6045*

ロクマルヨンゴー

シールブレイク

03.鶉と目白

 うずら国信くにのぶと目白忠敬ただたかは、古霊北中学校の中でも知られた不良生徒だった。
 ともに三年生、学業成績はすこぶる悪く、この辺りで最も合格点の低く、そして中退率の高い高校に辛うじて入学できるかというレベル。夜な夜な単車を唸らせ走り回っている悪い先輩・・・・に気に入られており、当人たちも数年後には同じ道を辿っているだろうと囁かれている。
 海音と由香里が図書室で怪しげな計画を実行に移そうとしていたまさにその時、彼らの姿は屋上にあった。
 終業式も終わって続々と人気ひとけの無くなっていく夏休み前の校舎の上、よく晴れた空の下。彼らは給水塔の影の中に腰を下ろし、隠れて煙草をふかしていた。
 彼らの素行の悪さは折り紙付きなので、あと十分もすれば駐輪場に残る自転車に気付いた生活指導教諭が屋上まで乗り込んでくることだろう。
 うんざりするほど怒られるだろう事は目に見えていた。平成に入って十年も経たないこの時代、この田舎、まだ教師からの体罰にたいして「怒られるようなことをしたお前が悪い」という意識の保護者が多かった。竹刀で叩かれるくらいは軽いだろう。
 そうなることが予想できてはいたものの、彼らはそれを止めることが出来なかった。
 国信と忠敬は共に貧しく、客観的にも家族仲はあまり良好とはいえなかった。家庭内暴力は日常の一部で、一度それが始まってしまえば落ち着いてテレビを見る時間も勉強する時間もない。クラスの流行からは遅れ、テストの成績も下から数えた方が早く、道化になりたいわけでもないので押し黙っている。必然と孤立し、家にも出来るだけ帰りたくない彼らが次第に非行に走るようになったのは、ある意味仕方のないことかもしれなかった。
 自分の居場所が欲しかった。他人とは違ったものになりたかった。親への反抗、止めようとして来る教師や大人への反抗、漠然と幸せそうに見える他者への反抗。
 世間一般で悪いと言われることに手を出して初めて、彼らは危い自己同一性アイデンティティーを保っていた。将来なんて、まだ起ってもいないことは考えなかったし考えたくもなかった。ずっと『若者』でいられる気がしていた。
「……明日からどうするよ」
 咥え煙草のままでどちらからともなくそう呟いた。いや、きっと最初に切り出したのは国信だった。
「どうすっぺなあ」
 曖昧に、ほぼ鸚鵡オウム返しに答える忠敬は、特に悩んでいる風でもなかった。
 やることなど山ほどあった。
 いつもの場所・・・・・・に成人向け雑誌本を拾いに行く。
 ゲーセンやいつもの溜まり場にたむろする。
『先輩』と一緒にひたすら飛ばす・・・
 祭りにでも繰り出して適当に女をナンパする。
 夜通し酒盛りする。
 家に帰るかどうかは気分で、返りたくなければ面倒を見てくれる『先輩』のところにでも転がり込んでおけばよい。宿題をするなんての論外。
 実に頭が悪そうで堕落した見積もりだが、彼らにとってはそれがひと夏の充実した過ごし方だった。
「とりあえずこの後隣町の高架下にでも行くべ。なんか掘り出しもん・・・・・・があるかもしんねえ」
「そうだな」
 忠敬の言葉に頷いて、国信はヨッと立ち上がった。
 彼らの言う隣町の高架下はスプレー落書きの絶えない場所で、自治体が何度消してもきりがない、要は不良の溜まり場だった。時々誰かが捨てに来るのか、それとも見知らぬ誰かからおすそ分けのつもりなのか、そこには成人向け雑誌がよくばら撒かれていた。
 町なかに、子供の通学路に、道端に、こうしたものがばら撒かれていることがさして珍しい光景ではなかった時代があった。
 そしてそうしたものが置かれやすいスポットは、ませた小学男児や中学男児にとって宝さがしスポットのようなものだった。
 続き忠敬が立ち上がる。生活指導教諭は辛うじてまだ現れていない。二人して煙草を影になったコンクリートの地面上に落とし、火を踏み消す。言葉は無く「行くか」と歩き出そうとする。――否、歩き出そうとした。そこで。

「丁度いい。都合がいい。君らみたいなニンゲンが、まさに今この瞬間必要だ」

 聞こえて来た声に、二人は反射的に屋内へ続く扉に目を向けた。ついに生活指導教諭がやって来たのかと思った。しかしそこには誰も居ない。
 そして動いてしまってから気付いたのだが、声は聞き慣れた中年男性の怒声ではなく、声の高い子供か、或いは女のような声だった。
「どこ見てるんだよ。こっちさ、こっち」
 声が続く。それでもその出所が分からず、国信も忠敬も少しの間キョロキョロと挙動不審に辺りを見渡した。その様に呆れ果てたのか、声の主は遂に己の居場所を吐いた。
「上だよ、上。給水塔の」
 二人は漸く顔を上げた。つい今さっきまで二人が腰を下ろしていた影の元・給水塔。そこにはメンテナンス用のはしごがついていて、確かに上に登れないことはない。だが、真夏の直射日光を浴びたその外装は焼けるように熱い。そんな場所にわざわざ上りたがる人間なんていないという先入観が彼らの中には在ったが、確かにそこには人影があった。しかし、その姿は昼の逆光でよく見えない。
 しかし自分たちの縄張りテリトリーに見知らぬ侵入者・・・を見つけた時、不良たる彼らが取る行動は自ずと一つだった。
「誰だてめェ! いつからそこに居やがった!」
 どちらからともなく声を張り上げ牽制する。だが給水塔上の人影は怯むことなく、寧ろ面白い見世物を見たかのようにクスクスと笑い、それから大きく跳躍した。
 その行動に二人は少なからず驚いた。給水塔の上から下のコンクリートまではそれなりの高さがある。相手が同じ不良か調子付いたバカ・・なら度胸試しや目立ちたがりの為に似たようなことはするだろうが、どんな属性・・に位置するかも分からない相手がいきなり飛び降りるとは思いもしなかったのだ。次いで自分たちにつぶかる可能性に思い至り、慌てて距離を取る。
 直後影は二人の回避した間に降り立った。着地したばかりの低い体勢から、反動や衝突の痛みなどまるで感じていないかのようにスッと立ち上がる。
 二人はその姿を前に一瞬言葉を失った。
 それは相手方の振る舞いのせいも勿論あるのだが、何より同じ位置まで降りてこられたことで相手の異様な姿に気付いたからだ。

 彼、または彼女は、一見して只の人間でないことを思わせる、真っ青な肌をしていた。
 体長が悪くて顔色が悪い、なんてレベルのものでは決してない。同じ血が通っているとは思えない、灰色にも近い青だった。その上白衣のような・・・妙な恰好をしている。「ような」は「ような」としか表しようがなく、少なくとも「白衣」ではない。身分は依然として不明だ。
 あるいは国信と忠敬にもう少しだけ余裕と知識があれば、特殊メイクの可能性に思い立ったかもしれない。だがそこは不良の不良たる所以か。相手の風体の異様さに一瞬怯みはしたものの、すぐにメンチ・・・を切り直すと、撃を再開した。

「てめェどこのモンだ、ああ? 俺らに何の用あるわけよ?」
「ナメた風で居っとボコす・・・かんな?」

 口汚い言葉は物理的な暴力の前哨戦である。しかし相手は涼しい顔のまま、寧ろ小馬鹿にするような視線を交互に送り、ニコリと笑った。
「うんうん。見立て通り、君たちみたいなニンゲンなら彼女ら・・・にとって都合がいい。居なくなっても誰も困りやしなさそうだ」
「あァ!? どういう意味だてめ、ゴラ!!」
 すかさず吠える国信にゆっくりと向き直り、青肌・・はあっさりと答えた。「そのままの意味だよ」と。

「君たちには儀式用のイケニエになってもらおうと思って。忌々しい大霊道封印をぶち壊し、あちら側のモノをこちらへ呼び出して、マガツキ様の願いを叶えるために。光栄に思いなよ?」

 青肌・・の目が不気味に輝いたのを、国信は見逃さなかった。動物的な勘なのか、背筋をぞくりとした悪寒が走り抜ける。何度も繰り返して。
 こいつは何か普通の人間と違う。こいつはヤバイ。理屈はわからない。本能的な確信があった。
 逃げるぞ。国信は未だ戦意を失っていない相方にそう告げようとした。たった四文字の短い言葉、それを伝えるのに一秒とかからないはずだった。
 だが、伝えようとした言葉が口から出るより先に、彼の意識は闇に沈んだ。


「もう聞いちゃいないだろうけどね」

 瞬時に二人を気絶させ、青肌・・は一人呟く。

「ボクの名前は夜長月よながづき千笠ちがさ。月喰の影【三日月】の関東地区総括部隊副長、兼、専属医師だよ」
 ニヤリと笑い、千笠はふと遥か北東を見遣った。

「来るなら来なよ、"灯火"、草萼火遠。ボクと彼女たち・・・・でお相手するよ」
 それは彼方から向かってくる彼に対しての宣戦布告。
 余裕に待ち構える千笠の後方で、国信・忠敬とは違う二つの影がゆらりと起き上がった。