怪事捜話
第六談・古井戸の夢②

 その日の放課後。
 普段なら部活で賑やかな校内だが、その日・月曜日は週に一度の会議の日故に部活は無く。活気あふれる子供達を失った校内はしんと静まり返っていた。
 明かりと人気ひとけがあるのは職員室のみ。
 その他の教室・廊下は照明が落とされており、まだ陽の高い時間ではあるが、その光は朝から依然として上空に広がる鈍色にびいろの雲に遮られ、辺りは薄暗く不気味な様子であった。
 そんな北中の、薄闇に沈んだ図書室にて。
 しっかりと施錠され、誰も立ち入ることの出来ない筈のそこには、数人の、本来ならばあり得ない者たちの気配があった。
 そう、本来なら存在し得ない筈の存在――いつの頃からか学校に棲み付き、時に学校の怪談と呼ばれる怪奇な噂の素となる、裏生徒たちの気配が。

「古井戸の、夢。……で、ござるか?」
 読んでいた本をパタンと閉じ、この北中の裏生徒の一員・男子トイレの怪談「トイレの太郎さん」こと"たろさん"は顔を上げた。
 学ランにマントと学帽という古風な学生スタイルで身を包んだの彼の視線の先には、大凡一般の学生とは程遠い鮮やかな赤マントとスクール水着といった、なんとも奇怪な恰好の少女が立っていた。
 その少女ことエリーザは、今の時代の学生ではその名を知る者すら少ない昭和の時代の怪談・妖怪赤マント……の弟子を自称する存在であり、彼女もまたここ北中の裏生徒の一人である。
 エリーザは疑問符付のたろさんの問いにコクリと頷くと、手近な机に腰を下した。
「そう。今日一部の表生徒たちの間でちょっとした騒ぎになってたのを偶々聞いたの。コジョーアトのハイジンジャにイタズラしたら井戸の夢を見たって」
「コジョ……古城跡、とは、昔のヨミサキ城の事でござろうか?」
「しらない。けど、たぶんそう。ね、タロ・・は昔のこの辺の事知ってるのよね? 何かわかる?」
 如何にも興味津々と言った様子でそう問うエリーザを見て、たろさんは静かに首を横に振る。
 そしてずっと持っていた本を本棚に戻し、改めてエリーザの方に向き直って一言。
「駄目でござるよ」
 警告する風でもなく、嗜める風でもなく。彼は穏やかな口調でそう言った。
「あそこに関わっては……駄目でござるよ。あそこは人であっても人でなくても、不用意に触れていい場所ではござらん。あの底にあるのは――」
「あの底に、あるのは?」
 一旦途切れた言葉を復唱し、エリーザはたろさんを見上げた。
 彼女の視線の先のたろさんは、エリーザを見ているというよりは、どこか遠い場所を見つめているようだった。
(何を見ているのかな?)
 そう思って、エリーザがたろさんの視線の先を振り返ったのと同時。
 たろさんの言葉の続きが、彼女の背中に突き刺さった。

「あの底にあるのは――呪いでござるよ」



 同日日没後、烏貝家にて。
 雨は上がれども終ぞ晴れることのなかった空にもやもやしながら迎えた七夕の夜。
 夕飯を終えた乙瓜は、自室の机の上に妙に分厚い本を広げていた。
 辞書ほどの厚さのあるそれは、しかし辞書ではなく。両親の部屋の書棚の中に、殆どオブジェ同然の状態で並べられていたものを拝借してきたものだった。
 その名は『古霊こだま町史ちょうし』。
 昭和の終わり頃に当時の町長らによって編纂・発行されたもので、古霊町在住家庭の七割はこの本(上下巻二冊組)を持っている。
 発行してから年数が経っているので所々情報が古いものの、各所の地名の由来やあちこちに残る説話などが纏められており、後世に残す郷土資料としてはなかなか立派な代物である。……のだが、如何せん読み物として面白いものではないので、大抵の家庭では烏貝家と同じく棚の肥やしになっているのが現状である。
 そんな、最後にいつ開かれたとも分からないホコリ臭い本を乙瓜が持ち出しているのには、当然ながら今朝の出来事が関係していた。
 古城跡の廃神社、封印された古井戸、そして夢。
 肝試しに行ってしでかしてきた・・・・・・・墓下と賽河原の両名については正直どうなったって良かったが、一応調べると天神坂に言った手前、何もしないわけにもいくまいと思ったからである。
 それでも内心はちょっぴり面倒臭いと思いつつ、乙瓜は本の文字列に目を走らせる。

 その古城――讀先よみさき城は、鎌倉時代・時の地頭によって築かれたものであり、現在の町役場から西に数キロ離れた高台に存在していた。
 長い時を経て形を変え城主を変え、江戸の終わり頃になると城ではなく藩校として利用されていたが、明治に入った頃に何らかの原因で焼失したらしい。
 しかしその後すぐに神社が建立されたのかと云うとそうではなく、讀先城焼失後のその場所には新しく学校が建てられたという。

 かつて存在した城についての記述はそこまでで終わっていた。
 乙瓜は本から目を離し、椅子の上で伸びをするように体を仰け反らせた。
 疲れ目を休ませるように意味も無く天井を見上げながら、読み込んだ文字列を頭の中で整理する。
(古城がどんな成り立ちかとか、どんな風にして失われたとかは、まあ分かった。でも昔の城主に関する血なまぐさい噂だとか、その後造られた学校がどうなったとかは……まだわっかんねえな)
 ふぅと息を吐き、乙瓜は再び姿勢を正す。開いていたページを閉じて再び目次に目を遣り、次は神社についての記述を捜す。
(廃神社だからもしかしたら何も書いてないかもしれないけど……まあ、一応な)
 そう思いながら視線を動かす先では、古霊町独特の奇怪な地名と一風変わった神社名が紙の上で踊っている。
 神逆神社・夜都尾稲荷神社・童淵神社の古霊町三大神社に続き、全国どこにでもあるありふれた神社が名を連ねる中、それは在った。
餓者がしゃ神社 所在地・古霊町城址××-×』
 そこに記載された所在地は、件の古城跡とぴたりと一致していた。乙瓜はその記述を見つけた瞬間ハッと息を飲み、続きの文章を辿った。
 餓者神社、主祭神・菊理媛命ククリヒメノミコト。宮司は大宮おおみや何某なにがし(『何某』部分は記されていたのだが、常用漢字ではなかったこととルビが振られていなかったことから、乙瓜には何と読むかわからなかった)と云う名らしい。
 そしてその後に続き、次のような縁起が記されていた。

 讀先城址じょうしに建てられた学校では、完成当初から生徒や関係者が凶事に見舞われることが相次いだ為、明治18年に至って移転となったらしい。
 現代では到底考えられないような理由だが、明治の世に入ったとはいえ地方ではまだまだ迷信の類が信じられており、祟りを恐れた村民の強い要望によってそれは実現したようであった。
 木造校舎は解体され、城址の高台からやや下った地で新たに組み直された。
 そして残された土地には神社が建立こんりゅうされ、土地に凝った『よくないモノ』――つまり穢れを清め鎮めることとなったと云う。
 建立当初こそは宮司が常在しており祭事の類も行われていたが、今度はその宮司の一家に不幸が続いた。
 その為宮司一家もまた城址を離れることとなり、現在では年に数度訪れて祈祷するのみに留まっているので、神社はすっかり廃屋の様相を呈している、とのことであった。

「ということは、あそこは……」
 読み終えて、乙瓜はポツリと呟いた。
 そう、件の城跡にある神社は廃神社などではなく、現在……少なくとも町史が発行された頃までは、おろそかながらも管理された神社だったのだ。
(少なくとも? ……いや、きっと今でも管理されている)
 ある種確信めいたものを感じながら、乙瓜はそっと本を閉じる。
(墓下と賽河原はロープでなく注連縄って、確かにそう言ったんだ。それがとっくの昔のものなら、野晒しの紙垂しでなんてとっくに朽ちて分からなくなってる。だから、あの神社は今でも時々宮司が入ってるんだ。古井戸に……何かする為に)
 そこまで考え、乙瓜は不意に眠気に襲われた。
 無意識に出そうになった欠伸を噛み殺し、ふと壁掛け時計に目を遣る。
 ネジが緩いのか時々ダイナミックにずれるその時計の針は、長針が10、短針がそれよりもやや9寄りの10を指していた。
 即ち、午後9時50分。しょっちゅうずれる時計だが、次に確認した机上の目覚まし時計も概ね同じ時間を指していたので、少なくとも今現在は正確に動いているようだった。
「って、もうこんな時間か」
 ハッとしたように呟き、乙瓜は翌日の提出の課題があったかどうか少しだけ考え、特になかったことを思い出すと風呂場へと向かった。
(一応調べものはしたし、これで天神坂の顔も立つだろ。それにまあ、まだ夢の件が怪事って決まったわけじゃあねえしな)
 そう思いながら、乙瓜は浴槽の中へと体を沈めた。
 頭に巻いたタオルからはみ出した洗い髪が、今朝の雨の続きのようにぽつぽつと雫を落とす。
 屋外は結局晴れることない曇り空で、古霊町周辺の純粋な子供達を落胆させていることだろう。残念ながら今年の古霊町では織姫と彦星は再開できそうにない。
(そういえば、旧暦の七夕は来月なんだっけか)
 ぼんやりと考え始めた乙瓜を他所に、夜は静かに更けていく。星も月も無い黒い夜が、ひっそりと進んでいく。

 そんな黒い夜の中で、その日多くの北中生が全く同じ夢を見る。

 暗い井戸の底、天面に口を開ける丸い穴、冷えていく身体、死んでいく記憶。そう、墓下と賽河原が怯えていた、あの夢を――。

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