怪事捜話
第十八談・ラブミー・U→I・ラプソディ④

 一方時間はやや戻り、各学年各クラスで帰りのHRが終わって間もない頃。
 受験を控えた三年生が放課後の課外に取り組み、二年一年の生徒たちはそれぞれ部活の準備を始める中、烏貝乙瓜の姿はプール裏の桜の木の前にあった。
 八尾異の手紙に指定されたその場所は体育館が近いためか、運動部の活動音がひっきりなしに聞こえてくる。だが人気ひとけのない雰囲気がその伝達を鈍らせるのか、不思議とやかましさは感じられない。寧ろ敷地境のフェンスを挟んで流れる精霊川のせせらぎの方が耳を打つくらいだ。
 乙瓜がそこに着いた時、異の姿はまだなかった。異はHRが終わってすぐに教室から消えていた為、すっかり先回りされていると思っていた乙瓜からすれば、それは幾らか意外だった。
 だがそれ自体はさほど不思議な事でもない。幾ら先に教室を出たからと言っても、単純計算で終わる小学生の算数とは違うのだ。手洗いや用足しで遅れる事もあるだろう。それに乙瓜も殆ど忘れかけていた事だが、異は一応テニス部員でもある。幽霊気味ではあるが、珍しくも・・・・放課後まで残っている以上、顔出しか荷物置きくらいはしているかもしれない。
(それはそうと、どうしてわざわざこんな所に呼び出したんだ?)
 思い、乙瓜は首を捻った。あれから――五時間目が終わってから、乙瓜は手紙の呼び出しについて異に確かめようとしたものの、彼女は「あとでね」と言うばかりで、放課後になるまでその事について触れるつもりはないようだった。知りたければ来い、という事だろう。
 何が起こるか分からないのは不安だ。だが、まさか異に限って虐めまがいの事はしないだろう。
 疑問と信頼を半々に抱いて乙瓜が待つこと数分。「やあ」と気軽に手を振って、八尾異が姿を現した。
「待ったかい?」
「いや別に」
 ポケットに退避させていた手を外に出し、乙瓜は異に体を向けた。手ぶらでテニスコートに通じる道から現れた彼女はやはり荷物置きに行っていたようで、鞄を肩に掛けたままの乙瓜は自分もそうすればよかったとちょっぴり後悔した。
 異は約束の桜の木の前まで来ると、くるりと乙瓜を振り返り、ジャージのポケットから何かを取り出した。
「まずはこれをどうぞ。明日休みだしね」
 そう言って彼女が乙瓜に手渡した小さな四角い包みがチョコレートであることはほぼ間違いないだろう。乙瓜はそれを受け取りながらキョトンとした後で自分もお返しをしようとするが、完全に美術部員と+α(学校妖怪、あと火遠たち)の分しか用意していなかった事を思い出し、どこか気まずい調子で「ごめん」と返した。
「いいよいいよ、気持ちだし」
 異は平然とそう言って顔にかかる髪を払い、ふうと一つ息を吐いた。
「それじゃ本題に入ろうか。ぼくが烏貝ちゃんをここに呼び出した理由なんだけどね」
 言葉を紡ぎ、彼女は真っ直ぐ乙瓜の顔に視線を向けた。
「君も薄々は分かっていると思うけれど、ぼくはチョコレートを渡すためだけにわざわざここに呼び出したわけじゃない。今、君に話さなくちゃならないことがあるからなんだ」
「話さなくちゃならないこと……?」
 ピクリと眉を動かした乙瓜に「そうさ」と頷き、異は「今、今日のこの時間でないといけないことさ」と続けた。
「大事なことなのか?」
「うん。とても大事。だから最後まで聞いてほしい。例え途中でぼくがなにを話しているかわからなくても、最後まで聞いてほしいんだ」
 異はそう前置きしながら手を後ろに組み、何かを思い起こす様に目を瞑って――それから話を始めた。

 ぼくのお婆ちゃんはね。――そんな出だしから始まった話を聞きながら、乙瓜は次第に青褪めて行った。何もそれが怖い話だったからではない。
 異の口から語られるのはあまりにも非現実的な話で、突拍子もなく掴み所もなくて。けれど乙瓜が北中美術部・・・・・だからこそ信じられるものがあって。
 その圧倒的で絶望的な情報量を前に、乙瓜は表情を凍らせて立ち尽くす他なかった。そうして固まってしまった彼女に、異は言う。
「ぼくの言葉を信じるも信じないも君の自由だ。けれどもぼくはこれを君に伝えなくちゃいけなかった。そうでないとやつらに勝てない・・・・・・・・。君ももう・・、薄々気付いているんだろう? 君がどうしてに合格を貰えなかったのか。……こんなことを言うぼくを憎んでくれてもいい。恨んでくれてもいい。だけど言うよ」
 クスリとも笑わない表情で、真剣な眼差しで。八尾異は烏貝乙瓜を見つめ、そして告げたのだ。

「烏貝乙瓜ちゃん。君は――」

 彼女の唇が言葉を紡ぎ終わった刹那、どこかから何かが砕け壊れる音が響いた。



「あら、チョコレートねえ。あらあら。硝子の破片がこんなに刺さっちゃって。勿体ない事。……だぁめよぉ? 結界張るんだったら大事なお料理も守らなくっちゃぁ」
 硝子窓の粉砕された調理室にて。無残にも破片塗れになった水祢の作りかけチョコレートに目を向けて、葵月蘰はクスクスと笑った。
「……誰のせいでこんなことになったと思って? そもそもお前が硝子割って来なければこんなことにならなかったんだけど。わかってるの? ドブスが」
 チッと大きく舌打ちをかまし、水祢はギロリと蘰を睨む。蘰はそんな彼に嗜虐的しぎゃくてきな笑みを返し、鈴の付いた髪飾りの紐に指をかけ、チリンと小さな音を鳴らした。
「裏切者の水月スイゲツね~。知ってるわよ。せーーーっかく琴月様に目を掛けていただいたのに、どんな顔して【灯火】に戻ったのかしらぁ? ねーえ。尻軽ぅ?」
 嫌味ったらしく言い、わざとらしくニコリと微笑む。そんな蘰と対照的な表情の水祢のやや背後で、杏虎は静かに弓を構える。願わくば今の内に狙い撃つ魂胆で。
 だが蘰そんな杏虎の思惑など御見通しとでも言わんばかりに目を細め、神楽鈴の如く七・五・三の鈴を実らせる杖を杏虎へと向ける。
「やだ、怖い子ね。今ならあたしくらい簡単にやれるって?」
「あんたらの話は毎度毎度なげーんだよ。どうせ互いにやる気ならさっさと始めた方がいいっしょ? おばさん・・・・?」
「あらあら、せっかちさんね。だけど話が早い子嫌いじゃないわ。人間って一点だけでゴミも同然だけどねぇ~」
 皮肉に皮肉を返してニコリとすると、蘰は唐突に杖を振るい、その石突で破片のハリネズミと化した水祢のチョコレートを机上から振り落とした。それを見て、相変わらず扉越しに身を置く眞虚は目を見開く。
 幾らとっくに食べられる状態になかったとはいえ、あれは水祢が大事に作っていたチョコレートだ。それが無残にも床に落ちる様を見て、考えるよりも先に眞虚は叫んだ。「水祢くんの!」と。
 悲鳴にも似たそんな叫びを聞きつけて、蘰の首はくるりと曲がる。そしてその絵にかいたように縦長の瞳の中に眞虚の姿を捉えると、ああと笑った。
「ああ! そこに居たのねえ。水月の契約者」
 獲物を見つけた狩人のように。上機嫌にそう言って、蘰は杖を眞虚へと向けた。眞虚はそこに来て漸く応戦しなくてはと構え――だが次の瞬間、蘰の姿は彼女の視界から消えていた。
 蘰が自発的に姿を隠したわけではない。蘰の身体は今し方彼女自身が注意を背けた方向から猛スピードで迫って来た何かに吹き飛ばされ、未だ破片の残るスチールの窓枠をへし折りながら屋外へと消えたのだ。
 ともすれば突然の事故にも似た光景を前に、眞虚は護符を出そうとした体勢のままビクリと肩を震わせる。その後方でしゃがんだままに同じものを見てしまった明菜もまた「ひっ」と小さな悲鳴を上げた。それ程に衝撃的な光景だったのだ。
 しかし直後、眞虚は蘰を飛ばしたモノの正体に気づく。窓へ向かって伸びるもの。太く長く古木のような質感を感じさせるそれを見るのはいつ以来だろうか、そこに在ったのは変化して巨大となった水祢の両腕だった。それが勢いをつけて蘰を殴り飛ばしたのだ。
「みっ、水祢くん……?」
「ぐずぐずしてないで今の内に逃げて。そこの明菜そいつも連れて早く!」
 恐る恐る問う眞虚にそう返し、水祢は再び屋外を睨む。眞虚はしかし戸惑いながらも調理室に一歩踏み出し、「私も戦える」と護符を展開する。
 水祢はそんな彼女を一瞥し、心底恨めしそうに表情を歪めた。
「逃げろと言ったのが聞こえなかったの。……まだわからないのね。お前は――」
 ――と、彼が何事かを紡ぎかけた時。

「あらあらあら。びっくりするじゃない」

 ケラケラと笑うように、ねっとりと絡みつくように。聞き覚えのある声が空気をくすぐり、ぞわりと粟立たせる。眞虚が恐る恐るその方向――窓の方向へと目を向けると、そこには案の定蘰の姿があった。
 その妙に露出の多い皮膚には幾つもの硝子の破片が痛々しく突き刺さっているものの、そこに一滴の流血もなく、する気配もない。それが彼女が人外のものであることをありありと物語っており、眞虚は思わず息を飲んだ。
 ばけもの・・・・は沢山の鈴の音響かせながら調理室へ戻り、涼しい表情のまま水祢を見た。
「助け合いって奴かしら? 美談的よねぇ。妾そういうの大っっっ嫌い。この子を逃がす? させるわけないでしょ。させないわぁ~」
 言った直後、蘰は手にした鈴の杖を垂直に大きく持ち上げ、手の中を滑らすようにストンと地面に落とす。ジャランと大きく鈴の音が響くと同時、見えざる攻撃が眞虚を、水祢を、そして矢を放つ寸前だった杏虎を襲った。
 耳鳴りと眩暈めまい。脳の奥がビリビリと揺さぶられるような衝撃と、平衡へいこう感覚の喪失。前触れなく襲ってきた不快な感覚を前に、眞虚は手近な机の角を掴んで膝を付かないよう堪えるのがやっとだった。
(なにこれ……、水祢くんは、杏虎ちゃんは……!?)
 ぐらつく頭を押さえて辺りを見回した眞虚の目は顔を歪め思うように動けない様子の水祢と、弓を支えに膝を付く杏虎の姿を捉える。廊下側に隠れたままの明菜の様子は眞虚の位置からはわからない。攻撃を受けていなければいいのだがと心配しつつ、眞虚は展開したまま所在なく浮かぶ己の護符に意識を向ける。
葵月あのひとは――)
 不快を堪えて攻撃目標の姿を捜す。だが――
「攻撃に転じるのが遅いわよぉ。妾はここ」
「……ぐ、うあっ……!?」
 横腹に走った鈍い衝撃の後、浮遊感。直後無防備な体勢のまま冷たい床に叩きつけられ、眞虚はうめき声を上げた。
「眞虚ちゃんッ!」
 杏虎が叫ぶ。謎の攻撃を前に膝を付いた彼女は目撃していた。眞虚が蘰の杖に殴り飛ばされる様を。
 眞虚の身体は軽く1mは飛ばされ、調理室の南側の壁に激突した。不幸中の幸いといえば、その場所までは北側の窓硝子の破片は及んでいなかった事か。しかし未だ己に何が起こったか把握しきれていない彼女は、起き上がろうとして痛みに呻き、とてもこの場から逃げられそうにない。
「こんの……よくも……ッ」
 杏虎はよろよろと立ち上がり、未だふらつく体で弓を引こうとした。片や蘰はその様を見てにやにやと笑う。
「そんな素人以下の構えであたるのかしら? 妾、鵺ほどトロくはないわよ?」
「中るんじゃない、中ててやる……! それ以上の軽口が叩けないようにッ!」
 くわと目を見開き、杏虎は吼える。その眼の青の中に割って入るように金色が輝き、丸い瞳孔は獣のように細く締まる。
「ああ、あんたが虎の眼の子だったっけ? 見通しの虎、狩人の眼。あんたみたいな子にあげちゃったって事は、あれ・・も相当余裕がなかったのねぇ」
 訳知り顔で呟く蘰に光の矢が飛ぶ。しかし彼女は何食わぬ様子でそれをかわすと再び杖を構え、見下すような視線を杏虎に送った。その時だった。

「馬鹿なこと。相手は一人じゃない事を忘れたの?」

 手裏剣の如く黒い護符が飛び、蘰は杖を回してそれを受ける。
「忘れちゃいないわよ。思ったより回復が早かった事には驚いたけれど」
 全弾・・受けきった蘰が目を向けた先で、水祢はチッと舌打ちをかました。
「水祢!」
「ぐずぐずしない。お前も撃って」
 ハッとする杏虎にそう言って、水祢は新たな護符を取り出した。杏虎は未だ続く頭の中の不快感を掻き消すように首を振って、再び弓を構える。
「なあるほどね、二対一で有利に持ち込んだ気でいる」
 蘰は二人を交互に見つめ、それから護符に纏わりつかれた杖を一瞥する。そうして何を思ったか杖を捨て、袖の中の何か・・に手を伸ばした。
「だけどあんたたちは大事なことを一つ忘れてる。うちの神楽月がこしらえたもの。妾たちの武器」
 両手指の間に装填そうてんしたそれを見せびらかすようにして、葵月蘰は邪悪な笑みを浮かべた。

「さあ、誰から犠牲になる?」と。

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