怪事捜話
第二談・小鳥の呪い、願いの札③

 式場の屋内には既に新婦側の親族(眞虚の親族)と新郎側の親族、そして新郎新婦各々の友人たちが大勢集まっていた。
 その人数はざっと見ただけでも眞虚が過去に連れて行かれた両親の結婚式の参列者よりも遥かに多く、外の絶景に足を止めている人数も加えれば相当なものになるであろうことは明白だった。
 そんな人数を収容する式場ホールも馬鹿に広く、眞虚は思わず溜息を吐いた。
(まるでお姫様か何かの結婚式みたい……一体いくらかけたんだろう……)
 眞虚が感心するやら呆れるやらで声を出せずにいると、来客の波の向こうから長身の男性が近づいてきた。
 ダンディな顎髭あごひげを生やしたその男は、小皺の増えてきた顔をにっこりとと綻ばせながら口を開いた。
「やあ眞虚ちゃん、久しぶり。大きくなったじゃないか」
「お久しぶりです伯父さん。今日はおめでとうございます」
 眞虚はそう言って男に一礼した。その傍らに立つ水祢はそんな二人のやり取りを見て男が眞虚の伯父であると把握し、やや遅れて男に会釈程度のお辞儀をする。しかし男は水祢の事など意に介した様子はない。水祢はその態度から何かを察し、しばし眞虚と彼女の伯父の会話を静観することにした。
「ありがとう。しかし済まないね、麻子あさこの奴め、全くしょうがない妹だ……」
 眞虚の伯父は言いながら少し顔を歪めた。麻子というのは彼の妹の名前であり、急遽この場に来られなくなった眞虚の母の名前である。どうやら先日電話口で揉めたのをまだ少し引き摺っている様子だった。
「……その節はすみませんでした。母も後日お詫びに窺うと言っておりました」
「いいやいいや。伯父さんも別に、もう怒っているわけではないんだよ。まあ、代理と言ったって何も緊張するようなこともない。少々気取ったお食事会だと思って楽しんで行ってよ」
「……はい」
 伯父はそう言うとまた笑顔を作って眞虚の肩を叩くと、他の来客の方へ向かって去って行った。眞虚は彼を少しだけ振り返るとポツリと一言。
「――気取り屋」
 彼女が吐いたのは、確かな毒を含んだ言葉だった。けれども大勢の歓談に掻き消されてしまうようなその言葉に気付く者は居なかった。……ただ一人、草萼水祢を除いては。
 水祢は言う。
「嫌いなの?」
「嫌い……? そう言うほどじゃないよ。ただ、少しね――」
 眞虚はそう答えて目を伏せた。その時彼女が見せたかげった表情は、大凡水祢が見た事の無いものだった。――否、それはきっと水祢だけではない、普段慣れあっている美術部の誰も見た事の無い眞虚の顔だろう。
 しかし眞虚はそんな翳りの顔をさっと引っ込めると、いつものような能天気な笑顔で水祢に振り返った。
「ずっと立ってるのも何だしね、座ろっか?」
 いつもの調子でそう言いながら、眞虚はニコリと笑った。その顔が、先程彼女の伯父が見せた笑顔に酷く似ているような気がして。水祢はこう思うのだった。
(――成程・・根が深い・・・・

 元々小鳥夫妻の為に用意されていた席には、ご丁寧に二人分の準備がされていた。
「……多分キャンセルも面倒だったのね。誰も来なかったらどうするつもりだったんだろ」
 眞虚は席に着きながらまた少々毒づいた。水祢はそんな眞虚の様子に何か思うところはあるものの敢えて何を言うでもなく黙っていたが、眞虚の方はくるりと水祢に顔を向け、明るい声音で話を振ってきた。
「ねえ水祢くん。伯父さんはずっと水祢くんのこと無視してたみたいだけど、なんでかな? ……もしかして、こっそり姿を見えないようにしてた?」
「…………」
 水祢は無言で眞虚に視線を向け、ほんの数秒の間を置いてから口を開いた。
「俺は姿を隠してなんかいないよ。ただ、あの男には見る目が無かった・・・・・・・・んだ。文字通り。……人間にはままあるんだ。"常識"、"あたりまえ"、"普通"。そう云った誰かの作った"普通の基準"にガチガチに囚われて、確かに見えている筈のものが見えなくなってしまう奴が。……あの男なんかは正にそれだ。俺の姿は、お前にはそこいらの人間どもと同じように見えているかもしれないけれど、見る目の無い奴らにはそうは見えない。飛蚊症ののような、眼鏡にかかった曇りのような。視界の中のゴミ同然のモノとして認識される。そう、ゴミだ。……それは"常識"的に考えれば他者と共通認識し得ないモノ。……だから、脳内のフィルターはそれを濾過ろかする。その結果、俺は居ないという認識に変換される」
 水祢は気だるげに、しかし珍しく饒舌にそう語ると、「何か質問あるか」とでも言いたげな視線を眞虚に向けた。
 当の眞虚はというと、呆気にとられた顔でただただ目を白黒させるばかり。
 その頭の中はきっとちんぷんかんぷんで、水祢の言ったことなど数ミリも理解ていなさそうな。そんな様子だった。
「……。……やれやれ、認識が追い付かなかったか」
 呆れたように息を吐く水祢に、眞虚はふるふると首を横に振った。
「ううん、違うの。……ただ」
「……? ただ、何さ」
「水祢くん、こんなに喋れたんだねっ、て……いや、あの、その……ごめんね?」
「はあ?」
 眞虚の唖然ポイントが話の内容でなく饒舌な自分自身であることを知り、水祢は思わず語気を荒げた。
「ごめん、ごめんってば水祢くん! ……でもね、私ほら、水祢くんとあんまりちゃんとお話しした事なかったから、なんか少し意外で」
「なにそれ。弁明のつもり?」
 水祢はあからさまに機嫌を損ねた様子でギロリと眞虚を睨んだ。眞虚はそれに曖昧な笑みを返しつつも、返す言葉に詰まってしまった。
(どうしよう、……ううん、あれじゃあ怒るのも無理ない、よね。水祢くんに失礼だもん……)
 眞虚が自分の失言を反省する中、水祢はフンと鼻を鳴らして眞虚から目を逸らし、机上に置かれた空のグラスを眺めながらボソリと呟いた。
「……そう言うお前こそ、随分と意外な一面があるじゃないか」
「えっ……?」
 まるで何のことだか分からないような声を上げる眞虚を再度横目で睨むように見ながら、水祢は続けた。
「今日は大分毒気がにじみ出てるじゃないか」
「あっ、れ? ……そうかな?」
「そうだよ」
 そう言って水祢はほんの少しだけ考えるように目を瞑った。そして数秒の後ゆっくりと瞼を上げると、きちんと眞虚の方に向き直り、言い聞かせるようにこう言った。
「小鳥眞虚。お前と親類との間に何があったのか、俺は知らないし知りたくもないけど。……今日この場に限っては、あまり考えない方がいい」
「水祢くん……?」
 含みのある言い方に怪訝な表情を浮かべる眞虚。その視線の先に居る水祢はもう何も言わない。只大きな双眸を眞虚に向け、じっと見つめ返すだけである。
 水祢の瞳の中に眞虚が居る。同様に、眞虚の瞳の中にも水祢が居た。交錯する二つの視線。
 時間にして十秒にも満たない間だったが、眞虚にはそれが何十秒にも、何十分にも……ともすれば永遠にも感じられた。
 そんな疑似的な永遠の終わりは唐突に訪れた。賑やかな歓談の声に満ちていた式場内がしんと静まり返り、眞虚は我に返った。
 気が付けば室内の照明は完全に落ちており、上映の始まる前の映画館のような暗がりがあった。
 それから数秒置いて暗がりの中にスポットライトが灯り、ステージ上に立つ司会の男がエホンと咳払いをし、式の開始と新郎新婦の入場を告げた。
 瞬間、会場内に嵐のような拍手が巻き起こり、やや遅れてBGMが入った。
 それはベタな結婚行進曲ではなかったものの、誰しもがタイトルは知らずとも聞き覚えぐらいはあるであろう、有名な洋楽だった。
 恐らく新郎新婦のどちらかあるいは両方にとって思い入れのある曲なのだろう。
 などと眞虚が納得する頃には、既にスポットライトの主役は司会の男ではなく、徐々に開き行く扉に移行していた。
 扉の向こうから新郎新婦が姿を現し、只でさえけたたましく鳴り響いている拍手はどっと勢いを増す。
 輝くような白いタキシードを纏う新郎と、同じく純白のウェディングドレスを纏う新婦。寄り添ってゆっくりと上座へ向かって行く二人は、自分たちを照らすライトに負けないくらいに眩い笑顔を浮かべている。
 その姿からは二人の現在の幸福と将来に対する希望が滲み出るようで、眞虚は思わず吐息を漏らす。
「きれい」
 吐息と同時に口から漏れ出た言葉。それは場を埋め尽くす盛大な拍手に掻き消され、今度こそ誰の耳にも入ることは無かった。

 一方、水祢は水祢で、この雨あられのような拍手の中誰にも気づかれまいとやる気なく手を叩きながら、目の前を通り過ぎていく新婦の顔をチラリと見た。
 水祢から見てねたましく思えるくらいに幸せそうな表情を浮かべる彼女は、流石に眞虚の従姉というだけあってどことなく面影があるように見えた。
 恐らく母方の血なのだろうと、水祢は自身の真横に視線を移す。そこには、幸福と祝福を一身に浴びる新婦と似た少女が居る。
 伯父に対しては何か思うところのあるような彼女だったが、熱心に手を叩き、華やかな白を身に纏う新婦に祝福と憧憬の眼差しを向けている姿には、何の嘘偽りもないように見えた。
 ――しかし、そんな彼女には。水祢はふっと眞虚から視線を外し、目立たないようにそっと耳を塞いだ。
 水祢には聞こえていた。喧しくて仕方ないその音が、式場に響き渡る拍手とBGMに混ざり合って非常に耳障りだった。
(やっぱり、誰一人として気付いていない……)
 辺りを見渡し、水祢は少しだけ耳を抑える手を緩める。

 ざざん、ざざん。海鳴りの音。

 水祢は既に確信を持ちつつあった。その音が、眞虚の内側から聞こえてきているということに。


 そこからつつがなく式は進行した。
 お色直しを終えて再登場した花嫁が身に纏った薔薇色のドレスもまたとてもよく似合っており、純白のウェディングドレスとまた違ったおもむきがあった。
 そんな中で新郎新婦の友人が中心になって余興のビンゴゲームを始めたり、これから縁を結ぶ新郎新婦親戚の大人衆が歓談を始めた頃。眞虚は近くの席に居た親類に適当な口実を告げ、水祢を伴ってこっそりその場を抜け出した。
「いいの? 勝手に抜け出して」
 水祢は口ではそう言いつつ、至極どうでもよさそうな顔で宴席を振り返る。
 そんな彼と対照的に一度も振り返ることなく眞虚は言う。
「いいの。どうせ暫くは二人程度居なくたって事が進むし、終わりにさえ戻って来てれば」
 何とも薄情な台詞を吐きながら、眞虚は建物の外へ飛び出した。
 扉を開けた瞬間から鼻腔を満たす潮風の匂いに、眞虚は自然に顔を綻ばせた。
 やはりどこからか聞こえてくるカモメの鳴き声と、着いた頃とはまた違う角度で太陽に照らされる海の波の音。
 その音を聞きながら、眞虚は様々なしがらみを解き放つように伸びをした。
 きゅっと目を瞑り、深呼吸した後に目を開くと、眞虚は庭の一角に存在する展望台のようなものを見つけた。
 来た時は鉄製のオブジェか何かだと思って見過ごしていたそれは階段と手すりが付いていて、成程あそこからならもっとよく海が見えそうだと眞虚は思った。
 そう思った次の瞬間、眞虚は遊具を前にした幼い子供のように目を輝かせて展望台へと走り出した。
 ――走った、とは言っても、その足取りは履き慣れないヒールと着慣れないドレスの為かいつもより非常にぎこちなく慎重なものだった。
 そんな彼女の背後から、水祢の声が追ってくる。
「おいこら。そんなふうに急ぐと硝子ガラスの靴を落とすよ、はしたない」
 恐らくドレスの裾をまくりあげて走る眞虚を揶揄したのだろうその言葉に対し、眞虚は振り返って満面の笑みで答えた。
「あらら、でもすぐに拾ってくれる王子様がいるでしょ?」
「俺はお前の王子様じゃないし靴を拾ってやる義理も無い」
 恥じらう事無く水祢を王子様と言い切った彼女に軽い眩暈を覚えながら、水祢はこう反論した。
 しかし眞虚はその反応も予想済みと言わんばかりに「知ってるよ」と笑うと、本物のシンデレラのようにカンカンと階段を――尤も、こちらは昇り階段であるが――一気に駆け上がった。そして展望台の手すりに手を掛け、まだ地面の上に立つ水祢を見つめ下ろしてニヤニヤ笑った。
「だって水祢くんの王子様は火遠くんだもんね」
「な……っ!? ~~~~眞虚っ! 人をからかうのもいい加減にっ――」
 知ったような顔で笑う眞虚に腹を立て、水祢は少し声を荒げる。しかし眞虚は一瞬だけキョトンとしたように目を丸くしたかと思うと、すぐにまた口元をゆるめて嬉しそうに笑った。
「あ。やっと名前で呼んでくれたね? "お前"でも"小鳥眞虚"でもなくて、ちゃんと眞虚って。なんだか嬉しいな」
 勝ち誇ったような彼女の態度を見て、水祢はしてやられたと頬を膨らませた。
「……今日でよくわかった。大人しい女だと思って油断してた俺が間違いだった。……お前、大分根性わるいだろっ!?」
 疲れ切った様子で言う水祢に対し、眞虚は涼しい顔をしてこう言った。

「別に。普通だよ」


 二人が宴席を抜け出してからおよそ十分後。彼等の姿は快晴の青い空の下、鉄の展望台の上にあった。
 その視界の先には豆粒のような街と港、そして空よりも青々とした海がある。
 水平線の彼方には真夏のようにモコモコと沸き立つ白雲があり、海の上には大小さまざまな船が浮かび、その上を白い鴎が飛んでいる。
 そんな光景を見ながら、眞虚は歌うように言う。
「やっぱり海って好きだな」
「さっきから何度言ってるの、それ」
 うんざりした顔で水祢がツッコむ。
 眞虚がそれを口にするのは、もう何度目だろうか。少なくとも展望台に上がってから十数回は言っているのではないかと水祢は思う。
 ……確か十数回だった筈だ。そう水祢は思うのだが、正直十回から先は数えるのをやめてしまったため、本当は二十回くらいは行くのかも知れない。
 兎に角水祢がうんざりするくらいに海が好きと主張し続けている眞虚は、時折吹く海風を浴びて実に気持ちよさそうな表情を浮かべる。
 まるで布団の中で安らかな眠りに就く前のように安らいだ表情だ。そしてそのまま目を閉じかけ、ふと思い出したように口を開いた。
「……そうだ、水祢くん。一つ、私が昔に体験した……なんだろうね、アレは。――怪事、そう、もしかしたら……怪事、なのかな。兎に角不思議な事を。聞いてくれない?」
「不思議な事?」
「うん」
 眞虚はコクリと頷くと、手すりに背を向けて水祢と向かい合った。
「水祢くん、私と伯父さんたちの間に何があったか知りたがってたでしょ?」
 そう言って水祢を射る眞虚の瞳は、ゾッとするくらい人外じみた赤に染まっていた。しかし水祢は眉一つ動かさずにフンと鼻を鳴らす。
「俺は聞きたくもないと言ったの。知りたいなんて一言もいってない」
「そうだっけ。でもね、水祢くん。……もしかしたら、――ううん。とりあえず聞いて。今は聞いてくれるだけでいい」
「…………。それで?」
 水祢は僅かな沈黙の後、短くそう言って腕組みした。眞虚はそれを了承と取ったのか、少し困ったように笑ってその先の言葉を紡いだ。

「私ね……私ね、昔――」

 その時ざぁと強い風が吹いた。それまでの海風とは違う乱暴な風が二人の髪や服を浚い、水祢は一瞬だけ目を閉じる。
 風のヒョオヒョオという音に混じって、バタバタと旗が翻るような音。
 それが眞虚のドレスが立てた音だと気付くのに、さほど時間は要らなかった。
 そんな一瞬の暗転の中で、雑音に交じって眞虚の声が言った。

「悪魔に会ったの」

 確かに、そう言ったのだ。

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