怪事捜話
第七談・百鬼夜行スクランブル⑤

 夏の日も沈み、西の彼方から暗い夜闇が空を覆う。
 そんな暗闇を熟れかけの月が照らし、星々の大河が煌々と輝く。
 輝ける大鷲オオワシ白鳥ハクチョウが琴を挟んで双翼を広げ、赤いサソリは地平線の彼方に眠る宿敵を睨み続けている。
 そんな宝石のような空の下、生暖かい風が吹く。草木はそよぎ、雲が流れる。
 その風は古霊北中学校の屋上にも吹き込んだ。
 漆黒の長髪がぶわりと舞い、花子さんはニヤリと微笑む。
「さあ、はじめましょうか」
 大きく右手を上げて宣誓する。彼女の視線は街の闇の中へと向けられている。
 ……闇の中に潜む、傍迷惑な客人まれびとたちへと。
 客人――カメラ男たちは知らない。
 オカルト話をさかなにし、噂のオカルト少女を肴にし。広大な電子の海中において矮小わいしょうな己を主張する為の道具ツールとして利用しようとしている彼らはまだ――知らない。
 自分たちに向けられている視線を。"みんなでやれば大丈夫"。……その幻想を信じ、何の備えもしていない自分たちに向けられる、明確な敵意を。

 彼らはまだ、知らないのだ。彼らはまだ、らないのだ。

「恐れを知らぬ愚か者たちよ、おそれを知らぬ恥知らずたちよ。震えなさい、嘆きなさい。貴方たちは既に蜘蛛クモの巣の上。……厚かましくも私たちの後輩・・に手を出そうとしたことを、必ず必ず後悔させてあげるわ。必ず……必ず!」
 上げた腕を振り降ろし、花子さんは宣言する。
 瞳は赤く赤く輝き、背後にうごめく人外の者たちが動き出す。
 ざわざわと、ぞわぞわと、ヒトデナシどもが動き出す……!

「さあ皆行くわよ! 北中裏生徒の実力を、余所者に知らしめてやりましょう!」

 現在時刻、午後7時丁度。美しい夜の中、それは確かに始まったのだ――。



 同刻、古霊町東部・黒梅家にて。
 夜の庭でジーと鳴くのは、名前も知らない夏の虫。
 決して美しいとは言えないその合唱を聞きながら、魔鬼は切り分けられたスイカをのんびりと食べていた。
 内と外を薄く隔てる網戸には、家の光に釣られてか、時折甲虫の類が激突し、何とも言えない音を立てる。
 今しがたも大きなカブトムシが飛来し、今は縁台で、これまた大きなクワガタとよろしくやっているところだ。
(こういうの捕まえて持ってく所にもってったら、それなりの値段になるんだろうなァ)
 そんな事を考えながら、魔鬼はふと思い出したように時計を見た。
 若干進んでいる壁掛け時計は、ずれた針で7時4分を指している。
 それを見て、彼女はググッと伸びをした。「そろそろかぁ」と呟き、網戸越しに空を見上げる。
 幾日ぶりか、雲一つない夜空がそこに在る。
 月はまだ満月には届かないものの、闇をひらく光は眩く、沢山の星々と共に地上を優しく見守っている。
 まるで全ての穢れを取り払ったかのように美しい夜。
 そこには『恐怖』や『不気味』等の単語は似つかわしくなく。ましてや『呪い』だの『怨霊』、『妖怪』だなんて、場違いも甚だしいようにすら感じられる。
 しかし。そんな清浄な雰囲気を纏った夜を見つめながら、魔鬼は思う。
 こんな夜でもどんな夜でも、朝であろうが昼であろうが。幽霊は居る。妖怪は居る。神も仏も、人々が化生・化け物と呼ばる異形異能も存在する。
 それはどこにでも潜んでいて、いつでも姿を現す事ができるのだ。
(正直、花子さんたちがどうやってカメラ男たちを町から追い出そうとしてるのかわからないけど。だけど……カメラ男あちらさんは驚くだろーなぁ)
 ――だって、こんな綺麗な夜だもの。
 これから、否、もしかしたら既に学校妖怪に襲われているであろう余所者たちのことをちょっぴり哀れに思いながら、魔鬼は新たなスイカに手を伸ばした。
 それを一口齧ったところで、魔鬼は呟く。「百鬼夜行か」と。
 行列となって深夜の街を跋扈ばっこする鬼や妖怪の群れを百鬼夜行と呼ぶ。成程、今宵この古霊町で繰り広げられる花子さんたち首謀の怪事もまた一種の百鬼夜行と呼べるのかも知れない。
 ……尤も、深夜と呼ぶにはいささか浅い時間ではあるが。
「間違って誰か死なさないといいけどねえ……」
 魔鬼は苦笑いを浮かべた。
 屋外では相変わらず夏虫が鳴き、縁側ではカブトムシとクワガタが決闘を繰り広げている。網戸には知らぬ間に大きな蛾が止まり、圧倒的な存在感を放っている。
 なんて事は無い、田舎の夏の夜が流れて行く。静かに長閑のどかに夜が更けていく。
 その平穏な静寂に混じり、どこか遠くで誰かの悲鳴が聞こえた気がした。
 しかし聞いて聞かぬふりをして、魔鬼は静かに窓を閉めた。



「――まー、私たちにかかればチョロイもんだったわね!」
 一夜明けて翌日放課後、美術室にて。
 出窓の縁に腰かけて、花子さんは高笑いを上げた。
 開け放たれた窓から風が吹き込み、黒い髪が白いカーテンと共にふわりと揺れる。
 えらく堂々と現れた学校怪談の大物を前にして、普段真面目な一年部員たちも流石にそわそわしている様子だった。
 特に生粋のオカルトマニアである柚葉などは、先程から作業そっちのけで「すげーすげー!」と騒いでいる。
 怪談小説愛読者である寅譜もまた、騒ぐまでは行かないものの静かな感動に打ち震えているようで、明菜班の作業の進捗は完全に滞ってしまっていた。
 肝心の明菜は呆れた様子で二人に呼びかけるも、暖簾のれんに腕押しぬかに釘。もはや自分の力ではどうにもできないと悟ると、諦めて自分一人だけで下書きの作業を続行した。
 そんな後輩たちの様子を見兼ねたように深世は叫ぶ。
「だぁーッ! トイレの花子さんだかなんだか知らないけど、作業の邪魔になるなら帰ってよマジでぇっ!」
「あら、お邪魔はしてるけど邪魔してないわよ私」
「それを邪魔っていうんじゃあぁッ! ……ええいこれ以上私の美術部をオカルト部にさせてたまるかぁ! 誰ぞ塩を持て! 塩を!」
「まあまあまあ、落ち着け深世さん落ち着けって! な?」
 久しぶりに憤る深世を宥め、乙瓜は花子さんの方を見た。
 慣れてきたとはいえ未だオカルトアレルギーの深世がヒートアップした元凶たる彼女は、涼しい様子で小首をかしげている。
 そんな彼女を見据え、乙瓜は訪ねた。
「……っていうか、花子さんたち昨日一体何したんだ? あのカメラ男たち、今朝は全く見かけなかったけど……まさか……」
 聞く前から嫌な想像をしたのか苦い表情を浮かべる乙瓜を見て、花子さんはアハハと笑い、違う違うと言わんばかりに手を振った。
「やあね乙瓜、前もって言ったでしょ。殺すとか、消すとか、そういう物騒な事はしないって。私たちはねえ、ただ一人一人捕まえてこうしてやっただけよ」
 花子さんは笑い交じりにそう言うと、ポケットの中からケータイを取り出して高く掲げた。それはまるで――そう。インカメラで自分撮りをするときのような体勢だった。
 その体勢を保ったまま視線を流し、ニヤリとしながら花子さんは言った。
「一緒に写真をとってあげただけ」

 曰く、花子さんたち学校妖怪が実行した怪事の内容とは。
 日が沈んでも未だ屋外に残るカメラ男たちを引っかけてちょっぴり・・・・・脅した後、ツーショット写真を撮らせてその場で掲示板にアップさせた、たったのそれだけだという。
 たったのそれだけ。しかしそれだけ。「あいつら泣いてたわー」と花子さんは笑う。
 それもその筈。
 カメラ男たちにしてみれば、望み通り怖い目にあって、望み通り心霊写真を撮る事にも成功したものの、手元に残ったのは如何にも作り物くさい陽気な写真。しかも自分とのツーショット。
 更にモザイク処理する時間すら与えられず、即ネットに上げろと強要され、不特定多数の前に自分の顔を晒させられたのだから。……泣きたくもなるだろう。
「晒していいのは晒される覚悟がある人だけ、なんてね。いつまでも匿名の安全圏に居られるわけじゃないって、あいつらも身に染みてわかったんじゃないかしらぁ?」
 花子さんはそう言って再び高笑いするが、カメラ男が自分たちの噂の真相やプライバシーを暴こうとしていただなんて微塵もしらない美術部は、皆「オバケ怒らせると怖いなあ」と思い、犠牲となったカメラ男たちに心の中で手を合わせるのだった。ご愁傷様、と。
 兎にも角にもそんな計画が功を奏してか、件の男たちは撤退。
 その後「これは違うんだ」と弁明を繰り返すがネット住民は信じてくれず、「なにがしたかったの?」「釣りかよふざけんな」「彼女持ちのリア充氏ね」といった具合で呆れと怨嗟のレスが殺到し、掲示板は大炎上。
 そんなわけで一夜明けた今も火消しやら糾弾やらで大混乱状態にあり、とても古霊町の噂について語り合えるような雰囲気では無くなっているらしい。……と、花子さんは教えてくれた。
 そこまで話を聞いた乙瓜は、ふと疑問に思った事を魔鬼に耳打ちする。
「なんていうか花子さん、妙にネットに詳しくないか?」
 それを受けて、恐らく同じような事を考えていたのだろう。魔鬼は小さく頷くと、少し考えてからこう返した。
「……アレじゃね? 最近はケータイ使いこなしてる幽霊もいるっぽいし」
「いやそれ映画の話だろ……」
「でも現実として花子さんケータイ持ってんじゃんか……」
 ひそひそ話を繰り広げる二人を見て、花子さんは額を抑えて溜息を一つ。
「聞こえてるのよ。……言いたいことがあるなら直接言いなさいな、全く」
「ご、ごめんなさい……」
 呆れたように吐き出す花子さんと謝る二人。
 花子さんは彼女らから視線を逸らさぬままに「よっ」と立ち上がると、片手を腰に当てて話を続けた。
「私たちは学校に棲んでる以上、時々は授業も聞いたりするの。表生徒あなたたちと同じ授業を聞いているのに……だけど教師たちはその存在を知らない。だから私たちは裏生徒。私たちは、学ぶのよ・・・・学習する・・・・。そんな私たちの前で、パソコンの授業が今まで何回あったと思ってるの? ネットサーフィンくらい出来て当たり前、とっくに詳しくたって何の不思議もないじゃない!」
 言って、花子さんはえっへんとふんぞり返った。
 乙瓜魔鬼はじめ美術部の面々は、目を丸くしながらも各々「なるほど」と納得の様子だ。
 柚葉に至っては「流石っす! すげーっす!」と感涙し、語彙は少なくともなんだか矢鱈と感動している様子だ。
 一層喧しくなった彼女とは対照的に、腕組みしてうんうんと唸っているのは遊嬉だった。
「そんなネットの大先生みたいなオバケを相手に、将来的にはその存在を明らかにしなくちゃならないわけか……大変な仕事だ……」
「いや、お前まだそれ諦めてなかったのか……」
 ツッコミを入れながら、乙瓜は以前遊嬉が語った目標を思い出していた。
 不思議な事を迷信や気のせいだとする多数派に一石を投じるという、ある種無謀ともいえる野望ゆめを。
 その野望達成の新たなる障害を前にし悩む遊嬉を見て、乙瓜は苦笑いを浮かべる一方。そんな事などおそらく全く知らないであろう杏虎は問う。
「つうかさ、今回の件遊嬉はぜんっぜん気付かなかったワケ? 自分のPCあるし光も通ってるじゃんさ?」
 そうなのだった。最近ご無沙汰気味ではあるが、美術部のホラーテラーを自称する遊嬉は、ネット上の怖い話をも蒐集しゅうしゅうしているのだった。
 そんな彼女が今回の掲示板騒動を知らないのは、ある意味一番の謎である。真っ当な疑問をぶつけられ、しかし遊嬉はなんて事ない顔でこう答えた。
「畑違い」と。あまりに端的すぎる回答にポカンとする同期をよそ目に、遊嬉は続けた。
「いや、あたし確かに怖い話とか、怪しげな交霊術とかそういうのについては集めてるけど。検証スレとかほんっと見ないから」
 だから畑違い。遊嬉はそう言うとやれやれと肩を竦めた。
 そこから不思議な間をおいて美術部の面々が納得の声を漏らし始めた時、建付けの悪い美術室の扉がガララと開かれた。
 唐突に立った大きな物音に驚き、殆どの部員の視線が扉へと集中する。
 そんな視線の集中砲火を一身に浴びて、扉を開けた主は怪訝な表情を浮かべた。
「いや、何も皆して注目する事もないんじゃあないか? まったく」
 いつかと同じ台詞を吐き、はツカツカと教壇前まで歩を進める。
 紅蓮の瞳に燃え盛る髪、その両手には土産物屋のものと思しき紙袋。
 それらを教壇上に置く彼の背中に、乙瓜と魔鬼の叫びが突き刺さる。

「「火遠!」」

 その言葉を受けて、彼は――火遠はくるりと振り返り。そして、ニヤリと笑った。

「ただいま。元気だったかい? 美術部たち」



 同日夜、都内某所・某ビルの一室にて。
「……まー、暇つぶしにしては長持ちした方だよねえ」
 つまらなそうに呟きながら、隻眼の女はそっとパソコンの電源を落とした。
 椅子の背もたれに寄り掛かり、目的も無く天井を見上げる。
「掲示板は炎上、管理人は画像の削除に追われててんやわんや。それはそれで面白いって言えば面白いけど、アタシがやりたいのはそういう事じゃあないんだよねえ。あーあ」
 嫌だ嫌だと言わんばかりに、女は軽く頭を振る。
 それに合わせる様に何かがカタカタと音を立て、暗い室内にやけに響く。
 まるで固い何かを断続的に打ち鳴らすように。カタカタ、カタカタと音が響く。
 そんな音に被さって、先程とは違う女の声が言う。
「残念ねえ神楽月。あんたの遊びももう御終い。だからあたし言ったじゃない。だから妾、言ったじゃない」
 コツリと固い音に続き、シャンと鳴り響くは鈴の音。
 その鈴の音を振り返り、隻眼の女――【三日月】幹部、アンナ・マリー・神楽月は不機嫌そうに頬を膨らませた。
「……葵月あおいづきあねさん」
 彼女が見遣った闇の中で、銀髪の女がニコリと笑った。
 葵月かずら。月喰の影・【三日月】の関東地区統括部隊長。アンナの直属の上司。
 彼女は髪飾りの鈴を一撫でしてチリンと鳴らし、絵に描いたような微笑を浮かべた。
 それを見て、アンナはチッと舌打ちする。
「なぁに、文句付けに来たワケ? 計画・・の事ならちゃんとやってるわよ。準備は上々、つつがなく。……ああもう、これはこれ、それはそれよ」
 ぶっきら棒に言い放った彼女を見て、蘰はニイと目を細める。
「わかってるわよ、わかってる。あんたは他の有象無象と違って出来る子だもの。そっちの方は期待してるわ」
「ふん。本当はどう思ってるんだか」
 アンナはプイとソッポを向いた。椅子をくるりと回して向き直ったデスク上には、とあるものに関する書類が置かれていた。
 それを手に取り、アンナは呟く。
「絶対に成功させるんだから」

 全ては彼女達の信奉するマガツキ様の為に。
 人知れず、世にも知れず。美術部も【灯火】もあずかり知らぬ所で、それは静かに進行していた――。



(第七談・百鬼夜行スクランブル・完)

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