怪事戯話
第十二怪・雪夜に行き世にこんこんと②

「た……ただいまあ…………! うぇえめっちゃ凍える……」
「深世さんおかえり。遅かったじゃないか、さあ早く灯油を入れるんだ。ハーリー」
「お前ら意外と無慈悲だな!」
 恐ろしく寒い中灯油を運んできた深世を出迎えたのは、部員たちの割とドライな反応だった。深世は何か思うところがないでもなかったが、皆一様に膝を抱え、虚ろな目でストーブを眺めている様を見たら、もう何も言い返す気にもならなかった。……というか、少し前まで自分もこんな状態だったのかと思って戦慄した。
 さて、件のストーブの火はまだ燃えているものの、灯油のメーターは殆どゼロで、いつ切れるとも分からない状態。「……少し前に給油しろってブザーが鳴ったんだ」と語ったのは、ウィンドブレーカーのフードをすっぽりと被り、雪山に迷い込んだような姿の魔鬼である。
「まあ、間に合ってよかったわな……。じゃあ灯油入れるから、一旦ストーブ消すよ――」
 そう言いながら屈んだ深世の前で、ストーブの火がひとりでに消えた。丁度燃料切れのようだ。あまりのタイミングのよさに深世は少し驚くも、すぐにタンクを開けて灯油の補給を始めた。
 少しずつ0から上昇していくメーターを見て、これで暫くは大丈夫だろうと思いつつ、深世はふと思った。
 ――そういえばポリタンクとポンプ、戻さなきゃならないんだよな……? と。
 外を見る。相変らずの大雪だ。ここは泣く子も黙る関東平野、この有様は正直ギャグとしか思えない。
 深世は溜息を吐かづには居られなかった。その息が白く染まる。今の今までストーブをつけていたにも関わらず、だ。
 ――あり得ないだろ。深世は思う。

「そう、あり得ない。だけど起こってしまっているんだなァ、これが」
「ひあっ!?」
 突然耳元で囁かれ、深世は肩を跳ねさせた。手元が狂い、ポンプの先から数滴の灯油が外に飛び散るが、それもやむなし。
 反射的に振り返った先には、彼女がこの世で一番認めたくはないが、当たり前のように存在してしまっているが居たのだから。
「おっ、あっ!? あんた、妖怪の!!」
「火遠だよ、ホ・シンセイ。それにしてもこの間とほとんど同じリアクションで逆に感動したよ。元気そうで何より」
「……あゆみみよだし。何しに来たし」
 じとりと睨む深世に対し、火遠はクツクツと笑った。
「火遠じゃん。暖かそうだなお前」
 それまで寒さに耐えるように押し黙っていた乙瓜が反応を示す。他の部員達も各々目が覚めたように顔を上げる。彼女らの視線の先にある火遠は、いつも通りと言えばいつも通りなのだが、髪の毛の先が炎のように揺らめいており、確かに暖かそうではある。
「丁度よかった、ちょっと表行って雪焼き払ってくれよぅ。このままじゃみんな揃って冬眠しちまう」
「何言ってんだ乙瓜。それを言うなら凍死だろ」
「ああうん、魔鬼。そうそれな、凍死な」
 ガクガクと震えながら不穏な会話を繰り出す乙瓜と魔鬼に、火遠は苦笑いした。
「現在外気温は摂氏マイナス20度……ってとこかな。まあ真冬の北海道くらいだから暖を取り続ける限り死にはしないだろうさ」
「-20度って……とても笑い事じゃねえぞ火遠」
「まあ、太平洋側の平野部でこの気候は明らかに異常事態だね。最悪みんなして死に至る可能性も――」
「が、ガチ異常じゃんか!」
「うへぇ……やだやだやだ、あたしまだ死にたくない」
 叫ぶ乙瓜の隣で遊嬉が頭を抱える。
「こんな寒いところで死にたくないよぉ。ポカポカのお風呂入って温かい布団で眠って死にたい……」
「馬鹿遊嬉お前、縁起でも無い事言うな……」
「あのね……私ね……大きくなったら南の島に行きたいなって……」
「眞虚ちゃんも突然何言ってるの?!」
「……寒い時って逆にアイス食べたくなるじゃん。なるよね?」
「わかる」
「どぼっさ」
 遊嬉の発言から、何故か思い思いの願望を語りだす部員たち。静まり返っていた室内にほんの少し活気が蘇る。そんな輪の外でストーブを再点火させつつ、深世は溜息を吐いた。
「……やばい、とは言えども、大自然の脅威を前に一体どうしたらいいってんだ……」
 そう呟き、彼女もまた他の部員たちと同じように着席した。空になったポリタンクと、その口に刺したポンプは入り口付近に追いやられ、それらを戻すのはもう少し暖を取ってからにしようという割り切りと意気込みを感じさせる。
 けれどもいずれ起こり得る最悪の事態を想定して頭を悩ませる深世に、何をするでもなく漂っていた火遠はぐるりと向き直った。
「どうするもこうするも。怪事アヤシゴトだよ、これは」
「え」

 ――怪事。

 その発言を受け、がやがやと盛り上がっていた室内が、水を打ったように静まり返った。
「本当……なのか?」
 真面目な顔をして乙瓜が問う。火遠はコクリと頷いた。
「こんな何百年に一遍あるかないかわからない異常事態がそうポンポン起こってたまるものかよ。これはまごうことなき怪事だぜ、お嬢様方。それもとんでもなく強力な」
 言って、火遠はパチリと指を鳴らした。それとほぼ同時に、見計らったように美術室のドアが開く。
 ガララと音を立てて開いた引き戸の向こうには、相変らず無愛想な顔をした火遠の弟・水祢が立っていた。
「水祢じゃん、久しぶり……?」
 そう挨拶する乙瓜に対してフンとソッポを向き、水祢はその懐から何かを取り出した。
 その一連の動作が春先の件を想起させ、魔鬼を除く美術部一同は思わず身構えるが、水祢が取り出したのは呪術めいた紙の鳥ではなく、何の変哲もない一枚の紙だった。見たところA4コピー用紙のようであり、既に何かが印刷されている。
「これ。気象庁の衛星写真」
 そう言って水祢が付きだした紙には、確かに関東付近の衛星写真が印刷されている。
「衛星写真……? それが何か?」
 首をひねる魔鬼に、水祢は眉間にしわを寄せた。
「……馬鹿。どこ見てるの。普通言わなくてもわかるでしょ。この写真見て、お前は何かおかしいとは思わないわけ?」
「いや、だって――」
 明らかに機嫌を損ねる水祢と口を尖らす魔鬼の横で、「あっ!」と声を上げる者がいた。
「古霊町の近くは雲がかかってない……!」
 叫んだのは眞虚だった。他のメンバーもほぼ同時に気づいたのか、各々不思議そうな感想を口にしている。そんな彼女らに、火遠は言った。
「この画像はつい十五分前に更新されたものさ。……おかしいだろ? ずっと吹雪いていたって言うのに、気象衛星には雲なんて一つも映ってないんだ」
「なら、この猛吹雪は幻……なの?」
「幻――か。まあそうだね、あるいはそれは幻のようなモノなのかもしれない」
 外の有様を見ながら訪ねる眞虚に火遠はそう答えるも、直後に「けれども」と続けた。
「けれども、人間の視界から完全に姿を消す事の出来る俺たちが居るように、やはりあの雪も存在するのさ・・・・・・。寧ろ妖怪の体の一部と言っても過言ではない」
「妖怪の、一部……」
 眞虚は大真面目な顔で、降り止むことのない雪を見つめた。彼女は、何か恐ろしい物でも見るような、怯えた瞳をしていた。火遠はそんな眞虚の肩にポンと手を置き、「心配ないさ」と囁く。それからふわりと飛んで教卓の上に立つと、部員全員に聞こえるように言った。

「君たちの事だ。雪の降る夜に訪ねてくる妖怪のことは、当然知っているだろう?」
 一人ひとり確認するように視線を動かす火遠に、遊嬉が反応した。
「……それって、雪女の事?」

 ――雪女。有名な雪の妖怪。
 ユキジョロウやユキオナゴとも呼ばれ、姿は伝承によってまちまちだが、大抵は美しい女性の姿をしていると伝えられる。姿を見たら殺されるだとか、精気を吸い取るだとか、人間を凍死させるだとか、物騒な逸話が多い。また、地方によっては多くの子どもを連れているともされる。
 雪女の物語は絵本やアニメなどでも描かれているし、妖怪を取り扱った漫画作品などには必ずと言って言いほど登場しているので、一般的な知名度はかなり高いと思われる。
「はーん。何さ、つまりこの豪雪は雪女の仕業ってワケなんですかいな」
 遊嬉は窓の外を睨んだ。そして「ああ、道理で」と、何かを納得したように呟いた。
「少し前から全然積もってないと思ったら、妖怪の雪だったってことか」
「そういうこと」
 火遠はニヤリと笑った。遊嬉もやれやれと肩を竦めた。だが、殆どの部員はそのやり取りの訳が分からず目を白黒させている。
「え、ちょ、まって、え? 雪全然積ってないって、え?」
「まてまて、つまりどう言う事なんだよ!」
 狼狽する乙瓜と魔鬼。落ち着きを失くした彼女らの肩が、後ろからがしりと掴まれる。二人が振り向くと、益々不機嫌そうな顔の水祢がそこに居た。
「五月蠅い。落ちつけ。黙れ。……気になるんなら見てみればいい。何なら――」
 お前らも。と、水祢は杏虎と深世、眞虚の三人を睨む。水祢の眼光を受けた彼女らは弾かれたように窓際に向かう。乙瓜も魔鬼もそれに従い、それまで遠目で見ていた雪の様子をはじめてまともに確認した。――そして、気付いたのである。
 何時間も続いている猛吹雪。それにしては、積雪の量が異様に少ないことに。雪嵩ゆきかさは目分量で三十センチほどであり、恐らく学校が閉ざされたときから殆ど変わっていないことに……!
「うぉぉ……マジだ……」
 魔鬼が驚嘆の声を漏らす。他の四人もまた同じように積もらない雪を見つめている。
 まるで珍しい魚でも見るかのように硝子に張り付く彼女らを見て、火遠はククッと笑った。

「まあ、そんなわけだから。震えながらやり過ごそうったって、この雪は終わってくれないよ。どうする?」
 教卓の上でそう呟く彼を見上げ、遊嬉は言った。
「どうするもこうするも、怪事は解決しなきゃっしょ。だって、わざわざこの話をあたしらにするってことは、多分、居るって事でしょ? その元凶が、古霊北中このがっこうの中に。なら雪女だろうが雪男だろうが、お引き取りして貰わないと困るっしょ。帰れないし」
「物分りが良くて助かるよ。どこかの誰かと違って」
 またクスクスと笑う火遠の横で、遊嬉はぐーっと伸びをする。しながら体中の酸素を吐き出すように大きく息を吐き、僅かに吸って。そして宣言した。

「――怪事、来たれり。っと」

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