の接近に気付いたようで、二人はほとんど同じタイミングで全く同じ言葉を叫ぶ形となった。

「「遅いッ!!」」

 その噛みあっているようで噛みあっていないハモリに、何人かの人が振り返る。
 突き刺さる視線にほんのりと顔を赤くしながら、乙瓜は件の人物――草萼火遠の居る柱の下へと小走りで近寄った。

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