怪事戯話
第十一怪・未練執念トラッカー①

「話があるんだ」

 そう言って、火遠が乙瓜と魔鬼を呼び出したのは、先の事件から一週間も経った後のこと。
 雲一つないカラッとした秋晴れの空の下、冷たい北風がヒョオヒョオと駆け廻り街ゆく人にコートを着せていく、そんな日の放課後の事だった。
 校庭では、この間まで美しく色づいていた木々がその葉を大分減らし、涼しくなった枝を寂しげに揺らしている。まだ四時を回ったばかりだというのに薄紫色に染まる空に、力尽きた葉がまた一つ飛ばされていく。
 その始終をチラリと見て、乙瓜は火遠に向き直った。
「で……話って何だよ」
 美術室からは大分離れた三階西。多目的とは名ばかりの、少子化の影響で使われなくなった空き教室の中に乙瓜と魔鬼、そして火遠は居た。照明のスイッチは入っておらず夕刻の薄闇に呑まれそうな教室の中で、火遠の燃える毛髪だけが、ろうそくの明かりのようにゆらゆらと揺らめいている。
 行儀悪く教壇の上に座る火遠かれは、乙瓜の言葉を受けてわざとらしく咳払いをすると、しかし畏まることもせず話を始めた。
「君たちを呼び出したのは、どうしてもこれだけは話しておきたいことがあってね」
 言って、火遠は足を組みなおした。
「話したいことは他でもない、【月】あるいは【三日月】等と名乗る連中の事についてだ。乙瓜、覚えがあるだろう? 袰魅玄、アンナ・マリー・神楽。十月の鏡の件と、先週の人形の件で君が遭遇したちんちくりんな奴らの名前だ。……魔鬼は運がいいのか悪いのか、直接やりあっちゃいないみたいだけどねぇ」
 クスリと火遠は笑う。魔鬼は少しムッとする。
 魔鬼は鏡の件においても乙瓜が助け出されたことしか知らないし、先の件は初めての魔力切れでダウンしていたから、火遠の言うところの妙な連中を直接この目で見たことは一度も無い。同じく学校で起こる怪事解決を任されている乙瓜は二度も対峙していると言うのにだ。
 勿論どちらの件も魔鬼に特に落ち度があったわけではないし、乙瓜は乙瓜でいつも通りただ巻き込まれていただけなのだが、まるで自分の怠慢だと笑われているみたいで、魔鬼にはそれがちょっぴり不愉快だった。
 そんな魔鬼の内心を余所に、火遠の話は続く。
「この頃現れた奴らは、平たく言うと敵だよ、全く以て敵以外の何者でもないさ」
「敵ぃ?」
 乙瓜が訝しげな顔で聞き返す。火遠は指名する教師のように乙瓜を指さして「そうさ」と答えた。
「物凄く平たい表現をすると"悪の組織"。あるいは"カルト団体"って言い方が正しいかもしれないねぇ、あいつらは。世界を平和にするだなんて言っているけど、とんでもない。いずれ全ての人間を世界から追放して自分たちだけの楽園を創るのを本気で夢見てる連中さ。……別に幸せになろうとする気持ちを否定する気はないけれども、奴らはその大義名分の元に大勢の人間や従わない妖怪を不幸にしてきた。だから……敵さ。どうしようもなく敵なのさ」
 そう語る火遠の顔からは、いつの間にかいつものような笑みが消えていた。どこか寂しそうに笑い、ここには居ない誰かを見ているような、そんな目をしていた。乙瓜はギョッとして己の目を疑った。ここの所幻覚を見せられたり操られた友人に襲われたり、そういうことが続いたせいか、彼女は失礼にもこんなことを考えてしまっていた。「こいつ本当に火遠か?」と。
「はいはい。そいつらが悪の組織でヤバイってことはよーくわかった。で? そのヤバイ連中が何で一介の田舎の中学校なんぞを狙うんですかぁ。大きな野望を持ってる割に活動が地味すぎやしませんかー? 女子中学生鏡の中に引きこんだり、人形総動員して探し物したり、ちょっとわけわかんないんだけど。奴らが世界規模の敵だとして、そういう小ぢんまりした活動の目的は何さ?」
「ちょっ、魔鬼!?」
 何故か感じの悪い学生みたいなアクセントで返す魔鬼に、乙瓜は目を白黒させた。尤も、魔鬼は先程ちょっぴりイラッとしたのがそのまま出ているだけで言っていること事態は普段と大して変わらないのだが。
 当の火遠は魔鬼の方にくるりと首を回すと、キョトンとした顔で一言。

「大霊道」

「は?」
「ん?」
 火遠は短く疑問符のついた声を漏らす二人を見て眉をひそめた。
「いや、大霊道だけど。目的」
 何言ってんだこいつらと言わんばかりに二度目の解を吐き出した後、火遠はやれやれと肩をすくめた。
「……最初に言ったじゃあないか。古霊北中このがっこうには旧来より黄泉に通ずる特大の霊道があって、大霊道を開け放しておくといずれ常世の悪鬼悪霊まで溢れ出てきてしまう。それは【月】の連中にとってえらく都合のいいことで、奴らとしては霊道を封じようとする俺や君たちの活動は大変都合の悪いものなんだよ。別に今に始まった事じゃあないぞ、少なくとも九年前には既に目を付けられていたんだから」
「九年前? 何かどっかで……」
 やや引っかかりを覚える乙瓜が首を傾げる。

『やーれやれ……結局僕の頑張りは全部無駄ってことかい。やってられないったらありゃしないよ』

「んっ??」
「え、何今の声!?」
 突然会話に介入した第三者の声に、人間二人は驚いて辺りをキョロキョロと見回す。しかし教室のどこにも、廊下にも、ベランダにも人影はなく、依然として多目的室には乙瓜と魔鬼と火遠の姿しかない。不思議がる二人をよそに、火遠は飽きれ笑いのような表情を浮かべながら、ホットパンツのポケットから何かを取り出した。
「極力大人しくしてろって言ってるだろう? しょうがない子だね、雲外鏡・・・
 そう言って火遠が教卓の上に置いたのは、赤縁で白い花の飾りのついた――花子さんの手鏡。
 唐突に、しかも花子さんが持っている筈のそれをぱっと出されて、乙瓜魔鬼の両名は余計に首を傾げる。鏡がどうかしたの、と。
『人影を探したって無駄だよぅ、僕は最初ッからここに居るんだもの。……ま、情けない姿にはなっちゃいましたけれど、乙瓜ちゃん的には久しぶり。そっちの魔鬼ちゃん的にははじめまして、かな?』
「久しぶりぃ……? …………………………ん?」
 乙瓜は呆気にとられるも、その声や口調に聴き覚えがあったようなきがして顔をしかめる。そして彼女がその答えに辿りつくのは意外と早かった。

「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!! お、お前、鏡の時のあいつじゃないか! 人を鏡の中に閉じ込めた上に色々あるものないもの見せやがって!!! 何だっけ名前!!」
『忘れるなんてひどいなあ。魅玄だよ』
「そうそれっ!! 何だか知らねえけどえらく小さくなっちまったじゃないか、出て来いオラァ!」
「い、乙瓜、声、こえっ! そんな叫んだら人がきちゃうって……!」
 一人ヒートアップしはじめた乙瓜を長えつつ、魔鬼は火遠に問う。

「火遠、よくわかんないけどこの人(?)例の【月】の仲間なんだろ? 大丈夫なのか?」
「まぁねー」
 気の抜けた返事をして火遠は鏡を持ち、掲げた。丸い鏡板の向こうに、いつしかの【月】の使者が座っている。鏡そのものが小さいので、その中に映る魅玄は童話の中の小人や妖精みたいに小さかった。
『……【月】はもう抜けたよ。どうせ末端の末端だったし、この間の作戦に失敗したら処分は確実だったんだ。だけど……はぁ。色々あってあの後鏡の中に封印されて、今はどういうわけかこの性格の悪い人の下っ端やってるってワケ』
 言うと、魅玄は不満そうに頬を膨らませた。

「いやいや、丁度物を映すことに特化してる妖怪なもんだから鏡に捕まえてインスタント雲外鏡として働いてもらってるだけさ?」
『働きに対する報酬は出ないけどね』
「日に一度花子さんがピカピカに磨いてるじゃあないか」
『あんなもん嫌がらせと同じだよ』
 鏡の中の小人はプイとそっぽを向いた。
 かつてそれなりに敵として立ち向かってきた者のあまりにも丸くなった姿に気抜けするやら呆れるやら、ヒートアップしていた乙瓜はすっかりクールダウンしいた。
「な、なんかよく知らないけど大変なんだな、お前も」
『…………。それもこれも乙瓜ちゃんの所為だよ』
 ぽそりと呟きながら魅玄は鏡の向こうから恨めしそうな視線を向けるのだった。
『……話を戻そう。僕はあの日、マガツキ様の勅命で、理の調停者代理たる乙瓜きみ火遠この人の契約を解除させるために来た。それはわかってんでしょ?』
「お、おう。ていうかマガツキ様って何モンよ」
『質疑は最後まで聞いてから。その時に僕が魅せた鏡の映像、あれが九年前の生徒会長・副会長とこの人の戦い。……あれは実際に起こった事で、九年前【月】が古霊町大霊道を解き放った時の大地の記憶の一端。君が九年前に引っ掛かりを覚えるのは、僕の仕事の結果なんだよ』
「そっか。言われてみればそんなこともあったな、道理で」
 乙瓜はポンと手を叩いた。魅玄ははぁと溜息を漏らした。
「折角頑張ったのに記憶力が残念な子で残念だったねぇ」
 鏡を持つ火遠がクスクスと笑いを漏らす。鏡の中の魅玄は「全くだ」と声を漏らし、乙瓜は「どういうことだよ」と頬を膨らませた。
 再び魔鬼が乙瓜を抑える間に、魅玄は話を続ける。
『九年前の戦いで、大霊道も一時的に再封印することが出来たけど、霊道封印と連動する形で火遠も封印された。主戦力をかなり削がれた【月】は、この人とともに蘇る霊道の封印を即座に解除することは諦め、九年間あれやこれやと暗躍して体勢を立て直してきたわけ。で、今年に入って封印が解けて、案の定この人が霊道塞ぎに尽力してるっぽいってんで、僕が邪魔しに来たわけ。……ま、失敗したけどねー』

「だいたいわかった。で、こないだ来たって奴はなんなのさ?」
 魔鬼が問うと、魅玄は今思い出したかのような顔をして言った。
『神楽月の人の事? ああ、あの人は僕の元上司だよ。捕虜になって色々喋らされてたら面倒だから、捜し出して始末する為に来たんだと思う』
「じゃあ、また捜しに来る可能性も……?」
『いや、それは無いんじゃないかな。マガツキ様はあんまり無駄がお好きでないからねェ、もう完全に寝返ったと見て、別の作戦を仕掛けてくると思うよ。そう遠くない内にね』
 鏡の中の彼はきっぱりとそう言い切った。それはつまり、また新たな襲撃があるという予告であり。理の調停者代理である少女二人は自然と真剣な顔つきになっていた。

 ――強敵が、来る。その予感に体が緊張する。
 自称下っ端の下っ端である魅玄の空間から乙瓜が抜け出せたのは、実質火遠の助けがあったからだ。続くアンナ・マリーには、本体と遭遇する前に消耗させられ、魔鬼は魔力切れにまで追い込まれている。

 九月に現れた謎の少女・七瓜の来訪から闇子さんとの決闘を経て強くなった筈だった。けれど闇子さんを倒した時のような戦術が取れるのは二人そろって初めてだ。明確な敵意を持った相手が、遠くない未来確実に訪れる。戦力を分断させられる可能性なんて、いくらでもある。そうなったとき自分は、自分たちは――勝てるのだろうか。二人の心に不安が過る。
 表情を暗くする彼女らに、火遠は言った。
「まあそう暗くなるなよ。出だしが上手く行きすぎただけで怪事に関しては君らはまだまだ新米なんだから。何でも一人でできやしないし、二人でも敵わないこともあるだろうさ。その時は俺たちがサポートするし、この学校の話の分かる奴らみんなだって協力を惜しまないと思うぜ?」
 そしていつものようににやりと笑い、二人の肩にポンと手を置いた。
「理不尽に強いやつらや意味不明な攻撃してくる奴、そもそも正体が掴めない奴もどんどん出てくるだろうけど、二人だけだと思わないでやりたいようにやってみなってことさ」
「……っていわれてもなぁ」
「肝心な時にいっつも居ないお前が言うかァ……?」
 乙瓜と魔鬼が二人して恨めしそうな視線を向ける。火遠は全く気にしていないような涼しい顔で窓を見た。空は赤紫を経て徐々に紺色に染まりつつあり、早い星たちがきらきらと瞬いている。

 そんな宵の空の下、一つの悲鳴が上がる。何かが起こった予感に、乙瓜と魔鬼は急ぎ窓辺に向かった。
 彼女らの耳元で火遠が囁く。
「ほら、浮かない顔して立ち止まってる暇はないぜ? 敵意があろうとなかろうと、怪事はいつでもやってくる。いつ起こるかわからない事より、今起こっている事が大事だろう?」
 眼下の校庭では、何かに怯えるように狂乱している生徒が、友人何人かに囲まれている。
「よくわからないけどあれが怪事由来だっていうなら……早く行かなくちゃ……!」

 魔鬼は呟いて真っ先に教室を後にする。
 遅れ乙瓜も身を翻す。振り返った先に、さっきまで居た火遠の姿は消えている。その代り、教卓の上には忘れ物のように鏡が置かれている。
「おいお前、火遠はどこ行ったか知らねえか?」
『さてねェ。あの人がどこに行ったかなんて僕は一々存知ないねェ』
 とぼけた態度の魅玄に乙瓜は舌打ちする。イライラしている乙瓜に魅玄はのんびりした声で言う。
『だーいじょうぶ、どこに居たって見えなくたって、あの人は乙瓜ちゃんを見捨てたりなんてしないよ。あ、そうそう。下に行くなら僕をつれてきなよ』
 役に立つよ? と呼びかける彼をぶっきらぼうにポケットに仕舞い、乙瓜も階下へと走り出した。


 階段を駆けながら乙瓜は魅玄に言う。
「お前、これからは本当に俺らに協力するんだな?」
『勿論だよー。こっから出られる力もないし裏切りようもないしさ』
「じゃあ一個だけ教えとけ……いや、二個だけ!」
『ほいほーい。何かなぁ?』
「九年前に火遠が殺した生徒会の奴らは、人間側から寝返ったから殺されたのか……?」
『ん? あー、そのこと? きにしてたんだ』
 魅玄は意外と言うような声を上げる。
『あの子らは私的興味の他に人としてやっちゃいけないことやってたからなぁ。自分で不信煽るような事言っておいて今更何なんだけど、仕方ないんじゃないの』
「そっか、ならいいッ!!」
『うぇっ?! なにがいいのかよくわからないけど、お役に立ったなら嬉しいよ』
 キッパリ答える乙瓜に魅玄は困惑する。彼からすると何故このタイミングで聞くのかわからない質問だったが、乙瓜にとっては違う。あの時から少しだけくすぶり続けていた火遠への不信感を払拭するために、この問いは必要なものだったからだ。それを植え付けた張本人には知る由もないだろうが。

『……それで、あと一つはなに?』
 魅玄が聞く。昇降口が近い。乙瓜は滑り込むように下駄箱の前で止まり、外履きに履き替えながら最後の問いを口にした。

「マガツキ様っていうのは何者なんだ。アンナとかいう人形師は、そいつがボスみたいに言ってたが」

 彼女の問いに、ポケットの中の魅玄は少し考え込むように黙った後、言った。
 尤も、履き替えが終わって喧騒の中に走り出した乙瓜の耳には届いていたのかいなかったのかわからないが。
 彼は確かに、質問に答えたのだ。



「……ひょとすると君の****にあたるかもしれない人」

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