怪事捜話
第十七談・雪山妖霊スノーディ⑦

「そっちの部屋にも出たんだって?」
「413にも? やだー、こわーい……!」
男子おれらのとこにはなかったぞ? つか雪だるままだあんの? 見てえ見てえ」
 朝日もすっかり昇った時間帯。朝食バイキングの席で北中生の間に語られるのは、もっぱら一つの話題トピックに独占されていた。
 その話題の中心は、雪だるまにあった。そう。この早朝に乙瓜が見た、そして昨日魔鬼が見た、あの・・雪だるまの事だ。その雪だるまが女子生徒の宿泊する411から415号室までの全ての客室部屋玄関に出現した・・・・ともなれば、他のどんな話題も瑣末さまつなものとして霞んでしまう。昨晩の414号室の一件から、それがホテル側の仕業でない事は既に確認済みだ。その事実がこの朝の出来事の不可思議さを強調し、多感な時期の生徒たちの関心を強く引くこととなったのだった。
 男子の客室には雪だるまは現れなかったらしいが、女子たちがあまりに盛り上がりを見せるのですっかり興味津々だ。それは同じ食堂内で朝食を取る他校生も同じことで、今やこの場に『部屋を訪ねる雪だるま』の話題を知らない中学生はほぼいないと言っても過言ではないだろう。
 子供たちの勝手気ままな憶測飛び交う朝の食堂を見て、他の泊り客は「騒がしいな」「いやいや元気があっていい」などと語り合う。各学校の教師陣は、あまりうるさくするなと注意しつつ、本日の日程や体調の悪い生徒の有無を確認している。
 そんな食堂全体の様子を横目で見つつ、乙瓜は朝食のパンにジャムを塗っていた。
「それでさ、結局あの雪だるまって何だと思う?」
 言いながら彼女が目を遣った同じテーブルのメンバーは、例に漏れず美術部メンバーだった(深世も居る)。
 味噌汁を啜っていた遊嬉は、空になった茶碗をトレーに置くと、「雪だるま自体は只の雪だるまだったよ」と言う。
「昨日魔鬼が見たって言うのと同じ。あたしは別に何も感じなかったし、眞虚ちゃんも杏虎もそうだよね?」
「まあね」
「うん」
 遊嬉の視線を受けて、杏虎と眞虚はそれぞれ頷く。続けて「乙瓜ちゃんもそうでしょ?」と言う遊嬉に、乙瓜もコクリと頷いた。
「……誰の目から見ても普通の雪だるまだったって事は、部屋に雪だるまを置いた何か・・が居るって考えるのが自然だよね」
 魔鬼が言うと、皆うんうんと同意する。その様をテーブルの隅から見ていた深世は、どこか恨めしそうに「あんたら何かしたんじゃないの」と呟く。
「無意識の内に変なモノ召喚しようとしたとか、そうでなかったら山の方のバケモノに悪さしたとか。そうでなかったらうちら北中生の客室にだけ雪だるま置かれてる理由がわかんないじゃん。……本当に何もないのか?」
「いや、あたしら何もしてねーし。深世さん疑いすぎじゃね」
「私らの事なんだとおもってんだよ。酷いなー」
 杏虎と魔鬼がそれぞれ言うが、深世は疑いの視線を向けたままだった。一方デザートの杏仁豆腐に手を付けはじめた眞虚は、「山ってなにかあったっけ」と、深世の言葉を真面目に考えている様子だった。
 その呟きを受けて、乙瓜もまた考える。
(古霊町は里山とかはあっても基本平野だし、山の方の妖怪とやりあったとか悪さしたとかは無い……、筈…………?)
 ――筈。そこまで考えて、乙瓜は己の頭の中に何か引っかかるものを覚えた。
 山。妖怪。雪だるま……雪。以前にも同じような事があったような感覚、いや、あの時・・・あった事に比べれば謎の雪だるまが置かれているくらいは随分と可愛らしい悪戯であるが、それが出来そうな妖怪を、乙瓜は知っていた。多分、魔鬼や遊嬉も知っている。
(そうだ、そうだよ……! 山由来の妖怪、一匹ひとり知ってるじゃねえか!)
 思い起こす一年前、氷点下氷漬けの学校で出会った小さな妖怪。
 その姿を思い浮かべ、乙瓜は神妙に呟いた。
「わかったかもしんない……」

 そして乙瓜は、わかったかもしれない事を皆に話した。大分憶測ではあったが、そうであるとするなら大分辻褄が合う。
 故に美術部はその憶測が当たっている事に期待して、部屋に書置きを残す事にした。二日目のスキーに出かける前に短いメモ書きをしたため、それを雪だるまが出たすべての部屋の靴箱の横に貼り付けたのだ。
 事情が分かっていない生徒には大分不審がられたが、美術部の奇行・・は今に始まった事ではない。ある部屋のグループには小馬鹿にされ、またある部屋のグループには呆れらたものの、メモを貼る事自体には特に反発されなかった。
 誰かが言った。「美術部、雪だるまについて何かわかったのかな?」と。
「知らねーよ。ていうか美術部なんていつもおかしなことしかしねえじゃん」
 別の誰かは嘲笑するようにそう言って、他の誰かは「でも」と言う。
 思い思いの言葉飛び交う生徒の中で、何人かの生徒だけは心から信じていた。――美術部はきっと、この珍妙な事件も解決してしまうのだろうな、と。
 傍目には何が起こったのかわからなくても。きっと『解決』してしまうのだろう、と。他の誰も信じなくとも、一部の生徒たちは信じていた。

「――美術部はなんとなく尻尾を掴んだようだね」
 北中含む各校の中学生たちがホテルを後にしたのを静かに見送った後、火遠はそう呟いた。
 場所はホテルロビーのラウンジスペース。存外堂々とそこに居たのだが、丁度いいタイミングで顔の前に新聞を広げていた為か、美術部は彼らに気づくことなく素通りして行ったのだった。
「正直この件に関しては、あちらで気づくならこちらからは特にする事はないしね。時々ひんやりする事を除けば脅威レベルは低いし【月】やつら絡みでもない」
 言って火遠が新聞を下ろすと、対面のソファーに掛ける水祢が目に入る。その表情はいつも以上に険しく、思い詰める事余って今にでも身投げでもしそうな暗い気迫が宿っていた。
 あまりに酷い様相の弟に目を丸くした後、火遠は小さく溜息を吐きながら新聞を閉じた。
「昨晩の事かい」
 問うも水祢は答えない。だがそれが水祢の表情の理由である事くらいは自明だった。
 美術部の【灯火】本部への招待と、丙による直々の面談。雪だるまの件もあって乙瓜がすっかり夢だと思い込みつつあるそれは、しかし確かにあった事なのだ。
 丁丙は美術部一人ひとりに問いかけた。【月喰の影】と戦う覚悟を。そしてそれぞれが何を思い、何を成したいのかを。
 黒梅魔鬼・白薙杏虎・戮飢遊嬉の三人は、その問答の中でそれぞれの答えを導き出した。だが、眞虚と乙瓜の二人は……――。
「……まあ、二人ともあのままじゃあいけないよなァ」
 ポツリと呟き、火遠はテーブルの上のケータイを開いた。
 ディスプレイにはメール受信を告げるマーク。受信ボックスを開くとメールが二通。
 一通目のメールは花子さんからで、要約すると昨日は特に何事も無く平和だったという旨が記されていた。もう一通のメールはミ子からのもので、事務的な文体で術式の進捗についての報告があった。
 火遠はそれぞれに簡単な返信をした後、ふと何か考え付いたような面持ちで水祢を見た。
「水祢。ホテルの件は美術部だけで大丈夫そうだから、今日はちょっと南の方に移動してもいいかい?」
 問いかけの形ではあったものの、彼の中でそれは殆ど確定事項であった。水祢はそれを察してか、それとも単に敬愛し心酔する兄の提案だからか。変わらず陰鬱な表情ながらも迷わず首を縦に振り、ソファー脇に立てかけてあった己の荷物を取るのだった。
「…………ところで火遠、どこへ?」
 すっかり出発の準備をしつつも幾らかは疑問を持ったのか、水祢はポツリと火遠に問う。火遠はその様にニッと笑って、どこか嬉しそうに「神社」と答えるのだった。
 つい一瞬前とはまるで相反するその表情に、水祢は「まさか」と口にする。「そのまさかさ」と火遠は答え、羽織ったコートを整えてからこう続けた。

玉織たまおりに頭を下げに行く。眞虚と乙瓜を救う・・為にね」


 かくしてホテルには、美術部も、火遠も水祢も居なくなった。
 ホテルに潜むそれ・・は、そんなタイミングを見計らったかのように動き出す。
 まだ陽も高い昼の時間、お化けなんて怖くもない時間。そんな時間に堂々と、それ・・はホテルの中を闊歩する。
 それ・・が移動した後にはひやりとした冷気が残り、従業員や泊り客は肌を粟立てて怪訝に顔をしかめる。その様を影で面白がりながら、それ・・は昨晩のように客室のドアを開き……――そして、そのメモに気づいたのだ。

 太陽が山の向こうに姿を隠して久しい午後8時。それ・・の姿はホテル一階の廊下の端、自販機といくつかのソファーが並ぶ一角にあった。
 ソファーの背もたれを掴み膝立ちになるそれ・・は、背後から近づいて来る複数の気配に振り返りもせず、幼い声で「どうしてわかったの?」と呟く。その言葉を受けて、背後の気配――美術部の六人を代表する形で乙瓜は言った。
「割と賭けだったよ。ここが雪山で、雪だるまが現れたのが俺たちの居る辺りばかりで、もしかしたら知ってる奴なんじゃって思ったら、思い当たるのは一人くらいしか居ねえからな。で、それがビンゴだったってわけだ。――雪童子ゆきわらし天華てんか
 天華。そう名を呼ぶと、ソファーの上の幼い人影はくるりと振り向いた。
 この冬の中、建物の中とはいえ随分な軽装に、半纏はんてんを一枚だけ羽織ったおかっぱの童女は、白い顔に満面の笑みを浮かべてこう答えたのだった。
「あたり!」と。

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