怪事捜話
第十九談・籠の中の虜は④

「どうやら【灯火】の防御術式は完成したみたいだね。……下に放ったアタシの兵隊人形ちゃんたちも、負荷に耐えられず崩れちゃったみたい。あーあ」
 風吹き抜ける屋上の手摺の上に器用に体重を預け、アンナ・マリー・神楽月は溜息を吐いた。
【月】の使者として影ながら人形の軍勢を操り北中内の戦力を分断した彼女は、自軍の崩壊と共に己をこの場――古霊北中学校から遠く引き離そうとする見えざる重力のようなものを感じ取り、残念そうにに表情を歪ませる。
「忌々しい事にアタシのコトもここから追い出そうって力がはたらいてるみたい。君との勝負もまた・・お預けだね」
 言って、片目だけの作り物の瞳を向ける先には、この北中の学校妖怪の支配者格たる花子さんの姿がある。妹分たるエリーザや仲間の魔鬼を傷つけられた事からアンナに対する怒りを燃やす彼女は、『術式』の正当な効果とはいえ勝敗を預けたままにこの場から去ろうとするアンナをキッと睨んだ。
「……この古霊北中がっこうを傷つけておきながら無傷でここから去るだなんて、"花子さん"であるこの私が許さないわ!」
「いやいやいや、許されなくても去るしかないんだからさ。諦めなよ、君も。それに大体アタシたちは争ってるんだよ? 傷つけられるのなんて当たり前で、そっちの対応対策が遅れた事に関する責任を我々に求められても困るなァ。……ていうかこっちもノーダメじゃないしねェ」
 アンナは不機嫌そうに唇を尖らせ、どこからともなくあのダーツを取り出した。花子さんはその忌々しい物体を前に身構えるが、しかしアンナはダーツだけを見つめたままに言う。
「折角作ったのに、本当に只の玩具にされちゃった」と。どこか哀しそうに。
 そうしてそれを再びどこかへ仕舞うと、アンナは再び花子さんに向き直り、怒りと疑念の同居するその瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「そんなわけでまた暫くバイバイ。強かったよ、花子さん。次の作戦・・・・までに倒されてる事を願うくらいには」
 ニヤリとし、アンナは地上へ向けて飛び退く。そのヒールでどうバランスを取っていたのか不思議に思う靴底が手摺を蹴ってカンと鳴り、重力に従って消えて行く。
 花子さんは慌ててその手摺に駆け寄った。バッと地上を覗き込み、そこにまだ落ち行くアンナの姿を捉える事が出来たのは彼女が人外故か。彼女らの体感時間の中でゆっくりと落ちて行くアンナに向けて、花子さんは叫んだ。
「待ちなさい! 次の作戦というのは――」
「教えないよ」
 ふふと笑い、アンナは言った。
「再三の勧告と警告を無視して我々に敵対すると決めたのは君たちじゃない? だから教えてあげない。マガツキ様は君たちを連れて行ってはくれない。アタシたちだけで行くの。新しい――」
 そこから先の短い言葉を花子さんが理解する前に、アンナは北中から姿を消した。恐らくは何かしらの転移術によって。
 花子さんが覗き込んだままの地上には、自分たちの争いとはまるで無縁の、いつも通りの前庭の光景が広がっている。パンジーやハボタン等の冬の植物を咲かせたプランターが綺麗に並んでおり、近くに見える飼育小屋のニワトリも何食わぬ顔で餌をつついている。校庭の彼方に見える運動部の生徒たちにも別段変わった様子もない。元気よく掛け声を上げ、それぞれの活動場所で活発に動き回っている。
 いつもの光景、当たり前の光景。――校舎内の全ての異変なんて、初めから無かったかのように。
 そんな平穏な光景を前に花子さんは一瞬呆然とし、それからこぶしをきつく握りしめた。
「どこへ行くですって……? ふざけないでくれるかしら……?」
 独り言を漏らす。溢れる感情に震える声で、もう居ない彼女へ対する遅すぎる返答を口にして、花子さんは握りしめた拳を手摺に叩きつけた。

 その刹那、校舎裏の木々から一斉にカラスが飛び立つ。
 バサバサと重たい羽音と、カアカアと喧しい鳴き声を上げて。黒い鴉が不吉に飛び立つ。
 羽搏はばたいた不穏の気配の中で、花子さんはハッと顔を上げる。そして気づくのだ。己がずっと【月】掌の上で踊らされていたという事実に――。



 不穏にざわめく風の中、やや砂色に染まったアスファルトの上に黒い・・血をぽたぽたと零し、琴月亜璃紗は彼女を睨んだ。
 烏貝七瓜。今己の腕の中にて呆然自失としている烏貝乙瓜のとなった存在にして、【月喰の影】の観測記録に現れた唯一の例外事例イレギュラー存在を奪われて尚存在するモノ・・・・・・・・・・・・・・
「あらあらあら。……今何とおっしゃられましたか? わたしの? 妹? あら、あら。……面白い事を言われるのですね? この子が何か、貴女はとっくに知っておられる筈ですわ?」
 どこか挑発するように表情を歪め、亜璃紗は嫌味たらしくクスクスと笑い、尚も無事の片腕片手で乙瓜の髪をさらりと撫でる。七瓜はそんな亜璃紗キッと睨んだまま一歩を踏み出し、得物もないままにツカツカと歩み寄りながらも言う。
「面白いですって? 何が面白いと? その子は私の双子の妹。ずっと昔から――今もそう。そう、私が定義した・・・・。……貴女なんかには渡さない」
「信用? 信頼、ですの? この子に殺された事があるのに・・・・・・・・・・? 貴女もこの子を殺そうとまでしたのに?」
「安い挑発には乗らないわ」
 ざり、と地を蹴り足を止め、七瓜は亜璃紗と相対する。その距離僅かに二メートル足らず。攻撃を仕掛ける気になればいつでもどちらからでも仕掛けられ、しかし初手にて得物の剣を投擲してしまった分七瓜の方がやや不利に見えた。
 そんな七瓜に向かって動けないままの魔鬼は叫ぶ。「気を付けろ!」と。漸く。己の中に一年以上積もらせていたすっきりとしない感情を吹っ切るように。
「……そいつは動きを封じる術を使う!」
「あなた――」
 七瓜は思わぬ助言に意外そうな表情を浮かべ、続けて小さく「ありがとう」を告げる。その上で亜璃紗に向き直り、「でもね」と続けた。
「私に"影縫い"は通用しない。……私は影無し。忍術だか魔術だか由来は知らないけれど、その術が『影を縫い付けるモノ』と定義される以上、私に通用することは無いわ」
「……成程。貴女とてずっと踊らされて来た・・・・・・・わけではない、と。科学法則をすり抜ける我々へ理屈への対処法を学んだという事ですわね」
 負け惜しみのように言って、亜璃紗はスッと一歩後ろへ下がった。同時に十五夜を冠する杳月・音月が彼女を守るように立ち塞がる。
「けれど対処を学んだ所でどうにもならない事もありますわ。貴女は私に一撃を与え、私の術にも一つの対処法を持って現れた。それは賞賛すべき事ですけれど、……けれどだからとて貴女とここで決闘を繰り広げる程、我々も暇ではありませんの。――もう、奴が来る」
「奴……? それは――……っ!」
 七瓜が問うと同時、辺りの空気がざわりと揺らぐ。否、揺らぐなんて生易しいものでは無い。まるで荒ぶる大風のように、大地が唸りを上げるように。空間すべてが悲鳴を上げるように震え出したのだ。
「な、何ッ!? 今度は何だよッ!?」
「まさか……」
 魔鬼がなおも動けぬままに表情を強張らせる中で。七瓜が大きく目を見開く中で。異が何かを悟ったように顔を地に向け、亜璃紗が忌々しいものを見るように視線を鋭くする中で。
 未だかじかむ冬の空気の中に陽炎が生まれ、種火も何もない中から紅い紅い炎が噴き出す。荒ぶるように、逆巻くように。
「琴月様」
 僅かに眉を動かし、杳月が言う。亜璃紗は炎を睨んだままに、しかし言うまでもないとばかりに右手を動かす。ほんの一分足らず前、確かに七瓜の剣に貫かれた筈のその手には傷一つなく、代わりに五指の間に挟むのは白護符。亜璃紗はその護符を天高く掲げると、炎が自分たちへと及ぶ前に、宙へ向かって投げ放った。
「予定より少々手こずってしまいましたが、まあ間に合いましたわ」
 微笑む亜璃紗の口許に笑みが戻り、彼女と、そして十五夜兄弟の姿は空気に溶けるように薄くなっていく。亜璃紗に抱えられたままの乙瓜の姿も。
「「乙瓜ッ!!」」
 魔鬼と七瓜が同時に叫ぶ中、荒ぶる炎は琴月に向かって放たれる。弾丸の勢いで飛び出す紅は宙に人の形を描き、人の形は瞬く間に火遠の姿へと変わる。……魔鬼にとっては初めて見るような、七瓜にとってはあの雷の日に見たような――否。あの雷の日よりも激しい怒りの形相を浮かべた火遠の姿に。

「お前たちに、乙瓜をッ――!」
「恨むならわたくし共ではなく貴方自身を恨む事です。この子の監督を怠った、貴方自身を」

 飛びかかる火遠に挑発めいた笑みを残し、亜璃紗は乙瓜と共に姿を消した。十五夜兄弟もまた、既にこの場には存在しない。
 火遠は大きく目を見開いたまま宙に留まり、乙瓜と【月】の使者が消えた空間を呆然と見つめた。七瓜はその場に膝を付き、その傍らにガシャンと音を立てて何か――十五夜兄弟が亜璃紗から引き抜いたきり所持していた剣が落ちる。
「なんで……、どうしてなんだよ……。どうして乙瓜が……」
 魔鬼も呆然と呟く。直後、術者が消えた事からか体の自由が戻り、その事が彼女を却ってよろめかせ、七瓜と同じく膝を折る事となってしまう。
 呆然自失、思考停止。静止したかのような場の片隅で、八尾異がゆっくりと、挫いた足を庇いながら立ち上がる。
「……防げなかった、起こってしまった。でもだからと言ってぼく達はここで呆然としているわけにはいかないんだ」
 独り言のように呟き立ち上がる彼女の目には、昇降口方面から走り寄る深世らの姿が映っていた――。



「――そう。六十年前の無念を晴らすため、僕はあの日君が気まぐれにくれた命題を大真面目に考え抜いて、そして至ったんだ。一つの結論こたえに」
 暗幕に覆われた真っ暗な部屋の中、愉快そうに少年は言う。太陽を反射する月の輝きを閉じ込めたような、金色の瞳を輝かせて。
「いつだったか君は言ったね。単なる顕在生物の一種に過ぎない人間の抱く想像力イマジネーションこそが我々幻在生物の存在する基盤たると。故に人間を滅ぼしてその先に行くことは不可能だと。……だから僕はここに一つの解決策を提示する事で、この計画を実行に移す」
 少年は見つめる。己の座す黒いソファーの下、カーペットが敷かれたきりの床に転がる少女の姿を。――未だ意識の戻らぬままに手足を拘束された、烏貝乙瓜の姿を。
 その姿を見下ろして、少年は微笑む。

「簡単な事だよ。人間の方を僕らと同じにしてしまえばいいんだ。本質を。思想を。大切な物を。――全て同じものに置換する。……二度と愚かな争いの火が起こらないように」

 誰に語るでもなくそう言って、少年は――曲月嘉乃はクスクスと肩を震わせた。



 闇の魚は成りたかった。眩い白の世界に跳ねる、光の中を泳ぐものになりたかった。
 成りたかったから形を模した。模した形は光にかき消された。消されぬものになりたかった。
 だから、わたしは手を伸ばした。手を伸ばした先で、その人に出会った。
 輝く金色。けれどもわたしを掻き消す鮮烈な光とは違う、優しい金色。

 ――まがつき、よみの。

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